奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ -128ページ目

イノリのチカラ。

東北地方太平洋沖地震の被災者のみなさま。

奈良よりお見舞い申し上げます。

・・・

連日、悲惨な報道が流れてきます。

そんなものを跳ね返さんがばかりに、

多くのキセキとイノリの物語が伝えられています。

prayforjapan.
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人、この世のあらゆる生物には、

災害など、とりまく環境の劇的な変化、

疾病など、生体自体の内部に突然変化が起こっても、

個体として存続できるようにする本能があります。

環境に適応し、環境を改善する欲求にかられます。

免疫により疾病を駆逐します。

生体の全感覚が苦痛を感じない、安定的な”健康”な状態へと、変化に対応した自動調節機構が作動するのです。

恒常性(Homeostasis)といいます。

人、生き物たちの生き続けるという本能のキセキです。

しかし ―


大きな困難を乗り越えた後、

鍛えられ、成長しているのです。

・・・

被災地の復興に向けて、

たったひとつの命を武器に、

自衛隊のみなさん、

原子力発電所のみなさん、

現地で復興活動に尽力されているみなさん、

ありがとうございます。

無事、平穏をむかえれることを、お祈り申し上げます。



・・・

奈良であったイノリの物語。


お里と澤市の物語  【高市郡】
盲目の澤市と支えた妻・お里の祈りと奇跡の物語。

孝女・伊麻と、うなぎ  【北葛城郡】
流行病の父を救った娘の祈り。

女性の味方 血の道の人 中将姫  【北葛城郡】
中将姫の祈りが現世に浄土を紡ぎます。

身代わり焼地蔵  【宇陀郡】
無実の罪の娘を救った祈り。

蒙古来襲と風の神さま  【生駒郡】
日本最大の危機「元寇」。全国の祈りが神風という奇跡を呼ぶ。

百万辻子と道浄和尚  【奈良市】
別れた子供を探しもとめた母の祈り。

春日若宮おん祭 遷幸ノ儀  【奈良市】
八百七十年にわたる平和への祈り。



最初にアメリカを撃った男。 神の翼 淵田美津雄 (2) ~ 算命学と奈良歴史 (再掲載)

【連動企画【算命学で見た、奈良・歴史上の人物とミステリー】
鋼の翼 淵田美津雄 (1) の続きです。

真珠湾攻撃総隊長の回想
淵田美津雄自叙伝

同年8月15日、終戦を迎えます。

終戦を迎え、かつては真珠湾攻撃の英雄とたたえられた男は、
一転、亡国の敗残者の烙印をおされます。


奈良は三輪山のそばに身をひそめ、酒びたりの荒れた日々をおくるのでした。
連合国側の一方的な戦犯裁判を呪い、
もって生まれた反骨精神は、やがて報復する方法を模索するのでした、

そんなとき、アメリカから日本軍捕虜が送還される情報を得ます。
この人たちがアメリカでどのように扱われてきたか知りたいと思い出向いて行った。
そして、アメリカの非道な事実を綴って、反論の題材にしようという魂胆があったのでした。

数多くの非道の事実を集めるうちに、ユタ州のある女性の話に興味惹かれるのでした。

マーガレット・コヴェル。

彼女の両親はパプテスト系の宣教師でした。
日本にも訪れていたが、戦中、日本軍にスパイの容疑をかけられ処刑されてしまったのです。

祖国で取り残された彼女がとった行動は・・・
両親を殺した日本人を憎しみ返すことではなく、憎いと思う日本人にこそ、両親の意思をついでイエス・キリストを伝える宣教に行くことでした。
彼女は、捕虜収容所の病院へおもむき、自らの考えを実践にすべき、捕虜たちが日本へ返される日まで、欠かすことなく世話をしたのでした。

はじめて淵田は、激しく心打たれます。
憎しみによる復讐は憎しみの連鎖しか生まないと悟ります。
やはり憎しみに終止符を打たねばならないと。


昭和26年(1951)3月。

淵田は聖書に傾倒し、ここに至ってキリスト教徒に回心したのでした。
平和の伝道師となり、再び、キリスト教徒として、再びアメリカへと渡るのでした。


さて・・・

1952年。アメリカ・ワシントン州ブレマートマン軍港。

「この子のために一緒にいのっていただけませんか」

淵田は集まった人々に、そう促し、子供の頭に手をおいて熱い祈りを捧げた。

「父よ、彼らを赦し給え。
 その為す処を知らざればなり」

 この話には後日譚があります。

・・・

それから10年後、ウエストポイントでの集会の時でした。

20人くらいの陸軍士官学校の生徒が現れ、リーダーの青年が、近づいて言った。
「淵田さん、私を憶えていらっしゃいますか?」
淵田は驚いて眺めるが、見覚えはない。
「そうでしょうね。10年も前のことです。私はブレマートン軍港で祈って戴いたあのときの少年ですよ」
おお、淵田は感嘆に似た声をあげた。
「そうか、大きくなったもんだな」
青年は、あの日以来、祈りに支えられ立派なクリスチャンとして育ったのでした。
陸軍士官学校に入ってから、聖歌隊を組織し自らが指揮をとっていたのでした。
淵田氏が近くの町に訪れていることを知って、応援のために仲間を連れて駆けつけてきたという次第でした。

