急行越前のブログ -8ページ目

急行越前のブログ

日々の生活で感じた事や趣味の事を書き綴っています。
不定期更新ですが、お時間があったらご笑覧ください。

西海橋と再会した。


1983年3月、修学旅行で初めて九州に行った時、西海橋と出会った。まさに、西の果てという感じがして、すごく感激した。当時は第2西海橋は無く、西彼杵半島から佐世保方面に向かう唯一の橋であった。この橋を渡らなければ、陸路は100キロも回り道をして諫早・大村周りで行くしかない。この橋を渡れば、歩いても数分で渡れる距離なのに・・・。開通当初より、非常に重要な交通の要であったのだろう。それを誇るかのような勇姿に、私はいたく感銘を受けた。

それから四半世紀後の2007年4月、再び西海橋を訪れた。西海橋との再会である。このときは、西側に第2西海橋が開通しており、西海橋より数段立派な橋が、諫早湾の入り口にかかっていた。しかし、驚いた事に同じ場所から見た西海橋は、24年前と殆ど変わっていなかった。橋の周りの景色は、木が茂ってきていて、若干変わっていた。しかし、橋の姿は殆ど変わっていない。私は、西海橋の変わらぬ勇姿に感激した。

24年間、風雨に耐えて、未だに美しい姿を見せる西海橋。


今度訪れるのはいつになる事だろうか。

それまで、このままの勇姿を保っていて欲しいと願っている。


西海橋 1983年3月撮影


急行越前のブログ


西海橋 2007年4月撮影
急行越前のブログ

鉄道にも絶滅危惧種がある。


それは、夜行列車である。

ほんの20年位前までは、夜行列車が無くなるなんて思いもしなかった。確かに、夜行列車は利用者が減少している傾向は見られたが、それでも根強い支持者がいた。地方の小駅と東京を直結する寝台特急は、お年寄りや、乗換えを好まない人にとって、とても便利な足であった。JRも、夜行列車の復権に力を入れていた。北斗星やトワイライトエクスプレスの登場や、個室化の推進などである。

しかし、全てが不発に終わった。そう言ってしまうと言い過ぎかもしれないが、JRも復権の努力をしなくなったし、次々に廃止されてしまうので、根強い支持者も愛想を尽かしてしまった。すべてが負の方向に、ネガティブな方向に向かってしまった。非常に残念な事である。

もう、寝台列車の復活は無いのだろうか?もう、夜行列車のニーズは無いのだろうか?

いや、そんな事は無い。なぜなら、今でも夜行バスは日本の各地に運行されている。かつての座席夜行列車に取って代わって、夜行バスが全盛を誇っている。夜行バスは、決して快適な広い空間ではない。むしろ、苦行に近い空間である。しかし、運賃が圧倒的に安い。かつての、学生の周遊券ユーザが夜行バスにシフトしたかのようだ。それを示すかのように、この3月で周遊切符が廃止された。利用者が非常に少ないのだそうだ。

安全や快適や広さを売りにすれば、夜行列車は夜行バスより格段に有利である。しかし、JRはそれを売ろうとはせずに、もっと儲かる新幹線を推進しようとする。夜行列車で小銭を稼ぐより、新幹線でまとまった稼ぎを上げた方がよいと思っているのだろう。

でも、おごれる者は久しからずと言う。JRは今こそ、真摯に反省してほしい。そして、客がもっと旅を楽しむ為の手段を考えて欲しい。新幹線に詰め込んで、お金だけ取る方針を転換して欲しい。

今でも、良き理解者である鉄道ファンに、そっぽを向かれる前に、気付いて欲しいと思う。


JR九州が、全く新しいコンセプトの寝台列車、「ななつ星」を来年登場させる。

夜行列車の復権を期待したい。


寝台特急「はくつる」 1987年8月 盛岡駅にて撮影

急行越前のブログ


急行「まりも」 1987年8月 釧路駅にて撮影

急行越前のブログ

学生時代に初めて北海道に行った。


上野発21時の夜行列車に乗り、青森駅は雪の中ではなかったが、連絡船に乗り換え、函館に着いたのは翌日の14時過ぎだった。その後、函館本線に乗り、そのまま宗谷本線を経由して稚内に付いたのは、上野を出てから翌々日の朝6時だった。遥々来たという感じがした。

