ヒロの津波 - 02 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 湾に沿ってヒロの町を抜け、北西に向かって車を走らせる。暫らく進むとラウパホウホウ・ポイントという場所に着く。道路脇に何やら説明文のプレートがある。降りてみた。津波の説明文だ。


遠い夏に想いを-ラウパ01
 くねくねと未舗装の細い道を海岸まで降りて行くと、素晴らしい光景が待っていた。波が岩に砕け散って、潮を高く吹きあげている。ハワイに抱いていたイメージとは全く違う光景だ。


遠い夏に想いを-ラウパ02
遠い夏に想いを-ラウパ03

 1946年4月1日、突然津波が島を襲った。終戦直後で、エプリル・フール津波と呼ばれているらしい。この地震は遥か北のアリューシャン列島が震源地なのだが、およそ160名の住民が溺れ死んだ。ヒロでも学校の校舎が流され、20人の生徒と4人の先生が溺れて亡くなったと言う。我々は寄らなかったが、ヒロの町には津波の記念館がある。


 チリ地震の時のように太平洋を渡って日本まで津波が押し寄せて来るから、世界規模の災害になる。今度の東北大震災で発生した津波がハワイを襲い海岸の民家も流されたらしい。また漁船がカナダ沖に流れ着いたと報道もあり、漂流物も大量にハワイやアメリカの西海岸に押し寄せるだろう。さらに放射能による海洋汚染も深刻な状況になるかも知れない。ロイスたちもこのことを心配していた。


 夕暮れが近づいてきたので先を急いだ。
「家に寄る?」
ロイスが訊く。
「何にもないけど、もし疲れていなけれが、家に寄っていっても、直接、宿屋に行ってもいいよ」

「No」と、ぶっきら棒に答えてしまった。よほどジェットラグで疲れていたのだろう。なにせ久しぶりの海外旅行だ。ノッコも余りのぶっきら棒な私の返事に驚いたと話してくれた。


 道はやがてくねくねと未舗装の道路になった。曲がりくねっていて、がくんがくんと揺れる。こんな所にB&Bの宿があるのか疑問に思った。


遠い夏に想いを-B&B01

 突然、暗闇の中に洒落た白い2階建ての民家が現われた。敷地の左側に小さな赤い鳥居がある。建物のドアには鍵が掛かってなかった。中に入って、荷物をおいた。そこは大変に落ち着くワンルームマンションのようだった。


遠い夏に想いを-B&B02

 宿屋の主人のボブとアニータが挨拶に現われた。ロイスは携帯を貸してくれて、リックと2人で車で帰っていった。


 ボブが来て、「食事を取ってないなら、スープぐらいは出来る」と言って、暫らくすると簡単な野菜スープを持ってきてくれた。これで一気に眠気が襲ってきた。


遠い夏に想いを-夜空

 窓のカーテンをあけると外は真っ暗闇で、見上げると満点の星屑。こんな星空は子供の頃に見たっきりだ。この時期は南十字星はみれないのだが、ワイ島に世界屈指の天文台が置かれている理由が解るよな星空だ。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