(前回の続き)

 

■自分の思考・感情の観察

 

自分の思考・感情を観察することは、この2年の間ずっとやってきたことと言って良い。逆に言えば、2年くらい前には自分の思考・感情を観察することくらいはできるようになっていた。

 

これができたからといって悟りとは言わないが、悟りへの第一歩というか、ある種の目覚めとは言えると思う。意識レベルについて書いた過去の記事にあるが、ほぼ常に自分の思考・感情を観察することができれば、意識レベルは約600である。

 

意識レベルが低いうちは、自然発生する思考や感情の連鎖に巻き込まれ続けて、反射的な反応をしてばかりである。例えば、怒りが発生すれば、怒りにまかせて行動する。全てが反射的である。一方、思考・感情の観察ができていれば、怒りが発生したとしても、それを切り離す(フォーカスしない)か、少なくとも怒りが発生したことを自覚した上で怒りの感情を味わうということになる。そこに空白と選択の余地ができる。従って、怒りにまかせて行動するということは基本なくなる。

 

思考・感情には2種類あることを知っておきたい。最初の思考・感情はあなたというスクリーン上にどこか外部(全体性)から自然発生的にやってくるものである。これが1次的な思考・感情。問題はやってきた1次的な思考・感情にマインドが巻き込まれて発生する2次的な思考・感情である。これが厄介であり、ネガティブな思考・感情に延々と巻き込まれたりする。人によっては、過去の恨みなどを年単位、数十年単位、一生涯持ち続けるが、これはマインドが過去の出来事に巻き込まれ続けて、ネガティブな思考・感情を止められないわけである。まずは、こういったことの無意味さ、くだらなさ、あるいは自分に与える甚大な悪影響などを自覚することが大切である。

 

覚者であろうが、どんな感情も起こりうるとされる。これは1次的な思考のことを言っている。しかし、覚者はそれがネガティブな感情等であれば、瞬時に切り離してマインドが2次的な思考・感情に巻き込まれないようにする。

 

この練習を始めたころは、怒りやイライラが発生したとして、それを切り離すまでの時間が10秒かかったり、場合によっては数十分かかったりといったイメージなのだが、続けていくとだんだんと切り離すまでの時間が短縮されてくる。全ての場合においてとはいかないまでも、小さなことであれば1秒以内に1次的な思考・感情を切り離すこともできるようになってくる。

 

もし何かサーダナ(霊的修行)をするのであれば、私としてはお奨めのサーダナである。

 

■数十秒程度の短時間の無思考状態を生活の中で意識的にたくさんつくる

 

これは単純に言えば座って目を閉じる瞑想の代わりであり、瞑想の一種でもある。電車の中や、歩いている時(人の少ないところで)などに意識的に思考を停止させる。目は開けていることが多いが、目を瞑っても安全な場合にはそうする場合もある。目を開けている場合は、思考を停止させた状態で、ただ観る。

 

私は数十秒程度の短時間であれば、ほぼ意識的に思考を停止させることができたので、これを繰り返しやる方が通常の座ってやる瞑想よりもやりやすいかなと思ったのだ。仮に30秒だけなら思考を停止させることができるとして、それを40回ループすれば理屈上は20分の無思考瞑想ができるはずなのだが、座ってやる瞑想だとなぜか雑念を防ぐことができず、2次的な思考にも巻き込まれる(笑)。

 

意識レベルが上がってくると、必要な時以外にはあまりマインドを働かせないようになってくるようだ。マインドが働かない状態がデフォルトなのである。この練習は、そのマインドが働かない状態をつくる練習と言える。「考えない練習」というやつである。

 

■ラメッシの唯一のサーダナ

 

既に過去記事に書いているが、復習しておくと、ラメッシ・バルセカールが奨める唯一のサーダナは「1日の終わりに一連の出来事を振り返り、必然の連続であり、自分の自由意志による行動ではなかったことを確認する」である。

 

この件については最初にラメッシの本を読む前から同様のことを少し思っていた。神社巡りをしていると、飲食店が少ないかほとんどないような地域に行くことも多いせいもあるのだが、食事をしたい時に食べられないことが多い。電車やバスの時間の都合もある。せっかく、お店を見つけても満席だったり、お店の人が出てこなかったり、食べたいものでなかったり、入りづらかったり、その他色々な理由をつけて見送る。そうすると、次のお店がなかなか見つからなかったりする。最終的には、どこかの店に入って食事をするのだが、そうすると、自由意思による選択ではなく、その店に必然的に導かれているような気がしたものである。

 

ラメッシは「1日の終わりに」と言っているが、私はわりと一連の出来事のすぐ後に振り返ることが多かった。ラメッシはまたこの行為の分析はリアルタイムにはできないと言っていたが、私は出来事が起こると同時に「この後、必然性によってどこに導かれるのだろう」という風にも考えていた。

 

(次回に続く)

 

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