ショーエイのアタックまんがーワン -10ページ目

ショーエイのアタックまんがーワン

タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

先週この件で長文をしたためようとしたけど、

文字制限でアップできませんでした。

1万6000字程度だったのですが・・・

何故だろう…

 

なのでちょっと短めにして書きます。

 

今回のハマスの攻撃はテロと表現しても良いです。

しかしテロだからハマスが一方的に悪いかというと、

そういう意味でもありません。

 

この問題をイジメ問題に絡めて考えてみましょう。

最近のネットなどでよくある「イジメ」。

直接的な暴力ではないが、

精神的な暴力という意味で認識されつつあります。

今までのイスラエルの行為は、

むしろパレスティナへの精神的暴力を

繰り返してきた事に有ります。

 

精神的な苦痛を受け続けてきて

 

特にヨルダン川西岸への入植行為などがこれにあたり、

パレスティナとの停戦合意上の明確な違反ではないが、

双方で領土問題を後日交渉するという点を利用し、

パレスティナ側の領土を

徐々に侵食していく流れでしかない点が問題視される話です。

イスラエルの理不尽な行為、特に入植行為によって、

パレスティナ側の領土を侵食した訳です。

こうした司法上の訴えも、

イスラエル政府の裁判所がイスラエルよりの判決で、

パレスティナ側の主張を理不尽な形で棄却したり、

そうした返発を恐れてモスクを封鎖したりと、

ほぼイスラエルによる「イジメ」が横行した状態に成るわけです。

そうした精神的な苦痛に追い込んだ状態で、

それに耐えかねたハマスが

暴力的な行動に訴えたという流れに成ります。

 

では…暴力を振るった方が悪いのか?

それとも暴力に訴えるまで追い込んだ方が悪いのか?

 

そういう話でもあります。

勿論、ハマスの行為はテロですが、

彼らがジハードの精神で命がけの反抗にでた点は、

理解されなければ成りません。

 

平和的に交渉を進めて行こうという過程を利用して、

相手の領土を入植行為で侵食するのは、

戦闘行為の無い侵略で、

南シナ海で中国が行う行為も同じ様な話です。

 

イスラエルのこうした行為が容認または黙認される状況下で、

中国の行為は批難を浴びる。

ある意味、中国はそういう状況の当てつけで

やっている可能性も有ります。

いわばイスラエルが原因で

国際社会の明確な不当行為に該当する

入植行為の基準が定まらないわけです。

 

更に今回の問題の焦点にも上がるガザ地区に於いては、

外部からの支援を管理する意味で、

閉鎖状態にしている場所です。

これも中国のウイグル自治区の話と比較して

考えても良いと言えます。

 

ガザ地区はそこを支配するハマスによって

確かに今回の様なテロを起こす危険性があります。

ウイグル自治区も中国にとっては同じ危険性のある場所です。

実際に情報が錯綜して

ウイグル問題は酷い状況の様に報じられるが、

現実的な報告書を吟味すると、

中国はウイグルの人の生活向上も

支援してのものであることが確認できます。

国の安全保障上の意味で抑圧している部分は、

実はイスラエルのガザ地区の話と似てはいますが、

イスラエルは寧ろガザの生活レベルを

貧困状態のまま放置している感じに見受けられます。

 

勿論、国の治安という意味での安全保障上の理由で、

対策を講じての事は批難できません。

ウイグル人がテロを起こせば、

中国も中国人(漢民族)の安全が、

イスラエルもイスラエル人の安全が脅かされる点で同じです。

 

ただ、ウイグルの人々も抑圧された状況下での生活は、

精神的に苦痛を感じるわけで、

それはイスラエルのガザ地区の人々も同じなので、

人権問題で考えると難しい話に成るのは当然です。

ただし…一般的な見識では…と、言っておきます。

 

【中国を擁護すると日本人は理解しようとしないが…】

ウイグルの問題は

一概に中国政府の抑圧が正しいとは言えません。

ただしイスラエルのガザ地区のものよりか、

現状マシなのです。

 

双方とも安全保障上の対策として、

ただ単に野放しにするわけには行かないのも事実です。

しかし中国はウイグル人の生活水準を向上させ、

経済活動による中国化の利点を実感させる形で、

暴力的な反発心を緩和させる方法を講じています。

日本やアメリカでは

この中国化を人権侵害として問題視してますが、

ここはイスラエル同様にテロ抑止という

安全保障が優先順位の上位で理解するべきなのです。

 

逆にガザ地区に対しては閉鎖状況を用いて、

ガザ地区の生活レベルも抑圧している訳です。

逆にユダヤ社会への同化という政策は寧ろないわけですが、

現状の結果として、

ガザ地区の暴力的反発は抑止出来ていないという、

皮肉な結末に発展した訳です。

 

【犯罪抑止の効果順位】

テロなどという暴力的な犯罪に限らず、

様々な犯罪を抑止する意味では、

貧弱化<恐怖<生活向上

の順位で効果が大きく変わります。

 

[貧弱化政策]

貧弱化は活動できる労力すら奪う意味で、

ほぼ人間を活発に動けない状況下に貶める話です。

勿論、窃盗などしてでも

生きて行かなければ成らない社会状態ですが、

権力に反抗するだけの気力は削がれるものと成ります。

金正日の頃の北朝鮮がこれに近い形でした。

また、ある意味イスラエルが入植行為を行う際、

パレスティナ側の人々が貧困で苦しんでいる方が、

お金を積んで土地を買うという形が成立しやすく、

そうしてパレスティナ領を削る方法も使えるわけです。

逆にパレスティナの人々の経済力が安定すればするほど、

そうした入植行為はやりにくく成るわけです。

ただし、パレスティナ自治政府が

土地のそうした売買を禁止している場合、

イスラエルの行為は不法行為に該当するもので、

こうした入植行為の正当性は無くなります。

 

[恐怖]

恐怖は我々社会にも該当する意味で言える話で、

権力による統治です。

それは法による統治も同じで、

犯罪者として罰せられたくないのなら従えというものです。

先進国では法律に逆らう行為は、

犯罪として罰せられるという恐怖心を市民、国民に与えて、

抑止している状態です。

勿論、法律に恐怖心を抱いている実感はないでしょうが、

法律で禁止されているから守るという概念が、

ここで成立します。

無論、独裁者の社会でもこれは一緒で、

より強硬な形での統治に変わるだけです。

法律に違反することは国家に逆らう事と成るわけですが、

先進国ではこの度合いが比較的寛容で、

独裁的な国家では

より厳格なものとなる違いが生じるだけです。

 

[生活向上]

先進国では寧ろこちらの度合いが強いため、

寧ろ法による恐怖心は無くなると言えます。

いわば生活が十分賄える環境下で、

あえてその生活を捨てるような犯罪に手を染めないという、

自己リスクの意識が犯罪抑止として機能する訳です。

言い方を変えると個々の自己制御力によって

社会が安定した状態で維持されるという事です。

 

今、普通の生活が出来る状態で、

あえて犯罪を犯すリスクを取りますか?

