日枝神社は格式の高い神社で、東京では明治神宮とならぶ官幣大社です。

御祭神を大山咋神(おほやまくひのかみ)とし、江戸時代には、徳川将軍家御用達の氏神・江戸城の鎮守として徳川家から大切にされてきました。



また、日枝神社は江戸城本丸の裏鬼門(南西)を守る神様としての役割もしているようです。ちなみに対をなす鬼門(北東)に位置しているのは神田明神です。

徳川の時代であった江戸時代以降は皇居の鎮守で、変わらず日本の中枢・皇城を守護しています。

また日枝神社は、日本三大祭の一つ『山王祭』で知られ、『山王さん』と親しまれている神社です。

御祭神の大山咋神(おほやまくひのかみ)は、山と水を司り、大地を支配し、万物の成長発展・産業万般の生成化育を守護すると言われています。

サルが神さまのお使いだと伝わり、神門と拝殿前に神猿像を安置されています。

日枝神社は赤坂にある神社で、江戸三大祭の一つの山王祭が行われているのが代表的であり、通称「山王さん」として親しまれています。

大山咋神(おほやまくひのかみ)を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)が祀られています。

日枝神社は、縁結びや恋愛成就、仕事運や出世運の上昇や商売繁盛のご利益があるとしてよく知られています。

そのため、女性やビジネスマンのパワースポットとして定評があります。起業される方や出世をしたい方など、仕事運アップを狙いに日枝神社で願掛けをする人も多くいます。

山王鳥居
日枝神社の鳥居は、山の形をしていて、この鳥居は「山王鳥居」と呼ばれています。

これは、他の神社では見られない、日枝神社独特の鳥居になっています。この山王鳥居は、表参道、裏参道、西参道の3か所に設置されています。

王道として、表参道から参詣するのが良いとされています。裏参道からはエスカレーターで境内に上がることができるので、足の悪い方やご年配の方は、こちらを利用してください。
振り返ると

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手水舎
表参道の山王鳥居をくぐると、山王男坂という石段があります。この男坂の石段は一段の高さの幅あって、登るのには一苦労です。そして、この石段を登ると左手に手水舎があります。

千本鳥居
日枝神社には、伏見稲荷大社で一躍有名になっている、「千本鳥居」があります。

朱の色が美しい千本鳥居は、都内には2ヶ所しかありません。その内の一つが日枝神社です。参拝を終えた後、帰るときにはぜひこちらの千本鳥居を歩いてみてください。


猪の目
日枝神社では、ハートマークがあちこちに発見することができます。一番わかりやすいのが神門で、ハートマークの文様がたくさん見つかると思います。

この神門には神猿像がお守りされていて、「魔が去る」「魔を払う」ということで浄化のご利益があります。神門以外にも賽銭箱でもハート型の模様があります。

これらのハートマークは、正式には「猪の目(いのめ)」と呼ばれる形だそうです。

宝物殿
日枝神社には、宝物を納める「宝物殿」があります。昭和53年に行われた江戸城内御鎮座500年大祭の記念事業として、その翌年に造営されました。

国宝・重要文化財を含む刀剣31口の他、徳川将軍家ゆかりの宝物が多数所蔵されています。

【開館時間】10:00〜16:00
【定休日】火曜日・金曜日 ※神社行事により休館日が変更になる場合があります。
【入館料】無料

ご縁を結ぶ猿

まさる守
社殿の両隣には、狛犬ではなく神猿像が置かれています。猿は、もともと神様と人間のあいだをとりもつ存在「神猿(まさる)」と称されて、昔から敬われる存在でした。大山咋神が山の神ということもあり、同じく山の守り神とも呼ばれる猿が使いとして重宝されていたようです。

「さる」という音から「勝る(まさる)」・「魔が去る(まがさる)」とも考えられ、「勝運の神」や「魔除けの神」として置かれています。音読みの「えん」という音から、猿が「縁(えん)」を運んで来てくれると考えられ、商売繁盛や縁結びを祈願する方も多くいます。

メスざると子ざる

本殿に向かって左がメスの猿です。子ざるを抱いていて、子宝や安産のご利益があると言われています。縁結びや家内安全を祈願する女性もあとを絶たない、女性に人気のパワースポットになっています。

