遠い夏に想いを -143ページ目

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 一ヶ月は違うが、10月の中旬にモーツアルトの父、レオポルドがウイーンに家族でやってきて、『太陽がどこから上がるのかまだよく判らない』と歎くが、秋のウイーンは曇りや雨の日が多くて、まさに何時陽が上がるのか判らないこともある。


 今日はウイーン最後の日となり、朝から晴れ上がって青空が広がっている。全く運がよかったようだ。出発が20時55分だから、今日は一日使える。朝食を一階のレストランでとって、準備が出来たところで、出掛けることにする。ホテルで支払いを済ませ、手荷物をホテルに預けて外へ出た。


 今日はハイリゲンシュタットに出掛ける。ハイリゲンシュタットは、妻のノッコが『今度ウイーンへ行ったら絶対に行く』と言っていたから、何がなんでも行かなければならない。ハイリゲンシュタットはウィーン市内の北西に広がる広大な森で、地下鉄で20分ほど乗ると駅に着く。


遠い夏に想いを-K.プラッツ駅舎
 カール・プラッツ駅から地下鉄にのる。この駅は外観が素晴らしい。オットー・ヴァグナーが1901年に作った装飾的な駅舎である。駅としては余りにも華麗である。前に紹介した郵便貯金会館を10年後に作っているが、全く装飾を廃した建物になっていて、現代建築の先駆けになっている。


 べ-トーベンに話を戻そう。ノッコはベートーベン派だ。第一、大学の卒論もロマン・ロランであり、彼のベートーベン論についてだから、私のように、何となくモーツアルトが好きだと言うのとわけが違う。フランス文学者の故片山俊彦氏のお嬢さんとは女子中学代の親友でもある。


 私はロマン・ロランは「ジャン・クリストフ」や「魅せらたる魂」など、高校時代に夢中になって読んだが、「ベートーベン論」は読んでいない。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ


      ナナイロさんいつも有難うございます。

      Happy St.Valentine to you!

 ミヒャエル広場を通った。広場の隅では若い男の子が一人でヴァイオリンを弾いていた。道路に置かれた帽子には小銭が一・二枚入っているだけだ。彼の弾くアイネ・クライネの音色が遠くまで何か物悲しく聞こえる。(下の写真の塔はミヒャル教会)


遠い夏に想いを-ミハエル教会
 ホテルに戻る前にノイアー・マルクト広場の南のはずれにあって、ホテルとは向かいにあるカプチーナ教会に寄ってみる。1632年に建てられたこの小さな礼拝堂は1633年からハプスブルグ家の墓所となっている。王家の墓所としては質素である。ここの埋葬方法がちょっと変わっている。皇帝の心臓はアウグスティナー教会に、内臓はシュテファン聖堂に葬られ、ここには棺があるだけという。


遠い夏に想いを-カチーナ教会
 堂内はひんやりとして、薄暗く、厳粛な趣である。地下の墓所にはマリア・テレジアとフランツ・シュテファン皇帝の大きな棺がある。


 今夜はウィーン最後の夜だ。少しはましな料理を食べようと、レスラン・ミューラーバイスルで食事をすることにする。


遠い夏に想いを-ミューラー食堂
 ケルントナー通りを国立歌劇場の方に歩き、エステルハージー宮を左に折れて2ブロックほど行くと、ザイラーシュテッツ通りに出る。レストランはこの通りにある。音楽学生が来るという庶民派のレストランだが、日本人学生が2組ほど見える。質素なレストランで、料理も残念ながら美味しくはなかった。


 帰りはぶらぶらと腹ごなしに散策。ホテルがあるノイアー・マルクト広場の東側の道にフラウエンフバーというカフェがあり、何か表示版みたいなのが壁にある。


遠い夏に想いを-レストラン
 近寄ってみると「1788年、マリア・テレジア皇后のお抱え料理人だったフランツ・ヤーンが、いわゆるフランス風レストランのような、高級レストランを当地に開いた。 此処では有名な演奏会が(多く)催された。1788年にはヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトが此処でヘンデルのパストラ-ルを上演し、1797年にルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェンがピアノと4本の管楽器(木管)のための五重奏曲を演奏している(初演)」と書かれてあった。


遠い夏に想いを-プレート  モーツアルトやベートーベンもこんなレストランで演奏したんだ、と思うと不思議な感じになった。


 ウィーンには音楽家のプレートがいたるところに掲げらている。変わったところでは、ヴィヴァルディについての表示版も見かけた。ヴィヴァルディは演奏旅行でヨーロッパ各国を廻りながら、ウィーンに来て、かなり貧乏であったらしく、ウィーンで亡くなっている。


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 ドイツ・オーストリア・スイス風のケーキについて思い出すのが、東京でもウィーン風のケーキ専門の喫茶店が、渋谷の東急本店前に1軒あった。店は移転したのか現在そこにないが、よく通ったものだ。


 古い昔話になるが、私の父は戦前菓子店を営む菓子職人だった。工場では無塩バターの樽が山のように積まれてあった。戦後暫らくして、日本でもザッハトルテが一時期流行ったが、どうしてもぎゅっと詰まったケーキとはほど遠かった。そのうち生クリーム全盛の時代がやってくる。


 先日、銀座のヤマハに行った帰りに、不二家の店に寄ってみた。看板娘のペコちゃんが妻のノッコの少女時代の愛称なので、懐かしくなり2階の喫茶室に行った。選んだケーキはファンシー・・・・何とかって、名前につられて取ってみた。出されたケーキは8割かた生クリームで甘ったるくて食べられない。時代が変わったと実感したひと時だった。