 

いわば一番自然な形で自己抑止が成立する状態です。

勿論、脱税とか着服という欲望を増幅させた犯罪は、

むしろ抑止しにくい環境に成るでしょうが、

安全保障上の殺人、暴力という行為は、

かなりの意味で抑制されます。

逆に生活力の低下は犯罪を産む訳で、

生きるためのリスクが

刑務所に入っても変わらないとなれば、

自己制御する意識も低下する流れに成ります。

これが貧弱な生活に成ってくると、

生きて行くリスクと死ぬことの狭間にまで落ち込むため、

そうした暴力的な反抗が組織されやすくなるのです。

 

まあ、長くなるのでここら辺で〆ますが、

いわばガザ地区の人々が豊かな生活を送れるように、

イスラエルがもっと配慮して考えていれば、

ハマスの行為はガザの市民から

正当化される状態に成らなかったという事です。

逆にガザの市民が貧困な状態で放置される故に、

ハマスの行為は正当な反撃行為として、

かれらから支持されるわけで、

ハマスに人的なサポートをする人も多く出るわけです。

 

なので…全ての元凶は、

イスラエル政府の人道を考慮していない政策が、

今回の悲劇を齎した結末で、

イスラエルの国民であり、ガザの市民は、

その失政の犠牲となった形ということで伝えるしかないと言えます。

 

古い時代の政治理論と違って、

既にグローバリゼーションのよる

世界経済底上げの効果で、

実は何が戦争やテロ、または犯罪抑止に効果的なのかは、

実証済みの状態にあるわけです。

 

バイデンの様な無知な人間では、

人類社会の進化の流れに全くついてこれてないだけなのです。

これはイスラエルのネタニヤフも一緒。

日本の政治家のほぼ9割、欧米の政治家も7割が、

人類社会の進化に無知なまま、

古い体質でおごっているだけの馬鹿なのです。

 

彼らではこうした戦争を止めるどころか、

より過熱させるだけなのです。

それで平和とか人道とか、

口だけで言っていて済まされると思っている。

結局はダブルスタンダード。

イスラエルは良くて、ロシアはダメ。

同じ流れでロシアがあえて国連で皮肉っているだけの事を、

ロシアのダブルスタンダードだと逆に皮肉る始末。

 

正直、今回のイスラエルの件で、

世界中にバイデンの無知さと偽善性が露わにされた話。

今更どうあがこうが、

世界中は表立って言わないだけで、

アメリカの信用はがた落ちです。

 

アメリカの掲げる自由と正義とは、

 

自由は人々の尊重の上で成り立つもの。

他人の自由を尊重することで、自分の自由は干渉されない。

そこに個人個人の自由が成立するのです。

これ国連の内政不干渉も

ある意味国家同士の尊重に成るわけです。

キリスト教が主体の欧米に言うなれば、

「自分を愛するように他人を愛せ」

とは、正にこの自由を意味する哲学に成る事を、

よく理解して学ぶべきなのです。

 

正義とは公正明大な判断にこそ正当性が与えられる。

理不尽なご都合主義で善悪を語るだけの人間に、

正義を論じることは出来ず、

全てが自分の都合の偽善でしかないのです。

公正明大さの欠ける偽物の正義では、

それに反抗する側にも正義が成立し、

双方は議論することなく戦いで決着をつけるしかなくなる。

公正明大であればその正義に反抗する者は大義を失い、

自然と勢力を失っていくのです。

そしてその正義を

公正明大なものとする為の議論は奨励されるべきで、

議論で決着がつくのなら寧ろ戦いによる犠牲は必要ない。

孫子の兵法で言うなれば、

「外交を最上の策とし、戦争は最終手段であるべきだ」

という言葉の神髄は正にここにあるのです。

 

こういう事すべて理解しないで政治をしているから、

戦争はいつまで経っても無くならないのです。

 

平和を論じるのなら、

先ずは戦争に成らない形をよく考えるべきで、

戦争をするのが平和を乱すと言っている時点で、

人間を知らない無知の言動でしかない訳です。

 

戦争になれば…

イスラエルの人々はハマスの行為を許さない訳で、

ガザの人々はイスラエル政府の行為を許さない。

戦争の恐ろしさは

犠牲に成った人の話よりも、

寧ろ生き残った人達が抱える怨恨が根付くことに有るのです。

この怨恨が再び戦争の火種となる。

これらを終わらせるには、

双方に新たな生活とともに未来に希望が持てる生活を

与えることでしか解決しないのです。

 

 

どうも…ショーエイです。

最近外食でラーメンの値段が上がりました。

既に1000円に近づいてます。

色々増量して満足するには1500円です。

 

何気に今までのサラリーマンは、

昼食などの小遣いが1000円あれば十分と言われてましたが、

今の時代では寧ろ2000円無いと厳しいのかなとも思います。

 

こうした生活出費に関してですが、

人それぞれに違うと思います。

 

間抜けな政治家は最低時給を倍増する事に踏み切れません。

何故なら物価がその分上昇するから、

国民生活がどういう形に成るのか予想できないからです。

この予想できない事が間抜けなのでも有りますが…

 

では…簡単に計算してみます。

現在7イレブンなどの店舗に貼られた募集広告を見ると、

都内の日勤で大体、1150円です。

8時間労働で計算すると…9200円程度…

これで1日の生活出費が2000円位…

もっとサバを読んで3000円としたら…

1日6200円余る計算に成ります。

勿論この6200円から

家賃やら光熱費、携帯などの支払い分を蓄積する訳ですが…

 

この時給を倍の2300円にしたとします。

一日で18400円の収入に成ります。

その分、国全体の物価も上昇し、

仮に1日の生活出費が6000円になったとしても、

1日12400円も余ります。

ここで家賃などの蓄積分を考えても…

十分にお金が余る計算は見えてきます。

 

ハッキリと言います…

これ凄いサバ呼んでの計算です。

100円の物が200円に成った状態での計算とも言えますが、

この最低所得倍増で

物価がいきなり倍に成ることは無いわけで、

恐らく100円の物が150円、

1000円のラーメンが1500円に成るところで調整できます。

 

こうして考えると庶民の生活余剰金が

如何に増えて、そこからより物が売れやすい状態に成るか…

まあ、アメリカを先例に見れば明らかと言っておきます。

 

日本人の政治家や官僚はバカなので、

経済はもっと複雑な要素が絡んで、

そんなに単純に上手くは行かないと反論するでしょう。

 

でもね…ここでの計算は物価が倍に成ってもの計算だから、

むしろ複雑な要素を絡めて考えたら

実際に1.5倍上昇でも本来は問題なわけで、

先ずは1.2倍くらいで調整して

経済状態を見る感じが適正になるのです。

 

1.2倍で物価上昇率20%ですよ…

それで国民の生活水準は倍増できます。

 

寧ろ最低所得だけを上げて様子見して、

その後、中高所得の賃上げという流れなら、

自然と無理ない形が成立します。

 

今、アメリカはインフレ問題で色々悩ましい状態だが…

最低賃金倍増はアメリカの生活を大きく豊かにしました。

アメリカはそのバランスをどこで調整したら良いのか、

全く解らなくなった状態と言っておきます。

 

まあ、前例のない方法を行ったから仕方ないですが…

 

この倍増する方法は20年か30年に一度だけのもので、

そこからは物価の上昇を抑えて

安定させねば成らない作業に成ります。

寧ろ賃上げに応じる形は暫くは抑えるのが賢明です。

 

低所得層の賃金が上昇することで、

経済は一気に加速します。

商品の在庫も追いつかない現象が起きて、

それに対応しようと各企業は奮闘するでしょうが、

実はその状態が長くは続かないのも事実です。

 

この加速期としますが、

この加速期に生活必需品以外は

ある程度在庫が足りない状態で回して、

緩やかな消費を促せるかが、

末永く続く良質経済を維持できるのか鍵と成るわけです。

 

逆に論理的に考えてみましょう。

加速期に一気に消費に対応しようとして、

人件費を含めて設備投資をしたは良いが、

加速期が終わったとたん、

消費が一気に冷え込むと、

増強したものは今度は無駄に成るわけです。

それでリストラなどが発生すると経済は再び冷え込みます。

 

企業は稼げる時に稼ぎたいと考えるのは当然です。

そして現在でもこういう企業こそ優良という評価で、

寧ろ在庫が追いつかないでいる企業は悪質と評価します。

 

こうした見識が結局は不況を招く要素にも成る為、

世界全体の経済ヴィジョンに

もっと長い目で見れる教育を施さねば成らないのも事実です。

 

かと言って在庫が追いつかない状態を

丸々放置するのも競争力の意味で問題にもなる為、

この辺のバランスを調整するのがまた難しい話ですが・・・

 

欲しいものが買えるから需要が伸びるわけで、

欲しいものを我慢する状態は需要が伸びません。

日本は先ずここを考えるべきです。

また人件費が高騰すると

産業の国際競争力に影響するなんて考えてるでしょうが、

 

いつまで中古品を売る経済理論にしがみ付いているのか?

