■自分の立ち位置に応じた本筋の努力をする(意識レベル600以上~700未満)

 

[継続]

◎自分の思考・感情の観察

 

[必須・省略不可]

◎短時間の無思考状態

◎ペンデュラムによってハイヤーセルフ・守護霊とコミュニケーションする

◎さまざまな書籍・ブログ等を通じた悟りの知的理解(非二元)

 

[推奨]

○沈黙

○カルマ・ヨガ

○瞑想(できる人のみ)

 

覚醒の一歩手前であり、さまざまな霊的修行をするのにふさわしいのが、この段階である。

 

だから、この段階でできることは色々ある。

 

まず、意識レベル540以上~600未満の段階で行っていた「自分の思考・感情の観察」は継続する。

 

ただ、これは意識をせずとも、自然に行われるものである。意識レベル600の段階では、もう完全に習慣化されて身に付いているべきものである。また、そうなるように1つ前の段階の時に訓練するべきなのである。

 

だから、念のために訓練の1つとして記載したが、わざわざ訓練として実施する感じではない。

 

この段階で最も推奨できる霊的修行は「短時間の無思考状態」をつくるというものである。

 

これについては、以下の過去記事で言及している。

 

覚醒に向けた意識レベルの向上のために(7)

マインドを鎮める

 

要するに、これは通常の瞑想の代わりに行うものである。

 

まず、1つには通常の瞑想はやはり難しい。この段階の意識レベルの人が20分くらい瞑想したとすると、雑念に悩まされる時間はそれなりに多いだろう。

 

「短時間の無思考状態」という私のオリジナルの霊的修行においては、最初は15秒程度の短時間だけでよいので、何も考えない(マインドを機能させない)という練習をするのである。

 

通常の瞑想とは異なり、目を開けていて色々なものを見た状態で実施する。

 

マインドを機能させない練習なので、どんな光景を見たとしても感情も大きく動かないようにする。

 

これはこの段階の意識レベルの人には、ある程度はできることである。

 

短時間ならある程度できるということは、この短時間の訓練を繰り返せば、非常に「純度の高い」瞑想になるということなのである。

 

また、最初は15秒程度だった連続無思考(に近い)時間を30秒、1分、2分と時間を伸ばしてもできるように訓練していく。

 

また、当然ながら、1日1回やって終わりという訓練ではない。1日の中でも、できる限り数多く繰り返すことが重要である。

 

なぜならば、覚者は1日中マインドが鎮まっているという状態にある程度近いからである。

 

最終的に1日中マインドが鎮まっている状態、マインドの機能がオフになった状態がデフォルト状態になるのだから、この最終着地地点を考えると、この訓練はできる限り1日中やるのが望ましい。前回の「自分の思考・感情の観察」と全く同じである。最初はできなくても、これができるように訓練していくのである。

 

そして、これまた同じように、1日中できる訓練であるというところが素晴らしいのである。

 

通常の瞑想を1日中行うことはできない。しかし、「短時間の無思考状態」は1日中実践できる瞑想方法であると言えるのである。そして、1日中やっていれば、やはり上達は早いのである。

 

これが通常の瞑想と比較して「短時間の無思考状態」を推奨する、もう1つの理由ということになる。

 

従って、私の方法論においては、これが最重要訓練であり、必須・省略不可なのである。

 

次にやっていただきたいことが、ペンデュラムを使えるように練習し、使えるようになったら「ペンデュラムによってハイヤーセルフ・守護霊とコミュニケーションする」ということである。

 

意識レベル600以上に到達すれば、練習によってペンデュラムを正しく使えるようになる。万が一、使えるようにならないなら、あなたの意識レベルは600未満ということになる。

 

そして、これは意識レベルが600に達した人に対しての特大のご褒美なのである。

 

従来、このお宝は土の中に埋もれており、気付く人がほとんどいなかった。また、世の中には使える人もいるかもしれないが、全然使えないという人もたくさんいて、ペンデュラムという道具の信頼性に疑問が持たれていた。

 

しかし、今回、ペンデュラムが使えるための条件というものを私が明確にしたのである。

 

これはとてつもない恩恵である。一生使える宝物である。この恩恵を最大限に活用しない手はない。

 

ペンデュラムを通じて、ハイヤーセルフや守護霊様とコミュニケーションをとる習慣を付けていただきたい。毎日、毎日、数十以上の質問をしていただきたい。そうすれば、あっという間に自由自在にペンデュラムを使いこなせる上級者になることができる。

 

