次世代を担う子供たちの現在そして未来 -100ページ目

「高校入試、身なりで不合格」の是非(2)

 報道やネットの書き込みを見ると、「高校入試はある種の通過儀礼であるべき」という考えが非常に多い。だから「入試は社会に出る第一歩だ。よって身なりがだらしないのであれば不合格でも当然」という論調になる。その根拠は「自分もそう言われたから」というのが圧倒的。


その考えを否定するつもりはない。


でも、でもね・・・


自分の中の基準(経験や感覚)だけで判断して物事を考える


ことは、「大きな誤解を生む可能性がある」ということを心に留めておく必要はないのだろうか・・・


ということを強く感じている。私は「自分の経験をすべて正しい」と考える大人に苦労してきたので(詳細は拙著「品格ある子どもの育て方」にて紹介)、少々この風潮を心配している。




さてさて、この学校の入試をどうすればよいのか。

校長の「目的」を汲み取り、入試で問題なくまじめな子だけを入学させるには・・・。

微力ながら「学校コンサルタント」として活動している以上、単なる評論家ではなく「改善提案」を出せなければ、自分の存在意義がない(と、たまにはプレッシャーをかけておく)。


私であれば、


(1)後期試験においても面接を導入する


(2)学校説明会・学校案内において、学校の方針として「規律を守る、規律にうるさい」学校であることを明記。面接においても「中学生らしさを重視」と記述する


(3)出願時に先生方は、生徒の身なりに目を光らせ、問題ある生徒には「きちんと注意をする」→試験時に改善してこない生徒は減点対象とする



このくらいのシンプルさで充分ではないかと考えている。

(1)については、面接があれば「落とす」大義名分は成り立つ。


(2)については、明示するものについては「中学生らしさ」程度でよい。具体的に書き始めるとキリがなく、よく報道される「わけのわからない中学の校則」のようになり、かえって抜け道を作る。



だから(3)を入れたい。  私が今回の報道で一番気にしているのは、


どうしてこの学校の先生達が、問題ある生徒達に「その場で注意しなかったのか」


ということである。注意できないシステム上の制約があるのか、それともトコトン意地悪で「お前達、いい気になっているのは今のうちだけだぞ、絶対に落としてやるからな、ヘヘヘ」という意識があったから注意しなかったのか、そんなことは当事者ではないのでわからないのだが、ここが学校であり、先生方が「選抜する側の人間」である以上、「目に余るのであれば注意する」ことをためらう必要はないと考える(これが電車の中であれば、見て見ぬふりがスタンダードであるとは私も思う)。


 つまり、学校側で事前に「中学生らしさ」の基準は共有しておいて(これ大切、個人の主観による好き嫌いは無しにしておく)、出願時に目に付く生徒は遠慮なく注意すればいい。


「この格好はウチの学校の基準には合わない。今日はともかくとして、試験当日に改善できていなければチェックの対象にする」


と注意・宣言しておけばよい(個人の特定はしない)。


 そうすると、「普段は問題あるが入試のときだけ間に合わせで普通にしている子はどうする?」という意見が必ず出てくると思う。私は、事前にキチンと注意・宣言した上で改善してきたのであれば


入学後の「規律指導」を受け入れる用意がある


と見てあげてよいと思っている。「この学校は規律にうるさいですよ」と事前に宣言し、出願時にも注意をしておく。その上で目に余る格好で受験する生徒達は、面接で容赦なく落とせばよい。


このほうが、先生方が目をこらして「ファッションチェック」をしている現在よりは、よっぽど健全ではないだろうか。



 1回出願に行っただけの数十分の間に、色々な先生から「この格好ダメだよ」と何度も注意を受けていれば、本当にこの学校を希望しているのであれば服装は直してくるだろう。その気がない生徒は「この学校ウゼェ」とということになり志願先を変更してくれるだろう。


そして数年の間には、必ずこの評判はどちらの生徒からも流れていくはずだ。

「高校入試、身なりで不合格」の是非(1)

 先週、TVのワイドショーなどでも取り上げられ、アンケートなどが実施されていたこの話題。自分としての考えがまとまらず、しばらく様子を見ていた。


まずは、報道のおさらいから。1つのニュースソースだけでは全体像がつかめないので、関心がある方はこの4つに目を通していただきたい。


http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20081029-OYT8T00193.htm

主なチェック項目
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200810280363.html

選考基準・学校の実態
http://mainichi.jp/life/edu/archive/news/2008/10/20081029dde041040019000c.html

「擁護論」続々
http://sankei.jp.msn.com/life/education/081101/edc0811010020000-n1.htm

 


