いまのしゅんかん -49ページ目

デジタル社会でのあれこれ

デンマークでのデジタル社会だからこそのエピソードがいくつかあったので書き留めたい。

 

先週の金曜日、4人での七事式のリハーサルのあと、友達が師匠を駅まで送ったのだが、なんと車から降りたときに財布とスマホ一式をなくしてしまったらしい。

師匠はてっきり友達の車の中に落としたと思い込み、しかし電話がないし、なんと自宅にwifiがないので気軽にメールができる環境でもなかったため、しばらく何もしなかったそうである。

土曜日に、翌々日の東海大のイベントで連絡とらざるをえなくなり、ご主人のスマホでテザリングしてメールを使ったときに、友達の車にもないことがわかり、慌てて銀行に電話してカードをとめたが、もうすでにカードが使われていたことがわかったとのこと。

 

財布はともかく、MitID(デジタル承認システム)アプリが入っているスマホをなくしたのは痛い。。。

しかも師匠は、MitIDをそのスマホにしか入れてなかったらしい。彼が一度、レースでスマホをロックさせてしまいリセットしたらMitIDも消失してしまい、再発行にえらく苦労したので、わたしがさんざん警告したのに。。

今はMitIDアプリがないと何もできない。公的サイトだけでなく、オンラインバンクも、医者とのアポをとるにも。

以前の認証システムNemIDは、紙のコード表を鍵としてログインできていたが、新しいシステムMitIDは、端末機に入ったアプリを介してか、コードジェネレーターという小さな機械を使わないとアクセスできないのである。

ちなみに、オンラインショッピングでカード決済するのも、最近はほとんどMitIDでのデジタル承認が必要で、スマホが手元にないと決済できない。

 

そして、MitIDに電話したらオンラインで手続きしてくれと言われたため、オンラインで申請を試みたものの、パスポートが認識されず申請できなかったそうである。かといって、地元の市役所サービスには、MitID再発行のタイムスロットもなかったという。

 

月曜日に、師匠のところに迎えにいき、車で東海大まで行く間に、なくしてすぐにカードが使われたのは、盗まれた可能性が高いですよ、と私が言ったので、火曜日には警察に行ったものの、電話番号を覚えていなかったため、すごすごと家に帰ってきたらしい。

 

彼と話して、問題だと思ったのは、

- MitIDのバックアップをとってなかったこと (3つの端末機までアプリを入れられる。一つがなくなっても、別の端末から使える。私は古いスマホにもキープしているし、コードジェネレーターも持っている。)

- オンラインでMitIDの申請するためには、パスポートのチップを検知できる比較的新しいモデルのスマホが必要なのに、もってないし、財布もなくしたから今すぐ買えないこと

- 市役所で申請することも可能だが、おそらく電話するとオンラインでがんばれと言われてしまうこと。うちの自治会の元会長も電話して、オンラインでやってくれと言われ続け、パスポートもないんだと言ってやっと受け入れられたと言ってたし。。

  

 

奇しくも、昨日今日とMitIDを使いまくっている。

 

にわかに浮上した同僚の家の購入についてだが、オープンハウスが日曜日にあり、ちょうどEremitageløbetに重なっていたため行けず、7組が見にきて、すでに二組がオファーを出しているそうだ。

それで慌てて銀行とのアポを取ろうと、プラットホーム上での予約サイトによると早くて2週間先で、一応予約したものの、それだと絶対買うことはできないなと思い直し、ダメ元で、私の個人担当者に連絡したところ、5分で電話がかかってきて、所定の作業をして欲しいと言われたのだった。

 

それは、

- 税務局のサイトで、納税書のアクセス権を与える

- ネットバンクで、年金情報のアクセス権を与える

- 銀行の予算管理サイトに情報入力

 

今住んでいるアパートを買ったのはもう11年前になるので、ずいぶん違うな、と。

前回は、まず対面でのミーティングだったが、今は全てリモートだし、前は書類も一つ一つ送っていたような気がするけど、今はアクセス権を与え、銀行が税務局や年金のサイトで私の情報が見られるという。

