オズニス・モーターマガジンモデルという名のサングラス

そう、簡単に言えばサングラスのブランドが雑誌社とコラボレーションしたドライビング専用サングラスの商品名。
(わかりやすい!(・・;))
このサングラスを2005年に頭掻き毟りながらデザインして、あれからだいぶ経つのですが、今年とあるところでなんとミュージアムセレクションとして選ばれました!
「他に選ばれるもんなかったからちゃうの」と言っている人がいるような、いないような…
でもでも、他にどのような製品が同じく「日本を代表するデザイン」として選ばれているのか?見たらきっと驚きますよ。
表彰は5月なのでまだ正式に公表はできないのですが、美術館やWebで紹介されるそうですので、近くなったらまたご案内させていただきます。
サングラスではもちろん初めてだし、雑誌の名前が付いた商品が選ばれるって他にないんじゃないかな?
いずれにしてもサングラスのデザインが日本を代表する“デザイン”として認められたというのはメガネやサングラスをデザインしているこれからの人には励みになるような気がしますね。
それと、サングラスに縁も興味もなかった人たちにTALEXレンズを知ってもらえるのがまた楽しい。
こうなったら次に目指すはニューヨーク近代美術館のミュージアムコレクション!

美しいデザインには美しい数字が宿る!…?

が、このときあらゆる寸法数字が気になって…
これは性格なのか何なのか、他の人はどうなのか聞いたことはないのですが、この寸法数字にこだわって、図面を描くのに時間がかかってしまうことがあります。

当然見た目でいい感じのところに、いい感じのサイズで描くのですが、描いたあと一旦この寸法数字を確認してから、もう一度元に戻して小数点以下を“きりのいい”数字に置き換えて描き直したりしてしまいます。
図面上で、きりの悪い小数点以下の数字があると数字の“ノイズ”のように感じてすっきりしないんです。
たまたまフリーで描いた線や角度が小数点以下00だったりするとサイコー!の気分になったり。
(ちっ ちゃ

画像の図面は、サングラスのレンズがまつ毛に当たらないかどうかを検証するために描いた3D図面ですが、まつ毛の長さの寸法や、眼球の大きさや、位置関係、眼球の色のRGBの数字までもを、きりのよい数字で描いています。どうでもいいと思うのですが、これは決して暇やからではなく、この作業中にボクの脳は次の形状のプランを考えていて、煮詰まらない工夫を必然的にしているような・・・(そうでも思とかな…、いや単なる性格の問題?…)
ちなみに、、図面を描いてるときはこんなにきりがよくて割り切れる数字が好きなのに、図面以外の数字は逆に割り切れない“素数”が好み。
とくに“7”。素数の中の素数! 7×7=49なんかが最高に美しい・・・
これ以上書くと数学オタクと思われてもなんなんで、数字の美学はこの辺で。
ついでに、イッセイイズムのタイトルの前につけているのが、“∵(なぜならば)”、後につけているのが、“∴(ゆえに)”、でどちらも数学記号。(どうでもいいか

≪おまけ≫:人体寸法・形状データベースという貴重な計測データを公開してくれているサイトがあります。
伊藤若冲と伏見人形

(※この作品以外にも伏見人形図という作品があります。)
40歳で初老とされていた時代なので、今でいえば110歳ぐらいの作品ということになります。

若冲は40歳で隠居して作家活動をはじめ、・・・・・
長くなるのでやめます。

ところで伏見人形はご存知?
「若冲と伏見人形」、「若冲と布袋さん」の関係は晩年の若冲の活動からはだいたいの想像はつきますが、正確な詳しい文献は残っていないようです。
興味があれば調べてみてください。&、その詳細教えてください。これはわかれば一冊の本が書けるほどの資料になりますのでぜひ。
ちなみに京の風習で最近までは(今もあるかもしれません)、家を建てた初めての初午(今年は先週の金曜日)の日に、伏見のお稲荷さんにお参りに行き、帰りに伏見人形の布袋さんの一番小さいのを買って、その布袋さんを台所の荒神棚にお祭りし、毎日手を合わす。

これを毎年初午の日にお参りに行っては少しづつ大きい布袋を買って横に順番に並べてゆき、これを7年間続けて七福神とするならわしがあったそうです。
この7年間の間に不幸があると一からやり直すなどのルールもあったようで、無事七つ揃うと火災など災難から家が守られ、家に財も成すということのようです。
神さんでも仏さんでもなかった布袋さんがなぜ七福神に?という疑問について、若冲がここで関わっていたとなれば納得。
また、この伏見人形図で布袋さんが七体描かれているのは単なる偶然ではないというのも察しがつきます。
若冲が布袋像のデザインをし、伏見人形づくりに関わっていたのであれば、ここから派生していった経済効果は今もなお続く多大なもので、若冲は皆の知らないところで物凄い貢献をいていたということになります。
「モノづくりの基盤」、「ストーリー性」、「人が集まる場所」、「親しみのある意匠性」。 200年以上続くデザインのキーワードは今も同じということですね。
赤の正体

