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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 時間は4時を廻っていた。飛行機は夜の8時55分だから、まだ時間がある。今思えばシューベルトの生家に立ち寄っている時間は充分にあった。時間があるので、お土産を買って、カフェで時間を過ごすことにした。楽譜店のドブリンガーの近くにカフェのハヴェルカがある。


遠い夏に想いを-グラーベン01
遠い夏に想いを-グラーベン02
 グラーベン界隈を歩いた。グラーベンは広い通りで、通りの真ん中にペスト記念柱がある。17世紀にペストが大流行し10万人が亡くなった。1679年にレオポルド1世の命により建てられた華麗な記念碑だ。当時最後のペストが大流行、ヨーロッパの街にはペスト終焉に感謝して記念碑を建てたが、ヴェネツィアのサンタ・マリア・サルーテ教会はその最たるものであろう(サルーテ教会へはここをクリックして下さい http://ameblo.jp/fifield/entry-10477480971.html )。


遠い夏に想いを-ペーター教会
 またこの近くに11世紀に起源をもつウイーンで2番目に古いペーター教会があり、堂内も素晴らしい。現在の建物は18世紀の初めにバロック様式で建てられたものだ。


遠い夏に想いを-ペーター堂内
遠い夏に想いを-ハベルカ  ハベルカも有名なカフェで音楽関係者や音楽フアンが出入りすろらしい。残念ながら、休みで閉まっていた。













遠い夏に想いを-ティロラーホフ  仕方がないので、リンクの近くのティロラーホフへ再びいってみる。ここはゆったりとして、背広にネクタイの初老の男性が一人で新聞を読んでいたり、中年のおばさま方が小さな声で話し込んでいるといった、庶民的な、しかし格式のあるカフェで気に入っていた。


 ケルントナー通りから2ブロックくらい裏手の通りの角に、昨夜、レストランの帰りにみつけた古道具屋があった。チェロが2~3台おいてあるとノッコが言うので、時間があるから、さてどんなものか覗いてみようと立ち寄った。ところが、本当にガラクタの品物で弾いてみるまでもなかった。夜の薄暗いウインドーの中では素晴らしい掘り出し物の名器にみえたのだそうだ。


 今度の旅行で思い残すのは、名作だらけの美術史美術館を訪れる時間がなかったことで、あと一日欲しかった。パリへ行ってルーブル美術館に寄らないようなものだから。


 時間は少し早いが、ホテルから手荷物を受け取って、エアーターミナルへ行き、六時半のバスに乗って空港へ行った。



 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 ベートーベン詣での話が続いた。ここでベートーベンにまつわる思い出を書いてみょうと思う。少し長くなるがご勘弁願いたい。


 去年の暮れに、書棚を整理していたら、昔の懐かしい写真が出てきた。遥か昔の大学生の頃の写真だ。


 大学ではオーケストラ部に入っていた。最大の思い出はベート-ベンの交響曲第九番「合唱付き」を演奏したことであろう。(興味ある方は画像をクリックし拡大してください)


遠い夏に想いを-1957年第九

「第九」は第一次世界大戦で中国の青島(ちんたお)にいたドイツ軍兵士を青島で収容しきれなくなり一部の捕虜が日本の徳島に連れてこられた。これらの人達がオーケストラを編成して「第九」を演奏したのが日本での初演ということになっている。1918年の出来事で、ベートーベン没後91年目に当たる。


 プロの楽団や音楽学校の学生による演奏以外で、一般の大学のオーケストラで「第九」を演奏するのは早稲田大学が初めだったらしい。1957年の新体育館の開館記念での演奏であった。


 第九は演奏するのに決して難しい曲ではない。当時、学内の各々の合唱団と調整を取ったり、合同で練習したり、オーケストラも編成が大きくなるので各楽器のトラを探したり、今では考えられない苦労があった。


