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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-階段

 王宮入る。大理石の階段を登り、古楽器博物館に行ってみた。広い大理石造りの2室に、古い楽器から、今では見られなくなったスピネットやアルぺジオーネまで、さまざまな楽器が展示されている。


遠い夏に想いを-楽器室
 ミラノのスフォルツア城の博物館は無数の弦楽器の古楽器が殆どだったが、ここでは管楽器を含め様々な楽器を展示している。シューベルトのチェロ曲に『アルペジオーネ・ソナタ』というのがある。六弦あり、チェロより少し小さめなサイズでリュート族に属している。昔からあるのかと思ったら、1823年にウイーンで発明された楽器だという。


遠い夏に想いを-アルペジョ-ネ  フレットがあり6弦あるところはギターのようにでもある。但し弓で弾くからギターとは違う。ところが現在ではアルペジオーネそのものが廃れてしまったので、チェロで弾くことになっている。4弦のチェロは高音ばかりで弾きずらい。


 昼からは、シュタールブルグ小路、ミヒャエル教会、コールマルクト通りを経て、ドブリンガー書店で楽譜を買い求めた。

遠い夏に想いを-ドブリンガー

 間口の広い書店で、大半の楽譜は手に入る。ものによっては銀座のヤマハで買うのと値段は変わらないが、値段が半分近くの物もあり、これらの楽譜をを購入して来た。海外で書籍や楽譜の類を購入すると、重くて持って帰れなくなる。それかと言って、郵送すると、郵送料が高くなり日本で買っても大差なくなってしまう。

 <ドブリンガー版楽譜>
遠い夏に想いを-楽譜

 ドブリンガー書店は楽譜の出版もしており数は少ないが大変に見やすい印刷だ。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 王宮に入り、入り口の薄暗い通路でミネラルウオターを買った。


<1972年のウイーン、王宮前で>
遠い夏に想いを-王宮前
 1972年に来た時に、この通路で昼食にパンとコーヒーを立ち食いしていたら、同じく立ち食いのオランダ人から声をかけられた。


<王宮への通路で>
遠い夏に想いを-通路
「日本人か」
「そうだが・・・」

当時、ヨーロッパにいると東洋人と言えば華僑の中国人と間違えられる時代だった。
「オランダから来たのだけれど、オランダと日本が戦争をしたのを知っているかい」
「ああ、知っているよ」


 私の叔父が軍隊でインドシナやスマトラなどに送られ、南方戦線で通信兵として苦労した話を子供の頃によく聞かされたものだ。だから、彼に叔父の話をしてやった。


「あの戦争ではひどい目にあったよ。日本は本当にけしからん」
「私は戦争には行かなかったけれど、オランダとの関係は戦争だけでない。日本の近世では蘭学、即ち、オランダ語による学問のことだけれど、日本はオランダから学ぶことが多かったのだし。船も造ってもらったりしたんだ。オランダ語が日本語にいくつか入っているしね」


 最後は、握手をして別れたが、敗戦から27年も立って、ウイーンで戦争の恨みをオランダ人から聞かされるとは思いもよらなかった。


 欧米の植民地主義について言ってやりたかったが、力は正義なりという考え方や、既得権を主張する欧米の考え方を議論していたら収まり付かなくなる。スペインやポルトガルによる南米、イギリスによるインド・パキスタン、フランスによるベトナム(インドシナ)、オランダによるインドネシア、イギリスやドイツによる中国などなど、アフリカもヨーロッパに支配された。博愛主義とはキリスト教徒の中で通用する言葉で、それ以外の民族は異教徒であり、彼らに対しては、そんな言葉も思想は意味がないのである。だからこの議論を避けて通れないし、時間がかかるので、その場は穏やかに別れることにした。


 本当にあの時のことが懐かしく思い出された。


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 カールプラッツに出た。カール教会に立ち寄る。この教会は比較的新しく、1713年に17回目のペストが流行した時にカール6世の命によって建てられた。

<カール教会>
遠い夏に想いを-カール教会3
 この教会の主祭壇にはエアラッハによる聖カール・ボロメウスの像があり、いかにも、バロックと言うに相応しい一種独特の明かり取りになっている。むしろ、グロテスクと言えるかも知れない。バロックの特徴を如実に表わしている。

<カール教会のドーム>
遠い夏に想いを-カール教会2
 堂内はロットマイヤーによる数々の美術品で飾られている。教会全体の造形といい装飾といい、バロックやゴシックやオリエントや様々な様式が混在しており、一見の価値はあるように思える。

