天からおちる 尾合戸滝 ~ 玉置神社 パワースポット 【動画あり】
奈良県吉野郡十津川村へ訪れました。
昨年、訪れた玉置神社へお礼の参拝です。
色々ありました・・・
さて、玉置神社、パワースポット
でも名高いです。
来るものを選ぶということで有名です。
夜通し走って、かれこれ三時間ほどして、道の駅「十津川郷」で一休みです。

霧がかなり深く、見通しがきかず、
夜明けまで、ここで一休みしました。
この霧が、のちほどおもわぬサプライズとなります。
3月になって春とは思えぬほどの雨が多く、冷え込み厳しい奈良でした。
ところが、どうしたものか、出立前日には暖かく春らしい気温となりました。
山あいの十津川村。
寒いかなと・・・思いましたが、なかなかどうして。
わりと穏やかな冷え込みでしたね。
小一時間ほど、休息をした後です。
荒々しくも切り立った岸壁の川沿いを走り、玉置山を目指します。
さて・・・
途中、川の対岸の断崖に細く白く落ちる滝が現れました。
尾合戸滝です。

路肩に車をとめ、しばし、観賞です。

自然のあらあらしさに裏腹に、川の流れは清らかで、天から垂れこめた霧は、下界を覆います。
滝は、まるで雲のなかからおちてきているかのように思えます。
写真では伝えにくいのですが・・・・
圧倒されます。
「吉野紀行 玉置神社」つづきます。
関連記事
2009年10月に訪れたときの記事です。
(1)玉置神社におとずれました。
吉野郡は大峰山系の南端に位置する玉置山へ真夜中に車を走らせました。
皺のような山の崖道を通りぬけ、なんとか翌朝到着。
訪れる人を選ぶという強烈な神社に、無事に選ばれた瞬間です。
(2)神武東征 玉置神社の由来
玉置神社と神武天皇の伝説について語っています。
(3)神代杉と遭遇 玉置神社
神々しい姿の神木「神代杉」と遭遇。
(4)そして蒼天に月のぼる玉置神社
あこがれの玉置神社に参拝です。疲労困憊したね。
(5)1000年物語 大杉 そして玉置山山頂へ
玉置山を散策です。県下一大きい1000年杉「大杉」とご対面です。
昨年、訪れた玉置神社へお礼の参拝です。
色々ありました・・・
さて、玉置神社、パワースポット
でも名高いです。来るものを選ぶということで有名です。
夜通し走って、かれこれ三時間ほどして、道の駅「十津川郷」で一休みです。

霧がかなり深く、見通しがきかず、
夜明けまで、ここで一休みしました。
この霧が、のちほどおもわぬサプライズとなります。
3月になって春とは思えぬほどの雨が多く、冷え込み厳しい奈良でした。
ところが、どうしたものか、出立前日には暖かく春らしい気温となりました。
山あいの十津川村。
寒いかなと・・・思いましたが、なかなかどうして。
わりと穏やかな冷え込みでしたね。
小一時間ほど、休息をした後です。
荒々しくも切り立った岸壁の川沿いを走り、玉置山を目指します。
さて・・・
途中、川の対岸の断崖に細く白く落ちる滝が現れました。
尾合戸滝です。

路肩に車をとめ、しばし、観賞です。

自然のあらあらしさに裏腹に、川の流れは清らかで、天から垂れこめた霧は、下界を覆います。
滝は、まるで雲のなかからおちてきているかのように思えます。
写真では伝えにくいのですが・・・・
圧倒されます。
「吉野紀行 玉置神社」つづきます。
関連記事2009年10月に訪れたときの記事です。
(1)玉置神社におとずれました。
吉野郡は大峰山系の南端に位置する玉置山へ真夜中に車を走らせました。
皺のような山の崖道を通りぬけ、なんとか翌朝到着。
訪れる人を選ぶという強烈な神社に、無事に選ばれた瞬間です。
(2)神武東征 玉置神社の由来
玉置神社と神武天皇の伝説について語っています。
(3)神代杉と遭遇 玉置神社
神々しい姿の神木「神代杉」と遭遇。
(4)そして蒼天に月のぼる玉置神社
あこがれの玉置神社に参拝です。疲労困憊したね。
(5)1000年物語 大杉 そして玉置山山頂へ
玉置山を散策です。県下一大きい1000年杉「大杉」とご対面です。
にゃら猫コチクは、空腹
ブログネタ:小腹が減ったとき、最近なに食べる?
参加中毎週水曜日は、にゃら猫コチクです。
さて、コチクくん、ちょっと目をはなすと、
流しにはいりこみ、なにかあさっています。
流しの生ごみあさったりします

ときに、こんなことも。
コンロの銀紙をガジガジ。
こぼれた汁に惹かれたんでしょうね。
おなかこわしますよ~
また来週
良弁杉 伝説 ~春つげる お水とり 東大寺 二月堂 修二会
東大寺二月堂「春つげる お水とり
」。
今も語り継がれるお話です。
「お水とり 」こと二月堂修二会を行われる二月堂の下には、良弁杉(ろうべんすぎ)と呼ばれる杉があります。
1967年に落雷にあい、今あるのは二代目になります。
良弁とは、昔の偉いお坊様です。
753年、大仏造立 に携わった四聖の一人に数えられています。
大仏造立の四聖・・・
発願者の聖武太上天皇。
勧進を行った行基。
供養をとりしきった唐の僧・菩提僊那(ぼだいせんな)。
良弁僧正様は、東大寺を開山しました。
さて、この良弁様には、このような逸話がありました。
近江の志賀の里に信心深い夫婦がおりました。
久しく子宝にめぐまれず、ようやく男の子が授かったのでした。
ところが、ある日、畑仕事につれてでかけたところ、大鷲にさらわれてしまいます。
嘆き悲しむ母は、長いながい年月をかけて、鷲の行方と、子供を探しまわったのでした。
30年もたったある日、奈良の良弁というお坊様の半生の噂を耳にします。
もしやわが子ではないかと思い、奈良へとのぼってきたのでした。
子供は、鷲に大杉まで運びこまれ、そこで義淵僧正に救われ、寺で大切に育てられたそうです。
その子供は、やがて良弁という立派な僧になったのでした。
果たして母子は、杉のそばで、対面することができたのでした。
今も語り継がれるお話です。
「お水とり 」こと二月堂修二会を行われる二月堂の下には、良弁杉(ろうべんすぎ)と呼ばれる杉があります。
1967年に落雷にあい、今あるのは二代目になります。
良弁とは、昔の偉いお坊様です。
753年、大仏造立 に携わった四聖の一人に数えられています。
大仏造立の四聖・・・
発願者の聖武太上天皇。
勧進を行った行基。
供養をとりしきった唐の僧・菩提僊那(ぼだいせんな)。
良弁僧正様は、東大寺を開山しました。
さて、この良弁様には、このような逸話がありました。
近江の志賀の里に信心深い夫婦がおりました。
久しく子宝にめぐまれず、ようやく男の子が授かったのでした。
ところが、ある日、畑仕事につれてでかけたところ、大鷲にさらわれてしまいます。
嘆き悲しむ母は、長いながい年月をかけて、鷲の行方と、子供を探しまわったのでした。
30年もたったある日、奈良の良弁というお坊様の半生の噂を耳にします。
もしやわが子ではないかと思い、奈良へとのぼってきたのでした。
子供は、鷲に大杉まで運びこまれ、そこで義淵僧正に救われ、寺で大切に育てられたそうです。
その子供は、やがて良弁という立派な僧になったのでした。
果たして母子は、杉のそばで、対面することができたのでした。