稚内駅は、地味な駅舎だったが、日本最北端稚内駅と書かれ、最北端に来たのだなと感動した。その稚内駅が、改築して今風の駅になってしまった。なぜ、あんな素敵な駅舎を壊してしまったのだろう。

前回の旅行のテーマの時に、長崎駅の話題を書いたが、長崎駅もまたあんな素敵な三角屋根の駅舎を壊してしまった。駅舎という大きな建造物を、そのまま残すのは難しいのだろうと思う。でも、なぜ壊してしまうのだろうか?勿体無いと思う。

軽井沢駅舎は、小ぶりな事も幸いしてか、博物館も兼ねて保存されている。幸せな駅舎である。函館駅も改築され、古い駅舎は無くなった。札幌駅や旭川駅も高架化され、イメージが変わってしまった。

いま、以前と変わってない駅は、網走、根室、釧路・・・。


変わらないことの貴重さに気付いて欲しい。


函館駅 1987年8月 撮影
急行越前のブログ

稚内駅 1987年8月 撮影
急行越前のブログ

模型店の決算セールのメルマガが来たので、早速行ってみた。


KATOの電気機関車で、以前から欲しかったものが40%OFFになっており、3千円台で入手できた。喜び勇んで買い、帰っていざテスト走行すると、なんと動かないではないか!!

車輪をクリーニングしてみたが、余り変わらない。「参ったな。また、40キロ以上はなれた模型店まで、交換に行かなければならないのか。」私はがっかりした。

でも、とりあえず開けてみようと思い、ボティーを外してみた。そして、集電系を調べてみた。すると、台車の接点から集電するシューが、殆ど接していないことがわかった。ちょっと調整してみると、バッチリ通電は良くなった。

結果的には、初期不良であった。でも、KATOは出荷検査をちゃんとやっているのだろうか?直線のレールで、30cmも走らせてみれば、直ぐに気付く不良である。全く出荷検査をしてないのではないかと思えてくる。少なくとも、それぞれの台車で集電が可能な事は確認していないようだ。「国内製だから良い」という法則は既に消えつつある。

逆に、最近は中国や台湾で作った物でも、非常に出来が良いものが多い。日本人の職人気質はどうなったのだろうか?


メーカーは、真摯に受け止め、猛反省してもらいたい。

フライホイールがすごい。


最近のNゲージの機関車はフライホイールが付いているのが当たり前になっている。

これはすごい。非常に滑らかで、しかも音も静かである。

私がNゲージを始めた頃は、機関車はジリジリと音を立てて走るのが当たり前であった。電気機関車であっても、ディーゼルのようにジリジリ音を立てて走る。集電を確実にしてやらないと、ギクシャクしたり、途中で止まってしまったりする。しかも、出だしは飛び出すのが当たり前であった。

非常にざっくりとしたつくりでありながら、しかも非常に繊細なのであった。

しかし、最近の機関車は全く違っている。まず、走りが滑らかである。出だしも実にスムーズである。しかも、音が極めて静かである。機関車単独で走らせると、モータ音が殆ど聞こえない。まるで、レールの上を滑るように走るのだ。この技術の進歩は、本当に驚くべき事であり、賞賛に値する。

KATOやTOMIXの技術者が、いかに努力をして、この技術を実らせたか、その苦労に惜しみない拍手を送りたい。


この先どんな進歩をして行くのか?

期待してやまない。


ED61 ぶどう色
急行越前のブログ


金太郎ことEH500
急行越前のブログ

「れんげそうの詩」という本がある。


さだまさしさんの詩と原田泰治さんの絵がコラボした素敵な本である。暖かいタッチの美しい原田さんの絵に、珠玉のさださんの歌詞が添えられている。楽譜も添えられているので、ピアノやギターで弾いて楽しむ事も可能だ。

原田さんの絵には、邪心が無い。原田さんの心で描いた絵だから美しい。彼は、お金を稼ぐ為に絵を描いているのではなく、心から描きたいと思うから描いているのだ。これがとても重要である。

