モーツアルトの持病 - 015 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ゲトライデ通りはこのレストランから目と鼻の先だ。コレギエン教会の前は広場で市場が立っている。その一つ向う側の通りが目抜き通りのゲトライデ通りである。


 商店街に所々抜け道があり、遠回りしなくとも往来できる。こんな抜け道の一つを通ってゲトライデ通りへ出た。それはアルプスの山間にある街の、まさに絵に描いたような美しい通りだった。イタリアの街の街並とも違う。ミュンヘンの街並とも違う。無数の看板、我々の「看板」という概念を越えている。一つ一つは芸術品のような代物で、通りに溢れている。黒と金が主色で鋳物師が細工したのだろうか。香港の看板(日本の看板も)と比べたら両極端だらう。


遠い夏に想いを-通りの看板

 この通りにモーツアルト一家が住んでいた。モーツアルトがどんな少年だったかは書簡集の父親の手紙からしか推測できないが、今で言うアスペルガー症候群の子供であったと推測されている。映画『アマディウス』の中でも行動が変わっている様子が描かれている。アスペルガー症候群の子供たちは社会生活になじめないが、好きな才能をのばしてやると、物凄くその才能が開花するという。


 アスペルガー症候群は天才に多い。ベートーヴェン、ダーウィン、アインシュタイン、エディソン、ビル・ゲイツ、など、数えたら限がない。大人になっても、人付き合いが苦手で、付き合いにくい相手である。


 モーツアルトの天才振りを語るのに、小さい頃のエピソードがある。司教の楽団のトランペット奏者であったシャハトナーという人がその場に居合わせた時の話である。ウィーンへの旅行から帰った6歳の頃、ウィーンで貰った小さなヴァイオリン(8分の1)を大切にしていた。そんな時にシャハトナーと作曲家のウェンツルがモーツアルトの家に来てウエンツルの三重奏を弾こうということになった。


 子供のモーツアルトが一緒に弾かせて欲しいと言い出した。父のレオポルドはヴァイオリンの正規の弾き方も教えてないので、駄目だとひどく叱ったらしい。レオポルドは厳格な男であった。彼はヴァイオリン奏者で彼の「ヴィオリン奏法」は日本語版も出ているから、関心のある人は手に入る。


 モーツアルトが泣きながら部屋を出て行こうとした時、シャハトナーは第二ヴィオリンくらい一緒に弾こうと、幼いモーツアルトを引き止めて、弾き出した。そうして、シャハトナーは弾くのを止めて、この小さな子がちゃんと弾いているのを驚いて聞き入っていた。第一ヴァイオリンもと言うので、弾かせてみた。無茶苦茶な弾き方だったが、最後まで止まらずに弾いたという。父、レオポルトが大喜びしたのは言うまでもない。


 現代でも何も教えていなのに、小さな子供がピアノで素晴らしい演奏をするとか、テレビでも紹介さている。みなアスペルガー症候群の子供たちである。アメリカの統計では過去10年間で7倍にアスペルガー症候群は増えたという。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