オスざる
右にいるのがオスの猿です。

本来、猿は山の守り神で、木や生き物を生み出し育てたと伝えられています。それにあやかって物事を生み出す、発展させる「商売繁盛」や「社運隆昌」にご利益があると言われているそうです。こちらは、ビジネスマンのパワースポットです。

隠れパワースポット

末社
日枝神社の隠れパワースポットとして密かに注目を集めているが、日枝神社の末社です。末社とは、境内の外や神社の付近にある小規模な神社のことをいいます。

日枝神社の末社には、左に山王稲荷神社、右に猿田彦神社が並んでいます。この末社は社殿の右がわ奥にあって、意外と見過ごしてしまう人も多いご利益スポットなので、参拝するときは末社を見逃さずにしてください。

山王稲荷神社と猿田彦神社

山王稲荷神社
日枝神社の遷座以前からこの地に祀られていた、日枝神社の地主神です。この地主神をきちんと参拝することが、開運のポイントにもなってきます。こちらでは、私利私欲のお願い事はせず、感謝に徹するのが良いとされています。

猿田彦神社
猿田彦神社は日枝神社内で最も、仕事運・道ひらきの強力なパワースポットとして有名な神社です。物事を良い方向に導く神様「猿田彦神(さるたひこのかみ)」が祀られています。

そして、あまり知られてはいないことですが、大山昨神は、山の神だけでなく「スタートの神様」とも呼ばれています。良い導きにプラスして、スタートのご利益が得られるこの場所で、良い1年のスタートがきれるようにと祈願する方も多いそうです。ぜひ年のはじめに訪れてみてください。

末社の絵馬掛所
末社のなかには、真っ赤な鳥居の絵馬でいっぱいの絵馬掛所があったり、きつねの焼き物に願い事が書かれて並べられていたりしていました。パワースポットだけあって、たくさんの人がここで願いを捧げている場所になっています。

江戸三大祭り「山王祭」
神輿
「山王祭」とは、徳川時代、江戸城内に入御した御神輿を、三代将軍家光公以来、歴代の将軍が上覧拝礼する「天下祭り」として盛大をきわめ、江戸三大祭りの筆頭として有名な祭りです。

さらに京都の祇園・大阪の天神まつりと共に、日本三大祭りに数えられています。皇居・旧江戸城を巡幸する日本唯一のお祭りであり、例年6月に行われています。

男坂
山王祭の盛り上がりポイントは、山車3台と神輿9基が日枝神社に連合宮入し、52段の石段を担ぎ上がる場面です。その勇壮な姿はまさに必見ものです。また、王朝装束を身にまとった人々と共に、神輿が担がれ、300メートルに及ぶ華麗で古風な行列ができます。優雅で格調高い古風な御列を、都会の町並みと対比して楽しめます。


猿のご利益グッズ
おみくじ・お守り

日枝神社では、猿がモチーフになっているお守りやおみくじが数多く販売されています。その中でも一番人気のお守りは「まさる守」です。まさる守は赤色と白色の2種類あり、大600円で、小500円です。300円で引けるまさるみくじも人気なので、参詣した記念にでもぜひ引いてみてください。 

絵馬


ほかにも猿が描かれていてとってもかわいい絵馬があります。絵馬の種類も様々ありますが、ハート型の絵馬が人気です。こちらの絵馬は、1,000円で購入できます。

御朱印
日枝神社では、今流行りの御朱印をいただくことができます。御朱印帳の販売も行っていて、日枝神社ならではの猿が描かれたユニークな御朱印帳もあるそうです。



⬇️宝物殿⬇️

殿ギャラリ

刀剣

現在保存されている刀剣は31口で、そのうち国宝1口・重要文化財14口・ 重要美術品1口があります。これらは、当社が徳川幕府の崇敬者たる性格上、歴代の将軍及びその世嗣たちが初宮詣で、または自身が将軍宣下の奉告参拝、さらに特殊の崇敬の下に社参されたときに神前に奉納されたものです。

太刀 銘 則宗

附糸巻太刀拵・長二尺五寸九分一厘 国宝 
(12月~1月・6月~7月公開予定)