 

と、いう話です。

新しい技術の新製品なら単価を上げても

商品価値は保証されます。

プレステ4が4万円で、プレステ5が7万円。

それで実は問題無いのです。

これを4万円台にしなくても、

需要が7万円の物に手が届く状態に成れば、

7万円のままで売れるわけです。

 

日本は国際競争力で低価格を未だ売りにしようとしているが、

結局は人件費を抑えている分、

新たな産業が伸びません。

いわば優秀な人材が

海外に引き抜かれる状態に成っているのです。

 

また2次産業主体から、

3次産業主体の経済に成っている事も

そろそろ気付いた方が良いのでは…

米国もそうだが、3次産業主体の経済では、

国内の需要の活性化こそが経済を円滑に回す基礎に成るのです。

 

既に米国の経済理論はこういう事にシフトしてます。

これ…現代の成功から見えた新しい理論です。

日本では未だ浸透しておらず、

旧世代の経済理論が知識階層に蔓延しているため、

全く遅れた考え方のままなのです。

 

情けない国ですね。

バカと馬鹿にされて腹立てても、

所詮はバカなのだから、

寧ろ悔しいなら改めなさいと言うしかないです。

 

最低賃金倍増の手段を日本は1度使えるわけです。

こんな手段を使えない時点で、

馬鹿にされて腹立てても、

何の進歩もない馬鹿のままという話です。

 

また後日書くと思いますが、

色々な情報が錯綜する現代社会、

知識だけで考えている人間は、

何の本質も理解していません。

 

六法全書にある法律の条文、

知識量で言えばかなり凄いレベルです。

しかし、法の基本原理を3つだけ理解していれば、

実は全部覚える必要性もないのです。

 

①人を殺しては成らない。

②人の物を盗んでは成らない。

③争いは起こしては成らない。

 

法律は全て3つの要素から成り立つもので、

逆にこの3つの要素に絡む内容のものは、

現代の法律にほぼ記載されています。

仮に存在しないものは立法によって

法文化するものとして扱われます。

 

いわば法律の文章をすべて知らずとも、

法律構成の要因となる出来事は、

すべて社会秩序を乱す行為と考えるべきなのです。

 

因みに人権侵害などは②に該当し、

他人の権利を盗む、奪うという意味合いで、

侵害する事に成ります。

 

①は解りやすいですが、

安楽死の権利や死刑制度を考える中で議論の対象に成ります。

 

②は詐欺行為や強要行為など、

人を欺いたりすることも対象になり、

全ては他人の権利を強奪する意味で成立します。

 

③は契約等の権利保護に該当する部分で現代は扱われます。

かつては権利問題などで①②に至らないまでも、

喧嘩等の暴力沙汰に発展し

秩序を乱す行為に成る扱いでした。

秩序で裁ける状態ならば、③で問題は処理できるが、

秩序で裁けない状態では、②①の問題に発展する流れです。

現代では民事訴訟という形が一般的な要素になります。

そして争いごとを法的に整理する意味で、

事前調整の意味で契約締結によって基本保護される部分です。

 

いわば…3つの法律要素だけ知っていれば、

大体の問題は理解できるという事に成ります。

逆に公正明大に裁く意味でも適切に処理できるのです。

難しく多種多様な法律文章を引き出さなくても、

論理的かつ合理的に説得力ある判決を導き出せるという事です。

 

逆に寧ろ法律用語の知識に頼って考える方が、

合理的かつ論理的な裁きが出来ないのも事実です。

 

まあ、これ戦争の話でも同じな訳で・・・

 

戦争行為が①、侵略侵害行為が②

では③はと言うと…外交上の争いな訳です。

 

NATOとロシアの境界線を巡る争いは

ウクライナを巻き込んで行われたわけで、

③が発生するいわば約束の反故は、

NATOが起こした話に成ります。

 

その後、②と①の問題が発生した訳ですが、

③の問題の発生が無ければ②と①は別な意味で裁けただけ。

③の争いに発展する要素を引き起こしたことが要因と成る為、

国際秩序の関係性から相互の信頼を喪失させた側の責任が、

自然節理の裁きとしては明確に伝えられます。

NATOはロシアとの間の暗黙の話であっても、

東欧への拡大は争いの引き金と成る事を理解するべきで、

ウクライナ情勢以前からこの行為を加速させていた。

ロシア側は寧ろ譲歩してきた形になるが、

結果としてNATOの東方拡大はロシアの権威圧迫を目論み、

間接的な内政干渉にも発展し

ロシアに対して②を侵害しつつある行為と見なされるため、

NATOの一方的かつ悪質な行為が

今回のウクライナ問題へ発展した事と成るのです。

 

現状、中国への内政干渉も②に該当する行為で、

最終的な①の戦争行為への発展にも繋がる為、

本来国際秩序を円滑に維持する意味では、

欧米の行為は悪質なものとして裁かれなければ成らない。

 

結局、これらが悪質であるにも関わらず、

理不尽な形で修正されないのだから、

悪質な行為を受けた側は

①の戦争行為という手段で対抗するしかなくなるのです。

 

欧米がキリスト教徒主体であると見なして伝えるなら、

ここに記した裁きが天の裁きであり、

そこに天罰が加わる場合、

これは核戦争という結末を齎すのだと理解するべきです。

 

キリスト=ジーザスの言葉を哲学の要素として理解するなら、

「自分を愛するように、隣人を愛せ」

とは、正に欧米とロシアや中国の話にも成るのです。

 

と、実は難しい論理や文章で考えなくても、

法の基本原理というか秩序維持の基本原理を理解すれば、

問題の本質は見抜けるという話です。

因みにこの法の基本原理は漢の高祖劉邦が

秦の咸陽に侵攻した際に記した内容の物です。

史記を記した司馬遷はこれを馬鹿にして書いたようですが、

司馬遷が馬鹿だっただけで、

実はとても合理的な内容であった事を

知っておくべきと言っておきます。

 

経済学に於いても、基本要素は需要と供給のバランスです。

寧ろ無駄な経済論は必要ありません。

 

金利の話にしても、

いわば銀行の利息に直結する需給バランスで、

利息が高ければ借り手が減り、

利息が低ければ借り手が増えるだけの話です。

これを無駄な経済論が邪魔をして、

金利を上げればインフレを抑えられると思い込んでいるのです。

 

逆に先にも話した様に物品販売の需要が高まれば、

製造供給は在庫を増やして対応し売りさばこうとするわけで、

これが要因で工場の増築、人員確保に結びつき、

金利に関係なく設備投資名目の

借り入れが増える状態に成ります。

 

米国が政策金利を上げてもインフレが止まらないのは

当たり前の話です。

むしろ経済が何かの原因で突発的に冷え込んだ場合、

この金利が足を引っ張って設備投資した経営を圧迫し、

悪い方向に加速させる可能性もあるわけです。

 

旧世代の知識層はここで困惑して留まるだけです。

と、言うよりも…

彼らは学者でもなく、研究家でもない、

ただ単に色々勉強しただけの人たちなので、

無理もない話ですが…

問題なのは自分たちが良く知っていると勘違いしている事です。

彼らは新しい流れに関しては無知に等しい事を、

ちゃんと理解して

本当に森羅万象を知る人の話に

耳を傾ける様に務めるべきなのです。

 

どうも…ショーエイです。

ウクライナの根本的な問題を多くの人が勘違いしてます。

何故…イーロン・マスクが

スターリンクの使用でああいう態度に出たのか…?

