それにしても・・・・このゲートを通ったのは、2015年。

大震災から4年後のこと。

いまから11年前のこと。

 

それでも・・・あのゲートを通ったときの、いつにない・・・・特別な、いまでも、この膚ざわりとして残っているような異常な緊張感というのは・・・忘れらない。

 

 

 

普段の生活では、そういうものを経験したことがない。

ゲートの前にいくまでは、つまり「外の空間」にいる間は、よく考えていなかったせいかもしれないが、格別にも思わなかった。しかし、こちらの世界と向こうに世界の真ん中にるガードマンの皆さんたちの躊躇している様子を見て、改めて・・・・ゲートの中の「異常さ」を実感させられた思いでした。

 

それにしても・・・・このゲートの中に、見たところ何があるというわけでもない。

イヤ逆に何もない、のである。

全くないのである。

この浪江の、いわば誰も望まない汚染された『鬱蒼とした自然』以外に何もない。

人工物的なものは、なにもない。

そういうものを、ここで確認することはできない。

ひょっとすると太古の時代以後に人工的に形成されたものは・・・・ここにはないようにさえ見えるのである。浪江の人たちが愛した・・・・それほどの深い大自然がここにはあったのだ。

 

運転する友人と、助手席の私の会話も自ずから少なくなる。

彼も私も内心、恐らく緊張していたのですね。

 

助手席で・・・・前も後ろも・・・・全く無人の道路を見ていた時に、思わず気が付いてしまった。

このゲートの中では、ガス欠になっても、誰も補給には来てくれない。

あるいは、車が故障しても、JAFFも来てくれない。

パトカーだって来てくれないのだろう。

恐らく救急車も来てくれまい。

全てが自己責任の世界なのですね。

究極の自己責任以外に何もないのである。

日本の社会のシステムと全く切り離された世界に、私たちは、いるのだと・・・・。

 

今この時点で、この1億2千万人余りの日本人の中で、そういう状態にあるのは、恐らく私たち二人だけなのですね。

極めて特殊、特別な世界にいる。

 

(第12082回)