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戦火から日本文化を救ったウォーナー博士 ~ 安倍文殊院 ・ ウォーナー博士報恩供養塔【再掲載】

奈良県桜井市安倍文殊院
華厳宗。山号は安倍山
安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)の創始。

かの有名な陰陽師
安倍晴明が修行をしたお寺と伝えられています。

奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-安倍文殊院


安倍晴明堂
のそばに、「ウォーナー博士報恩供養塔」があります。

奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-安倍文殊院 ウォーナー博士報恩供養塔


ウォーナー博士は1881年アメリカ生まれ。


東洋芸術史家で日本美術をこよなく愛していたとあります。

第二次大戦、日米開戦において戦争防止を進言し、
開戦となると、アメリカ政府、軍上層部に辛抱強く、奈良京都をはじめとする古都の文化的価値の説得したのでした。

その甲斐あって、アメリカ軍の日本本土空襲の空爆リストから外されたのでした。


桜井市の市民が、その感謝の気持ちとして、ここに「
ウォーナー博士報恩供養塔」を建立したのでした。

6月9日の命日には法要が行われています。


彼をたたえる
顕彰碑は、各地にたてられています。

・・・

しかし、当人自身、日本の文化財を救ったことを否定しております。

かつ彼の活躍自体、作り話であったという説もあります。

諸説、語られますが、このような伝説が語られたのは、

戦前に来日し、岡倉天心に師事し、横山大観達と共に、2年間日本美術を学んだ経緯があったからではないでしょうか。


>「がんばれ受験生! 安倍晴明 ~算命学と奈良歴史

おやおや奈良の鹿がおじぎをするのは鹿せんべいが理由ではないのです。千年前からのようなのです。

しかとしかとしかとしかとしかとしかとしかとしかとしかとしかと

奈良公園
の鹿に、鹿センベイをあげようとすると、おじぎすることで有名ですね。

これは、決して鹿センベイを売るおばちゃんが仕込んだことでも、

鹿愛護協会の訓練のタマモノでもありません。
(°∀°)b

実は、鹿センベイが発明される(?)以前より、鹿は人にお辞儀をしていたのですね。


奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-奈良公園 春日大社 鹿


前回「鹿島立つ武甕槌命。鹿島神宮から春日大社へ長いながい旅」では、

タケミカヅチが乗ってきた白鹿が、奈良公園の鹿の子孫です

と書きましたが・・・・

実際には違うようです。
о(ж>▽<)y ☆
しかと

(いや、ウソ書いたわけじゃないですよ。伝説です。伝説あせる

今ほど頭数はいなかったようですが、

タケミカヅチが訪れる以前より、万葉集で鹿のことを詠んだ唄が数多くあります。
A=´、`=)ゞ

また鹿が春日大明神のお遣いだと考えられるようになったのは、平安時代の中期です。
m(_ _ )m

さて昔の人は、奈良の鹿に、こんなジンクスをもっていました。

藤原行成が、
春日大社にお参りしたときです。

帰りに参道で鹿に出会いました。


奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-奈良公園 春日大社 鹿


これは春日の神様と心が通じた証拠だ。何か良いことがおこりそうだ
ヾ(@^(∞)^@)ノ

・・・と、感激したのでした。
このことは、行成の日記にのこされています。

現代では、鹿はいや(?)でも目につきます。

このことから当時は、鹿が人前にでてくる機会が少なかったのとわかりますね。


しかとしかと


平安末期のことです。
右大臣・藤原兼実は、娘と初宮詣に奈良を訪れました。
参道で鹿に出会うと、わざわざ牛車から降りて、鹿に頭を下げて伏して拝まれたそうです。

当時は、最初に出会った鹿にお辞儀をすると良いことがおこるというジンクスがありました。

このことから、現代の鹿が、人間を見てお辞儀をするのは、
千年前の人間の真似をしているためかもしれませんね。



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聖と鹿 ~吉野郡 竜門の民話 【宇治拾遺物語】

昔、吉野郡の竜門に一人の聖(ひじり)が住んでいました。

ある日のこと、隣村の寄り合いに呼ばれ帰りはすっかりと遅くなりました。

村の境から深い山道にさしかかたとき、何かにつまずき転んでしまいます。

なにかと思えば、大きな鹿が道のまんなかで横たわっているではありませんか。

「おお、どうしたことだ」

鹿の急所の額には、矢が突き立っていました。

聖が灯(ともしび)をつけて、あたりをみまわしました。

すると茂みから一人の男がでてきました。

「お前は、川むこうの介玄(すけくろ)ではないか。」

「ああ、これはこれは。
まさかこんな時分に人が通るなんて、間違って射るところでしたよ。」

「これはなにごとだ介玄、みんなお前が仕留めたのか。」

聖は灯をあたりにかざすと、いたるところで鹿の死体が、ごろごろ転がっているではありませんか。

「無益な殺生をしているのではないな」

介玄はただただ笑ってごまかすばかりでした。

・・・

翌日、聖は介玄のことが気になり、家を訪れました。

介玄は留守で、幼い弟がでてきました。

家の外、中と鹿の死骸が無造作に転がっているではありませんか。

聞けば、皮を売るにも、肉や薬にするも追いつかないほど、鹿をとってくるとか。

「兄ちゃん、最近おかしいんだ。やっきになって鹿ばかりとってくるんだ」

ひどいときには、狩ってはそのまま打ち捨ててしまうそうな。

聖は介玄に無益な殺生をやめるようにと説得しました。

介玄は、ヘラヘラとのらりくらりとするばかりで、まともに聞こうとしません。

あまりにも聖がくいさがるので、怒って弓に矢をつがい聖を脅す始末でした。

・・・

またその夜、介玄は狩りに出て行きました。

山には鹿の通り道があり、そこではおもしろいほど、鹿が獲れるのです。

今夜は、茂みの中に横になって寝ている鹿を見つけました。

矢をつがい、狙いをさだめます。

じっと集中し、矢を放ちます。

「グワッ!」

いつもと違う手ごたえに介玄はいぶかりました。

駆け寄ってみると、なんとそれは鹿の皮をまとった人間でした。

介玄は血の気が引きました。

あの聖ではありませんか。

脇腹に自分が放った矢が深々と刺さっています。

「ど、どうしてこんなことをなさるのですか!」

「つね日ごろからそなたをいさめても、少しも聞いてはもらえないのだから、

こうして今晩は鹿の身代わりになって、そなたに殺されたのならば、

そなたも殺生をやめるだろうと思った。

ここで射られて死のうとしていたのだ。」

と、聖はその決意のほどを介玄に話しました。

介玄は大地に臥して大声で泣き出し、なんどもなんども聖に謝りました。

やがて刀をぬき弓をきりすて、髪もきってしまいました。

そして二度とこのような殺生をしないと誓い、聖の弟子になることを懇願しました。

・・・

聖が亡くなった後、
介玄は誓い通り殺生をやめて、ひたすら仏の教えにしたがい、竜門で修業を重ねたそうです。


鹿殺し裁判 ~ 京都奉行所・所司代 板倉内膳正重矩、御成りぃ!



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