私の意見として、校長の判断は


「目的」は正しい しかし 「手段」としては間違い


としておく。この校長は「学校の管理者」であり、ある意味ではプロデューサーの要素も持ち合わせている。


「この学校をよくしたい、よくするためには何が問題か」→「入学者の質をあげたい、まじめな子をとりたい」


と考えるところまでは同意する。しかし、この後がね・・・。



世論としては「入試なんだから身なりを整えるのは当たり前、入試を舐めているヤツは不合格で当然」が圧倒的。そんな考えの皆さんに、あえて問いたい。



 私が知る限り、神奈川県の公立高校の選抜方法は


前期→調査書+面接
後期→筆記試験+調査書+α(もちろん事前に公表)


である。だから前期試験については「面接」で落とすことはかまわない。ただし内部告発によって、公表された基準で「57人中16番(つまり面接でOKが出ていた)」の生徒が、『裏の基準』でひっくり返って不合格になっていることがわかった。


そして後期。後期には面接自体がなく、杓子定規に考えれば「身なり」を判断材料に入れることはできない。TV報道では、大半の不合格者はこの後期受験者とされている。



さて、皆さん。


 最近は『学校の閉鎖性』が問題視され、学校は「情報公開」を求められている。公立高校の学校説明会、公立小中学校の学校公開などもあたり前になった。その流れがありながら、こと入試では『裏の基準』があってもOKということなのか?


 これが私立であれば「成績のみで」「体のでかい順で」「かわいい娘から」「通知表に1や2があれば不可」など、自分たちの基準でとればよろしい(もちろん事前公表は必要)。いくら恣意的であってもその基準が世間で認められなければ、生徒がこなくてつぶれるだけだ。つまりこれをチェック機能と考えることもできる。「不正があった」なんて風評が流れただけでも、経営はイッキに傾くはず。ましてや事実なら、このご時勢であるから「食品偽装」の企業と同じ道をたどるだろう。


 ところが公立の場合、どこにチェック機能があるのだろうか?選抜に「校長個人の裁量」を持たせることが是なのか。公的機関である以上、どんな形であれ、「個人の裁量権」を持たせれば「不正」の元になるとは考えないのか?


「57人中16番」の生徒をひっくり返した決定機関が判定会議であったとしても、面接でOKを出した先生方の判断を裏でひっくり返すには、特定の力が働かなければムリではないかと、私は思う。


 この『裏の基準』を発動させるために、「出願時や当日の様子」をチェックしていた人がいて、受験番号なり名前なりを控えておいて判定会議にかけたという。公立(私立であっても)でこれを認めてしまったら、逆に「点数は足りないけど真面目そうだから合格」もあり得る話で、大分の不正採用事件と根底にあるものが同じになりはしないのか?学校の閉鎖性が指摘されている昨今、その是非は別として「裏でコソコソやっていた」姿勢は問われても仕方がないのではないか。


 教育委員会の方も「事前に言ってくれていれば・・・」とコメントしていた。事前に公表しなかった基準で選抜したことは、上記のような可能性を残す。「(不正合格なんて)あり得ないでしょ」と思われるかもしれないが、万が一にもその可能性を排した公平な選抜方法をとることが、入試では必要ではないのか。


「そんな常識的なことまで明文化する必要があるのか」という人も多い。そんな人は少々面倒であってもコチラをみてほしい。

http://www.jinji.go.jp/saiyo/jhoukoku.pdf


これは、国家公務員試験の面接採用基準。

公的機関の「選抜」では、民間の就職試験と決定的に違って「選抜には完璧な公平性を保証する」ことが最優先ではないのか?だから、選抜基準は「事前に公開」しているのではないか?


「身なり」がそれほど重要なのであれば、後期選抜になぜ面接を加えなかったのか???



だから私は、「手段」としては間違いだと思う。


 なお私自身は、この学校が呼ばれているような「課題校(教育困難校)」に通ったことも務めたこともない。だから、現場の先生方のご苦労は想像することしかできない。それを思うに、こういった問題ある生徒を「排除しよう」と考えることは、学校の長としては当然の判断だと思う(教育論としての是非は考えない)。


だから「目的」としては正しいと思う。


そして、根本の原因は「この生徒達の親にある」と考えている。


では、どうすればよかったのか?私の意見は次回。


数学金言(?)集

 嫁が買って来た「ぬか喜びの素 」・・・。


 このネタは、自分ではもうずっと使っているので面白くもなんともないのだが、嫁にはどうもヒットしたようで、「いつか誰かに話してあげるわ」と嬉しそうにしている。


 私のネタには基本的に進歩がなく、ずっと同じものを毎年使っている(ような気がする)ので、自分では全く面白くない。私の授業を過去に受けていた人々が見れば、おそらく


「まだ同じこと言ってるよ、このオッサン」


というところだろうか。



ただし、中には同じことを言い続けなければならないものだってある。

今回はちょっとだけ紹介してみよう。



(1)図と水虫は自分でかけ 

(2)図と態度はでかい方がよい


 女子が多いクラスの場合には、さすがに水虫というわけにはいかないので水虫→背中に変わる。「態度」にするのは中3、「受験時はオドオドせず堂々としていろ」という意味。中1や中2だと「消しゴム」とか「筆箱」とかに変わる。



