市電で帰ろう - 067 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 遺書の家を出て、ベートーベンが1808年にグリルパルツァー母子と同居していた家まで歩いて行った。所謂ベートーベンの夏の家といわれる家で、ここで第6交響曲「田園」を完成させた。グリルパルツァーは詩人で、母親がベートーベンの弾くピアノの音色が大好きだったらしい。現在は人が住んでいるので中に入れない。表通りから見るしか方法はないのだが、壁にはオーストリアの2枚の旗でデザインされた文化財記念館のマークと小さなプレートがはめ込まれているので、ここがベートーベンが住んでいた家だと判る。


遠い夏に想いを-夏の家
 坂を登って行くと電車の線路が現れた。市電38停留所らしい。丁度、電車が向うから登ってきて、左側に通り抜けて行った。
「あの電車、もうすぐ戻ってくるから待っていよう」
「この先でくるりと一周してきて、反対に出てくるのね」
停留所には婦人が待っていた。まもなく中年の男がやって来た。陽射しが強いので、婦人は日傘をさしている。急いで坂道を登って来たので、私はうっすらと汗ばんでいた。陽の光が降り注ぎ、緑の樹木が時々風にざわめき、久しぶりの天気で空気が爽やかだ。何とも気持ちの良い昼下がりである。


遠い夏に想いを-市電  ほどなく電車が来た。ここは一段と高台になっている。電車は左にカーブして道をどんどん下って行く。もう随分長いこと都電も市電も乗っていないが、ここの市電は二両編成で、車内は三軒茶屋から出ている東急世田谷線の電車なみに古い(今は新しい車両に切り替わりつつあるが)。


 坂をどんどん下って市街地に近づき、建物が混みいって来る頃には乗客が増えてきた。


 今回、寄りたくて寄れそうもなかったところに、ハイドンの記念館とシューベルトの生家がある。シューベルトの生家はこの電車が通るフランツ・ヨーゼフ駅の近くにある。道に迷わなければ、時間はさして掛らないのだが、今度の旅行では道に迷うことも多々あり、時間がかかってしまうことが多い。今日はまだ市内のベートーベンの家に行く予定なので、迷子になって時間を無駄にしたくない。シューベルトの生家には何も残っていないと言うし、今回は諦らめよう。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