これらの絵に使われている赤い絵の具は“岩絵具(いわえのぐ)”というもので、とくに赤は“辰砂(しんしゃ)”でつくられた庶民には考えられないような高価な絵の具だったようです。
たぶんボクもこの絵の具を持っていたら、若冲のように赤いものを探してその絵を描きたくなったと思います。この絵の具を使って「人を魅了するような絵を描きたい。」という熱い想いと、彼らにそう思わせた岩絵具という文明の力が、この時代の絵の一つの魅力のようにも思えます。
葛飾北斎の作品の中に『八方睨み鳳凰図』という巨大な作品がありますが、これはなんと絵の具代150両を費やした作品と記録されています。
現代もまだ画材として岩絵具が使われているのか?とか、どこでそれを見ることができるのか?とかは、興味があれば自分で調べてみてください。きっとはまってしまいますよ。
芸術はつねにその時代の文明の背景があって、知れば知るほど引き込まれてゆくので楽しいですね。
昨日のブログで紹介した赤の素材が何なのかをここで明かすことはできないのですが、塗料では絶対に表現できない“赤”というのがどういうものなのか少しおわかりいただけたかと思います。
≪追記≫
先月、葛飾北斎の「赤富士」を含めた富嶽三十六景が展示されていた熱海の「MOA(エムオーエー)美術館」に、今月は尾形光琳の紅白梅図屏風が展示されているそうです。
見ているだけで元気になる赤い素材


色のことについては以前に書いたことがありますが、この赤を見てまたまた新たな発見をしています!
<<以前のブログ>>
鮮やかな赤系の色には傷ついたDNAを修復する力があるといわれていますが、この赤はまた特別な凄いパワーを感じます。
これは塗料では絶対に出せない色で、光をはね返す光の波長の長さなのか形状なのかが違います。
言葉や写真では伝えきれないのが残念ですが、この素材で出来上がった完成品を「いつか」「どこか」でご覧いただければと思います。
ほんと見ているだけで元気になる素材です。
kitai.isao creative work 「水面の情景」

場所は、北区中之島のアクサンギャラリー。
パーティーではスゴイ方々とお話しさせていただき、
またまたものすごい勉強をさせていただいてきました。
とてもいい環境をご提供いただいた北井先生に感謝です。
個展に関しましての情報はこちら>>Click!
27日まで開催されていますのでぜひぜひ!
作品はまたこのブログでご紹介させていただきます。
ライノ(Rhinoceros)で描いて、木でつくる。

<<これはレンズの展示ディスプレイ。
この場合、レンズが正確に同じ間隔で、同じ角度で並んでいることが肝となり、その精度が展示しているレンズの価値を左右します。
また、レンズを手にとってご覧いただいたあとも元に戻し易く、常に正しい並びの状態を保つことが重要となります。
ここで難しいのはレンズの入るポケットの加工。レンズが球面なのに対して加工は球面に削ることができないので、溝幅と角度が決め手。横に赤色で強調してレンズポケットの図を描いています。
この図面には加工に使用する刃物のサイズまでわかるように描いていますので、この図面のigesデータをメールに添付して送れば、打ち合わせをしなくても図面通りのものをマシニング加工していただけるという寸法。
木を使った製品は個体差が生じるので工業製品の素材としては不向きなのですが、天然の素材だからこそ出せる「趣」があります。
つよ~い味方★★★

普段は製作や加工ができればよい三次元の図面がメインですが、今描いている内の一案件がグラフィックのお仕事。今回は2Dのグラフィクとして使うのですが、3Dで描いておけばのちにムービーを制作するための素材となるので3Dで描いてレンダリングすることに。
が・・・
普段はレンダリングするような仕事がほとんどないので、持っているのはフラミンゴとライノレンダラ。

しかも難しい機能の使い方となると皆目…、フラミンゴを使ってレンダリングすると映って欲しくないものが映ってしまいよるし、ライノレンダラだと輪郭がカクカクしよる… ぐライノレベル

これ以上時間をかけてもできんもんはできん…
ということでJIDAで仲良くしていただいている是枝さんにHELP

是枝さんはライノ入門書の著者でもあり、芸大でも教鞭を執られている3Dの世界では神のような存在!
是枝さん、今日はいろいろと教えていただきほんとうにありがとうございました!
デザインはデザイナーの能力以上のものは出ないのですが、当然デザイナーの能力が上がるとできるモノが違ってきます。今日教えたいただいたことと、いろいろとお話しさせていただいたことで、ボクのセレンディピティが活性化しました。
「頭の中にあるモノを立体として描き出す。」うまく描けないことが多くて苦悩な毎日ですが、これは幸せな能力でもあります。
ミラーニューロン!
「あくびをしている人を見るとつられてあくびをしてしまう。」
とか、
「近くにいる人が腕を組んだり足を組んだりしていると知らないうちに自分も同じ格好している。」
というのが前頭葉にある“ミラーニューロン”の働きというのは知っていましたか?
「環境によって人は変わる。」
というのも、
「元気な人(動物)がそばにいると自分も元気になる。」
というのもこの“ミラーニューロン”の働き。
同じ犯罪が続いて起きるのも…
“ミラーニューロン”はコピーする。学習する。伝染する。