根本的な理由を知っていれば、

彼の行動は妥当に感じるはずです。

 

その根本的な理由とは…

 

情報を知らない人たちは、

ウクライナがNATOに加盟していないから

ロシアが侵攻してきたなんて

平和ボケした形で理解しているでしょう。

そもそもが逆です。

ウクライナがNATOに加盟しようとしたから、

ロシアは戦争を起こさざるを得なかった訳です。

寧ろウクライナでNATOに加盟する議論すら無ければ、

ロシアは戦争を仕掛ける事は無かった訳です。

頭の悪い人たちは、

相手のリスクテイクの度合いを計りません。

リスクテイクとは…

ロシアにとってどういうリスクが有るかです。

 

先ず、欧州がNATOの拡大をせずに、

平和的な関係をロシアに求めていた場合。

ロシア経済の発展を考えれば、

欧州とあえて揉めるような軍事行動は

無駄なリスクに成ります。

なのでこの時点では平和>戦争に成ります。

 

逆にNATOの拡大が鮮明に疑われる場合、

ロシアにとってのリスクは…

ロシアの影響力の低下です。

また、欧米の中国へ対する態度などから、

欧米のロシア内政への干渉の強化が疑われます。

ロシアの独立性でありロシア中国としますが、

彼らの価値観の保持と影響力の保持の意味では、

自国の経済活動の保持とで

天秤に掛る事態と成るわけです。

その中で、対欧米>経済維持という意味で、

自国のアイデンティティ優先で思考が働くのです。

 

故に戦争>平和という図式に成るのが

当然の流れです。

 

勿論、米国務省の人間が

この図式に気づかない方がオカシイ訳で、

この図式が成立するような外交を行う場合、

偽計としてロシアを嵌める形が見えてくるのです。

今、現状の状態に嵌めたかったから

そういう流れに導いたという話なのです。

 

なのでここまで計算できる人からすると…

最終的にアメリカ・バイデン政権が中心と成って

NATOと吊るんでロシアを挑発したという事を理解します。

 

いわば…どうして意図的に

平和を破壊する方向へ導いた人間を

指示できるのかという話に成るのです。

実際の戦争(戦闘行為)を仕掛けたのがロシアだから、

ロシアが悪いと言っているのは…

平和を維持する意味すら理解できない人たちの、

愚かな見識でしかないという事なのです。

結果…ロシアを批難しても戦争は

既に1年半以上も続いている訳で、

落としどころも見えない状況に変化は有りませんよね。

野球やサッカーの試合の様な感覚で、

ウクライナを応援したところで、

戦争で死ぬ人は増えるだけです。

 

それで…ウクライナを支援しましょう?

フザケルナ!!

 

先ず、バイデン政権に地獄を見てもらって、

この問題の責任を取らせた方が、

終戦に近づくのではという感じかも…

 

では…世界的なリスクで考えた場合、

国連の常任理事国として

ロシアと中国の価値観で賛同が得られない状態は、

平和的にリスクなのか?

 

アメリカが戦争をしたいという意思に対して、

中露はNOを言います。

米国が中露を説得するだけの材料がないから、

中露はNOを言うとも考えれば、

それはそれで戦争と言う手段を遠ざけれる。

かと言って…人権問題で考えると…

 

調査不十分な状態で

米国の戦争を指示する方が平和的なのか?

戦争と言う手段は安易な方法で、

疑義の有る政権を打倒できます。

しかし…戦争で被る被害を考えると…

その手段の人権問題は考慮されません。

これで人権問題が解決するの?

アフガニスタンの様に

タリバンに政権が戻る事態が発生して、

結果、戦争被害の人権は…

 

まあ、アフガニスタンに関しては

アメリカとしてはテロ組織壊滅に繋がったので、

あの戦争は戦争で米国の安全保障という意味で、

大事だったとも言えるので難しい話ですが、

では…イラクは?

米国では無いにしてもリビアは?

 

戦争を安易な手段として認めない状態の方が、

国際的に平和を維持する意味で良いのではという話です。

なので…中露を説得できなければダメでも良いわけだし、

中露を含めて

もっと建設的に平和維持の議論を深める方が、

国際社会が団結しやすい状態に成るのでは…

グローバル化によってそういう関係性の構築も、

ネットや文化の繋がりで新世代の価値観の共有も、

出来る時代が来ていたのに…

 

平和ボケしている人たちは、

情報の裏側を理解すらしてません。

いわばウクライナで起きた2014年のマイダン革命。

この裏でNATOとロシアの駆け引きが生じていた訳で、

ロシアは大統領選の再選挙の前倒しという形で、

実は欧州側と調整していた訳です。

それを覆して革命を扇動する形が伺われ、

欧州側がロシアを出し抜く形で

当時のヴィクトル・ヤヌーコヴィッチ大統領の追放を認めたた為、

欧州いわばNATOとロシアの戦争の火蓋が切られたわけです。

 

この流れでロシアはクリミア半島を抑える形で

対抗した訳ですが、

欧米はこれに対して経済制裁を用いて

より事態を悪化させました。

 

そもそもこの2014年の出来事の時点で、

戦争に発展しない選択肢は十分にあったわけです。

 

そこでロシアは経済制裁に対して

ドンパス地区の問題を切り出します。

 

ここでミンスク合意成るものが出てきますが、

この合意の成立で

お互いが一旦は緊張状態を解こうという

試みでもあったわけです。

 

しかし…ゼレンスキーがこの合意を認めず、

米国のバイデン政権もその姿勢を擁護したから、

ロシアとしてみれば結局は戦争状態の継続・・・

いわば冷戦時代をぶり返す流れと言う形で、

雌雄を決する覚悟を決めた訳です。

 

さて…戦争に発展させない選択肢があったにも関わらず、

結局は戦争に発展する選択肢で

事態を悪化させた馬鹿は誰かという話です。

 

アメリカ一強で

ローマの様な支配拡大を指示する方が平和なのか…

それともアメリカが盟主という立場で、

中国やロシアも含めて、

世界全体を調整して纏める方が平和なのか…

 

ただそれだけの違いです。

現状、ウクライナを指示する人たちは、

アメリカ一強の

ローマ支配を指示している様なものであることを理解して、

この問題を考えて欲しいです。

 

まあ…中国が嫌い、ロシアが嫌い。

1980年物の残飯…

いわば冷戦時代の先入観が先行する世代には、

理解することも無理な話なのでしょうが…

結局は、この旧世代の残飯が

戦争を引き起こしているに過ぎない事を

理解して見ても良いのではと思います。

 

日本のメディアまで揃って残飯脳みそだから、

事態を悪化させる事しか考えないのです。

 

彼らは臆病すぎるのです。

価値観が違う人を信用できない。

 

でもね…自由を守る意味では、

価値観の違いは許容して認め合うことが大事です。

その上で自己の権利は主張して、

お互いの権利が尊重されるように調整するのが、

自由を守る交渉でありネゴシエーションなのです。

 

国連には内政不干渉があります。

これは国同士の内政問題は

タッチしないようにという意味です。

いわば各国の内政はその国の権利として

自由が保証されています。

それに触れて内国の政治範疇で制裁を行うというのは、

すでに間接的に内政に干渉する行為に成るのです。

こういう行為が不当に成らない時点で、

平和は訪れません。

 

勿論、国連憲章には人権保護も存在します。

ただしウイグル問題の様にテロ行為を行った事実と、

それを内政問題で対応する中では、

様々な行き過ぎも発生する訳ですが、

そういう中で国連憲章の人権問題上で、

中国側と調整して行かなければ成らない訳ですが…

強引な経済制裁をチラつかせるアメリカの様なやり方で、

中国側が素直に応じる事は考えられないのも事実です。

 

まあ…交渉内容も米国は人権問題ばかりを挙げて、

中国側のテロ抑止という

内政上の治安維持の点を理解しようとしない事から、

平行線しか辿らない交渉でしかないのも事実です。

 

で…こうしてお互いが喧嘩腰になる状態は…

平和的と言えるのか…

それとも最終手段の戦争へ向かう流れなのか…

 

合理的に考えればバカバカしい話と成るわけです。

 

イーロン・マスクが合理的に平和を考えるなら、

恐らくこうした詳細は理解している訳で、

彼の行動は

不合理な世論を皮肉っているという事なのでは

という話です。

 

 

どうも…ショーエイです。

最近、世界情勢に関する内容を伝えてませんでしたが…

まあ、中心はウクライナ情勢なので、

その状況を観察していたからと言っておきます。

 