また、前回は、生活費がどれくらいかかるのか、項目ごとに入力した気がするが、今はそれもなし。銀行口座の履歴で評価するっぽい。

ただ、彼はメインバンクを変えてしまい、そのアクセス権を与えたつもりだったが、アクセスできなかったのか、口座履歴が見えないということなので、ドキュメントをまとめて32ページに渡るpdfファイルを送った。評価に使えるのか謎。。

 

今回はなんとなく厳しい感触で、ちょっと難しいかな、、と思っているが。年齢もネックになっているっぽいし、、、

でもまぁ、きちんと経済力を評価してもらい、どの程度だったら狙えるのか感触は得られそうなので、意味のあることだとは思っている。

数学を使って世界のことを考える

今、学生のタスクを手伝ったことがきっかけで、私にはプロジェクトの予算があるわけではないのに、私が個人的に興味を持ってしまい、さらに学生にアドバイスを続けているのだが、これが楽しい。

そのタスクとは、「ある製品が、もう使えないということを定量的に判断する方法は何か。」である。

 

奇しくも、直接は関係ないけど、タイムリーとは言えるイベントに昨日行ってきた。

 

 

味を占めて2度参加した、クリスチュアニアでのサイエンスイベントで、お題は、「数学を使って世界のことを考える」。

彼も私もものすごく楽しみにしていた講演で、その期待を裏切らない内容だった。

 

この最初のスライドに書いてあるように、

「統計」「相互作用」「カオス」「複雑」の4つのテーマについてスピーチされたが、どれも興味深かった。

 

初っ端の「統計」でいきなり見覚えのあるエピソードが!

原題は、「Lady tasting tea」で、フィッシャーという統計学の開拓者が、ある女性の、「私は、ミルクを先に入れた紅茶と、後にミルクを入れた紅茶の味の違いがわかるわ。」ということが、本当なのか確かめるための統計的テストをどう設計したか、という話が最初に書いてある。
実際に分からなくても、当たる可能性が50%である以上、当てずっぽうでも当たることも考慮して、テストを設計しなければならない。
 
学生とのタスクが、ちょっと統計に関係している。
最初は、統計的ではない方法でやろうとしたら、プロジェクトリーダーが、それではかなり狭小な評価で、製品としての評価にはならないから、使うことはできないと一蹴してきたので、全く別の方法を考えることになったのである。
 
今朝は、早朝によくお邪魔する会社に行って、分析の手伝いに行ってきたのだが、そこでもまた統計的な考えが不足していて、その説明をまずすることに。
人って、一事象で全てがわかった気になりがちだが、全体を見て、しかもかなりバラつきもあるんだということを認識しなければならないことが往々にしてある。

 

「相互作用」見覚えのある、エピデミックのグラフ。

デンマークでは、このグラフを示しながら、なぜロックダウンをしなければならないのか説明してくれたっけ。。
そして、コロナ禍中は、常に一人が何人に感染させるているかのインデックスもでていたような気がする。
思えば、かなり数学が使われていたな。。。デンマークはテストもかなり盛んに行われたので統計データも豊富だったし。

 

サッカーの動きもまた選手同士の「相互反応」なので、サッカークラブとのコラボで分析のお手伝いをしているそうである。

 

カオス。

しかし、オーガナイズされている中に、突拍子もない「カオス」が混じることもまた意味のあることらしい。
 
時間がなくなって、最後の「複雑」はサラッと流されたけど、実は私の中では最も印象の残る話だった。

 

白:もし白の隣が3つ以下だったら、濃い青に変わる。それ以外だったら白のまま維持。
濃い青:もし白の隣が2つ以下だったら、薄い青に変わる。それ以外だったら濃い青のまま維持。
薄い青:もし白の隣が2つ以上だったら、白に変わる。それ以外は薄い青のまま維持。
 
これだけの条件だけで、常に複雑に変化していく。しかも、隣だけの条件である。
隣どころか、常にいろんな人やファクターに影響される実際の世界では、どれだけ複雑に変化するのだろう。
何気なく、この瞬間を生きているように思うけど、実は、この瞬間瞬間が大きな将来の決め手になっていたりするのだ。
 
