「からだ」という乗り物 | Jun1日記

「からだ」という乗り物

「からだ」は、「想い」の乗り物だと言う事をつくづく感じる。


去年のGW、市町村駅伝が終わったときに、

「自分は走りたいんだ」っていう事に気づいて、

それから生活のスタイルにしても、意識にしても大幅に変わったのを覚えている。


それまでは、『走りたい』という想いが様々な要因によって封じ込められていた。


・社会人になって走る時間が減る中で今までを越える事なんてできない

・今まで走ってばっかりだったから他の事もやってみたい

・朝早く起きて走るのはつらい



ただ、自分の『想い』にフタをしたままで、違う方へ動くのは本当に辛くて消耗するものだった。

自分の『想い』が分かって、いろんな方向へ動くのは恐くても痛くてもとても張り合いがある。



走る事、特に長距離は才能なんかよりも強い『想い』が一番大切だと思う。

強い『想い』は身体を動かす原動力になる。


強い『想い』があれば多少の困難なんて吹き飛ばせると思う。


今どこの地区でも練習会に人が集まらないとかそういったチーム事情があるけれど、

そんなのチームの問題なんかじゃないと思う。

結局は個人の『想い』が弱いだけだと思う。


それでも、練習に来れない人たちには理由がある。

一番多いのが仕事、次に環境(練習場所までの距離とか)。


本当はそんな人たちだって走りたいんだと思う。

走りたいっていう『想い』があるはず。

ただ、何かが邪魔をしていたり、『想い』にフタをしてしまっているんだと思う。


その結果、身体は動かないし練習会にも行けない。

行けないんじゃなくて、行かないんだ。


もし練習会に人が集まらない事がチームの問題だとするのなら、

チームがそのランナーたちの走りたいという『想い』を開放してあげなければならない。



自分はどうだったか。


走りたいという『想い』を開放するきっかけがあった。

自分を期待する人の存在、社会人ランナーとしてのビジョン、

そして、走る事を中心としたライフスタイルが自分にとって理想的だったこと。


でも・・・何よりこの強くて暴走しそうな『想い』を受け止めてくれた『からだ』に感謝しなければって思う。