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ドル円レートについて

何だかんだでインフレ圧力が抑制されている事からドル円レートは停滞。期待で上昇することから反落も早い。

 

状況を観るに自分も見落としていた点が複数あり、ひょっとすると長期的に継続、停滞する可能性が高いように思えてきた。 ただ今回はワクチンの有効性と実用性、その時期といった不透明な要素が重なっているので、いわゆる市場参加者には予測不可能な部分も多い、ということは補足させていただく。

 

大統領選後、米ファイザーのワクチンが早期承認見込みとの報道から急伸したが(9日)、労働省がCPIを公表してからは反落(12日)、23日に再度の期待上げから再び反落。 期待先行で上昇している事から反発が一過性で終わるといった小幅サイクルを繰り返しているようにみえる。期待が裏切られ、それが長期に渡ればジリ下げ傾向になる可能性である。

 

ワクチン接種は早くて来月11日から、ということだが新型ワクチンということで取扱いの面と安全性の面で漠然とした不安感も漂っている。 何より冒頭で記したインフレが抑制されている事から金利も停滞圧力にさらされており、基本的には不透明感に包まれている。

 

 

 

 

QEも手伝って短期のところでは特に顕著だといえる。リーマン時と比較すればわかると思うが、基調的な(ドル円レートの)動きを知る上で、今回カギを握るのは2年物利回りになりそうだ。

 

09年3月FOMC(17‐18日)での「事実上のQE1アナウンス」(米国債3000億ドル買い切り、18日)によってダウ平均は反発、長期上昇トレンドに入り、2年物利回りも急伸した。 奇しくも今年の(ダウ)上昇トレンド突入も、当時と同時期にあたる3月20日前後からである。定例会合は(3月)17‐18日だったが緊急会合は15日に開かれた。マーケットが乱高下にさらされ、時間が無かったからである。

 

 

 

 

定例会合2日前の緊急開催ということで頼りなさすら感じさせた。よってマーケットが反発するのに数日のタイムラグが発生したように見受けられた。そこはアナウンスに素直に反応した09年(3月)と違った点だといえる。

 

前述した労働省公表(12日)の10月CPI、そして先日公表されたPCE価格指数も停滞している。 インフレが継続的に抑制され、失業率が高止まりすればQE収束の見通しは立たない。国債利回りは停滞したままでドルに対する期待買いも一過性に終わる。

 

仮に次期大統領にバイデンが就任すれば求人があるにも関わらず感染を恐れて復職しないといった情報が横行している。トランプであればワクチンを盾に経済を回すだろう。金利の上昇は両者で異なる可能性がある。

 

まだ考えるべき点は複数あるが現時点ではこのような見立て、ということ。

ワクチンのことは金融ではなく医療の専門家に聞かないとわからない。医療の専門家ですら考えが変わる。事実がどう報じられるか、といった要素は大きい。とくに、煽り報道には警戒が必要になる。

 

 

 

 

 

 

 

本当に自粛が必要なのは、「マスコミと都知事」

ところで東京都が公表する「重症者数」のカウント方法が他の自治体のそれ(カウント方法)とは違うらしくちょっとした波紋をよんでおり、結果、マスコミが報道する「全国の重症者数」は歪んでいる。

 

まず、厚労省は「重症者カウント」の定義として

 

①人工呼吸器装着
②人工心肺装置(ECMO)の使用
③集中治療室(ICU)などに入室

 

のいずれかに当てはまる患者を重症者として報告するよう自治体に求めているが、どーしても五輪を開催したいタヌキ都知事の意向を反映して、東京都のみ③を除外し、実質上、過少報告しているということらしい。

 

(※ここでは、「ICUに入っているからといってコロナ重症者とは限らない」といった理屈は通らない、北海道・大阪府とて厚労省の基準に従っており、これが画一的な統計の取り方というものである)

 

以下は本日11月26日に報告されたもの (都庁福祉保健局で検索go)

 

 

 

 

東京都の重症者数は60名、という公表だが厚労省の全国統一集計方法にのっとれば東京の重症者は250名(11月26日)ということになる。表にあるように190名を加算しなくてはならない。(それがホントの重症者数、そしてさらには、以前お伝えしたように、これらの重症者基準も日本独自で米国や中国と異なり何とか過少報告しようとしている) よほど国民の意向、健康無視で五輪を開催したいのだろう。 

 

 

日本政府とマスコミの中国への忖度

 

そして、みなさんご存知のとおり米大統領選における偏向報道、香港での「周庭さん収監」といったことについても言及しておこう。 

 

マスコミは、さんざんあれだけ(周庭さんを)利用しておきながら、太々しく傲慢極まりない中国外相が来日するといった途端に中国忖度で一切周庭さん収監、香港問題を報じることはなかった。(まぁもともと人権意識の低い国民性だからこれも通ってしまうのかもしれないが)

 

 

 

 

 

 

もうね、都内で平然と日本の外相を前にして「(中国固有の領土だという)尖閣に日本漁船が侵入している」と言ってのける中国外相、それに対して茂木だっけ?日本で一番怒らくてはいけない立場の人がヘラヘラしているんだから救いようがない。(弱者、部下には怒鳴り散らすんでしょう?)