ちょっとしたことで、娘を得ることも、デンマークにくることも、彼と出会うこともなかったかもしれない。
 
よく映画では、過去をちらっと変えただけでも、自分にとって都合のいい変化だけで、他は変わってないこともあるけど、ありえない。
アベンジャーズの最終エピソードで、キャプテン・アメリカが過去に戻ったまま恋人と結婚したことになってしまったが、なぜかキャプテン・アメリカがそのまま存在していることになっているという。。。過去に行った時点で、本当はいなかったことになってないとおかしい。アベンジャーズ、大好きだけど、これだけはずっとモヤモヤしている。
 
帰り道は、彼とずっと余韻に浸りながら話していたけど、楽しかった。。。

東海大センター茶室で七事式

 

念願だった、東海大センターでの七事式に参加した。

でも、8時前に師匠を迎えに行き、8時半に茶室に入ってから、16時に出るまでずーっと忙しくて、しみじみ堪能する、という感じではなかったが。

 

まずは大部屋を拭き掃除。

 

デンマーク人の方には炉と棚を設置してもらい、、、

 
何人かが着付けしている間に、私は聞香の道具を主に、且座之式の準備をしつつ、水やお菓子をアレンジ、作業が落ち着いたところで私も着付けを。着付け初心者の方の手伝いをちょっとし、すぐに他の人にお願いし。
11時半ころみんなで持参してきたお弁当でランチ。
実は、お弁当のことをすっかり忘れてて、シャワーを浴びているときに思い出して、慌てて米を炊き始め、卵を茹でて卵サンドを作り、出かける直前にご飯が炊き上がっておにぎりを作ったという。。。なので師匠のところには約束の時間よりも数分遅れてしまったのだが。
 
食べ終わってすぐに、香炉に入れる炭団に火付けする作業を始めた。
以前、というか、5月最後のヒュンでの茶事だったか、炭に火付けするのにえらく苦労した覚えがあったので、彼のキャンプ用コンロを借りて持参して行ったのだが、なんとその建物の水屋にはガスコンロがあったので、そこで火をつけて、これまた持参していたバーベキュー用のトングで炭団をつまみながら炙って点火した。
そして灰を炭押を使って円錐状に盛りつけた。と言っても、私はまだ下手で、師匠に灰の整えはやってもらったが。。
 
用事で遅れてきた友達はランチ中に来て、まず着付け、そして炭点前の準備をしてもらった。
フィルターをかけた水を沸かして釜に入れ、風炉に置いて全ての準備が整った。
 
そして且座之式がスタート。
まず5人が円座になって形式だけの折据を使っての役割くじ引きをした後、みんなでお菓子を食べ、一旦部屋を出て、主客の私から茶席に席入り。
そして花所望→炭点前とすすみ、炭を風炉に置いた後、釜を戻す前に、電気風炉に交換してもらい釜を置き、炭籠が下がった後、聞香へ。本当は、その前に風炉の拝見をしなければならなかったのだが、電気炉に交換されたことに気を取られ、すっかり忘れていたのだった。
初めて火を入れての聞香の点前は緊張したが、しかもかなり炭団がかなり熱くなっていたので銀葉を左薬指で押さえる動作は特に緊張したが、まぁまぁスムーズだったと思う。次客の方は、聞香が初めてで私に香炉が渡された時は戸惑っていたが、師匠が丁寧に解説。

 

 
そして亭主による濃茶へ。
次客の方は、小茶巾の存在も知らなかったという。そうだよね、、私もストックホルムで厳しく言われるまで、あんまり自分で用意しておくという意識が希薄だったほど。
 
最後に半東による薄茶点前。
今日の睨み菓子はりんごだった。
形式的な拝見をやって、終了した。
細かいところで忘れていたりはしたけど、ここまで七事式でスムーズだったのは初めてだったかもしれない。
 
この時点で14時を過ぎていて、出なければならない16時まで2時間を切っていたので、花月があったけれど、私は片付け要員に徹しようと着替えて一人で片付け作業に没頭した。
これが正解で、香炉の片付けは炭団の処理が手間がかかりかなり時間がかかった。
 
その間に彼が茶室見学に来て、案内をしたり。
プログラム通り、片付け開始時間の15時15分に時間を伝え、花月の終いに入ってもらい、15時25分からは急いで片付け作業に入った。釜からお湯を捨てて空にし、棗からお茶を出して綺麗にし、茶巾を洗い、水指を空にして拭いて箱にしまい、、、、
 