さださんの詩には細かな情景描写があり、ストーリーがある。それはまるで、小説か映画の様である。そこには、人の優しい心や、日本の美しい情景がある。

だから、二人の作品をあわせて見てみると、実に上手く符合する事がわかる。それは、たまたま似ているシチューションをあわせたものであっても、あたかも始めから一緒に作られたかの様な、絶妙な調和がある。

たとえば、「春待峠」という歌がある。これは、山古志村でさださんが作った歌である。そこに、「山古志の春」という絵が添えられている。これらは、非常に上手く合っているが、実は別々の時期に作られた作品である。

「城のある町」という歌は四国の丸亀城を歌ったものである。そこに、原田さんの「夜桜」という絵が添えられている。これも、丸亀城の絵ではあるが、同時期のものではない。

同じ物を、別の人が、別の時間に見て、別の手段で描く。しかし、完成した物は実によく調和していて違和感が無い。とえも不思議な事ではあるが、なぜか腑に落ちる。

そこには、駆け引きなど無い、愚直なまでに真摯に作品と向き合っている、二人のアーチストがいる。


さだまさしさんと原田泰治さん。本当に素晴らしい。

ある日突然、クリーニングカーが壊れた。


鉄道模型のレールをクリーニングするレールクリーニングカーという車両がある。クリーニング液をタンクに入れて走行させると、クリーニング液をレールにつけながら、回転する円盤でレールをクリーニングしてくれるという優れものである。私は、発売間もない頃から愛用していた。駅の構内やトンネルの内部やトラス橋の上など、手が届きにくいところでもクリーニングしてくれるのでしごく便利である。

しかし、ある日突然壊れてとても困った。手で掃除するのはとても大変である。もちろん、手で掃除した方が圧倒的に綺麗になる。汚れていれば念入りに掃除できるし、汚れの落ちも良い。機械だと一定の回転で、一定の速度で、走り去ってしまうので、汚れが特にひどい所でも念入りに掃除してくれたりしない。

でも、一周で10Mあるレイアウトで、それが6周あれば、距離は60Mになる。総延長60Mを、ずっと這いつくばって、レールをゴシゴシひたすら拭き続けるのは、意外にも相当な重労働である。ポイントや渡り線の部分は、優しく丁寧にふいてあげないといけないし、高架橋の部分は、強く力が入れられず綺麗にするのは困難である。レールクリーニングカーは、そんな箇所も他の部分と同じレベルで綺麗にしてくれる。

そんなわけで、私は悩んだ挙句、新しいレールクリーニングカーを通販で買った。送料無料で割引価格で売ってくれて、ポイントも付く。発送も早く、夜10時に発注しても、翌日の午後には家に届く。

とてもありがたい。

便利な時代になったものだ。


通販生活、やめられない・・・。

アコースティックな響きには、不思議な力があると思う。


オーケストラの音や、ピアノやギターの音は、不思議と心にしみてくる。電子的な加工を施さない、人の力のみで出すアコースティックな響きである。そして、奏でる音楽は、基本的に楽譜通りではない。そんなことを言うと、オーケストラやソリストの方に誤解を招くかもしれないが、譜面通りに演奏できる人なんてコンピュータ以外に居るはず無い。そして、もし本当に譜面通りに演奏出来たら、なんて無機質な詰まらない音楽だと思うだろう。

人間が奏でる音楽は、人それぞれの美妙な揺らぎがあり、それがえもいわれぬ美しい音楽を紡ぎ出す。譜面より微妙に遅れたり、微妙にテンポが変わっていたり、微妙に短かったり、強かったり、弱かったり、人それぞれ、その時の演奏毎に、表現は異なっており、同じものは一つとしてない。つまり、コンサートの一つ一つ、演奏の一つ一つが、その時しか聴けない、二度と聴けない貴重なものなのである。そして、その演奏に我々は感動し、ゾクゾクしたり、時には涙を流したりするのである。

もし、CDやDVDの様に、毎回全く同じ演奏をしていたら、直ぐに飽きてしまうだろうし、毎回の感動は無いだろう。もちろん、亡くなってしまったアーチストの演奏が、まるで目の前にいるかの様に聴けるCDの功績は大きい。そのような場合、聴いた後の感動も大きいだろう。