この太刀は、正保三年六月六日徳川徳松君の初宮参りの折に寄進されたもので、徳松君は三代将軍家光公の第四子で、のちの五代将軍綱吉公である。則宗は鎌倉初期の刀工で福岡一文字派の祖であり、後鳥羽院御番鍛冶の 一人である。福岡一文字というのは、備前国福岡に在住したからの称呼で、細身の腰反りの高い上品な姿は平安時代の趣を伝え、小丁子に小乱という古雅な出来である。

「則宗」現存はすこぶる稀でありこの太刀はその白眉である。附属太刀拵は江戸初期の製作である。

附糸巻太刀拵・長二尺五寸九分一厘1附糸巻太刀拵・長二尺五寸九分一厘2附糸巻太刀拵・長二尺五寸九分一厘3附糸巻太刀拵・長二尺五寸九分一厘4

太刀 銘 国綱

附糸巻太刀拵・長二尺二寸九分 重要文化財 
(2月~3月・8月~9月公開予定)

この太刀は延宝九年六月十五日将軍綱吉公が将軍宣下の初めての祭礼にあたって奉納されたもので、附属太刀拵は江戸中期の製作である。

国綱は山城国粟田口派の刀工で、その兄国友・久国等は後鳥羽院御番鍛冶に列せられている。国綱は鎌倉幕府の要請によって鎌倉に移住し、相州鍛冶の開拓者となった。

附糸巻太刀拵・長二尺二寸九分1附糸巻太刀拵・長二尺二寸九分2附糸巻太刀拵・長二尺二寸九分3附糸巻太刀拵・長二尺二寸九分4

太刀 銘 師景

附糸巻太刀拵・長二尺三寸三分 重要文化財
(4月~5月・10月~11月公開予定)

この太刀は宝暦十年十月六日徳川家治公が将軍宣下の奉告参拝の折奉納されたもので、付属太刀拵は江戸中期の製作である。

師景は備前長船派の刀工であり、俗に小反備前と称せられる南北朝期の作である。この刃文を魚の目と云い、この時代に流行を見る。従来師光と伝えられていたが、「光」ではなく「景」である。

附糸巻太刀拵・長二尺三寸三分1附糸巻太刀拵・長二尺三寸三分2附糸巻太刀拵・長二尺三寸三分3附糸巻太刀拵・長二尺三寸三分4

朱印状

当社は徳川幕府の直轄神社であった関係上、家康以降歴代の将軍が朱印状をもって神領を寄進し当社の維持運営に寄与されました。

徳川家康の時代に城内に5石、秀忠の時代に100石、そして家光に至り600石に加増された神領は、そのままに幕末まで至りました。

徳川家康 朱印状

城内に5石の寄進 天正19年11月

徳川家康 朱印状

徳川秀忠 朱印状

武蔵国浅生(麻布)郷に百石の寄進 元和3年11月13日

徳川秀忠 朱印状

徳川家光 朱印状

合計六百石の寄進 寛永12年6月17日

武蔵国麻生(布)郷に百石、多末郡(多摩郡)堀之内村に百九十七石余、阿佐ケ谷村に百八十七石余、天沼村に百十九石余。

徳川家光 朱印状

錦絵

千代田御表 山王祭礼上覧

楊洲周延 筆 昭和33年 中沢村人殿 奉納

楊洲周延は幕末から明治期に活躍した浮世絵師です。歌川国芳、豊原国周の門下で、美人画や風俗画に優れた作品を多数残しています。
赤や紫といった色調を好み、鮮やかな色彩の浮世絵で人気を博しました。

千代田御表 山王祭礼上覧

江戸風俗十二ヶ月之内 六月 山王祭

楊洲周延 筆 昭和45年 銀座渡辺規殿 奉納

江戸風俗十二ヶ月之内 六月 山王祭

紙本著色 源氏物語明石・澪標図 六曲屏風

千代田区文化財 英一蝶 作 昭和36年 徳増英三郎殿 奉納

江戸時代中期の画家である英一蝶(本名・多賀信香)は、市井の風俗を描く人気絵師でした。
小品が多い一蝶の作品の中で、屏風絵の作品は珍しく、貴重な名品です。

紙本著色 源氏物語明石・澪標図 六曲屏風紙本著色 源氏物語明石・澪標図 六曲屏風