16時ちょっと過ぎに茶室を後にし、荷物を車に詰め込み、師匠をアパートまで送り、買い物して家に帰ってきたのは18時過ぎだった。。。疲れた。。。
 
これで大きなイベントは終了。。。
今年はイベント尽くしだったので、これでしばらく落ち着くと思うのと同時に、ちょっと寂しいような。。。

Eremitageløbet 13,3km

今日、ランニングイベント、Eremitageløbetに参加してきた。
 
実は、水曜日からひどい頭痛があり、火曜日に走って以来全く走ってなかったどころか、昨日は買い物に出かけただけで疲労し、今朝も体調は万全ではなく、彼にも「僕一人で行ってこようか?」と言われたのだけど、今回は結構準備していたし、出張先でさえ走ってたからキャンセルするには忍びず、やはり参加することにしたのだった。
 
しかも、会場の近辺で車をとめられるところはなく、一応公式駐車場になっているデンマーク工科大学からも2kmくらいはあるしそれでも満車になってしまうので、確実にとめられるショッピングセンターの駐車場にとめて3km歩いて会場に行くことに。
でも結局、そこから会場まで多くの参加者が歩いていたのだった。Lyngby駅から歩く人も結構いたのかもしれない。
 
3度目の参加だったが、前回もこんなにいたっけ?というくらい、会場は人が溢れているのだった。
予想タイムによって待機場所が分かれており、彼は1時間20分、私は1時間50分と予想タイムが違いすぎたので別れ、私は1時間35分オーバーという一番遅いエリアで待機した。
しかし、やっぱりトイレに行きたくなり、スタート時間11時の15分前というタイミングなのにトイレに行き、長蛇の列で待つことに。
 
結局スタート時間から10分経って待機所に戻ったら、、、

 

 
まだ全く進んでいないどころか人が増えていて、さらに後方で待つことに。
同時に一番遅いグループがこんなに人がいることにちょっとホッとしたり。。
 
11時20分過ぎくらいから前に進み始め、結局11時27分にスタートした。
 
体調がイマイチだった割には、調子は悪くなく、むしろ他の人のペースが遅かったので、端から抜いていて大体1km6:20くらいのペースで走っていった。
4kmまではかなり順調に走れたが、そこから城に向かう上り坂でペースが落ち、4,7km地点での給水ポイントで止まって水を飲みながら呼吸を整え走り始めたらまた調子良く走れるように。
しかし7km越えるあたりからまた上り基調になってペースが落ち、、、、

 

10kmの給水ポイントでは息絶え絶えに。。。

 
そこからは、どんなに呼吸を整えても体がもう重くなっていて、速く走ることはできなかった。
だけど、周りは苦しそうにしながらも頑張って走っている人ばかりで、しかも結構な高齢者も走ってて、中には体が斜めになってしまっても走っている高齢者がいて、そういうのをみて励まされながら惰性で走った感じだった。
 
最後の400mが辛かったが、1時間34分でゴール。

 

  

後半ペースが下がっているのが駄々わかり。

でもずっと心拍数がコンスタントに高いままだった。
 
7年前に参加した時よりも8分も遅いタイムだったけど、参加してよかったし楽しかった。
走り慣れていない人でも気楽に参加できるイベントというのがとてもいいし、できることなら来年も参加したいと思う。

且座之式リハーサル

昨日、デンマーク人夫妻の茶室で、師匠と友達と4人で、且座之式リハーサルをやった。

 

師匠が日本で聞香の道具も買ってきてくれて、やっと本物に触ることができた。

香炉の灰の扱いも初めて。
あと、重ね香合も思っていたよりもずっと高さがあって、私が持っている普通の香合で代用するのはかなり無理があったことも判明。
 
しかし、聞香のお点前は、何度もYoutubeでみていたし、なんちゃって代用品で練習していたので、割とスムーズにできたけど、且座之式は全く予習していなかったので、全体の流れで私の主客としての役割を把握してなく、リハーサルができてよかった。。。
花所望→炭点前→聞香→濃茶→薄茶という流れも知らず。。。
七事式はあくまでも、大人数でのお稽古の場ということで、実際のお点前よりも動作が省略され違っていたりするし。お茶はいただくけど、濃茶か薄茶のみ、お菓子なし、という悲しい現実も。
まぁ、デンマーク人の方がやってくださる半東の方が、ずっとなんかしら作業があるので大変な役割なのだが。。。でも彼女は予習をしていたようである。
 

