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遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 現在ハワイには石油による火力発電所がオアフ島にある。だがこの家のある地域は発電所による電力供給の恩恵を受けていない。


 ハワイで家を新築する場合は、自然エネルギー、例えばソーラーパネルなどの設置が義務付けられているという。2030年までにハワイのエネルギーの70%をクリーンエネルギーに転換する目標があるらしい。原子力などに頼らないで、ソーラーパネル、風力発電、バイオエネルギーなどで自然なエネルギーを供給するらしい。


 これだけでは家庭の電力はまかなえても、産業用の電力はどうするのか。ハワイは観光立州だから、照明、エアコン、病院などの施設への電力供給で足りるかも知れない。産業と言っても、アメリカ唯一のコーヒー栽培がハワイ島で行われている。あと牧畜が盛んである。製紙産業が衰退してしまった現在、電力を大量に使う産業がないのかも知れない。


 日本では、地熱発電や天然ガス発電は必要であろう。原子力などは戦略的に必要と言うが、所詮ウラン鉱石などの資源が日本にはないので、外国に依存しなければならない。何が戦略的なのか解らない。


 さてボブが庭を案内してくれた。傾斜の多い敷地だから歩くのが大変である。建物の下のほうに大きな貯水槽がある。何かと思ったら、「これで雨水を貯めて飲料水にするのさ。勿論、火災などの消火用水にも使えるしね」とボブの返事えが返ってきた。覗いてみると、水生植物が浮かんでいる。
「ボウフラがわくので、小さな魚もいるよ」これには驚いた。

大きなフィルターで浄化し、イオンで殺菌して飲んでいると言う。

<水草が覆う水槽>
遠い夏に想いを-水槽
 電力もソーラーパネルから太陽光で50ボルトで発電し、変電装置で110ボルトに変換しているし、蓄電して夜の照明などに使っていると言う。

<右側のボックス型のガス・ストーブ~>遠い夏に想いを-ストーブ2
 ガスはお馴染みのガスボンベを定期的に購入し使っているらしい。この辺りは寒いので、部屋にガスのヒーターがあった。結構暖かいので有難かった。これもボンベから送られてきたのだ。下水道も自家浄化装置で汚水を処分しているらしい。


遠い夏に想いを-ボブ達
 やがて、リックとロイスがやって来た。彼らは家を建てたばかりだから、何かといろいろ経験話があるのだろう。


 我々は用意して、リックの運転で彼らの家に向かった。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 疲れてるから、寝るのは9時過ぎと早い。6時には目が覚めた。外は朝焼けが美しい。陽が段々と昇ると、朝焼けは消えて行き、広い庭が広がっている。庭の周囲を白い猫が散歩している。

<夜明け>
遠い夏に想いを-夜明け
 庭に下りてみる。広い。3エーカーあるという。3エーカーといえば、3,700坪くらいになる。日本でなら豪邸だろう。ここは島の北側のハマクア海岸よりだから、遥か彼方に海は見えるものの、ハワイで思い描く南のリゾート海岸を望めるわけではない。2人で庭を散策していたら、宿屋の主人のボブがこちらに降りてきた。朝食を部屋に用意しておいたよって告げてくれる。

<庭のソーラー・パネル>
遠い夏に想いを-庭遠望
 ハワイで取れる果物は全て植えている感じだ。バナナ、マカデミャナッツ、パパイヤ、マンゴー、パッシヨンフルーツ、ブル-ベリー、コーヒーなどなど。玄関の前には竹が茂っている。それに、野菜畑があり、全て自給自足である。

<バナナ>
遠い夏に想いを-植物2
<マカデミア・ナッツ>
遠い夏に想いを-植物3
<ボブとナッツの木>
遠い夏に想いを-植物5

<マデミア・ナッツの実>
遠い夏に想いを-植物4

遠い夏に想いを-植物7

遠い夏に想いを-植物6

 朝食はご覧のとおり。簡単でも我々には充分すぎる。海外ではクロワッサンにコーヒーが定番だから、フルーツにコーヒーとパンで充分だ。


遠い夏に想いを-朝食
 ボブが犬の散歩から帰ってきて、庭を案内してくれた。庭の斜面の下の方にソーラーパネルが設置されている。これで全ての電気をまかなうらしい。パネルから電気を取り込む簡単な設備を見せてくれる。

 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ


 湾に沿ってヒロの町を抜け、北西に向かって車を走らせる。暫らく進むとラウパホウホウ・ポイントという場所に着く。道路脇に何やら説明文のプレートがある。降りてみた。津波の説明文だ。


遠い夏に想いを-ラウパ01
 くねくねと未舗装の細い道を海岸まで降りて行くと、素晴らしい光景が待っていた。波が岩に砕け散って、潮を高く吹きあげている。ハワイに抱いていたイメージとは全く違う光景だ。


遠い夏に想いを-ラウパ02
遠い夏に想いを-ラウパ03

 1946年4月1日、突然津波が島を襲った。終戦直後で、エプリル・フール津波と呼ばれているらしい。この地震は遥か北のアリューシャン列島が震源地なのだが、およそ160名の住民が溺れ死んだ。ヒロでも学校の校舎が流され、20人の生徒と4人の先生が溺れて亡くなったと言う。我々は寄らなかったが、ヒロの町には津波の記念館がある。


 チリ地震の時のように太平洋を渡って日本まで津波が押し寄せて来るから、世界規模の災害になる。今度の東北大震災で発生した津波がハワイを襲い海岸の民家も流されたらしい。また漁船がカナダ沖に流れ着いたと報道もあり、漂流物も大量にハワイやアメリカの西海岸に押し寄せるだろう。さらに放射能による海洋汚染も深刻な状況になるかも知れない。ロイスたちもこのことを心配していた。