多くの塾では、問題集(テキスト)の問題をノートに解く。

図形の問題において、最もやってはいけないことは


問題集の図を直接使って(直接書き込んで)解く


ことである。またノートに図を写したとしても、問題集の図よりも小さく書いたりする人もいる。それでは問題文の情報を正確に図中に入れることができない。問題を解く以前の、基本中の基本。


だから、このような場面にでくわすと、私は(1)や(2)のお言葉を叫ぶはめになる。




(3)図と大人は信用してはいけない


ほとんどの問題集や入試問題で与えられる図は、まったく同じ寸法で与えられるはずがないことはもちろんだが、それほど意地悪されることはない。ところが、難関校の中には「図があてにならない」ところもある。


問題の条件を読み取ると、実は直角三角形→図は普通の三角形

問題文には「正三角形」とある→図はどうみても直角二等辺三角形


などなど。問題文中の図をそのまま使おうものなら、出題者の思うツボ。それなのに、何も考えないでインチキの図で考える生徒はけっこう多い。「フリーハンドでかつ正確に」図を書くことも、数学の能力として重要である。


だから、こういった学校の受験生に対しては、必ずこの言葉を贈る(刷り込む?)ようにしている。

ぬか喜びの素

 塾講師をしていて、この時期に一番困るのは


「子どもの模試の結果に一喜一憂する母」。


成績が下がったら「もうこの世の終わり」くらいの勢いで焦る母、というのは皆さんもイメージできると思う。


「お母さんがうろたえると子どもに伝染しますから・・・」


と言いながら、なんとか冷静になっってもらうまでが大変。





 逆に成績が急上昇したときに、いきなり強気になる母もいる。


「この成績なら、もしかしてA高校やB高校も受かるかも。学費が大変だわ・・・」


なんて言い出す。


「1回良かっただけでは実力とは言えませんよ」


なんてストレートには言えないので、こんなときに私は、


「お母さん、ぬか喜びの素を買ってきましたね。この時期は受験生限定で安く売ってるんですよ(笑)」


と言う事にしていた。





 今日、私の身近で、このぬか喜びの素を買ってきた人がいる。そう、だ。子どもが日曜に受けた模試の結果が少々良かったらしく、


「受験校全部受かっちゃうかも。そしたら、どの学校にするか悩むわね」


だって。○○○(嫁の名前)を辞書で引くと、絶対に「お気楽」と書いてあるはず(笑)。


 別に自分が行くわけでもないし、そもそも受験はそんなに甘くない。親がそんなに油断したら、絶対子どもに伝染する。というわけで、私はぬか喜びの素の話をして、


「買って来たぬか喜びの素をすぐ返品してこい!」


と。




子どもは受験に関して「ネガティブ・シンキング」なので、それはそれで困ったものだが、


それ以上に


ぬか喜びの素を大量に一括購入


しそうな、この嫁の方が心配なのである。

ストリートビューを使ってみた(2)

 すっかりこのシリーズを忘れておりました。


 長男が受験生ということで、最近学校説明会にでかけることが多い。先日も私と嫁・長男の3人で都内まででかけた。私は仕事柄学校へ出かけることは多いのだが、原則として学校と駅の往復しかしない。


今回は時間があったので、嫁と長男を連れて学校に向かう前に、ここに立ち寄った。


http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=35.734565,139.593358&spn=0.017139,0.03356&z=15&layer=c&cbll=35.725969,139.590677&panoid=BE0QPE_brlrRLwaLv0vj2Q&cbp=1,360,,0,5

別に遊んだわけではなく、前を通りかかっただけ。

私はこの場所に深い思い出がある。

今から24年前の11月、私はここで住み込みで働いたことがあるのだ。


今から24年前の1984年11月、競馬ファンならおわかりだと思うがカツラギエースがミスターシービーを破ってジャパンカップを制したころ、私はここで働いていた。当時私は高校3年生。


「???」と思った人が正しい。


簡単に言えば、「家出をして転がり込んだ先がココ」ということなのだ。


 *  *  *

 しかし、思い出に浸ったのはわずか30秒。

嫁は私の思い出など気にかけることなどなく、「こんなところでボンヤリしていないで早く行くよ、ホラッ!」と、文字通り私の尻をたたき、私は情けなく「一保護者」に戻ったのであった。


家出の顛末は、気が向いたら書きます。