同じ6月うまれの幼なじみ、私が先にうまれたので先手でLINEギフトを送ってくれるのが慣習となっている。今日はお返しに彼のリクエストどおりケンタッキーのLINEギフトを送った。その流れで昔話などをしていたら、彼が大人になるのも悪くないねと言った。私もそう思う、べつに戻りたいとは思わないねと返したのはわざわざ過去に戻って人生をやり直す気力がないからなのだが、彼は無邪気にえっ俺思うよ!フジファブリックのタイムマシンが染みるんだよねと返してきた。タイムマシン、知ってるよ。当たり前だ。でも全然ピンとこなかったから検索した。読んでもなおピンと来なかったのは、私が志村さんに自分の価値観を投影しているからかも知れない。志村さんたしかに戻れるかなとは書いているけど、戻りたいとは書いてない。あと戻れないと思ってると思う。でも彼はこの歌を聴いてそんなふうには思ってないみたいだから、あぁ私は私の志村さんを作り上げてるんだなぁと思った。それは志村さんだけに言えることではなくて、私は自分が感動するものをたくさんもっているけど、人それぞれ違う。解釈がちがう。それを比べるのは野暮だなと思うようになった。大人になるのも悪くない。










先月末、藤井隆(以下愛をこめてタカシ)のエッセイが発売となった。昨日は大阪でお渡し会があっていた。近ければ確実に行っていたけれど、如何せん私は遠征が苦手なのだ。13日は竜人のライブだし、なんて言い訳しながらそれに申込むことは早々にあきらめ、信頼するAmazon先生から購入した。


そして今朝、ふとお渡し会のことを思い出した。なんでかというと夢にタカシが出てきたんである。私はタカシと自転車に乗って、どこかの地下駐車場に向かっていた。ロイホというアルバムがいかに良かったかを伝えたいがどうやって伝えたらいいのかまごまごしている夢だった。それ以上は思い出せなかったが、お渡し会のことは思い出したのでXを検索してみる。素敵なレポをいくつも見つけ、心がほっこりしたところで私はまだエッセイを1ページも読んでいないことを思い出す。素敵なエッセイだとわかるからこそ、どこか素敵な場所でコーヒーでも飲みながら読みたかった。でも私はこんなかんじなので、意気込むと行動できない。まだ私のコンディションが整っていないからと放置していたんだが、そんなかんじでSixTONESのシングルも放置している。BOYZじゃない、なんとバリアからだ。なんだコンディションて。いい加減にしてほしい。




そんな怠惰な私を省みつつさすがに読まねばという気になって、素敵な場所でもないしコーヒーもいつものマグカップにいれてるだけだけど、はじめて本を開いた。すると私は見つけてしまったんである。





ワテやがな!!!!!!

早朝だったが声出た。そうだ、そういえば昨年、もはやいつかは忘れてしまったけれど、タカシへの質問が公募されていた。私はたしかにひとつだけ質問を考えて送っていた!何をきいたかすら忘れていたが確かにこれは私が書いたものだ!しかもemさん呼びやんけ!こんなことなら本名にすりゃよかった!𓏸𓏸さんって紙面でもいいから呼ばれたかった!!!



こんな私の質問に対し、タカシはいつもの優しく丁寧な口調でこのあと2ページにもわたって回答してくださっていて、タカシの言葉選びといい、視点といい、その姿勢といい、大袈裟でなく読みながら涙が出てしまった。なかなか気持ち悪いオタクである。そういえばこないだ行った清竜人25のライブで私は初めて竜人とチェキを撮り感激したのだが、このごろ私のオタク度が天井知らずでなんとも言えない気持ちになる。オタクの心情が理解できない人にとっては「?」らしい。アーティストに作品以上の繋がりを求めるのってなんなん?みたいなクールな意見も見かける。あなたが私のようなオタク(ミーハー心)を理解出来んようにこちらこそあなたのクールな考えは知ったこっちゃないが、私にとって好きな人が同じ時を生きているのが直接的でも間接的でも実感できること、それはとてもとても価値あることなんです。タカシ!emです!読んでくれてありがとう!!!







