カプチーナ教会 - 060 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ミヒャエル広場を通った。広場の隅では若い男の子が一人でヴァイオリンを弾いていた。道路に置かれた帽子には小銭が一・二枚入っているだけだ。彼の弾くアイネ・クライネの音色が遠くまで何か物悲しく聞こえる。(下の写真の塔はミヒャル教会)


遠い夏に想いを-ミハエル教会
 ホテルに戻る前にノイアー・マルクト広場の南のはずれにあって、ホテルとは向かいにあるカプチーナ教会に寄ってみる。1632年に建てられたこの小さな礼拝堂は1633年からハプスブルグ家の墓所となっている。王家の墓所としては質素である。ここの埋葬方法がちょっと変わっている。皇帝の心臓はアウグスティナー教会に、内臓はシュテファン聖堂に葬られ、ここには棺があるだけという。


遠い夏に想いを-カチーナ教会
 堂内はひんやりとして、薄暗く、厳粛な趣である。地下の墓所にはマリア・テレジアとフランツ・シュテファン皇帝の大きな棺がある。


 今夜はウィーン最後の夜だ。少しはましな料理を食べようと、レスラン・ミューラーバイスルで食事をすることにする。


遠い夏に想いを-ミューラー食堂
 ケルントナー通りを国立歌劇場の方に歩き、エステルハージー宮を左に折れて2ブロックほど行くと、ザイラーシュテッツ通りに出る。レストランはこの通りにある。音楽学生が来るという庶民派のレストランだが、日本人学生が2組ほど見える。質素なレストランで、料理も残念ながら美味しくはなかった。


 帰りはぶらぶらと腹ごなしに散策。ホテルがあるノイアー・マルクト広場の東側の道にフラウエンフバーというカフェがあり、何か表示版みたいなのが壁にある。


遠い夏に想いを-レストラン
 近寄ってみると「1788年、マリア・テレジア皇后のお抱え料理人だったフランツ・ヤーンが、いわゆるフランス風レストランのような、高級レストランを当地に開いた。 此処では有名な演奏会が(多く)催された。1788年にはヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトが此処でヘンデルのパストラ-ルを上演し、1797年にルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェンがピアノと4本の管楽器(木管)のための五重奏曲を演奏している(初演)」と書かれてあった。


遠い夏に想いを-プレート  モーツアルトやベートーベンもこんなレストランで演奏したんだ、と思うと不思議な感じになった。


 ウィーンには音楽家のプレートがいたるところに掲げらている。変わったところでは、ヴィヴァルディについての表示版も見かけた。ヴィヴァルディは演奏旅行でヨーロッパ各国を廻りながら、ウィーンに来て、かなり貧乏であったらしく、ウィーンで亡くなっている。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