 私は2年生で第2ヴァイオリンを弾き、妻のノッコはチェロではなく合唱に参加していた。合唱は男性合唱クラブ、女声合唱クラブと混声合唱クラブに学内有志が加わって結成されていた。


遠い夏に想いを-1959年第九1
 2年後の4年生の時に2回目の「第九」演奏会が大学の大隈講堂で行われた(上の写真)。この時、私は第1ヴァイオリンを弾いた。ノッコもチェロで参加した。いい思い出となった(下の写真は終了後の様子)。


遠い夏に想いを
 これ以降、ヴァイオリンはケースの中で30年間ほど手も触れずに眠ったままであった。その後も後輩による「第九」の演奏会は続いた。私は就職して直ぐに地方に転勤になったので、その後のオーケストラの動向は詳しく知らない。国立音大の声楽の先生だったノッコの従妹がアルトで独唱に参加したらしい。また故岩城宏之氏や小澤征爾氏が指揮をしたこともある。


 今の早稲田のオーケストラは人数が多すぎて演奏会では大変らしい。海外演奏旅行も行い、過ってはカラヤンに誉めれたそうだ。当時の我々のレベルとは比較にならないほど上手い。


遠い夏に想いを-2005
 そして、遂に私も卒業以来閉じていたケースを開く。暫らくすると、大学時代の仲間が誰ともなく「第九をやろう!」という声が上がった。機が熟して、2005年7月にOB達にによる「第九」演奏会が実現した。演奏する側も聞きに来る側も学生時代の思い出に浸って、会場の芸術劇場は満員の物凄い盛況であった。2回目のOBによる「第九」が2010年に行われた。その時の演奏会にあたって「朝日新聞」が載せた記事がある。(興味ある方は記事をクリックし拡大してください)

遠い夏に想いを-朝日r記事

 戦後の日本では暮れになるとプロのオーケストラが第九を演奏する。財政難のオーケストラ団員の為のボーナス第九などと言われたが、今では欧米でも暮れに第九を演奏するようになったらしい。




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遠い夏に想いを-パスク6  高台の上に家が建っていて、後ろ側の一番低い道路をうろうろしていたら、やっと思い出した。上に昇ってみると、入り口がある。





遠い夏に想いを-パスゥ2  壁にプレートがあり、ベートーベンの住んでいたアパートだと判る。







遠い夏に想いを-パスク4  狭い通路を抜けると、狭い中庭があり、白壁が5階まであり、日の光が当たっている。見上げながら感慨にふけっていた。









遠い夏に想いを-中庭 「入り口はこちらですよ」
突然、日本人男性の低い声がした。
振り返ると、年の頃は45才くらい、きちんと背広にネクタイをして恰幅のいい姿をしている。傍には奥さんだろうか40才くらいの女性が立っていた。








遠い夏に想いを-パスク1 「1972年にここに来ましてね。たまたま月曜日だったので休館でした。何だか感慨深くて」
「えっ、そんなに昔ですか・・・」
一瞬、彼は言葉に詰まった。
「今日は開いていますのでごゆっくり」
そう言って、軽く会釈をして去って行った。<写真右上は1972年に訪れた時>


遠い夏に想いを-階段  狭くて急な薄暗い階段を登って行く。30年の思いを胸に秘めて、少し胸がどきどきするのは昼食に飲んだワインのせいだろうか。












 パスクァラティハウスとはパスクァラティ男爵が所有したアパートで、彼は宮廷御用達の商人だった。ベートーベンは1804年から1815年までここの5階に住んでいた。ここで交響曲の第4番、5番、7番と8番を作曲している。彼の唯一のオペラ「フィデリオ」もこのアパートで作曲されている。


遠い夏に想いを-パスク7 「ペダルが5つあるよ、このピアノ。どうやって弾くのかな」
子供の頃からピアノも弾くノッコに訊いた。
「さー、判らないわよ、5つもあるなんて」