<カール教会の明り取り窓>
遠い夏に想いを-カール教会1
 次は、ここでリンクを渡って王宮に行く。王宮の広場の緑の中にモーツアルトの像が立っている。絵画ではあるが、音楽家の像でピアノを前にしたものは皆無に等しい。ピアノのヴォリュームが彫像にならないのだろう。持っている楽器はヴァイオリンである。シュトラウスもそうだが、きちんと手入れされているのがすがすがしい。

<モーツアルト像>
遠い夏に想いを-モーツアルト
 モーツアルトは王宮の楽長になりたかった。しかし、一生楽長にはなれなかった。実力の問題ではなかった。マリア・テレジアはモーツアルト親子、特に、父のレオポルドの狡猾さが気にいらなった。従って、マリア・テレジアの勢力の及ぶ国ではモーツアルトを採用してはならぬと言われている。おまけに、当時は音楽に関しては、イタリアびいきで、イタリアの音楽家が楽長などを独占していた。

<シュトラウス像>
遠い夏に想いを-シュトラウス
 その王宮にモーツアルトの立像が立ち、美術史美術館前にはマリア・テレジアの像がありその下には少年モーツアルトがいるのだが、皮肉といえば、皮肉である。


長崎のナナイロさんから頂きました。有難うございます。

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 公園のなかには歌の詩人シューベルトの像や交響曲しか書かなかったブルックナーなどの像が立っている。


遠い夏に想いを-シューベルト
遠い夏に想いを-ブルクナー
 この市立公園の裏手にドナウ運河の支流でウイーン川という川が流れている。やたらと深い川で、その割りに水は底の方にチョロチョロと流れているだけだ。東京の高田馬場付近を流れる神田川を連想させて、何とも風情がない。おまけにU4号線のシュタットパーク辺りから暗きょになっている。


遠い夏に想いを-ウィーン川2
遠い夏に想いを-ウィーン川1
 さらにリンクの外側に沿って歩く。中央公園から少し離れたところにベートーベン広場がある。結構緑が多い広場である。中央にベートーベンの堂々とした座像がある。人はまだ殆どいない。朝方は薄曇りだったが、今は夏の終わりのやわらかい光が溢れている。右隣の建物にはシューベルトのプレートがあった。シューベルトが1813年まで学んだギムナジュムがあった場所らしい。残念ながらドイツ語なので細かい意味は判らない。


遠い夏に想いを-ベートーベン
遠い夏に想いを-シュ-ベルト版
 更にウイーン川の方向へ戻ると、コンツェルトハウスの白い漆喰の建物が見えた。今はシーズンが始まろうとしている時期だが、この建物は現在工事中で完成まで数ヶ月を要するらしい。ウイーンの器楽の音楽会場が当分閉じたままだ。


遠い夏に想いを-音友協会
 シュワルツェンベルグ広場を抜けて、楽友協会ホールまで来る。今日は3時からロンドンフィルの演奏会がある。演奏会は昼間なので諦らめた。市内を見て廻る時間が欲しいからだ。赤味のかかった壁と茶色の壁が印象的な建物だ。ロンドンフィルの楽器類運搬のためにトラックが横付けされ搬入に忙しい。


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 合同庁舎前から歩き始めた。中央郵便貯金局はアールヌーボースタイルの建物だから一応見てみたいが、城壁の内側とはいえ、歩く距離が相当あり、遠くから眺めるだけで諦らめた。建物の大きさが日本と違う。見た目での距離感と実際に歩いた疲労感とは一致しない。

<中央郵便局>
遠い夏に想いを-郵便局
 合同庁舎はかって陸軍省だた所である。ゴシック様式の重厚な建物だ。海のない国だから海軍省はないだろうが(ただし、サウンド・オブ・ミュージックの映画では、トラップ氏は海軍省の役人ということになっている)、陸軍省としては立派である。かってのハプスブルグ家の栄光が感じられる。ハプスブルグ家は大一次世界大戦で敗れて、その王国は消えてしまう。

<合同庁舎>
遠い夏に想いを-合同庁舎
 その隣が応用美術博物館である。なんと変わった名前で、これだけでは美術館だか博物館だか判らない。何が応用なのかも判らない。まあ、開館が10時からだから、まだ入れない。


 そのまま市立公園に入る。ウィーンの中央公園は、パリなどの公園や庭園に比べて、何かまとまりがなくて、落着かないのだ。城壁を取り除いた後に作った市立公園だから仕方がないのかも知れない。広さが足りないので、ベンチに座って本などを読む雰囲気はない。ただ、さすがに音楽の都だけあって、シュトラウスをはじめ音楽家の記念碑や銅像が多い。


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