初めて清竜人25のチケットをとった。清竜人25については当然といおうかデビューシングルから購入して聴いていたのだが(もう売ってしまったけど)、ライブには一度も行ったことがないと言うと驚かれる。なんだかんだ竜人のソロから入った身なので、ソロなら絶対に行きたいけど25ならまぁいいか~~~というテンション、竜人ファンなら分かってくれるのではないか。清竜人という人は作品の振り幅が広くて風邪ひきそうになるよね。







ということで予習しとかねば、と改めて新メンバーになってからの楽曲を聴く。これが本当に、良くてビビる。Will you marry me?が良かったことは前にも書いたけど、今回グッときたのはアバンチュールしようよという曲。



これ、ちゃんと聴いていたら前メンバーのラストアルバムに入ってる曲でたまげた。私ちゃんと持ってるんですよ、このアルバム。
でもこれとは思わなかった。かなり印象が違っているから。それは編曲が大幅に変わっているのもあるし、竜人の歌い方もだいぶ変化してると聴き比べてみて思った。そして私はこの新メンバーでのバージョンが、令和版に的確にアップデートされたかんじがしてとても好き!



清竜人25ってググってみると「気持ち悪い」とかが隣に出てくるのいつもウケるんだが、髭生やしたアフロのオッサン(とかいうて私より年下)が若くて可愛い女の子をはべらかしてるという構図がだいぶ誤解を招いていると思う。そういうグループだしSNSもその路線貫いてるのでそういった評価はある意味アーティストの意のままというところだろうが、気持ち悪いといわれるのもファンとしては悲しいので私の思う25のことを書いておきたいのだ。




清竜人25って聴けば聴くほど道化だと思う。アイドルごっこしてるグループだ。これは本気でやっていないとかいう話では毛頭ない。本気のアイドルごっこをしている、竜人の一大プロダクトだと思っている。アクスタもチェキ券もあるしオタクはペンライト振りあげて応援するけれど、真ん中で歌う男は全然アイドルらしくないし、楽曲もアイドルじゃない。楽曲がどうやったって清竜人なのだ。私はアイドルを職業とする人のファンでもあるので、いつだったかアイドルとアーティストの違いを考える記事を書いたけど、アイドルはアーティストになれないしアーティストはアイドルになれないと結論づけた。竜人はアイドルになれないと分かっているからこそ、アイドルを真剣にやっていると思う。ファンも多分そういうプロジェクトだと思って一緒に道化してると思っている。少なくとも私はそうだ。そんなアイドルグループを明後日見てくる。今日書いたことは主観です。異論は認めます。









先日星野源のアルバム「Gen」が良かったことを書いた。そのあと、Twitterでそのアルバムの広告が非難されているのを見た。SNS全盛の時代になり、その物が注目を集めるものであれば必ず、その善し悪しに関係なく批判する意見がつきまとう。私からすればその「批判」は意味がわからなかったし、単にアーティストへの僻みにしか思えなかったのでもうその先は全然知りません。まあでもね、思うんです。そりゃやっかみも起きますよ。歌も歌えて?楽器もできて?良い曲量産できるだけでなく?ダンスもできるし?お芝居もできて?文章も書けて?お喋りも上手くて?それらがすべて評価されていて??とどめは嫁がガッキーです!!!!そりゃ反感も買いますよ!!!!許す。世の中の星野源をひがむ皆さんをゆるします!!!!!!!



かくいう私もばかのうたでCDショップ大賞をとったころの源さんを知っているので、いまこうして売れに売れまくった源さんを、なんかこうサングラスかけて両手に指輪とかして歌う源さんのことを、(ちょっと変わっちゃったんじゃないの??)と思っていたことは否めないのです。