ロシアが優勢かウクライナが優勢かで、

色々と変わるので…

 

【ウクライナ情勢の真相】

日本でのニュースのほぼ8割が米国政府からのデマです。

と、言うのもバイデン政権は大統領選も見据えて、

ウクライナで失態を犯せなくなっているからです。

なのでウクライナ劣勢という情報は決して流しません。

 

8月初旬にはウクライナ劣勢が少し報じられてましたが、

国務省やネズミ男ブリンケンが顔を出して否定した事で、

情報はほぼ太平洋戦争終戦間際の日本状態になってます。

 

確かにロシアの兵器より西側の兵器の方が性能は良いでしょう。

暫くの間、その性能差が実際にどういう影響になるかを、

傍観していました。

結果としていえば、さほど大きな変化は生じないという事です。

兵器の性能の差と言っても、米国とイラクの差と違って、

戦術戦略的にはさほど差がない程度と先ず伝えておきます。

兵器オタクはこの差を、

前述の米国とイラクの差のような雰囲気で伝えるのです。

寧ろ性能面で優位性があるから、

ロシアの兵器を撃ち落としたり破壊できるのは当たり前なのです。

一般の人はここの部分を先ず考えるべきです。

 

この当たり前な状況でウクライナ軍の進行が遅いのは、

寧ろその差が際立って僅差だからと考えた方が良いです。

 

【実は激戦という激戦はウクライナ側の表現】

スポーツの世界ではホーム&アウェイが言われます。

スポーツだと声援が影響する部分で伝えられますが、

戦争では寧ろ地の利が影響します。

 

戦略、戦術を良く知る米軍などの実務者の方がたは、

既にホーム化したロシア占領地域に

ウクライナ軍が突入する部の悪さを理解してます。

どれだけ最新鋭の兵器を用いたとしても、

この状況を打開するのはかなり難しいことは周知の上です。

そして一番恐れられる事は、

この戦闘でウクライナ側が大きく戦力を喪失する事なのです。

 

米軍の参謀本部は当初、

このウクライナ軍の攻撃を無謀とまで伝えて

阻止しようとしたわけですが、

ブリコジンの騒ぎが逆に功を奏して

ウクライナ軍はまんまと誘い込まれたわけです。

 

何が功を奏したのか…

バフムートでのブリゴジンの発言の数々を、

実は米軍参謀本部はロシア側の挑発として警戒していた訳です。

寧ろ当方もその可能性を考えて傍観していた訳ですが、

以外にガチな話だった。、

まあ、ブリゴジン氏が意外にこまで戦略戦術に疎い人間とは

思ってもいなかったのですが…

ただ・・・この意外なガチだったことが

寧ろロシアに思わぬ展開を齎したのです。

思わぬ展開はブリコジンの反乱では有りません。

思わぬ展開とは米軍の危惧していた点が、

逆にウクライナの反撃チャンスを失わせたと

ウクライナ軍内部で評価されたことです。

 

まあ、戦場ではよくある仲間割れみたいな現象ですが、

米軍参謀本部の慎重なアドヴァイスが

仇と成ったという感じにみられたことが

ロシアの幸運に成ったのです。

 

ウクライナ軍は米軍参謀本部のアドヴァイスが

慎重すぎるという点を、

米国務省…いわばブリンケンの馬鹿を通じてバイデンに伝え、

逆に強硬派の英国軍参謀の見解を

重視する形に変更した訳です。

なので…ウクライナ軍は反転攻勢に出た。

 

【ウクライナ軍が見落としたブリゴジンの発言】

ブリゴジンはバフムートから撤退する際に、

ロシア軍が地雷を配置して

自分たちの撤退を阻止しようとしていた事を伝えてます。

 

これ、あららブリゴジン

一応、御冥福をと伝えたところで…

意外とバカだったんだねという内容に成るわけですが…

ロシア側的にはそこを言っちゃダメでしょという内容なわけです。

いわばロシア側が

ウクライナ軍の反転攻勢を誘っている状況を

バラすような内容だからです。

いわば…ここで

本来は米軍参謀本部の慎重策の目論見通りだったわけです。

しかし、米軍の慎重策はこの時点で信用を失った形になり、

この些細な出来事も、

ウクライナ側は単なるロシア軍の統率不備な状況で

片付けた訳です。

 

ニュースでもそういう伝えかただったわけです。

 

功を焦るバイデン政権とゼレンスキー政権、

こういう心情の政治状態では戦果というより、

政治的な成果がほしいわけです。

なので反転攻勢に踏み切るわけです。

 

ブリゴジンの失態が有る無しに関わらず、

時間の経過で結局は同じ結末に成ったわけですが、

事件によりその流れが早まったというのが実情です。

 

【9月に入る現状の戦況】

戦術的な形を見れば…

いわばウクライナ軍がどういう攻勢を

仕掛けているのかを確認できれば

おおよその作戦は見極められます。

 

まあ…ミリー統合参謀には申し訳ないが…

ちょっと言っちゃいます。

 

ウクライナ軍の南から東上する作戦は、

現状頓挫状態にあります。

その為、中部(ドニプロ)方面から

南下する形の作戦に踏み切りました。

ドネツク方面の南下する形と合わせて

補給線を共有しやすい形にしたと思われます。

ロシア側は南からの東上する部隊の補給線が

海上輸送を用いることを既に察して、

海上封鎖に踏み切ったためです。

これが結果として穀物安全輸送の停止に繋がるわけですが…

 

ウクライナ軍がこの状況を打開するには、

中部から南下する形に見せかけた、

東上からの奇襲作戦を用いる事です。

 

いわば南下する部隊を東上する部隊と合わせて、

一気に西からメリトーポリに向かってブリッツを仕掛ける。

その際に、南下部隊は捨て陣を敷いて、

突如移動する形が見られますが…

実はブリッツを仕掛けようにも地雷原が多すぎて無理。

ここも米軍は把握している状態な訳で、

寧ろ捨て陣を空城の計として

ロシア軍をおびき出す形で

一矢報いる作戦を考えたのかとも思われます。

 

いわばロシア軍も以前ルハンシクで

ブリッツ攻撃(一気に突撃する攻撃)を食らっているので、

どこかでこれが起る恐怖感は有るわけです。

なのでメリトーポリ急襲は

最終的にロシア軍の急所でもあるため、

これを警戒せざるを得ない。

その為、南下していた部隊が消えたと成れば、

焦りを生じさせ部隊を東上方面に動かしたりと、

困惑する可能性が高いのです。

 

この流れで考えれば、

寧ろザポリージャ防衛方面が困惑する形が考えられます。

 

そこを付いて東上方面と合流するかに見せていた部隊を

実は伏兵として南下のまま残していたとするなら、

南下してザポリージャを狙う方は一時的に戦いやすくなる訳です。

この動きを連発して見せる事でも、

ロシア軍は何時来るかで困惑する事が考えられます。

 

いわばこの形は

孔明が五丈原で用いた形に近いと言えますが、

逆に仲達の様に動揺せずに現状をしっかりと守られると、

実は多勢に無勢で膠着することになるのです。

 

まあ、ウクライナ軍としても

これ以上無駄な損失は避けたいだろうし、

ロシアとしても現状維持を暫く続けて、

ウクライナ軍をジリ貧させたいわけなので、

戦場に於ける人命という観点で考えるなら、

その膠着状態を維持する方が、

双方にとっても望ましいと成るわけです。

 

多分、ミリー氏が統合参謀本部議長としてやれる

最後の仕事に成るわけですが、

ウクライナ軍が気付いて戦力維持に努めるのか、

それとも政治的成果を焦る愚か者に従って、

更なる犠牲を強いるのか、

この選択肢を与えた形と言っておきます。

 

因みに今の布陣で内陸方面を固める状態は、

ロシアが攻勢に転じた場合に

ウクライナ軍としては守りやすい形であることは言っておきます。

 