そして、書籍やブログを読んでいてわからないことがあったら、すぐさまペンデュラムで確認をとるようにしていただきたい。頭に浮かんだ疑問もペンデュラムではっきり結論付ける習慣を付けていただきたい。真偽がはっきりしない情報があったら、ペンデュラムで真偽確認していただきたい。

 

通常の質問に対しては、ハイヤーセルフの方が正確な回答をしてくれるのだが、守護霊様チームとの関係づくりもしていただきたい。あなたの意識レベル向上のサポートをしてくれるのは守護霊様チームなのであるから。

 

悟りへの道において、ペンデュラムというスピリチュアル的要素を融合するところが私の方法論のユニークな部分でもあり、効果的な部分でもある。

 

もっとも、私にしてみれば、悟りとスピリチュアルは相反するものではなく、調和して融合されるものである。もし、悟りとスピリチュアルが二律背反のように感じられるのなら、それは間違っているので、自分の中にある観念を修正していかなければならない。

 

ペンデュラムについては悟りの方法論の初回記事にも過去記事へのリンクがあるが、念の為再度リンクを張っておく。

 

ペンデュラムでハイヤーセルフと対話する

ハイヤーセルフとの対話

ペンデュラムの使い方 中上級者編

ペンデュラムの使い方 中上級者編(2)

ペンデュラムの使い方 中上級者編(3)

 

3番目の必須の霊的修行は、前回と同様に「さまざまな書籍・ブログ等を通じた悟りの知的理解(非二元)」である。

 

やはり、悟りを目指している人なら誰しもがやっていることであるが、この段階では非二元についての書籍を読んでいただきたい。

 

これを理解しないことには悟りとは言えないし、世の中には非二元を理解できる人がごく少数しかいない中で、やっとそれが理解できる少数の人達の仲間入りができる段階になったということである。

 

前回と同じだが、お奨め書籍と注意事項は過去記事を参照していただきたい。

 

覚醒に向けた意識レベルの向上のために(6)

 

これ以外の霊的修行も、前回同様に自分が好きなものを取り混ぜて実践すればよいのであるが、この段階では推奨できるほかの訓練があるので言及しておきたい。

 

まず、「沈黙」。これは以下の過去記事を参照していただきたい。

 

はじめに言葉ありき

 

これも「短時間の無思考状態」と狙いは似ている。以下は当該過去記事からの引用。

 

-----

通常の瞑想というのは、瞑想状態になりやすいように場を整えて行う。静寂に近い場所を選び、外部からの情報や刺激をほとんど遮断して行う。場合によっては、集団で実施して、同調効果のようなものが得られるような環境で行う。

 

それに対して、沈黙というのは普段の生活環境の中で実施するものである。外部からの情報も刺激もある。心が乱れるような要因が溢れている中でも行うものである。

 

通常の瞑想を「思考(雑念)との戦い」と表現したとすると、沈黙や私が行っていた霊的修行である「短時間の無思考状態をつくる」訓練というのは「感情との戦い」と表現できると思う。

-----

 

外部から邪魔が入らず、理想的な空間で行われる禅寺での修行のようなものも効果はある。また、まだ意識レベルが低いうちは、自分1人の力では瞑想状態になりにくいから、他人や環境の力を借りるのも有効ではある。

 

ただ、普通の人の人生の大部分はそのような理想的環境で過ごすわけではない。むしろ、心を乱される要因が到るところにある中で生活しているのである。

 

だから、その中でいかに瞑想状態に近い状態でいられるかというのが非常に重要なのであり、この「沈黙」や「短時間の無思考状態」という訓練はそれを鍛えるものである。

 

次に推奨できるのが「カルマ・ヨガ」という訓練である。

 

ここでのカルマというのは一般的に思い浮かべられる「悪行」ということではなく単に「行為」という意味で、行為を通じたヨガということになる。

 

過去記事「覚醒に向けた意識レベルの向上のために(5)」において、自分ではやらなかった霊的修行としてカルマ・ヨガについて次のように書いた。

 

-----

やらなかったことは、もちろん無数にあるが、前回の記事までに出てきたもので言うとカルマ・ヨガはやらなかった。というよりも自分には瞑想よりも難しいと感じた。瞑想とカルマ・ヨガはどちらの方がやりやすいかは人によるので、向き不向きがある。

-----

 

これは現在の自分の目から見ると、少しカルマ・ヨガについての理解が本筋を捉えていなかったという感じなのである。

 

私がカルマ・ヨガを知ったのは葦原瑞穂氏の書籍「黎明」によってであり、「黎明」にはカルマ・ヨガを「日常の生活のひとつひとつの行為を、愛を以て、丁寧に、確実にこなしていくこと」という感じで説明している。

 