いつもぶっつけ本番で七事式をやり、その度にあーだこーだとなかなか進行が進まなかったりするので、リハーサルができてよかった。場所を提供してくださったデンマーク人夫妻に感謝である。

役員会と国会開会

昨日、我が家でアパートの役員会があり、懸念事項を話し合えた。

 

- 会長が辞めるということで、暫定で隣人が臨時会長に。管理会社にも連絡。会長が担っていたタスクを分担。私は、ゴミ回収のタスクが加わった。

- しかし、屋根の修繕に関しては、会長が責任持ってくれるとのこと。私が会長にメールしたら返事があったが、隣人にはSMSでメッセージもきたらしい。

- それとは別に、一度きちんとインスペクションしたいが、具体的にどの業者に頼むべきかアイデアはなし。

- 接しているテラスハウスの住人に文句言われた垣根については、かかる費用の半分はこっちが負担してもいいが、こちらからイニティアティブ取る気はない、ということで、私がメールを書いた。。その住人はこっちが完全持つべきというスタンスな感じだったので、なんて言われるか。。

- 下水配管から匂いがするとかで、当事者である役員の一人にその問題に携わってもらうことに。

- Working Dayはもう時期が遅いということで、地下室の清掃だけやる、ということに。今月どこかで私が個人的に庭の作業をするつもりだけど。

 

いきなり会長が辞めると言い出して、他の役員も何の反応もなく不安だったので、とりあえず役員会ができて懸念事項を話せて本当にホッとした。。。

 

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今週から国会が開会したので、ニュースをチェックしている。

 

 

衝撃なエピソードの一つは、グリーンランド人議員が母国語でのスピーチをし、質疑応答なしで壇上から下げられたことであろうか。

去年は話し合われている問題で、時間を二倍にして二か国語で話すか、月69000DKKの通訳予算をつけて通訳させるか、という約束もあったらしい。

それでも、デンマーク語バージョンのプリントを配布しても、壇上でグリーンランド語のみでスピーチすることにその議員はこだわったようである。デンマーク語はネイティブ並みなので、通訳云々という問題ではない。壇上で一人のグリーンランド人として立つことに意味があったのだろう。

 

こういうところにも、デンマークとグリーンランドの微妙な関係が浮き彫りになる。

グリーンランドがもっと独立した国として対等な関係であることを求め、デンマークもグリーンランドは地政学的にも大事だしできる限り受容はしているけど、本音ではそうではない。デンマークに経済的に依存しているグリーンランドをどこかで下に見ているところはある。

まずは、北極評議会で、グリーンランドからも独立した国として代表者が出れるようになるといいと思うのだが。。

 

あとは、デンマーク国民党のスピーチで、穏健党党首Lars Løkkeへの個人攻撃があり、質疑応答が与野党含めほとんどなかったこと。与党は、ディベートの価値なしとしてボイコットしたらしい。ある議員は、「トランプからインスパイヤされたスピーチだったかもね!」とまで。私も見てみたが、ひどい内容だった。

こういうところを絶対受容しないのがデンマークらしい。

 

とはいえ、Lars Løkkeのせいでできたと言っても過言ではない、今の赤青超えた中道政権は、野党にとっては忌み嫌う存在で、実際与党内でも意見が合わなすぎて問題になっていることが、このディベート大会でも大きなポイントになっている。

そもそも年金改革案が国会で通過できるのかどうか。与党内で、肉体労働者の早期年金受給に関しても意見が割れており。

ベンスタの党首も、次回の選挙では、青政権ができることを期待している本音がポロリ。

 

しかし、デンマークも色々問題山積みとはいえ、日本の政治状況を見るよりは安心してみられるという。。。

 

日本の自民党総裁選に関しては、高市早苗だけにはなってほしくなかった。

私が大嫌いな安倍元首相の影響を受けている政治家で、変なナショナリズムを持った、そのために憲法96条を変えて国会権力を増強できるよう改憲することを望み、三権分立の基本を破壊する危うい政治家だと思っていたからである。