ところが。先日、あちこちオードリーを見たんです。これに出演していた星野源、めちゃくちゃ良かったんです。何が良かったってね、目が死んでたんですよ。



絶望の話をしていました。絶望の中にいても幸せだと気づいたという話をしていました。この人の目がそもそも素朴であるというのは置いといて、時折その目が放つ光のない視線をむける瞬間がとても良くて、つまりこれは褒め言葉なんです。私が言うまでもなく星野源のファンは彼のこういう部分を知っていて、それだから余計好きになる。基本的に闇のある人なんですよね。そう、どことなく暗くて、湿度があって、人との距離感を感じる人だった。だから、ここ最近のイケイケ(に見える)星野源に寂しさを感じていたのかもなと私も思ったのだけど、蓋開けたら何も変わってなかったからびっくりする。めちゃくちゃ暗い。ほんと普通。だから、アンチにも相当疲れてると思う。絶望という言葉には色んな意味が含まれていると思った。今や日本の音楽シーンにもめちゃくちゃ影響力与えてる人なのに、言葉の端々から感じる印象は、きっと私たちと同じような感覚を持ち続けている人だということ。帰り道においしそうなお菓子を買って家で家族とおいしいねって食べる時間がマックスだと言ってた。それがなんかとても嬉しかったし、改めてこのアルバムについてのインタビューもちゃんと読んでから聴きなおしたいとも思った。闇はワードとしてネガティブだけど、人の魅力に十分なり得る。



楽曲とそのアーティストの人間性は切り離してみるべきか?という質問回答がみのミュージックにあったと思うが、私は少なくとも切り離さず観ているタイプだ。それは意図的にではなく、最早本能的かも知れない。なぜかこの楽曲に惹かれると思ったらアーティスト自体に共鳴していたと気づくことが多い。この回が好きすぎて、もう既に7回は繰り返し観ている。










星野源のアルバムを聴きました。非常に良かった。そうか、前作からもう6年以上経つらしい。ちなみに私は星野源のアルバムの中でも「YELLOW DANCER」が人生の名盤入りするくらい好き。それなんて10年も前なんだから信じられない。

 

 



さて今回のアルバムは、タイトルがご自身の名前というファーストインパクトのデカさ。リリースの情報が出てからアルバムタイトルしかりジャケしかりその曲名の羅列しかり、星野源もしかして引退しちゃうんじゃないの?なんてファンの声も聞こえてきた。いやそれはないやろあるはずないやろ、と思ったけど解禁されていた情報を見てみるとそう勘ぐりたくなるのもわかるというか。それくらいの渾身の1枚という印象が、発売前から既にあったんである。で、私は発売日にしっかり聴いた。




良い、良すぎる。




Gen、良すぎるぞ。なんだチミは。私はおそらく複雑なコード展開が好きで、それ故ジャズやR&Bといったオシャンな音楽を好む傾向にあるんだが(と割と最近自覚した)、星野源、多分いま日本で1番複雑なコード進行をしている。55分テンションコード鳴らしっぱなし。揺らしすぎて酔うくらいだ。こんなんもはや邦楽ではない、いや言いすぎた、邦楽ではあるんだけどこれは今最も洋楽に近い邦楽だと思う。てかこんなんジャズやろジャズ。ばかのうたの素朴さは勿論、Strangerあたりの雰囲気すらもう無い。それは悪いことではなくて、それだけ星野源は進化したということ。彼の影響を受けてか、星野源ぽい音楽をやる人が少しずつ増えてきているように思う。それでもなお星野源がオリジナルだと思えるのは単に生まれが早いというよりか(それもあるけど)、彼の書く詞の力だと私は思う。私が言い始めたことではないけど彼の言葉には死の匂いがする。で、私は芸術に死の匂いを感じさせる人がとても好き。坂本慎太郎さんとか、横尾忠則さんとか。やっぱり死生観は、どうやったってティーンネージャーには描けない。ただただポップなだけなら星野源はここまで売れていない。暗さ、強い。





私は今作に関する星野源のインタビューもラジオも雑誌も何一つ見ていないが、辞めるどころか星野源まだまだやれます、というふうに聴こえた。CD買い漁るのが趣味だった大学生はもうアラフォーになってサブスクの恩恵受けまくりだけど、初めてクレジット見たさにCDを買おうかと思った。こんなにクールでキャッチーでクリエイティブでチャレンジングでパワフルな音楽を、星野源とその他どんなスタッフが関わって造り上げたのかが気になってしまった。こんなん初めてである。