 さて話を戻すと、私たちは国立歌劇場の方角に歩いていた。すると、小さな帽子屋が目に留まった。
「入ってみようよ」
ノッコが珍しく帽子屋に興味を示した。どんな帽子もノッコには似合わない。えらが張って、首が短いので帽子が似合わない。つばの大きいのも小さいのも駄目だ。強いて被るならばベレー帽くらいである。ミュンヘンでコートを買った時に、ベレー帽に近い形の帽子を買って被っていた。


遠い夏に想いを-ベレー帽
 ドアを押すとチャリンと音のする薄暗い小さな店の中に入った。まるでジブリのアニメの世界かと疑うほどだった。太った中年の女性が出てきて、優しく応対してくれた。あれこれとベレー帽を出してきて説明してくれる。ベレー帽はみな同じ形かと思ったが、それぞれ微妙に異なる。あれこれ試着して、えんじと濃紺のを二つ買って店を出た。


 その後全くこのベレー帽は忘れさられて、箪笥の奥にしまわれたままだ。ヨーロッパでは妙齢のご婦人がベレー帽を被って通りを散策している洒落た姿を見かける。
「日本じゃ変なおばさんにしか見えないから」と言って被らない。
確かにべレ-帽なんて被っている女性は見かけない。相変わらず、タンスの肥やしになり続けるだろう。


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 昼から、アム・ホーフ界隈に出かけてみる。アム・ホーフ広場の一角にアム・ホーフ教会が建っている。アム・ホーフ広場はウィーンの最も古い地域で1156年にバーベンベルグ家のハインリッヒ2世と言う人が城塞を築いた跡らしい。ウィーン発祥の地といわれているらしい。


遠い夏に想いを-アム・ホーフ
 疲れたのでカフェでコーヒーを飲むことにする。ウィーンには多くのカフェの有名店があり、有名な音楽家、芸術家、政治家、文人などが通っていたという。この辺りにはカフェ・ツェントラールがあるはずだ。


遠い夏に想いを-パレ・フェルステル  方向が判らなくなってしまった。近くにパレ・フェルステルという洒落たアーケードがあり、その中を歩いて捜す。その先の小路側にはツェントラールという店があるが、どうもレストランで喫茶はやっていそうもない。小路を通って角まで行くと、そこにカフェ・ツェントラールがあった。








遠い夏に想いを-Central
遠い夏に想いを-人形  入り口はモダンな造りになっており、ウイーンという感じではない。中に入ると、入り口に老人の人形がテーブルに座っている。これは実在の常連客を人形にしたらしい。これがこの店の看板人形なのだ。この建物が出来たのが1886年というから120年くらい経っている。


 天井が一段と高く、装飾も質素で、ガランとしている。店の中ほどにテーブルが一つ空いていた。若い学生が多くて、店内は結構賑やかだ。メランジュを頼んだ。ケーキはウィーン風で生クリームなどではなく、バタークリームの素晴らしい味わいあるケーキだ。コーヒの味は国立歌劇場の近くのティラーロフの方かいい。その上、我々年配者にはティラーロフの方が落着く。


遠い夏に想いを-店内
 この店はフロイト、シュニツラーなどの文人が多く来たらしい。音楽家を懐かしむには国立歌劇場とか楽友協会ホールなどの近くの店に行かなければ駄目だ。


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 ベルヴェデーレ宮殿は傾斜地になっている庭園の一番高い所に立っている。ここから望むと遠くに街が広がり、シュテファンの塔が一段と高く聳えている。街の景色と庭園の景観は少しも変わっていなかった。宮殿にはクリムトの絵が展示されているが、今日は月曜日で閉まっている。七二年に来たときも月曜日だったのではないかと思う。今日も庭には殆ど人がいない。庭はフランス様式で出来ており、木は殆どないので、日差し強くなるとたまらない。


遠い夏に想いを-ベルヴェデーレ
 ベルヴェデーレは1723年に建てられたゴシック様式の宮殿である。大きすぎず、小さすぎずの宮殿は、白く輝き大変に美しい。シェーンブルン宮殿のほうが1713年と10年ばかり建築の完成が早いが、私はベルヴェデーレ宮殿の方が好きだ。庭園の傾斜に沿って歩く。赤や黄色や白の花々が咲き乱れる庭の中を足を止めながら歩く。時々振り返る。白いベルヴェデーレ宮殿がくっきりと青空に浮かびあがる。


 ここの宮殿にはクリムトの絵画が展示されてるはずだが、今日は月曜日の休館日で中に入れない。1972年に来た時も確か月曜日で扉は閉ざされていた。どうもウィーンは月曜日に因縁があるみたいだ。


遠い夏に想いを-スフィンクス
 歩いて庭園を下っていく。スフィンクスの石像が置かれている。スフィンクスと言うとエジプトのスフインクスを連想する。ヨーロッパにも古くからスフインクスの像が見られる。これ等は古代ギリシャのスフィンクスで美しい女性の顔と乳房のある胸、鷲の翼を持つ怪物であって、宮殿の守護に当たっているらしい。


 宮殿の正面から街の全景が望めるが(ヘッダーの写真)、庭園を下るにつれて段々と街が見えなくなり、シュテファンの塔も視界から消えていく。


 レンヴェーク通りに出た。右側にガルデ教会がある。覗いてみようかと、正面まで行ったが、このロココ風の教会の扉は閉まっている。


遠い夏に想いを-ガルデ教会  レンヴェーク通りにはマーラーの住まいがあった筈だ。マーラーがここから毎朝歩いて指揮者をしていた国立オペラ劇場まで通ったと、マーラーについての本で読んだことがある。だから、電車に乗らずとも歩ける筈だ。











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