しかし、彼女そのものは、今までの経歴を見ても決して悪くはない。ほとんどが二世議員かタレント議員の中、彼女は一人の独立した女性としてここまできた生え抜き議員である(情報番組には出てたけど)。同じ人と再婚し、配偶者に自分の姓を名乗らすなど、本当は選択制夫婦別姓にも賛成なのでは、と勘繰るほど。女性だからと甘えずに、女性も貢献しなければならない、という彼女の意見には賛成である。

それでも、保守議員を抱き込まないと支持を得られないのかな、、女性議員でも、男性議員に忖度するようでないと生き残れないのかなと暗澹たる気持ちに。。

 

そもそも、日本の国会を見るだけで、暗澹たる気持ちになるが。。。

歯のトラブル

月曜日に歯医者で治療してから、半年以上忙しくていい加減だった歯間ケアをまた念入りにやるようになったが、治療したばかりの歯もそうだけど、銀歯にトラブルが多いと思う。

普段は全然痛くないから気づかないのに、銀歯のところで歯間ブラシをやると痛みがあり実は歯茎が腫れていることに気づくという。。

 

なんでも、銀歯は劣化しやすいのと、機械的にも熱的にも変形しやすいことで、歯との間に隙間ができ、バイ菌が入りやすいのと、なんと銀歯そのものが歯垢が付着しやすく、プラスチックやセラミックスに比べて虫歯になるリスクが高いらしい。

 

ヨーロッパでは銀歯はなくて歯医者でも珍しがられるけど、日本では2014年まで、前歯以外は銀歯じゃないと保険対象ではなかったらしい。私は小さい時から歯が弱かったので銀歯が多い。。。

なんで、銀歯しか保険対象ではなかったんだろう。。せめて子供にはプラスチックでも保険対象であって欲しかった。

 

娘も私に似て歯が弱いが、18歳まで無料だったのでその都度治療できたのと、成人してからもその習慣が続き、今でも半年に一度チェックとクリーニングに行っており、幸い虫歯になることはほとんどないようだ。保険にも入っているので、負担も軽く済んでいる。

 

デンマークは成人すると歯医者がほぼ自己負担なので高いけど、それでもこっちのシステムの方がいいなと思う。

日本では歯が弱いのに、ケアを怠っていたし、そもそもいい歯医者に巡りあえず。

移住する直前に歯医者に行ったけど、きちんと見てもらえなくて、結局デンマークで最初にがっつり治療させられたし。

 

とはいえ、30年間の負債は大きく、今後も歯のトラブルとは付き合い続けるだろう。。。

苦難と救い

 

ウィーン出張で、去年年末から続いたイベントの嵐が終わり落ち着くかと思いきや、なんだかんだといろんなことがある。

 

1  学会終了に伴いメインのプロジェクトが終わり、やることが減ったので、プロジェクト獲得のための種まき

 

 - リクルートしてきた会社に営業

文章を考えてメッセージを送ろうとしたら、かなり前のメッセージをなんらかで見て最近と勘違いしていたことを気づいた。。同僚に言いまくったので引き返せずダメ元で送ってみたが、即座に返事がきて、もうポジションは閉じているとのこと。

 

 - 就職したばかりの知人への営業

同僚が新聞をもってきて見せてくれたのだが、なんとわたしたちが知人を介して新しく飛び込もうと思っていたビジネスは実はうまくいってないことが判明。。。あれだけ国をあげての一大プロジェクトだったのに。。。知人は採用されたばかりだし、わたしたちの専門分野で新たに募集をかけているアナウンスもみたので、まったく入る余地がないとは思わないし、コンタクトを完全に諦めるわけではないけど、成長していける見込みを失ったのは大きい。。。

 

 - 学生アルバイトの手伝いを介して、大口クライアントのプロジェクトに参加

早速学生と一緒に測定してみたら、きれいに違いが出てうまくいった。、、が、プロジェクトリーダーはその方法に懐疑的であることが判明。その説明を聞いて納得。。。学生は別の方法を模索していくという。わたしも心にとめておこうと思いつつ、その測定は時間をかけて調べてトライしただけに残念。。