兵器兵器と言ってますが、

兵器の性能差はそれほど問題では有りません。

結局は双方の兵器をどう配置してどう戦うかで、

そこは埋まってしまうレベルなのです。

それを軍従事者は良く知っている訳で、

米軍もイラクやアフガニスタン相手に

相応の犠牲が生じた点で理解してます。

いわばイラクやアフガニスタンは

ロシアのそれより遥かに劣る状態の戦争だったわけですから。

 

それを政治家は全く理解せずに、

少し優秀な性能を保持しているから

圧倒出来ると考えるわけです。

 

ドローンや無人機も今ではロシアも生産し、

多用している状態に成ったわけです。

いわば優位性は一瞬だったわけです。

 

【ブリゴジン氏の暗殺に関して】

実はプーチン大統領の恩赦が有ったのは事実でしょう。

本来は殺さない方針だったように見えます。

しかし、軍部の要請によって黙認したかたちです。

恐らく恩赦の条件は、SNSでの発言の規制。

それを破った事で軍部が

プーチン大統領に擁護することを断念させた。

いわば軍部としては現状で統制不備が生じてしまう事。

プーチン大統領としても

ここが正念場であることは理解しているため、

軍部の要請が妥当と考えるしか無かったのでしょうね。

 

勿論、彼はその点で責任逃れはしません。

誰が見ても彼の仕業という事は感じられるからです。

 

暗殺を悪とするのは道徳的には理解できるが、

戦争の勝敗に関わる事になると、

実際にはその道徳なんて思考は何の役にも立ちません。

西側の人間は道徳的に

プーチン大統領を悪の権化として伝えますが、

それで戦争の問題が解決するかと言うと、

解決しません。

 

戦争が起こる理由の根源は

人間同士が喧嘩をすることが根本的な理由です。

喧嘩はなぜ起こるのか…

ここを先ず考えるべきです。

喧嘩は主張のぶつかり合いと、

もう一つは自尊心のぶつかり合いです。

 

人間だれしも自分が正しいと信じて生きている訳です。

もし自分の正当性を信じられなくなったら、

その人は死にます。

いわば自分は生きていてはいけない人間と

認めた時だからです。

 

この自尊心のぶつかり合いは、

主張の違う誰かを悪とし、

自分を正義とする形でほぼ人類は教育されます。

 

お互いに正義と悪の概念で、

主張の違う相手と向き合えば…

 

法律上なら裁判という形にも成りますが、

争論、紛争という形のいずれかの喧嘩に発展します。

 

道徳という概念が齎す副作用とも言うべき現象です。

 

【法は道徳とは別世界であることを知るべき】

日本では法と道徳を一体化させる傾向があって、

本来の法の趣旨は守られません。

民主主義に於ける法の基本理念は

個人の権利を保護することに有ります。

 

裁判官に認められている

心象なんてものは道徳的な概念で判断できる事を意味する為、

実はその印象で人の権利を踏みにじる事も有るのです。

 

権利喪失によって社会に怒りを感じて

悪態をつく人は印象は良くありません。

故に彼は嘘を付くようにも見えます。

しかし、その根本は何らかの権利を損失したからで、

その権利の正当性を理解せずに、

なぜ彼を悪人と決めつけられるのか?

 

これが内国の政治で治まる場所なら、

不当でも裁判の判決でおわりになる。

勿論、そういう人が社会的暴走に走り、

本当の犯罪に走る事は抑止できませんが…

 

逆にこれが国同士なら、

国際法が効力を発揮する範疇ならともかく、

その範疇から外れたら、

戦争に発展する訳です。

 

自尊心のぶつかり合いとは、

双方が自己の正当性を曲げない戦いなのです。

そこに緩和剤を投入できる唯一の処方は、

共存する事の理であり、利を解くことのみなのです。

 

先ず、戦争の根本的な理由は、

全てが自尊心のぶつかり合いで有ることを理解しましょう。

 

バイデンやブリンケンの様な低俗な発想で、

誰かを悪者に仕立て上げる幼稚な思考では、

自尊心のぶつかり合いが齎す紛争を

先ず解決できないのです。

 

なので結局は

道徳が戦争を齎すという言い方でもいいという事です。

道徳は個人個人が抱く自尊心の中の常識でしかない。

宗教が異なればこの常識も異なり、

文化が違えばこの常識は更に異なります。

 

スポーツで考えても…

例えばサッカー…

ファウルをすることは多数認識の道徳としては悪です。

しかし、勝敗に絡む大事な局面では、

ファウルをしても止めなければ成らない。

ルイス・スアレス選手がW杯で見せた

ハンドでシュートを阻止する行為も、

1点が大事という場面ではルール上の選択肢として有りなのです。

 

ただし共存理念というルール上では、

そういう行為を容認すると試合が面白くないのと、

ファウルに関しては選手が怪我をするという意味で、

罰則を設定して反則が起きないように、

また反則によって反則した方が不利に成るようにしている訳です。

善悪の話では有りません。

 

これが社会に於ける法律でも言える事なのです。

 

殺人事件一つにしても、

殺人は道徳的に悪です。

でも殺したいほどの理由があってやった事は抑止できません。

しかし、法律ではその行為に対して懲役などの罰則で

社会的共存利害を乱した者として扱うだけなのです。

 

これが戦争に成ると・・・

その戦争に勝つしか相手を罰する事が出来ない訳です。

道徳を重視してこんな戦争に挑めますか?

その戦争に負けたときは

自尊心が全て否定される状況に成るわけで、

それは死を意味します。

そうなれば人はあらゆる手段を講じてても勝ちに拘るのです。

いわば核兵器を用いてもという話です。

 

こういう人間の事情を知らずに戦争を語っている時点で、

決して戦争は無く成らないと言っておきます。

 

人間の事情を知る人は、

そういうお互いの自尊心を尊重した上で、

人類が共存する為の理と利を語りあって、

お互いが住みやすい環境を模索するのです。

そしてそこに平和という利を以て、

お互いの権利が最大限に尊重される形へ導くわけです。

 

バイデンは息子が裏で何していようが、

当方は悪者という扱いはしません。

まあ、政治家なら多少の悪事は大目に見ます。

ただし、善悪で語るバイデンは

愚か者で幼稚という話なだけです。

 

もしオッサン先生が大統領選に出れるなら、

こういう演説をするそうです。

 

法の下には、善悪など存在しない。

We uneder the law and constitution, there is no good or bad.

正しいや間違いなども存在しない。

there is no right or wrong.

全ては君と私が存在することだ!!

All we have is you and me.

 

哲学的で難しい言葉なのかな?

でも、この世界の秩序はこういう事なのです。

どうも…ショーエイです。

先ず最初に、

貴方は合理的な思考で分析するタイプですか?

それとも情報を知識として活用するタイプですか?

 

日本人の殆どが後者だと思います。

それは教育システムがそういう教育を施しているからです。

これは数学の問題を解く場合で言えることです。

 

受験勉強などで数学の問題を解く場合、

日本ではほぼ攻略式を反復練習して覚えて行きます。

Sin(サイン)やらcos(コサイン)といった公式だけを用いて、

問題に向き合う人はむしろ稀です。

いわば日本では問題のパターンを暗記させ、

類似したパターンを見つけ出すという作業が

受験勉強の必勝法に成るわけです。

 

これをゲーム攻略の傾向で見るとその性質は、

より明確に出てきます。

一から全て自分多たちで思考して攻略を目指すか、

それとも誰かが記した攻略法を参照して攻略するか。

日本人の殆どが攻略法を参照するタイプに成ります。

勿論、攻略法を参照する方が楽で速いです。

ある意味、自分で思考してやるのが面倒な場合も、

攻略法を活用しますので

一概には断定するものでは有りません。

しかし・・・誰も到達した事のない

未知の世界を探求するという意味では、

攻略法に頼るだけの頭は何の役にも立ちません。

 

無論そういう攻略法に頼るタイプでも

受験勉強同様にゲーム制作者の癖の様な

マニアックな攻略法を知っている人はまた少し別ですが…

ある意味そういう人たちは寧ろ情報を分析しているわけで、

難関大学の受験を突破するレベルと言う意味でも

優秀な人達に成るのです。

 

