高台の上に家が建っていて、後ろ側の一番低い道路をうろうろしていたら、やっと思い出した。上に昇ってみると、入り口がある。
壁にプレートがあり、ベートーベンの住んでいたアパートだと判る。
狭い通路を抜けると、狭い中庭があり、白壁が5階まであり、日の光が当たっている。見上げながら感慨にふけっていた。
「入り口はこちらですよ」
突然、日本人男性の低い声がした。
振り返ると、年の頃は45才くらい、きちんと背広にネクタイをして恰幅のいい姿をしている。傍には奥さんだろうか40才くらいの女性が立っていた。
「1972年にここに来ましてね。たまたま月曜日だったので休館でした。何だか感慨深くて」
「えっ、そんなに昔ですか・・・」
一瞬、彼は言葉に詰まった。
「今日は開いていますのでごゆっくり」
そう言って、軽く会釈をして去って行った。<写真右上は1972年に訪れた時>
狭くて急な薄暗い階段を登って行く。30年の思いを胸に秘めて、少し胸がどきどきするのは昼食に飲んだワインのせいだろうか。パスクァラティハウスとはパスクァラティ男爵が所有したアパートで、彼は宮廷御用達の商人だった。ベートーベンは1804年から1815年までここの5階に住んでいた。ここで交響曲の第4番、5番、7番と8番を作曲している。彼の唯一のオペラ「フィデリオ」もこのアパートで作曲されている。
「ペダルが5つあるよ、このピアノ。どうやって弾くのかな」
子供の頃からピアノも弾くノッコに訊いた。
「さー、判らないわよ、5つもあるなんて」
Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