わたしの勤める会社
社員数15人ほどの
小さな会社だけど
お客様には恵まれていて
わりと大きな案件もくる
直近でいえば
あべのハルカスを抜き
昨年オープンした
330mという
現在、高さ日本一のビル
麻布台ヒルズ森JPタワー
の仕事をした
先日だと
2025年の大阪・関西万博の
仕事を受注した
話は変わるが
この大阪の仕事を受けて
思い出したことがある
50年も前の事になるケド
そして全て故人の思い出話になる
父の2番目の兄である伯父は
大阪に住んでいた
その奥さんである義伯母は
もともと大阪生まれ
看護婦をしていた義伯母の病院へ
伯父が入院した事がきっかけで
結婚したそうだ
義伯母はとても優しい人だったと
当時、母から聞いたことがある
何が原因か分からないが
義伯母はアルコール中毒になり
ヘビースモーカーでもあったけど
いつもニコニコと
笑顔で話す人だった
アル中のせいなのか
タバコのせいなのか
違う理由なのかは定かでないが
声はダミ声で
ニコニコと笑う度に見える
義伯母の舌が
異常なほど真っ白で
子供ごころにも
(きっと義伯母は悪い病気だ)
そんな風に思った感情を
いまでも覚えている
わたしの記憶では
伯父夫婦は2回程
わたしの実家に来たことがあり
一泊?2泊?
どれくらい滞在してたか
覚えていないが
帰る時に
助手席のドアを開け
ほなさいなら
と
明るく挨拶をして
帰って行った
その後、肝臓の病気で
たぶん40代で亡くなった義伯母とは
それが最後の会話になった
ほなさいなら
明るい言葉とは反対に
わたしにとっては
少し寂しい思い出の言葉になっている
・
・
・
それでは
今日はこのへんで
ほなさいなら~
冒頭の挿し絵&書いて貰った絵
についてはこちらから
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そして、最後まで読んでくださり
ありがとうございます
また明日
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~ハイネ ミカ~
キラリ❇️青春の1ページ