ただ、別の方法は、今流行の画像処理系なので、それはそれで面白そうで、ボランティアで調べてみようと思っている。

 

2 歯医者

前回レントゲンで怪しいのが見つかっていたのだが、なかなかアポが決まらず、やっと行けた。銀歯の被せ物に隙間ができてて、そこにバイ菌が入り込み、やっぱり虫歯っぽくなっていたので治療。懸命に磨いているし、4ヶ月に一度もチェックしているけど、やっぱり古い治療の後遺症は侮れない。。。彼は、古い被せ物が割れてしまい、そこにバイ菌が入ってなんと神経も貫通するような炎症を起こしてしまい、インプラントの治療をする羽目になった。

 

3 アパートの屋根のトラブル

どうも屋根が深刻に痛んでいる可能性があり、できるだけ早くインスペクションをしなければならないのだが、このタイミングでなんと会長が辞めることになり、残りのメンバーに召集をかけた。会長が業者にコンタクトし、業者が来ることになっているようなので、おそらく何も起きてないわけではないようだが。。。

 

4 一軒家購入の可能性浮上

同僚が一軒家を売ることになり、私にオファーしてきたのだが、値段がすごくて銀行の承認が下りるかわからないけど、かなり魅力的な物件で心が揺れている。何度か行ったことがあり、ものすごく素敵な家である。

アパートもこんな状況だし、どうするかな、、、もともとシングルインカムで買ったアパートなのに、私以上に稼ぐ彼が引っ越してきて、娘も自立し、経済的にはかなり余裕が生まれ(今もわたしが大黒柱だけど、毎月一定額の家賃をもらえるのは大変ありがたい)、湯水のようにお金を使えるこの生活も気に入っていたけど、このカオスぶりも疲れてきた。。。

それに彼は一軒家に引っ越す夢をあきらめたわけではないし。いざとなったら娘も出戻りできるし。(今のアパートはもはや無理)

とりあえず見学しに行って、気に入れば銀行とミーティングするか。。

 

5 娘の学生ジョブ探し

マスターで専攻を変え、より今の専攻に合う学生ジョブを探している。夏休み中に彼の会社で募集していたが、パリから帰ってきて応募しようとしたらすでに閉じられていて、今は別の会社にアプライしているらしい。彼も知っている会社を勧めているようだ。娘はどちらかというと大企業にアプライしようとしているが、彼は規模は小さくても事業ベースで面白そうな会社を紹介している。やっぱりどこの会社で、よりも、何を経験するかの方が重要なので。。。

 

6 聖書の学び

昨日のオンラインでの学びは、ローマ書の10章で、ユダヤ人の不信仰と救いについての学びであったが、そもそも、「信じる」というのはなんなのか、「救われる」というのはどういうことなのか、という話し合いで考えさせられた。

私たちは、行いで救いを得ようとして、正しいことを追求しようとするけどそれは不可能で、自分の不完全さを認めなければならない。しかし逆にそんな不完全な自分でも受容されている、生かされていることを知ることが救いになるよね、と言い合った。

 

問題が起きるたびに、自分の無知や足りなさを認識する。

しかし、認識するまでが苦しいけど、自分って大したことないな、と認識した時に、ふっと軽くなる瞬間がある。

そして問題を乗り越えるたびに、新しい学びを得る。

振り返ってみると、私が経験してきた苦難に無駄なことは一つもない。

最中にいるときは苦しくて忘れるのだけど。

 

やっと気持ちよく走れるようになってきた。。。

日曜日に13,3kmを気持ちよく走れるかはわからないけど。。

ウィーン観光(2)

 

 

土曜日に一番古い一角を見つけ、どうせなら建物の中にも入ってみたいと、日曜日はそこにあった宝物博物館に入ったがとてもよかった。

私たちが興味をもっていたオーストリアの歴史もある程度カバーされていたからである。

 

神聖ローマ帝国初代の、カール大帝の絵にも描かれている王冠。

しかし実際にこの王冠が作られたのは11世紀だそうである。この絵が描かれたのも16世紀らしい。
 
カール大帝が戴冠式に使ったのは、これではなく伝説の鉄王冠で、なんとイエスの十字架磔で使った釘から王冠を作ったという。信憑性ないけど。しかし、カール大帝が使ってから代々受け継がれていて、今は北イタリアのロンバルディアの教会に保管されているという。
いつかミラノオリンピック会場のスキー場に行きたいと行ってて、そのついでに見に行きたいかも。
 
