第九交響曲 - 大学時代の思い出 - 071 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ベートーベン詣での話が続いた。ここでベートーベンにまつわる思い出を書いてみょうと思う。少し長くなるがご勘弁願いたい。


 去年の暮れに、書棚を整理していたら、昔の懐かしい写真が出てきた。遥か昔の大学生の頃の写真だ。


 大学ではオーケストラ部に入っていた。最大の思い出はベート-ベンの交響曲第九番「合唱付き」を演奏したことであろう。(興味ある方は画像をクリックし拡大してください)


遠い夏に想いを-1957年第九

「第九」は第一次世界大戦で中国の青島(ちんたお)にいたドイツ軍兵士を青島で収容しきれなくなり一部の捕虜が日本の徳島に連れてこられた。これらの人達がオーケストラを編成して「第九」を演奏したのが日本での初演ということになっている。1918年の出来事で、ベートーベン没後91年目に当たる。


 プロの楽団や音楽学校の学生による演奏以外で、一般の大学のオーケストラで「第九」を演奏するのは早稲田大学が初めだったらしい。1957年の新体育館の開館記念での演奏であった。


 第九は演奏するのに決して難しい曲ではない。当時、学内の各々の合唱団と調整を取ったり、合同で練習したり、オーケストラも編成が大きくなるので各楽器のトラを探したり、今では考えられない苦労があった。


 私は2年生で第2ヴァイオリンを弾き、妻のノッコはチェロではなく合唱に参加していた。合唱は男性合唱クラブ、女声合唱クラブと混声合唱クラブに学内有志が加わって結成されていた。


遠い夏に想いを-1959年第九1
 2年後の4年生の時に2回目の「第九」演奏会が大学の大隈講堂で行われた(上の写真)。この時、私は第1ヴァイオリンを弾いた。ノッコもチェロで参加した。いい思い出となった(下の写真は終了後の様子)。


遠い夏に想いを
 これ以降、ヴァイオリンはケースの中で30年間ほど手も触れずに眠ったままであった。その後も後輩による「第九」の演奏会は続いた。私は就職して直ぐに地方に転勤になったので、その後のオーケストラの動向は詳しく知らない。国立音大の声楽の先生だったノッコの従妹がアルトで独唱に参加したらしい。また故岩城宏之氏や小澤征爾氏が指揮をしたこともある。


 今の早稲田のオーケストラは人数が多すぎて演奏会では大変らしい。海外演奏旅行も行い、過ってはカラヤンに誉めれたそうだ。当時の我々のレベルとは比較にならないほど上手い。


遠い夏に想いを-2005
 そして、遂に私も卒業以来閉じていたケースを開く。暫らくすると、大学時代の仲間が誰ともなく「第九をやろう!」という声が上がった。機が熟して、2005年7月にOB達にによる「第九」演奏会が実現した。演奏する側も聞きに来る側も学生時代の思い出に浸って、会場の芸術劇場は満員の物凄い盛況であった。2回目のOBによる「第九」が2010年に行われた。その時の演奏会にあたって「朝日新聞」が載せた記事がある。(興味ある方は記事をクリックし拡大してください)

遠い夏に想いを-朝日r記事

 戦後の日本では暮れになるとプロのオーケストラが第九を演奏する。財政難のオーケストラ団員の為のボーナス第九などと言われたが、今では欧米でも暮れに第九を演奏するようになったらしい。




 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
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