憧れのハワイ航路 - 01 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 1948年に「晴れた空、そよぐ風・・・」と歌って、一世を風靡した岡晴夫の歌 「憧れのハワイ航路」 を今では知る人も少ない。


 当時、誰も叶わぬ海外への夢を歌で綴ったものだ。今なら簡単に誰でも行けるのに! 今の若い人には想像も出来ないだろう。


遠い夏に想いを-ホノルル空港  ハワイアン航空は夜中に羽田を飛び立つた。7時間ほどでホノルルに到着。乗り継ぎに3時間弱待って、ハワイ島のヒロに到着。3時間も乗り継ぎ時間は要らないのだが、何処の空港でも3時間くらいの余裕をみこむ。昔ミュンヘンで3時間待っても乗り継ぎの飛行機が来なくて乗れなかったことがある。天候はよく、雲はあるが青い空が広がっている。


遠い夏に想いを-ヒロ空港  小さいけど、ハワイらしい木造の雰囲気のある静かな空港だ。空港にリックとロイスが出迎えてくれた。ロイスは少し歳は取ったが元気そのものだ。リックに会うのは初めてだが、温厚で優しい人だ。


 ハワイに来たのには理由がある。1986年に結婚25年目を迎え、むかし過ごしたミネソタに銀婚旅行にいった。去年が我々の結婚50年の金婚記念にあたることをロイスが覚えていて、ハワイなら近いから来ないかと言ってくれたのだ。記念日は5月だが、妻のノッコが野暮用で半年間何処にも行けないと言うと、じゃ11月の感謝祭を一緒に過ごそうと提案してきた。


遠い夏に想いを-ロイス自動車  自宅のある西の方角へ車を走らせる。車はミネソタでも使っていたロイスのヴァン。1995年に我々はミネソタを訪れたが、その時に乗ったいた車で、16年も使っている。と言うことは、95年にミネソタでロイスに会ったのだから、16年振りである。お互い歳を取ったが、彼らは我々より若く、エネルギッシユである。日本は長寿国だが、欧米人の方が頑丈で活動的だ。


 定年後にシアトルからハワイ島に越してきて、自分たちで家を建てるというのだから、日本じゃ大工の経験でもなければ、ずぶの素人が家を建てるのは大変である。我々が訪れる頃には完成の予定だったが、手続きの関係で完成が大幅に遅れてしまった。やもうえず、彼らがシアトルから来たときに暫らく泊まっていたB&Bタイプの宿屋を紹介してくれることになった。


遠い夏に想いを-ヒロ湾  ヒロの町には典型的なアメリカの田舎町の雰囲気がある。小さな湾に面していて、風向明媚な場所である。モデルの長谷川潤さんがヒロの出身(生まれはニューハンプシャーだが、
遠い夏に想いを-ヒロの街 2歳の時にヒロに移った)だそうで、先日テレビで潤さんの特集を、ヒロで過ごした子供の頃の映像を交えて、放送していた。




 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