王宮に入り、入り口の薄暗い通路でミネラルウオターを買った。
<1972年のウイーン、王宮前で>
1972年に来た時に、この通路で昼食にパンとコーヒーを立ち食いしていたら、同じく立ち食いのオランダ人から声をかけられた。
当時、ヨーロッパにいると東洋人と言えば華僑の中国人と間違えられる時代だった。
「オランダから来たのだけれど、オランダと日本が戦争をしたのを知っているかい」
「ああ、知っているよ」
私の叔父が軍隊でインドシナやスマトラなどに送られ、南方戦線で通信兵として苦労した話を子供の頃によく聞かされたものだ。だから、彼に叔父の話をしてやった。
「あの戦争ではひどい目にあったよ。日本は本当にけしからん」
「私は戦争には行かなかったけれど、オランダとの関係は戦争だけでない。日本の近世では蘭学、即ち、オランダ語による学問のことだけれど、日本はオランダから学ぶことが多かったのだし。船も造ってもらったりしたんだ。オランダ語が日本語にいくつか入っているしね」
最後は、握手をして別れたが、敗戦から27年も立って、ウイーンで戦争の恨みをオランダ人から聞かされるとは思いもよらなかった。
欧米の植民地主義について言ってやりたかったが、力は正義なりという考え方や、既得権を主張する欧米の考え方を議論していたら収まり付かなくなる。スペインやポルトガルによる南米、イギリスによるインド・パキスタン、フランスによるベトナム(インドシナ)、オランダによるインドネシア、イギリスやドイツによる中国などなど、アフリカもヨーロッパに支配された。博愛主義とはキリスト教徒の中で通用する言葉で、それ以外の民族は異教徒であり、彼らに対しては、そんな言葉も思想は意味がないのである。だからこの議論を避けて通れないし、時間がかかるので、その場は穏やかに別れることにした。
本当にあの時のことが懐かしく思い出された。
Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ
