1人での選考会
さて、今日は市町村駅伝の松本市の選考会。
コースは薄川のコースを3周、7kmらしい。
市町村の区間がどの区間も7kmくらいだかららしい。
で、選考会に何人くらい来るかと思ったら、
小学生、中学生がほとんど、一般は1人・・・。
1人で何を選考するんだ。
と、言いたいところだが30日にも選考会を同じコースでやるらしい。
きっとみなさんは30日に来るんだろう。
ならば、今日しっかりタイムを出しておけばいい。
あくまで自分の敵は自分自身って事だ。
松本市に他に対等に走るランナーがいるわけでもない。
何人いようが、1人で走る事は分かっている。
監督は21分台で走れば即決定と言っていた。
1月には走らなくても選手にしてくれるって言ってたけど・・・、
そんなひいきはいらない。
その21分台っていうボーダーラインだけどそんなに難しいタイムではない。
ペースにして、3分8秒/kmくらいか。
ただ、今の自分の調子がどうなのか分からないのがちょっと不安だった。
走り出してみると、意外と身体は軽かった。
W-up、流しでは重かったのに不思議だ。
1周目はなるべく抑えて走った、LAPは7分9秒。
2周目に入った時点で21分台は確信だった、
あとはこのまま行くだけなのだが、2周目のLAPは7分13秒くらい、
ちょっと落ちた。
3周目に入って呼吸が厳しいながらも息をはいた。
1秒後にはく息を今はいて、5秒後にはく息を3秒後にはく。
呼吸だけは前倒しするんだと。
そんな事を考えていた。
ラストLAPは7分6秒くらい。
ちょっと上がったかなって程度。
やっぱり呼吸がきついのと1人という事が大幅なペースアップにつながらなかった。
それでも、21分28秒。
まぁ、合格って事で市町村駅伝には出れそう。
久しぶりのスピード練習
3月に入って暖かくなってきたのに、最近はJOGの毎日。
東京マラソンを走った6日後に3分20秒/kmのペースで走っただけでものすごい疲れが出た事もあって、
しばらくは回復のためにJOG以外はしないようにしていた。
でも、そろそろいいかなって思って1000m×3本をやってみた。
暖かくて走るのにはもってこいの天気、ちょっと風は冷たいけど、
それがランナーにとっては気持ち良かったりもする。
この練習、気持ちとしては2分台で3本くらいはできないと厳しいと思っていた。
それと同時に3分かかりそうな不安もあって、微妙だった。
1本目は2分58秒、呼吸が苦しい。
しばらくゆっくりのJOGばかりだったせいか呼吸が衰えていた。
2本目は2分59秒、いっぱいいっぱいもいいところだった。
追い込めないという感じだった、足はわりと元気だった。
翌日は市町村駅伝の選考会なので、刺激と動きの確認という意味での1000mでもあるので
このくらいで参っていては先が無い。
リカバリを長めに取り、3本目は後半のスピードを意識して走ってみる。
600mまでは3分ペース、ラスト300からの切り替えだけでどこまでいけるか。
タイムは2分54秒。
このくらいだったら大丈夫という安心からか少し気が楽になった。
もちろん、2、3人で走ればもっと楽にできたかもしれないけど、
自分の走りの確認をするのなら1人でもいいと思う。
「からだ」という乗り物
「からだ」は、「想い」の乗り物だと言う事をつくづく感じる。
去年のGW、市町村駅伝が終わったときに、
「自分は走りたいんだ」っていう事に気づいて、
それから生活のスタイルにしても、意識にしても大幅に変わったのを覚えている。
それまでは、『走りたい』という想いが様々な要因によって封じ込められていた。
・社会人になって走る時間が減る中で今までを越える事なんてできない
・今まで走ってばっかりだったから他の事もやってみたい
・朝早く起きて走るのはつらい
ただ、自分の『想い』にフタをしたままで、違う方へ動くのは本当に辛くて消耗するものだった。
自分の『想い』が分かって、いろんな方向へ動くのは恐くても痛くてもとても張り合いがある。
走る事、特に長距離は才能なんかよりも強い『想い』が一番大切だと思う。
強い『想い』は身体を動かす原動力になる。
強い『想い』があれば多少の困難なんて吹き飛ばせると思う。
今どこの地区でも練習会に人が集まらないとかそういったチーム事情があるけれど、
そんなのチームの問題なんかじゃないと思う。
結局は個人の『想い』が弱いだけだと思う。
それでも、練習に来れない人たちには理由がある。
一番多いのが仕事、次に環境(練習場所までの距離とか)。
本当はそんな人たちだって走りたいんだと思う。
走りたいっていう『想い』があるはず。
ただ、何かが邪魔をしていたり、『想い』にフタをしてしまっているんだと思う。
その結果、身体は動かないし練習会にも行けない。
行けないんじゃなくて、行かないんだ。
もし練習会に人が集まらない事がチームの問題だとするのなら、
チームがそのランナーたちの走りたいという『想い』を開放してあげなければならない。
自分はどうだったか。
走りたいという『想い』を開放するきっかけがあった。
自分を期待する人の存在、社会人ランナーとしてのビジョン、
そして、走る事を中心としたライフスタイルが自分にとって理想的だったこと。
でも・・・何よりこの強くて暴走しそうな『想い』を受け止めてくれた『からだ』に感謝しなければって思う。