ただし…学者と呼ばれる人たちは、

情報を分析するレベルまではあるものの、

自ら思考して創造する能力まではあるとは言えない。

 

自ら思考して創造するレベルは、

一般的には天才の領域とも言えます。

学者という分類の中でも、

ある意味発明家になるレベルです。

 

では…本題に戻して…

 

【発明家レベルの思考が出来ない学者が天才の領域を知る事は出来ない!!】

まあ、ここはハッキリと言わせてもらいます。

例え東京大学の教授クラスであっても

思考力の足りない人間では、

情報の無い天才の領域を想像することすら適わないのです。

 

何故ここまで言い切るのかと言うと、

最近の戦国時代の歴史研究があまりにも非合理的で、

脆弱な発想に陥っているからです。

 

例えば武田の騎馬隊の話…

武田の騎馬隊は存在しなかったなんて事を安易に言っています。

それは情報として武田の騎馬隊が記されたものが、

明確に発見されていないからです。

しかし所どころにこの騎馬隊を警戒する文言は存在します。

東京大学だったかの学者(バカバカしいので名前すら無視ですが…)は騎馬隊の弱点でもある馬に焦点を当てて、

馬の突進に対して馬に弓でも当てれば

騎馬隊は機能しなくなるという論理を唱えました。

一見、そうだなと思える発想ですが…

そこから先の思考が止まっています。

いわばその弱点を克服して

騎馬の突進を活かすにはどうするかが無いのです。

 

更には大陸、いわば中国などを参考に考えると、

特にチンギス・ハンは騎馬戦術を駆使していた点でも、

その優位性は考えられます。

 

先ず騎馬隊の原理で言うと…

馬が体当たりして来たら、

人間としてはとてつもないダメージを受けます。

原付バイクほどの速度ですが時速40kmと言っても

ぶつかれば痛いどころで済みません。

原付バイクの100kg程度の重さと違って、

馬の体重は300kgから400kg有ります。

まあ運動エネルギーとして計算を割り出しても

想像しにくいですが、

原付バイク100kg×1/2×時速の二乗の衝撃に対して、

馬の仮に300kg×1/2だったとしても

3倍近いパワーがあるということです。

 

人間が全速力で考えると…

因みにウサイン・ボルトのピークスピードは44.2km/hで、

100m平均だと37.6km/hだそうですが・・・

とりあえず人間の平均的な速度だと20km/hで、

この速度でも格闘家やラグビーの選手がタックルしてきたら、

同等のレベルの選手たちでもぶっ飛ぶわけです。

そう考えて馬の突進は

このタックルの威力の更に倍以上と考えると、

とてつもないほど恐ろしい威力と成ります。

この攻撃力は是非とも活用したい。

そう考えるのは当然です。

 

では、その突進への戦術的な対策から考えます。

 

前述の通り、馬に弓をあてれば馬は驚いてのけぞる。

大陸では馬の脚を切り落とす武器で戟という物が存在した。

長篠(設楽原)の戦いでは馬防柵を用いた。

戟とは基本的にはこんな形です。

 

そして次にこれら騎馬対策に対抗する戦術。

 

弓に対しては前衛に盾歩兵を配置して

馬の突進が効果的に発動できる距離、

恐らく敵手前の30mから40mまで近づく。

30mから40m手前で時速30kmで計算すると、

40mで4.8秒、30mで3.6秒です。

 

最低でも弓は1発は放てる時間ですが、

戦はチキンレースも同然の心理です。

狙った馬を仕留めても、

別の馬が突っ込んでくる可能性はあります。

馬防柵を備えていない状況下で、

逃げるのを止めて撃つか、

それとも逃げるかの選択です。

勿論、後方に前もって陣取る手も有りますが、

戦の駆け引きではこのタイミングで突撃して、

逃げる弓隊を追撃する判断もあるわけです。

100mもあると馬だと時速40kmには達するので

10秒前後で追いつかれます。

 

学者には戦場の心理は想像できないらしい。

 

まあ・・・計算だけの話なら、

10秒もあれば反転して射撃できそうな気がします。

しかし…馬が一匹で突進するならまだしも、

大量に突進してくる場合、

一人の弓兵が仕留められるのはその内の一頭。

こういう心情の中で

撃ち漏らした騎馬が自分に向かってこない安心感が得られるか?

そういう心情の中で真面に正確な射撃が出来るか?

 

ここが戦の駆け引きです。

 

武田信玄が用いた騎馬戦術には

こういう突撃の仕方もあったかも知れません。

 

次には30m手前から

側面への回り込みも騎馬隊の手法としてあります。

どちらかというとこちらが一般的かも。

実は…歴史家の誰も

この点に気づいた人は居ないらしいですが、

騎馬が横に移動する際には、

大陸の場合だと軍旗、日本の戦国時代だと母衣(ほろ)を用いて、

弓の攻撃に備えて移動したようです。、

軍旗で馬の体を防御するように持って敵を横切るように動けば、

旗が靡いて弓を防ぐ効果が生じます。

日本の母衣(マントみたいなもの)もこうした使い方をすれば、

弓の防御として活用できます。

 

横へ回り込んできた敵に対しては弓隊の隊列は縦に成る為、

撃ちにくくなる。

更に横から侵入する騎馬隊は向かって縦方向に並ぶため、

前列を狙えても後列は狙いにくい。

騎馬隊の前列に重装の騎兵…

いわば馬にも鎧を付けた騎馬を用いて突進すれば、

弓隊への防御としても機能する。

中国や欧州ではこうした騎兵は存在した。

ある意味、弓兵を突撃で仕留める距離まで

重装騎兵を先頭に進み距離を詰めたら

後方の軽装騎兵が一気に拡散して敵陣をかき回す形になる。

 

戦ではこうした駆け引きの中で、

双方が其々に備えて戦うのが当然であるわけです。

弓兵が横からの騎兵に備えての布陣を見せれば、

騎兵はそれに伴って退却する。

退却する際は、前衛に重装騎兵を置いていたら、

旗や母衣を活かして隊列を横向きにしながら、

自陣の方へ退却するわけです。

 

馬防柵は寧ろ正面からの騎兵には効果的だが、

馬防柵が外れる側面からの攻撃には対抗できない。

長篠の戦いでの駆け引きはこういう事に成る。

そして…学者が否定する武田の騎馬隊の存在ですが、

本当に騎馬隊の存在が脅威でない場合、

織田軍は馬防柵をはりめぐらす必要性は無いわけで、

寧ろ高台を利用して歩兵対策用に

崖を利用した戦術だけで十分だったといえる。

 

まあ、最初に記した戦術のように

盾兵を前衛に持ってきてその後方に騎兵を配置して

ジワジワと距離を詰めたうえで突撃して来たら、

ある意味怖いですよね。

三方ヶ原の状況はこんな感じだったのかも・・・

 

因みに史書として

こうした旗や母衣に関する仕様のマニュアルは

存在しないようです。

そういう物が存在した絵は見受けられますが…

むしろ当時としては当たり前すぎるものなら

マニュアルなど残らないと考えるべき。

ある意味、漫画制作ではアシスタントさんが背景を作ったり、

トーンを貼ったりという作業をしている訳ですが、

こうした分業は誰もが知っている当たり前なわけで、

あえて「効率よく漫画制作する方法」として、

アシスタントを活用して制作するような書籍は出ないのと同じです。

寧ろ書籍として残るのは一人で書く漫画制作の基礎で、

ペンの使い方やトーンの貼り方などのコツに成ってきます。

 

更に言うなれば、

靴の履き方、服の着方など当たり前の事過ぎるものは、

寧ろ親が子に直接教えるのが当然で、

文書として残すようなものでもない訳です。

ある意味、包丁の使い方もほぼ文章で残すものでもないもので、

現代だから色々情報が出ているかも知れませんが、

紙が貴重だった時代に

あえてそんな使い方を記しておく事でもないと言えます。

騎兵の旗の使い方や母衣の使い方は

寧ろこうした当然のもの故に文章が存在しない、

仮にあったとしても長い歴史のかなで希少性が無く、

捨て去られたものとして考えるべきです。

 