 夕暮れが近づいてきたので先を急いだ。
「家に寄る?」
ロイスが訊く。
「何にもないけど、もし疲れていなけれが、家に寄っていっても、直接、宿屋に行ってもいいよ」

「No」と、ぶっきら棒に答えてしまった。よほどジェットラグで疲れていたのだろう。なにせ久しぶりの海外旅行だ。ノッコも余りのぶっきら棒な私の返事に驚いたと話してくれた。


 道はやがてくねくねと未舗装の道路になった。曲がりくねっていて、がくんがくんと揺れる。こんな所にB&Bの宿があるのか疑問に思った。


遠い夏に想いを-B&B01

 突然、暗闇の中に洒落た白い2階建ての民家が現われた。敷地の左側に小さな赤い鳥居がある。建物のドアには鍵が掛かってなかった。中に入って、荷物をおいた。そこは大変に落ち着くワンルームマンションのようだった。


遠い夏に想いを-B&B02

 宿屋の主人のボブとアニータが挨拶に現われた。ロイスは携帯を貸してくれて、リックと2人で車で帰っていった。


 ボブが来て、「食事を取ってないなら、スープぐらいは出来る」と言って、暫らくすると簡単な野菜スープを持ってきてくれた。これで一気に眠気が襲ってきた。


遠い夏に想いを-夜空

 窓のカーテンをあけると外は真っ暗闇で、見上げると満点の星屑。こんな星空は子供の頃に見たっきりだ。この時期は南十字星はみれないのだが、ワイ島に世界屈指の天文台が置かれている理由が解るよな星空だ。


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 1948年に「晴れた空、そよぐ風・・・」と歌って、一世を風靡した岡晴夫の歌 「憧れのハワイ航路」 を今では知る人も少ない。


 当時、誰も叶わぬ海外への夢を歌で綴ったものだ。今なら簡単に誰でも行けるのに! 今の若い人には想像も出来ないだろう。


遠い夏に想いを-ホノルル空港  ハワイアン航空は夜中に羽田を飛び立つた。7時間ほどでホノルルに到着。乗り継ぎに3時間弱待って、ハワイ島のヒロに到着。3時間も乗り継ぎ時間は要らないのだが、何処の空港でも3時間くらいの余裕をみこむ。昔ミュンヘンで3時間待っても乗り継ぎの飛行機が来なくて乗れなかったことがある。天候はよく、雲はあるが青い空が広がっている。


遠い夏に想いを-ヒロ空港  小さいけど、ハワイらしい木造の雰囲気のある静かな空港だ。空港にリックとロイスが出迎えてくれた。ロイスは少し歳は取ったが元気そのものだ。リックに会うのは初めてだが、温厚で優しい人だ。


 ハワイに来たのには理由がある。1986年に結婚25年目を迎え、むかし過ごしたミネソタに銀婚旅行にいった。去年が我々の結婚50年の金婚記念にあたることをロイスが覚えていて、ハワイなら近いから来ないかと言ってくれたのだ。記念日は5月だが、妻のノッコが野暮用で半年間何処にも行けないと言うと、じゃ11月の感謝祭を一緒に過ごそうと提案してきた。


遠い夏に想いを-ロイス自動車  自宅のある西の方角へ車を走らせる。車はミネソタでも使っていたロイスのヴァン。1995年に我々はミネソタを訪れたが、その時に乗ったいた車で、16年も使っている。と言うことは、95年にミネソタでロイスに会ったのだから、16年振りである。お互い歳を取ったが、彼らは我々より若く、エネルギッシユである。日本は長寿国だが、欧米人の方が頑丈で活動的だ。


 定年後にシアトルからハワイ島に越してきて、自分たちで家を建てるというのだから、日本じゃ大工の経験でもなければ、ずぶの素人が家を建てるのは大変である。我々が訪れる頃には完成の予定だったが、手続きの関係で完成が大幅に遅れてしまった。やもうえず、彼らがシアトルから来たときに暫らく泊まっていたB&Bタイプの宿屋を紹介してくれることになった。


遠い夏に想いを-ヒロ湾  ヒロの町には典型的なアメリカの田舎町の雰囲気がある。小さな湾に面していて、風向明媚な場所である。モデルの長谷川潤さんがヒロの出身(生まれはニューハンプシャーだが、
遠い夏に想いを-ヒロの街 2歳の時にヒロに移った)だそうで、先日テレビで潤さんの特集を、ヒロで過ごした子供の頃の映像を交えて、放送していた。




 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
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 さて、このシリーズも終りに来てしまいました。


 ご訪問いただいた方々には感謝いたします。ペタには極力全員に返すように努めましたが、大変に遅れてしまい申し訳ありませんでした。


 旅ブログには、添乗員などの旅を職業にしている方以外には、やがて終りが来るのは覚悟していました。ヨーロッパ旅行シリーズを振り返ってみますと、観光案内ではなく、訪れた街々で抱いた気持を書き留めることに努力しました。それの元になったのが下の写真で、旅行が終わる度に記録として綴ることから始めました。綴った内容を自分だけの製本にしました。


遠い夏に想いを-旅製本

 書く材料はまだありますが、余りにも古く「遠い夏へ想いを」よりも遠い記憶になり、メモワール的になりますので、ここでは諦めます。


 次はヨーロッパではなくて、昨年11月に訪れたハワイ島での短い体験を書くつもりです。


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