また、カール大帝といえば、アーヘン大聖堂を建設し埋葬されたとして、5年前にアーヘンに行った時に興味を持ったのである。
デュッセルドルフから三国境点に行った帰りにアーヘンに寄り、すでに大聖堂は閉まっている時間だったので入れなかったのだが。
 

5年前に外観だけ見たアーヘン大聖堂。936年から1531年まで、神聖ローマ帝国の皇帝の戴冠式が行われたらしい。

しかし、こうして行った先々で学んだ歴史が繋がっていくのが面白い。

 

16世紀。まだ神聖ローマ帝国が強国だった時。

17世紀にあった30年戦争のあと。スペインハプスブルグ家の支配下だったオランダが独立するなど、ドイツ内でも諸侯国に分かれ、神聖ローマ帝国の権力は失墜。

19世紀、ナポレオン戦争の後。神聖ローマ帝国の皇帝としての地位を返上し、オーストリア帝国になり、西を諦め、ハンガリーやユーゴスラビアなど東の方に権力を拡大。その結果、サラエボでの皇位継承者の暗殺が起きてしまう。

 
あと、ナポレオンと、初代オーストリア帝国皇帝のフランツ1世(神聖ローマ帝国在位の時はフランツ2世)の娘、マリアルイーザの婚姻のセクションもあり、銀で作られた赤ちゃんの乳母車を見たが、これまた、去年の12月に映画「ナポレオン」を観たのと、先月にベルギーのワーテルローでナポレオン戦争の展示を見たばかりなのでタイムリーだなーと。
 
フランツ1世の息子であるフェルディナント1世は病弱で、1848年の3月革命で退位させられたが、なんでも、父系の祖父と母系の祖母が兄弟、また父系の祖母と母系の祖父が兄弟と、両親がどちらをとっても従兄弟という関係で、近親相姦に近かったせいもあったらしい。ところが、83歳まで長らえたそうである。
 

最後にブルゴーニュ公国(ブルグンド)の展示を見た。

なんでも、ナポレオン戦争の時にウィーンに避難してきたお宝らしい。

 

それで調べていたら、なんとデンマークのボーンホルムは、ブルグンドの島という意味が語源だそうである。

ゲルマン人は北欧から大移動したというし、あながちファンタジーともいえない。

 

内容が濃すぎて、今も勉強中である。。。

ウィーン観光


 

もう6度目のウィーンなのに、彼同伴だとやっぱり発見が多い。

 

 

彼が、ホーフブルグ宮殿のメインビルディングがフランツヨーゼフ1世に関係し、19世紀に建てられたことを発見し、何気に入ったインフォメーションでHofburgの変遷を知った。

 

13世紀に建てられた最も古い建物はお城というよりシャトー。

メインの建物がそんなに新しいとは知らなかった。

 

しかし、19世紀初頭にナポレオン戦争で神聖ローマ帝国は消滅、1848年の3月革命でオーストリア帝国の先帝は退位するなど、そのフランツヨーゼフ1世も、オーストリア帝国末期の皇帝で、どおりでこのホーフブルク宮殿はハプスブルグ家の色を前面には出していないのだなと気づいた次第である。

シェーンブルク宮殿の方がハプスブルク家の華やかな歴史を見れるのかもしれない。

 

その後、シシィ博物館に行ったのだが、エリザベート皇后の人生は切なすぎる。(家族を顧みず旅行三昧)

彼は自室に筋トレ設備があることにウケていたが。

しかしもし亡くなった20年後も生きていたら第一次世界大戦に巻き込まれていたはずで。

開戦のキッカケになったサラエボ事件は、暗殺されたオーストリア帝国王位継承者は、貴賤結婚したためフランツヨーゼフ1世とは仲がよかったわけではないらしかった。暗殺されたのも、貴賤結婚の罰を受けたに違いないと信じていたと。酷い。。

 

それにしても観光客が多くてビックリ。

シシィ博物館もシュテファン聖堂もこんなに大混雑しているのは初めてだった。