例えば、食事をする人の幸せを考えながら食器を並べたり、愛情を込めて料理をするという例があったと思うのだが、こういうのは正直に言って難しいと思ったのである。

 

カルマ・ヨガは意識レベルに関わらず、誰にでもできる霊的修行ということで、上記のような説明ももちろん正しいのであるが、悟りの一歩手前のこの段階では、少し違う捉え方をした方がよいとも思う。

 

カルマ・ヨガは行為を通じたヨガなのだが、この場合、「行為を通じた瞑想」と考えるのがよい。

 

これはどういう意味かと言えば、余計なことを考えずに(マインドを機能させずに)、目の前の仕事に一心不乱に取り組むということである。我を忘れて、時間が経つのを忘れて、無我夢中に取り組む。

 

その時、文字通り「無我」なのだから、小さな自己がない状態、つまり瞑想状態である。

 

取り組む内容はほとんどなんでもよくて、食器を並べたり、料理をつくるのももちろんそうだし、掃除や食器洗いなども当てはまる。もちろん、ビジネスマンの仕事もそうである。

 

数少ない例外は、ゲームのようなものである。これは大きく感情が揺れるものなので、瞑想にならない。1日中ゲームをしている人が覚者になったとかいう話はないのである。

 

しかし、趣味であっても、例えばピアノを弾くという行為は瞑想になり得る。個人的にシリウス人は結構ピアノが好きという印象があるのだが、それはこういった背景があるのかもしれない。

 

※ シリウス人の地球上における3大趣味は、音楽(特にピアノ)、料理・ワイン、神社。ただし、私の個人的な印象。

 

ゲームのように大きく感情が揺れるものを除けば、一心不乱に目の前の仕事に取り組んだ時、それは瞑想になるのである。その時、マインドはほとんど機能していないのである。全体意識と一体化したような感覚になるのである。

 

「ゾーンに入る」という言葉があるが、これはスポーツ選手等についてだけではなく、普通のビジネスマンや主婦にも当てはまる。そして、「ゾーンに入る」ほど一心不乱に仕事に取り組んだ時、その時初めて「神がかり的なインスピレーションが降りてくる」ということが起こる。過去に人間がやってきた偉大な仕事というのは、こうしてなされたのである。

 

過去記事で自分にはカルマ・ヨガは難しいと感じたと書いたのだが、今考えると、こういう意味合いであれば、カルマ・ヨガもやってきたかなと思う。

 

だから、ビジネスマンでも主婦でも、日常の仕事にこのように取り組むことは、意識レベル向上の観点からも重要である。

 

そういうことで、「短時間の無思考状態」も「沈黙」も「カルマ・ヨガ」も、一種の瞑想的なものではある。だから、この段階では瞑想、あるいは「マインドを鎮める」ということが非常に重要である。

 

では、通常の座って目を閉じる瞑想はどうなのかということになるが、ここでも「難しければやらなくてよい」が結論である。

 

悟りの一歩手前の段階であるから、雑念ばかりでどうにもならないということにはならないと思うのであるが、個人差はあるし、ほかの「マインドを鎮める」方法と比較して非効率だと感じる人もいるかもしれない。

 

ある程度できて、ある程度自分に向いていると思う人は通常の瞑想もやればよいし、そう思わない人は別の訓練をやればよいのである。

 

ただ、1日中できる訓練は「短時間の無思考状態」である。だから、これを必須の訓練としていただき、あとは自分の好きなものを組み合わせてやっていただければと思う。

 

以上が私の悟りの方法論である。

 

最後にまとめておく。

 

・素直な学びの姿勢を身に付ける。これができないうちは入門不可。

 

・意識レベルの概念を知り、自分の意識レベルを把握する。

 

・自分の立ち位置に応じた本筋の努力をする。

 

・意識レベル540以上~600未満の段階での最重要の霊的修行は「自分の思考・感情の観察」。なぜならば、1日中できる訓練であるために意識レベル向上を早くもたらすし、また、覚者というのは1日中自分を俯瞰で観察しているから。

 

・意識レベル600以上~700未満の段階での最重要の霊的修行は「短時間の無思考状態」。なぜならば、1日中できる訓練であるために意識レベル向上を早くもたらすし、また、覚者というのはある程度は1日中瞑想状態というのに近く、マインドの機能がオフになっているのがデフォルトの状態だから。そして、悟りへの道においてわからないことは全てペンデュラムで質問して解決する。ペンデュラムの技術は意識レベル600に到達した人へのご褒美であり、一生の宝物。

 

-----

過去記事はこちらからどうぞ。

記事目次 [スピ・悟り系]

記事目次 [神社巡り]