奈良連動企画① 豊臣秀長 第74回 算命学で鑑定する!歴史上の偉人たち | ★算命学で鑑定する!歴史上の偉人たち

奈良連動企画① 豊臣秀長 第74回 算命学で鑑定する!歴史上の偉人たち

こんにちは、算命学カウンセラー 紅星(くれないぼし)です。


約3週間ぶりの“歴史上の偉人たち”です。


そして何といっても!


奈良歴史ミステリーハンター☆鈴木 尚 さんとの連動企画 第一弾!


奈良に関係した歴史上の偉人を採り上げて、私が算命学で鑑定、鈴木さんがその人物にまつわるエピソードや観光地などを紹介しよう!というものです。


第一弾となる今回は、知る人ぞ知る豊臣秀長。あの豊臣秀吉 の弟ですね。秀吉公の右腕として大活躍されました。


最終的な官位は従二位/権大納言。


ちなみに秀吉公は、従一位/関白 → 太政大臣 → 贈正一位。


詳しくはよく分かりませんが、関白になる前の秀吉公のちょっと下ぐらいまでは偉くなられたということですね(笑)。


もし秀長公が兄よりも長生きしていたなら、豊臣家は安泰で、徳川家康 の天下取りもなかったのではないか、とも言われています。


また秀長公と「奈良」との関わりは、長宗我部元親を降した功績によって大和を加増され、郡山城(大和郡山市)に入城されてから。秀長公45歳の時です。


大領を統治して大納言にまでなったことから、“大和大納言”と呼ばれたそうです。


基本となる秀長公の生年月日は、天文9年3月2日です。


秀長公の心(中心)の星は、愛情、奉仕、引力の星。本質的に秀長公は、非常に愛情豊かで、人を惹き付ける魅力を持った人だといえます。


また大きな特徴として、直情、短気、単独行動を意味する星が2つ、重なっています。これは非常にスピード感がある星で、文字通り、戦乱期や動乱期には非常に適した特徴です。


秀長公が兄に仕え始めたのは、大体24歳ぐらいとのことですが、この時期にはさらに冷静、沈着、自制心を意味する星が強く稼働しています。


本質的な愛情、奉仕の精神に加えて、強い闘争本能も持ち合わせ、さらに一歩引いて冷静沈着に行動することもできる、というのが、壮年期の秀長公の大きな特徴だと言えるでしょう。


秀長公は兄の秀吉公よりも3歳年下ですが、この世を去ったのは秀吉公が亡くなる7年も前のこと。51歳の少し手前で、郡山城に入ってから6年後のことです。


あまりにも若すぎますが、この時期を晩年期と捉えるなら、この頃の秀長公は、世の中の事柄をありのままに受け入れるというような、いわば“悟りの境地”に近づいていたと思われます。そういう星が強く稼働しているのです。


またこの時期は、堅実で蓄財の才にも長けた星が強く出始め、さらに攻撃の星の重なりによって、“集団による戦い”にも向いた性格が出ています。


ここでいう集団とは、自分が収めている領地領民と考えれば分かりやすいですね。これらの特徴はどちらかというと、平和期や目的が定まった時に適したものです。


つまり晩年の秀長公は、精神的にも、また現実面から見ても、非常に優れた領主で、ある種の宗教性を身にまとったカリスマだったと思われます。


“大和大納言”と呼ばれた裏側には、上記のような星の影響が強く出ているんですね。


それでは引き続き、秀長公にまつわる逸話や観光地へとご案内しましょう!


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