 

官房長官もそうで、菅政権は既にレームダックである。官房長官は以前、体温37.5℃が4日間継続した場合に(PCR)検査、となっていたところ「国民の勘違い」だと言い放った責任逃れ、厚顔無恥の人である。

 

マスコミも中国忖度で周庭さん収監を報じず、感染を煽りに煽って自粛を訴え視聴率を取り、利益しか考えてないということ。飲食店や観光業など実際にはどうでも良く、自分たちが満たされていればどうでも良いのである。(かくゆう報道ステーションは露骨に酷い、見る価値はない)

 

中国のウイルス政策(アジア侵略政策)によって倒産したサービス業の跡地を中国人資本家が買取り、そこに中国人を大量移住させ、内と外から日本を領土化する覇権列島線のシナリオに対して、日本政府はヘラヘラ対応でマスコミもそれに呼応し、米大統領選におけるバイデン押し、あるいは反トランプ報道はその象徴だが、日本政府とマスコミ(上層部?)は中国の手先とみられても仕方がない。

 

そんな中、たまたまというべきか、コロナで視聴料徴収を控えざるを得なくなったNHKが全国民に対して「TV離れ」を促進しているとの事。

 

 

 

 

TV離れに拍車を掛けるというNHKの「TV設置の申し出義務化」は、ますますTV離れを促進し、TV出演を生活の糧にしている芸能界、スポーツ界、スポンサー等をはじめとする民業全てを壊滅させるということになるのだが、

 

せっかくなので国民はNHKの助言に従いTV設置を拒否した方が良いだろう。偏向報道を見せられた挙句、受信料を搾取されるだけなので、ここまで何様的にいわれるとネットで十分ですよね。

 

自粛を連呼するマスコミだが、今、世の中をダメにしているのは地上波のマスコミであり、自粛が本当に必要な業界は飲食店ではなく、夜の街からはじまった数々の産業をダメにするマスコミならびに東京都知事である。

 

タヌキ都知事は「7つのゼロ」から「東京版CDC」といった思い付き公約まで果たす事無く、「8つのゼロ」へ。1年時間があったにも関わらず、病床を増やす対策もせず相変わらずの世間ずれしたボードの言葉遊び。

 

平然と嘘を付き、政策ゼロ、結果状況が悪くなると国民の気が緩んでいる、ということらしく、責任の丸投げである。実質的な人気取り・保身のために、東京都の貯金(他人のお金)をあっという間にバラまいたが、非効率的な使いまわしもいいところで、そこに政治家としての反省も謝罪も無く、今更ながらこの人が都知事やってるのこと自体、悪夢である。

 

 

 

 

 

周知のとおり、当ブログは「そーいうブログ」ではないが、我々にできることといえばTVを設置しない、今の時代には不要である事からそこから始めれば良いんじゃないかと思う日々です。

 

 

 

※2.失言というか本音箇所を修正。しかし皆が思っていることなんじゃ。いい加減国民は怒っている、ということです。

 

 

 

 

 

世界中に衝撃、マラドーナ死去

脳血腫の除去手術が成功したという報道を今月初めにみた矢先の出来事だった。それだけに驚き。 自宅で心不全とのことだったが、先月60歳になったばかりだったんですね。

 

アルゼンチンのみならず南米・欧州と報道が凄いみたい。自分が聞いたのはフランスだけど、イタリアスペインは勿論のこと欧州全体としてそうなんでしょうね。世界中のすべての大陸がそうなんでしょう。(極東で内向き報道の我が国なんかは除いて) 母国アルゼンチンでは国葬で3日間喪に服すという。

 

世界に衝撃、世界中が泣いた等、亡くなって改めて偉大さを実感する。よく日本では1000年に1人とか軽々しい言葉がでてくるが、そういう言葉がしっくりくる人って世界を見渡すとひょっとするとマラドーナだけとか?

 

よく考えると他にあまり見当たらない感じがする。政治経済の世界はそんなんじゃないしアートにしても世界的にいえばフラットな視点で見れるものではなく、言語の関係もあって特定地域の文化に留まる。 サッカーが、スポーツの枠組みを遥かに超えた言語無関係の世界的文化だと捉えれば尚更。

 

 

 

 

 

 

そういう世界でマラドーナは唯一無二の天才、というより神様から人類への贈り物、不世出の創造物のように映った。 このような選手が再び地上に現れることはないだろう。 

 

1986年、アステカの大地でマラドーナがW杯を掲げピッチを回るシーンは光に包まれ、象徴的だった。 永遠に生きる、とはこのことかもしれない。                                                       

                                "Diego forever"

 

 

 

 

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