ということは
そういうことやったんか
ということで、“ミラーニューロン”が今の自分をつくっていたことに気が付いて、
“ミラーニューロン”がちょっとしたマイブーム。
とか、
「近くにいる人が腕を組んだり足を組んだりしていると知らないうちに自分も同じ格好している。」
というのが前頭葉にある“ミラーニューロン”の働きというのは知っていましたか?
「環境によって人は変わる。」
というのも、
「元気な人(動物)がそばにいると自分も元気になる。」
というのもこの“ミラーニューロン”の働き。
同じ犯罪が続いて起きるのも…
“ミラーニューロン”はコピーする。学習する。伝染する。


ということは

そういうことやったんか

ということで、“ミラーニューロン”が今の自分をつくっていたことに気が付いて、
“ミラーニューロン”がちょっとしたマイブーム。

一年の計は元旦にあり
コンビニが24時間営業するようになってから「お正月も値打ちがなくなってきたなぁ」と感じていましたが、今は百貨店も元旦から営業しているとかで、お正月はコタツでおせち料理といったお正月独特の雰囲気はますます伝説となってしまう勢い。お正月は「福袋」を求めて街に出るといった風な、日本人の文化も大きく変わりました。
昔(明治後期まで)は、皆が元日に一歳年が増えるという数え年で年齢を数えていたので、元日は皆の誕生日のお祝いも兼ねた「特別な日」。ちなみに12月生まれの人が少なくて1月1日生まれの人がやたら多いのは、12月に生まれた子は生まれてすぐに2歳になってしまうので元日に届けを出したためとか。この数え年は日本だけの制度ではなく、アジアの多くの国で使われていて、韓国では今もなお使われています。これは宗教的な考えに基づく理由とされていますが、子供が多く貧しい環境だったためお祝い事は年に一度にしたという説もあります。
今は何かといえばお祝い事ばかり作って、経済を活性化させてきたのですが、「ありがたさ」や「喜び」という点ではどうでしょう。「カタチ」ばかりに囚われて、本来の「想い」や「心」が軽視されているのでは?
武士道の「義」「勇」「仁」「礼」「誠」。今の人には、この新渡戸稲造が解いてくれた日本人の道徳と常識をいくら読み返しても腑に落ちることはなく、心に宿ることもないのでしょう。人は「その時代に生きる」のでそれもしかたのないことなのでしょうか?・・・
と、そんなどうでもいいこと思いながら、ボクにとって激動の年となる2009年がスタート!
例年は「一年の計は元旦にあり」ということもあって、お世話になっている人に自分の想いを年賀状に書いているのですが、今年は元日から例のハプニングがあって書けないままに…
※今年は別の方法で表現させていただくことにします。
ボクは「一年の計は元旦にあり」と教えられた古い世代の人間なので、年頭には何かしらその年の目標や誓いごとを決めています。2008年は「時間」を掲げましたが何の成果も挙げられなかったので、これは今年も引き続きのテーマとし、2009年は「稔」。
そういえば昔、「今年は丑年やからモーけるぞ!」と誰かが言っていたなぁ。
ん!うちの親父やったかも。

今は何かといえばお祝い事ばかり作って、経済を活性化させてきたのですが、「ありがたさ」や「喜び」という点ではどうでしょう。「カタチ」ばかりに囚われて、本来の「想い」や「心」が軽視されているのでは?
武士道の「義」「勇」「仁」「礼」「誠」。今の人には、この新渡戸稲造が解いてくれた日本人の道徳と常識をいくら読み返しても腑に落ちることはなく、心に宿ることもないのでしょう。人は「その時代に生きる」のでそれもしかたのないことなのでしょうか?・・・
と、そんなどうでもいいこと思いながら、ボクにとって激動の年となる2009年がスタート!
例年は「一年の計は元旦にあり」ということもあって、お世話になっている人に自分の想いを年賀状に書いているのですが、今年は元日から例のハプニングがあって書けないままに…
※今年は別の方法で表現させていただくことにします。
ボクは「一年の計は元旦にあり」と教えられた古い世代の人間なので、年頭には何かしらその年の目標や誓いごとを決めています。2008年は「時間」を掲げましたが何の成果も挙げられなかったので、これは今年も引き続きのテーマとし、2009年は「稔」。
そういえば昔、「今年は丑年やからモーけるぞ!」と誰かが言っていたなぁ。
ん!うちの親父やったかも。