それから・・・3年後の2018年の夏。

私たちは連れ立って、再び、あの浪江駅に向かった。

 

無論、浪江駅だけが目的というわけではないが、あの惨状がどうなっているか、確認したいと、ついでに寄ろうという話ではあったが。

 

 

 

そのときには立入禁止区域へのゲートは撤去されていた。

従って、前回は必要とした『立ち入り許可証』も不要だ。

それでも、域内の環境が特に改善されたというわけでもないようだ。

 

ゲートはなかったが、汚染エリアは依然として広大であり、最近でも、原発事故避難者訴訟に関する東京新聞の記事によれば・・・裁判を提起した浪江町の津島地区、あの立入禁止区域を示すゲートがあった津島地区の避難指示は、今でもわずか1.6%しか解除されていないのだという。

あの大震災、原発事故から・・・もう15年も経っているというのに・・・・。

 

そういう中でも、浪江駅界隈の雰囲気は大分変った。

あの崩壊寸前だった倒れそうな建物の多くは撤去され、見た目は大きく変わったということだろう。

 

だが、あくまでも、それだけの話である。

撤去し、一部を更地にしたというだけの話である。

 

深い雑草に覆われていた駅舎界隈の雑草の多くは除去されていた。

駅周辺の、あの騒然とした風の雑草は概ねなくなったが、それだけの話。

全国に弾き飛ばされた浪江の町の人々の人生が、それで少しは変わったというわけでもない。まあ・・・意味のない変化が少し起きたというだけの話だと言っては、言い過ぎだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

駅舎の中に立ち入ることもできた。

明るい光に照らされていた。

だが、駅員さんの姿は、まるでない。

 

このまま改札口を通ってホームに行きそうになるが、路線図を見上げると、はっきり遮断されている。

浪江駅と富岡駅の間は電車が走っていないのですね。

この間は、代行バスが運行しているのだという。

駅の前のバス停には、代行バスが確かに止まっていましたね。

 

 

 

だが・・・代行バスに乗る人の姿が見えない。

そもそも・・・浪江駅に来るまで、まだ、人の姿にお目にかかっていない。

他に何台かの車が停まっているのだが・・・。恐らく何らかの作業のために訪れている皆さんなのだろう。どこにも食堂はないから、ここに来る皆さんは弁当持参ということだろう。

 

もっとも・・・・駅から数キロ手前にコンビニがあったが、コンビニの前には車が数台駐車していましたね。浪江に戻ってこられた皆さんもいるらしいことが僅かに窺われた。

 

これが2011年の原発事故から7年後の浪江の姿である。

それから・・・さらに8年が過ぎて2026年になったが、果たして、どれだけ変わったのだろう。報道から見る限りでは、大きく変わったとは、到底言えないのだろう。

 

そもそも・・・いくら故郷が懐かしいとはいえ、既に避難している間にも、人それぞれの営みが慣れない土地でも切れ目なく続いてきたのだから、故郷が少しは復興しつつあるかのもしれないが、それでは戻りますというわけにはいかないのは明らかだ。

 

原発事故の果てしない凄惨さを改めて思う。

台風や単なる大地震の被害とは、決定的に異なる。

簡単に考えてはいけないのですね。

 

(第12090回)