奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ -67ページ目

「鹿殺し裁判」 ~ 京都奉行所・所司代 板倉内膳正重矩、御成りぃ!

今から300年前のことのおはなしです。

・・・


一頭の鹿が、お腹をすかせ奈良町へおりてきました。


朝、お店をひらいたばかりの豆腐屋の前を通りかかりました。


おもむろに、店先の桶に顔をつっこみ、豆腐をムシャムシャと食べ始めたのでした。


おどろいたのは店の主人。


「こ、こら、なにすんねん!」


包丁を振り回し、鹿を追い払おうとします。


すると手からすっぽりと、包丁が飛んで、なんと鹿の急所にあたってしまいました。


鹿は、ばったりと倒れてしまいました。


「ああ、しまった、かわいそうなことをした。」


主人は悔やんでなりません。


そこへ居合わせた一人の男が、


あんた、鹿殺したな。

鹿をころしたモンは、死罪やで




男がいったとおり、その後、主人は春日大社の社人に告訴されます。


神鹿殺しは重大事件です。


京都奉行所で裁判がとりおこなわれました。


当時、奈良奉行は京都所司の管轄にあり、このような重大事件は京都で裁くことになっていました。


所司代は
板倉内膳正重矩(いたくらないぜんのしょうしげのり)。


板倉は、つくづくと鹿の死体を見て、しきりと首をかしげます。


訴えの内容では神鹿殺しとあるが・・・これは犬ではないか


被告、原告、そしてその場に居合わせたものはええっと驚きます。


「奉行様、おたわむれを。犬に角や蹄がありますか?」


うむと板倉は、目を閉じ天をあおぎました。


確かに、これが神鹿であるならば殺した重罪である。

だが、これは犬ではないか。

この犬は春日明神様の御神徳によって角がはえ、蹄ができたのだろう。


社人は怒りをあらわに抗議しようとします。


板倉はクワッと目をひらき、鬼のような形相で原告を睨みつけました。


これが鹿であるならば殺した重罪は神社側にあろう。

社人が私腹を肥やし、鹿に十分の餌を与えないから、神鹿が町中へ出て餌をあさるのであろう。

そうでなければ垣を飛び越えて出ないと思われる。

この責任は神社側にある。

それでも、なお強く神鹿であると申されるか。


立板に水を流すがごとく朗々と申されました。


社人は、ぐっと言葉をのみ、うなだれてしまいました。


板倉は豆腐屋の主人に、
犬とはいえ、無益な殺生をしてしまったのだ。

御主人、存分に供養してやり、以後は気をつけられよ。


そう戒められただけで、御咎めなしとなりました。


・・・


板倉内膳正重矩

1668から1670年京都所司代を務める。



早起きは、三文の得(徳)
鹿と少年。
鹿島神宮から春日大社へ長いながい旅
おやおや奈良の鹿がおじぎをするのは鹿せんべいが理由ではないのです。千年前からのようなのです。




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「早起きは、三文の得(徳)」って・・・? ~ 奈良が起源のおはなし

 早起きは、三文の得(徳)」といいますよね。

これ、

早起きしたら、三文の得だよ!

早起きしたら、早起きは三文の得っていうよね。今日は、いいことあるよ!」

といっていませんか?


実は、これは三文得するのという意味ではなく、

早起きすれば、三文、損しないという意味なんですね。

そして、これは、奈良が起源になっています。


奈良の鹿にまつわるお話です。

昔、鹿は神様の使いとして、とても大事に扱われていました。

粗末に扱ったり、殺した者には罰をもうけたのです。

ある朝、家の玄関先で鹿が行き倒れていました。

その家の主人が鹿を殺したのではないかと疑われ、罰金として三文を徴収されたそうです。

これを機に、早く起きて鹿が倒れていないか確かめる習慣がひろまったそうです。

早く起きないと、三文損するゾという起源となったのですね。


奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-奈良 興福寺 鹿 石子詰

諸説あって、

家の前の鹿の死骸を、別のうちへ運び、知らずと押しつけられたそのうちの主人が罰せられたというのもあります。


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海を越え、時を越えた日米親善大使パトリーちゃん~賀名生の里 歴史民俗資料館 激動の昭和史【動画】

西吉野地区の山深い自然豊かなところにある「賀名生の里(あのうのさと) 歴史民俗資料館」。

南北朝時代、そして幕末・天誅組と時代がかったものが並ぶ中、ひときわ異彩をはなつコーナーがありました。

それが、こちら。

セルロイドの人形です。

奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-賀名生の里 歴史民俗資料館

昭和2年。

宣教師シドニー・ルイス・ギューリック氏のよびかけで、
米国四十八州から1万2736体の人形が集められました。
日米親善友好大使」として海をわたり、日本全国の子供たちのもとへやってきました。

うち144体が奈良県の幼稚園、小学校へ寄贈されました。
めずらしい異国の人形に子供たちは歓喜とともに迎えます。

しかし―

昭和16年。
太平洋戦争勃発。

日米親善友好大使」から一転し、
敵国の人形として憎悪の対象となります。
焼かれたり、または竹やり訓練で壊され、処分されました。

奈良県でも現存するのがこのパトリーちゃん含む4体です。

当時の賀名生小学校の校長・辻井満三氏は、世論に逆らい密かに炭小屋に隠したのでした。

そして敗戦を迎えたときです。
このように再びパトリーちゃんは、みなさんの前に披露される日が来たのでした。

かつて賀名生小学校に在籍されていた辻内千重子さん。
辻井校長の一命をかけたはからいのため、
思わぬ再会を果たしました。

・・・

孤独な人形パトリーちゃんの思いを、彼女はつづりました。
そのノートが冊子になりました。

奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-日米親善大使「パトリー」

一度、手にとってご覧ください。

遠く海の彼方から、異国の地・日本に来た少女の人形が、どんな思いであったのか、辻内さんがみごとに投影されています。

パトリーちゃんの目からみた激動の昭和史が、うかがえますよ。

時を越え、奈良吉野の山奥で、今もなお日米親善友好大使」の任をになっています。



賀名生の里 歴史民俗資料館
 南朝三帝ゆかりの賀名生皇居跡や、西吉野地区の歴史や文化を紹介しています。
 営業時間:9時~17時
 休館日:月曜日
 入館料:大人300円、子供100円



天誅組史跡巡り 吉野郡五條市 2011.05.04」より 


いくさ戦争と奈良。
最初にアメリカを撃った男。 淵田美津雄
戦艦大和と大和神社 【天理市】
奈良県護国神社の夏 ―1―
奈良県護国神社の夏 ―2―