しかし、現実に居る人であれば、可能なかぎり実際に演奏している生の物を聴きたい。直接で無くても、テレビやラジオ等でも良いから、その時、その時点で演奏されている生の演奏を聴きたい。

中には、例えプロといえども、調子が悪い日もあるだろうし、間違えることもあるだろう。でも、そんな事は関係ない。演奏者と同じ時間を共有し、同じ演奏を、聴かせて頂ける幸福感が素晴らしい。それが、演奏者の力だけで発せられるアコースティックな響きであれば、何も言う事は無い。

だから、私はアコースティックなコンサートは大好きである。


可能な限り、コンサートに足を運びたい。

部屋を整理していたら、懐かしいネガが出てきた。


光にかざしてみると、二十数年前、山陰に行った時の物の様だ。早速、フィルムスキャナで取り込んでみた。当時は何気なく撮っていた写真が、とても貴重になる事がある。

たとえば、キハ58の写真が写っていた。もう、定期列車では使っていないのではないだろうか。キハ181も国鉄色が何枚かあった。これも、今では見ることが出来ない貴重な写真だ。

当時独身だった私は、友人と共に出雲大社に縁結びの祈願に行った。大枚500円のお賽銭をあげて、良縁をお願いした。そのご利益が出るのは、それから15年後の事であった。その帰り、何気なく撮った一畑電鉄の旧型電車の写真があった。当時でも、相当珍しかったが、今となっては本当に貴重な乗車体験だったと思う。エアコンなんて贅沢な設備は無く、窓を全開にしてひたすら生暖かい風を浴びて走る。宍道湖に沈む夕陽はとても美しかった。

気付けば、もう少しであの頃の2倍の歳になってしまう。なんと時間の経つのが早い事だろう。このまま、ふと気付けば人生が終わってしまっているかもしれない。

でも、まだまだ、やり残したことがたくさんある。もう一度長崎には絶対行きたいし、北海道もまた行きたい。南九州も、もう一度行っておきたい。唯一、行った事がない沖縄には、是非足を踏み入れたい。ローカル線の旅にも出たい。まだまだ、乗った事が無い線がたくさんある。人生、全然時間が足りないじゃないか。

改めて、毎日を大切に生きなければならないと強く感じた。


これから、毎日を無駄にしない様に生きよう。


一畑電鉄 電鉄大社駅にて 1990年8月
急行越前のブログ

今月はアニバーサリー月間である。


私達の入籍記念日と結婚記念日が、4月である。だから、新婚旅行に行ったのも4月。そして、妻の誕生日も4月である。しかも、尊敬するさだまさしさんの誕生日も4月である。

だから、私は4月は忙しい。何が忙しいのか良くわからないけれど、何か忙しい気がする。忘れてはならない日が多いのだ。

私は、誕生日を忘れると困る人の場合、早めに「おめでとう」と言う様にしている。しかし、女性の場合、注意が必要だ。一日でも早く言おうものなら、逆鱗に触れたかの様に怒る人もいる。「まだ年をとってないわよ!」と。でも、一日でも遅れてはいけない。そんなに気にするのなら、いっそ誕生日など祝わなければ良いのにと思うけれど、誕生日を忘れていると、それはそれで機嫌を損ねてしまう。人付き合いとは、難しい物だ。

妻の誕生日は4月の後半だが、私は例によってなるべく早めにプレゼントを送る事にしている。妻も私の行動パターンを知っているので、特に怒ったりはしないで、素直に喜んでくれる。でも、そもそも、なぜ誕生日に贈り物を贈るのだろう。一年に一度感謝の気持ちを表すのは、良い事ではある。でも誕生日でなくても、感謝の気持ちを表すべきだと思う。毎日でも良いのではないか。いや、むしろ毎日感謝すべきであろう。

それでは、何のためにプレゼントを贈るのか?生誕記念を祝う為?なんだか、偉い人になった様だ。でも、自分の大切な人がこの世に生を受けた日なのだから、何はともあれ、とてもめでたい。だから、私も素直に祝う事にしよう。そして、神様に感謝する日である。大切な人とめぐり合わせてくださって、ありがとうございますと。


まもなく、大切な人の誕生日がやってくる。