人々は、イエス・キリストの栄光を見たと噂しあったとのことでした。



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第十弾 「淵田美津雄


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関連情報:


目紅星先生との連動企画で紹介した歴史上の人物はこちら。

 第一弾、豊臣秀長

 第二弾、筒井順慶

 第三弾、吉村寅太郎

 第四弾、菅原道真

 第五弾、中将姫

 第六弾、聖徳太子。

 第七弾、志賀直哉。

 第八弾、徳川家康。

 第九弾、安倍清明。


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最初にアメリカを撃った男。 鋼の翼 淵田美津雄 (1) ~ 算命学と奈良歴史 (再掲載)

連動企画【算命学で見た、奈良・歴史上の人物とミステリー】

第十弾、 淵田美津雄


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1952年。
アメリカワシントン州ブレマートマン軍港

ユース・フォア・クライストの集会で、300人を超える会衆を前に話おわった淵田美津雄の前に、母子が現れた。

「淵田さま、私の息子に祈ってやっていただけませんか」

突然の申し出に戸惑う淵田に、婦人は続けます。

「私の夫は海軍大尉で、淵田さまが11年前に真珠湾攻撃なさいましたときアリゾナの砲台長でした。
 この子が生まれた時、私の夫はアリゾナとともに永遠に消えて失ったのでした。」

淵田は胸をつかれた。

「この思い出は私には辛いことでした。私はアリゾナを爆撃した日本軍を恨んできました。
 しかし私の夫もクリスチャンでした。
 そして今日、あなたの証を聞き、神様のみわざの奇しさに、ふるえがとまりません。
 この子は父を知りません。
 物心をつくようになって父の死を知っても、そのことの故にかたくなになって、
 どのように私が導いても、教主イエス・キリストを信じようといたしません。」

会衆一同、粛として声を呑んだ。
淵田は、意を決し、会衆一同をかえりみて、

「この子のために一緒にいのっていただけませんか」

そう促し、子供の頭に手をおいて熱い祈りを捧げた。

「父よ、彼らを赦し給え。その為す処を知らざればなり」

 ・・・この話には後日譚があります。


その前に、淵田美津雄のことをお話しましょう。

真珠湾攻撃総隊長の回想
淵田美津雄自叙伝

淵田美津雄は、1902年、
大阪と奈良の境となる葛城山のふもと、奈良県北葛城郡磐城村長尾(現・葛城市長尾)で生まれる。

大正10年(1921)18歳になると江田島の海軍兵学校に入校。
4年後に海軍少尉に任官し、その後、飛行将校を志願することになります。
昭和16年(1941)12月8日。

日本海軍機動部隊360機を率いて、真珠湾(パールハーバー)奇襲攻撃の陣頭指揮を務め、太平洋戦争の火蓋をきったのでした。

広島、長崎での原爆被災地の調査団の一員として活躍。

終戦、東京湾上の戦艦「ミズーリ」でのマッカーサー元帥による降伏調印式に立ち会います。

そして、昭和26年(1951)3月、突然、キリスト教徒に回心し平和の伝道師となり、再び、キリスト教徒として、再びアメリカへと渡るのでした。

その理由はいかなるものだったのでしょう。
様々な困難の末、戦後、キリスト教徒として、再びアメリカへと渡るのでした。
数奇な運命をたどった人です。


著書から、かなりの反骨精神の持ち主で、その血脈は母方の祖父から引き継がれているように伺えます。
大和高取藩の藩士であった祖父は、幕末に尊王攘夷の急先鋒であった吉村寅太郎率いる天誅組 をむかえ討って奮闘した。
明治十年には、新政府の軍曹となる。ここで新兵教育で薩摩藩を打ち負かし、幕末の仇敵に一矢報いたことを自慢としていた。
淵田にはこの祖父の脇差を形見として、日中戦争時、ベトナムまで携えていったそうです。

昭和20年(1945)。

広島に滞在していた淵田は、奇しくも諸所の命により奈良の大和基地へ戻ったのでした。
その翌日、8月7日に原子爆弾が広島に投下され、広島市が壊滅した情報を得る。
至急、調査隊が組まれ、淵田が派遣された。
広島に入った淵田の前には、見渡す限りの荒況でした。
あたりは煙と埃とで薄暗く、ときおり大粒の雨がうちつけ、つむじ風が舞った。
いたることろに死体が散乱していた。
ふと見ると、焼けただれた兄と妹。兄は、水をほしがる妹のために川からを水をくんでくる。
妹は、ゴクリゴクリとのみほし、
「ありがとう、ありがとう」と繰り返す。
そして
「兄ちゃん、仇をとって・・・」
かすかに言い残し死んでいったのでした。
救いきれない人々を前に、淵田の心中にいいようのない怒りに駆られます。
翌9日、長崎に、原爆が投下。
調査隊は広島を後に、長崎へと向かったのでした。


同年8月15日、終戦を迎えます。


つづく



その前に、

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連動企画【算命学で見た、奈良・歴史上の人物とミステリー】


第十弾 「淵田美津雄


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 第一弾、豊臣秀長

 第二弾、筒井順慶

 第三弾、吉村寅太郎

 第四弾、菅原道真

 第五弾、中将姫

 第六弾、聖徳太子。

 第七弾、志賀直哉。

 第八弾、徳川家康。

 第九弾、安倍清明。


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