虹色のうろこ
虹色の龍になって、時空を飛んでいるように爽快だった。虹色のうろこの一枚一枚が、さまざまな周期を感知して、その周期を生き、歓びにさざめく。そんな虹色の疾風になった気がした。時計は時間じゃない。時間の流れは一つじゃない。とじこめられていた「時計の時間」から、魂を解き放つ。* * *明け方、四時ごろ目が覚めて、布団の中でまどろみながら、頭をよぎったこと。それは、「時間」についてだった。毎日がとてもあわただしい。朝も分刻み。帰宅してからも時計の針は倍速だ。もっと、時間があったらいいのにと思う。だけど、時間ってなんだろう?* * *たとえば、わたしは、名前のことだま師なので、「五十音表」の周期を意識することが多い。五十音表の中の「周期」とは?それは、「60秒=1分 60分=1時間 24時間=1日」の単位では進んでいないものだ。人生の流れであったり、行動するときの進め方であったり、心の持ちようや、魂の成長によって左右されるので、人によってさまざまだ。単位のわからない時間が、五十音表の中で幾つも流れている。また、マヤの13月の暦を知ったことで、ツォルキンというカレンダーを知った。五十音表は、5×10だが、ツォルキンは13×20。さらに多い。ツォルキンの中にもさまざまな周期があって、それぞれの軌道を巡っている。この中で、どんなことが起きているのか、想像もつかない。だけど、「とにかくすごい」ことがわかるので、今、関心をもっている。そして、暦がなかったころ……日本の人々は月を見て行事を行っていた。農耕民族である日本人は、自然の声に目をやり、大地の声を聴き、小さな生き物の動きに立ち止まり、空や、風や、気温の変化や、月の満ち欠けで周期に乗り、さまざまな行事と慣習を行ってきた。「望月」が「満月」のことだと知ったとき、とても豊かな気持ちになった。お正月の鏡餅は、歳神様が宿る場所だという。お餅の形が丸いのは、丸い「望月」と「餅」の音が重なるからだとか、神様が宿る鏡が丸いからだとか、そのような謂われを目にするたびに、その時代に慎ましく敬虔に生きた人々を思い、空に向かって祈りたいような、宇宙に向かって手を広げたいような、大切なものをずっと守っていきたいような、真摯でおごそかな気持ちになる。* * *この空には、いったいいくつもの周期が軌道を描いているのだろう。太陽系のリズム。銀河系のリズム。虹のかけ橋。オーロラの流れ。渡り鳥の軌道。風の道。桜が咲いたり、梅雨が明けたり、台風が来たり、紅葉したり、雪が降ったり、芽吹いたり。祈りが飛び交い、引力や極性が引きあい、鼓動する。そのことを観じたとき…… 虹色の龍になって、時空を飛んでいるように爽快だった。虹色のうろこの一枚一枚が、さまざまな周期を感知して、その周期を生き、歓びにさざめく。そんな虹色の疾風になった気がした。時計は時間じゃない。時間の流れは一つじゃない。夢うつつの中で、知らない間にとじこめられていた「時計の時間」から、魂を解き放つ方法がわかった気がした。だれだって、高次に生きる虹色のうろこを持っている。いくつもの世界を同時に生きることができる。いくつもの周期を進むことができる。そのことを、宇宙(そら)が教えてくれる。虹色のうろこが感応している。浜田えみな今日は13月の暦では「赤い惑星の月」ちなみに、「虹色のうろこ」がライブに感じられるのは、草場一壽さんの陶彩画を観たからだと思う。