ベレ-帽 - 059 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ドイツ・オーストリア・スイス風のケーキについて思い出すのが、東京でもウィーン風のケーキ専門の喫茶店が、渋谷の東急本店前に1軒あった。店は移転したのか現在そこにないが、よく通ったものだ。


 古い昔話になるが、私の父は戦前菓子店を営む菓子職人だった。工場では無塩バターの樽が山のように積まれてあった。戦後暫らくして、日本でもザッハトルテが一時期流行ったが、どうしてもぎゅっと詰まったケーキとはほど遠かった。そのうち生クリーム全盛の時代がやってくる。


 先日、銀座のヤマハに行った帰りに、不二家の店に寄ってみた。看板娘のペコちゃんが妻のノッコの少女時代の愛称なので、懐かしくなり2階の喫茶室に行った。選んだケーキはファンシー・・・・何とかって、名前につられて取ってみた。出されたケーキは8割かた生クリームで甘ったるくて食べられない。時代が変わったと実感したひと時だった。


 さて話を戻すと、私たちは国立歌劇場の方角に歩いていた。すると、小さな帽子屋が目に留まった。
「入ってみようよ」
ノッコが珍しく帽子屋に興味を示した。どんな帽子もノッコには似合わない。えらが張って、首が短いので帽子が似合わない。つばの大きいのも小さいのも駄目だ。強いて被るならばベレー帽くらいである。ミュンヘンでコートを買った時に、ベレー帽に近い形の帽子を買って被っていた。


遠い夏に想いを-ベレー帽
 ドアを押すとチャリンと音のする薄暗い小さな店の中に入った。まるでジブリのアニメの世界かと疑うほどだった。太った中年の女性が出てきて、優しく応対してくれた。あれこれとベレー帽を出してきて説明してくれる。ベレー帽はみな同じ形かと思ったが、それぞれ微妙に異なる。あれこれ試着して、えんじと濃紺のを二つ買って店を出た。


 その後全くこのベレー帽は忘れさられて、箪笥の奥にしまわれたままだ。ヨーロッパでは妙齢のご婦人がベレー帽を被って通りを散策している洒落た姿を見かける。
「日本じゃ変なおばさんにしか見えないから」と言って被らない。
確かにべレ-帽なんて被っている女性は見かけない。相変わらず、タンスの肥やしになり続けるだろう。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