モーツアルト博物館 - 016 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 この通りの広場に面したゲトライデガッセ9番地にモーツアルトの生家がある。黄色に塗られた建物は屋根裏部屋を入れて6階ほどあろうか。父のレオポルドがアンナと結婚して、ハーゲナウアーという家主からここの4階を借りて住んだ。ここの4階でモーツアルトが生まれた。250年以上も前の1756年1月27日だ。


遠い夏に想いを-モーツアルト博物館

 この時代は乳児の生存率が極端に低く、レオポルドとアンナの間には7人の子供が授かったが、結局、成人したのは4女のナンネル(本名アンナ)と末息子のヴォルフガングの2人だけだった。


 3才の頃から音楽に特殊な才能を示し始め、3和音を叩いては耳を清まして聞き入り、クラブサンの傍を離れなかったという。


遠い夏に想いを-ピアノ  この家にも古いピアノが残っているが、モーツアルトが耳を清ましたピアノではない。モーツアルトが後年使用していたアントン・ワルター製(1780年製)のピアノだ。


 それと、古ぼけた小さなヴァイオリンが一挺残っている。相当に使いこなしたと見える。ニスは剥げているが、調整すれば今でもいい音がするかもしれない。これが、1746年のマイヤー製作のヴァイオリンで、モールアルトが5才の時、一家でウイーンへ旅行に行った時ヴォルフガングが持って帰ったものらしい。


 この時代は楽器の変遷が目まぐるしい。クラブサン(ハープシコード)から初期のピアノフォルテへとか、ヴァイオリンも古楽器の時代が去り、弓もモーツアルトが子供の頃から段々と現在の形になって行く。クラリネットはザルツブルグでは使われておらず、ウィーンに移ってから曲に使用している。フルートなども横型のトラヴェルソから発展して今の形になって行く。


 遺品に関しては、250年も前だから、殆どのものは残っていない。おまけに、1773年には川向うの家に引っ越している。物心ついてからは旅行の毎日だったからこの家に住んだのは、実質的に短い期間だったろう。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