ベートーベンが愛用していたピアノだ。






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 終点のショッテントーアで降りる。市電はショッテントーアの駅の地下に入っていてしまうので、地上へは階段を使って登らなければならない。


遠い夏に想いを-ヴォティーフ
 近くにヴォティーフ教会の塔が空に聳えている。皇帝暗殺未遂事件の後、無傷だったことを感謝して1879年に完成した教会で、その周りは何もない緑地帯になっている。華麗なゴシック建築だからシュテファン教会よりも堂々としている。


 ベートーヴェンが住んでいたパスクァラティハウスはこの近くなのだが、住所をたよりに探しても一向に見つからない。1972年にも来ているのだが。


 とりあえず、昼食の時間が過ぎようとしていたので、食事をしてからパスクァラティハウスに行くことにする。ショッテンガッセ通りの角にウイーン風レストラン『ロイポルド』がある。他の店を捜している時間がない。


遠い夏に想いを-ロイポルド
 ウイーンで今まで入ったレストランでは、一番ウイーン風でいい感じだと思って扉を開けて中に入った。店内は外から想像する以上に素晴らしい。古い造りだが落着いている。高い天井から照明が吊る下がり、通りに面してL字型に客席が配置され、きちんとテーブルがセットされている。ボーイがきびきびとテーブルの間を立ち回り、身のこなしも板に付いている。気持ちのいい店だ。


遠い夏に想いを-ロイポロルド2  いつもは赤ワインしか飲まないのだが、今日は暑いので白ワインを取り、牛肉の料理を食べて、やっとウイーンでウイーンらしい料理に出会った思いだ。昔のシュテファンの近くのレストランと違って、ボーイ達は流暢な英語を話すので気が楽だ。





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 遺書の家を出て、ベートーベンが1808年にグリルパルツァー母子と同居していた家まで歩いて行った。所謂ベートーベンの夏の家といわれる家で、ここで第6交響曲「田園」を完成させた。グリルパルツァーは詩人で、母親がベートーベンの弾くピアノの音色が大好きだったらしい。現在は人が住んでいるので中に入れない。表通りから見るしか方法はないのだが、壁にはオーストリアの2枚の旗でデザインされた文化財記念館のマークと小さなプレートがはめ込まれているので、ここがベートーベンが住んでいた家だと判る。


遠い夏に想いを-夏の家
 坂を登って行くと電車の線路が現れた。市電38停留所らしい。丁度、電車が向うから登ってきて、左側に通り抜けて行った。
「あの電車、もうすぐ戻ってくるから待っていよう」
「この先でくるりと一周してきて、反対に出てくるのね」
停留所には婦人が待っていた。まもなく中年の男がやって来た。陽射しが強いので、婦人は日傘をさしている。急いで坂道を登って来たので、私はうっすらと汗ばんでいた。陽の光が降り注ぎ、緑の樹木が時々風にざわめき、久しぶりの天気で空気が爽やかだ。何とも気持ちの良い昼下がりである。


遠い夏に想いを-市電  ほどなく電車が来た。ここは一段と高台になっている。電車は左にカーブして道をどんどん下って行く。もう随分長いこと都電も市電も乗っていないが、ここの市電は二両編成で、車内は三軒茶屋から出ている東急世田谷線の電車なみに古い(今は新しい車両に切り替わりつつあるが)。


 坂をどんどん下って市街地に近づき、建物が混みいって来る頃には乗客が増えてきた。


 今回、寄りたくて寄れそうもなかったところに、ハイドンの記念館とシューベルトの生家がある。シューベルトの生家はこの電車が通るフランツ・ヨーゼフ駅の近くにある。道に迷わなければ、時間はさして掛らないのだが、今度の旅行では道に迷うことも多々あり、時間がかかってしまうことが多い。今日はまだ市内のベートーベンの家に行く予定なので、迷子になって時間を無駄にしたくない。シューベルトの生家には何も残っていないと言うし、今回は諦らめよう。


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