学者は戦術家でも実際に戦うという行為から

かけ離れ過ぎた存在故に、

勝負事の駆け引きであり、

命がけの緊張感に対する想像力が

全く欠落しているのです。

それ故に卓上の理論で止まってしまう。

 

色々な視点で考慮すると、

武田の騎馬隊は存在し、その戦術であり駆け引きは、

信玄が天才的ならそれ相応に用いたという事になる。

もう一方の天才的な信長が信玄亡き後の武田軍に対して、

あれだけ人数とあれだけの陣容を以て備えたほどなら、

戦もろくに知らない凡人学者では、

想像すらできない駆け引きがあったのだと理解した上で

もっと色々な視点や日本だと自衛官、

更には米軍の実戦経験者などの見識を伺いながら、

丁寧に研究するべき話と言っておきます。

 

今の日本だけの歴史議論を見ていると、

合理性が欠けすぎてて反吐が出るとも言っておきます。

 

【三段撃ちは寧ろ江戸時代では当たり前】

長篠の戦いでは三段撃ちは無かったのでは…

こうした議論をしているが、

鉄砲の数が3000丁前後では、

確かに三段撃ちの効果は限定的と考えても良いです。

正し1万丁以上なら寧ろ三段撃ちとは言わず、

5段撃ちといった形が理想的に成る点は理解するべき。

 

ここでも先ず言っておきますが、

信長の天才的な発想ゆえに、

寧ろ3000丁だけで武田軍を粉砕したという結果で考えるべき。

鉄砲による功績は

太田牛一の信長公記にも記載があるほどなので、

鉄砲が大きな役割を果たした点は排除して考えるべきではない。

それを踏まえてその戦術が解らないのなら、

否定する前に

その信長の天才的な戦術眼に及んでない事を自覚してほしい。

寧ろ、三段撃ちを否定した上で

地形を活用した鉄砲戦術がどういう形だったのかも

想像できない状態で、

信長の発想に追いついたとしている事は

寧ろ腹立たしいにもほどがある。

※オッサン先生はこの戦術を既に把握していて、現在動画作成中みたいです。

 

今までの長篠の戦いで使われた三段撃ちの発想は

寧ろ江戸時代の戦術では当たり前で、

その基礎を信長が長篠で見せたという流れで

考えられたとするべきです。

 

江戸時代を含む中世に於ける歩兵の突撃では、

隊列を組んで突進してきた。

まあ、中世に限らずの話ですが…

全員が横一列になって突進する発想自体あり得ないです。

仮にその様に全員が横一列で突進してくるなら、

鉄砲も横一列で一斉射撃するほうが効果的とも考えてもいいです。

でも隊列を組んで突進してくる場合は、

最前列を討ち取っても、残りの後列がそのまま近づいてきます。

結果として100m手前の距離から敵軍が到達する20秒間の間に

何発撃てるかという話になるわけです。

100mは意外と短いようで長く、

鉄砲が完全な威力で敵を粉砕できるのは、

そこから40m手前に差し掛かった所に成るそうです。

 

ここまでの情報を歴史学者たちも理解しているのなら、

何故その上で効果的かつ合理的な戦術が

見えてこないのかという話です。

 

いわば前列だけを討ち取っても無駄に成るわけです。

敵は勿論裸では向かってきません。

当たり前ですが鉄砲対策に

盾を持つくらいの備えは考えるはずです。

そんな資料は無いのでと言うのなら、

日本の戦国時代の人間は

そんなに何も考えない馬鹿だったのですが

という恥ずかしい歴史の話に成るわけです。

寧ろ鉄砲相手に盾を持つくらい当たり前に考えれる事なのです。

それダメという軍規なら…

かなり間抜けなブラック企業に成ります。

 

こうした当たり前のように派生する発想から逆算して、

鉄砲の効力を考えると、

最低でも40m以内で射撃するのが合理的に成ります。

しかし前述の通り40mからだと前列を討ち取っても、

その後列の兵隊は時速15kmで走れた計算でも、

10秒以内には到達するわけです。

勿論鉄砲隊の前に歩兵隊を配置しますが、

歩兵同士が乱戦になったら味方にも当たる為、

鉄砲は使えません。弓も同然です。

 

鉄砲の数が1000丁とかまあ3000丁なら、

前列を討ち取って、乱戦での数的優位性の効果で妥協できます。

しかし…1万丁も用いてそれだけの効果で満足かというと…

それで満足するだけの戦術家だらけだったら、

これも再び日本の戦国時代はバカの集団かという話に成ります。

 

普通に考えれば、

隊列に対して鉄砲隊もその隊列に合わせて数を調整する方が

良いと思いつくのが当然です。

敵の1列目に対して、第一列目が射撃、

二列目に対して第二列目が射撃、

まあ5列くらいも組んで置けば、

最初の一列目の鉄砲隊が

準備出来て撃てる状態になるのは解る事で、

別段、天才でなくとも気付くレベルの戦術と言っておきます。

 

むしろ…甫庵信長記は

この江戸時代には当たり前だった撃ち方の発想の根源が

信長だった可能性を記したとも読み取れます。

家康がそれを長篠で体現しているから

戦術的に継承したという流れでも繋がるわけです。

ただし…実際の3000丁程度の数だとちょっと効果は微妙。

 

逆に城壁に籠って鉄砲を使用する場合、

斉射を用いるより、

城壁によじ登る兵士を一人づつ仕留めるほうが

効果的かつ攻城側の士気低下の効果としても見込めるのです。

その為、準備出来たものから撃つ方法で十分とも言える。

※この準備出来た者から撃つが

新しい長篠での撃ち方という発想だが、

この撃ち方では武田を粉砕するという目的は達成できないです。

寧ろ籠城策として

当時としては当たり前の撃ち方だったと言っておきます。

最近長篠での撃ち方はこうだったと発想した人には

失礼な言い方に成ってますが

それほど驚く発想でも無いです。

 

因みに動画に記した三連撃ちも驚くほどの発想では無いです。

これが真・三段撃ちだ!! - YouTube

実はこの撃ち方、殿様クラスなら誰でも思いつく発想というより、

誰でも自然とそうするだろうという撃ち方です。

いわば小姓に刀を取れと命じるのと同じ様に、

彼らに弾込めやらの鉄砲を撃つ準備をさせて、

自分は撃つだけにするというのが流れが

自然と成立するだろうと想像できるからです。

まあ、中には全部自分でやる人も居るでしょうが…

ここからの発想を発展させると、

準備する人間を用意して、

鉄砲撃てる奴に連射させた方が効率良くないと考えるのも

当然見えてきます。

あとはその分の鉄砲を揃える。

問題は鉄砲数>撃ち手なのか、撃ち手>鉄砲数なのか。

鉄砲玉自体が高価だった信長たまの時代では、

寧ろ鉄砲撃てる人の方が限られてたと考えた方が良いわけで、

誰でも容易に鉄砲の練習が出来た訳でもない訳です。

鉄砲の本隊自体はストックが効く品物で、

岐阜を得た1567年から長篠の戦いの1575年までの

8年間も有れば、

何万丁かは既に仕入れてても可笑しくは無いです。

一年に1000丁づつ仕入れてたとしても、

8000丁は保有出来る計算で、

一部壊れたとしても5000丁のストックは有るでしょと考えれます。

こうした状況で長篠の戦いを検証すると、

三連撃ちが妥当とも考えれたのです。

その上で設楽原のあの地形を利用した

特殊な戦術が組み込まれて、

武田軍を粉砕したという流れに成ります。

 

歴史家が長篠の戦いの戦術面を

想像できないのは仕方ないとしても、

そこまでの発想力が無い事を差し置いて、

勝手に自分たちの程度の話で決めつけている事の方が、

信玄や信長という天才に対する冒涜と言っておきます。

 

【信長が検地を重視しなかった点に関して】

信長が天才でなかったとしたい人たちがいう話ですが、

天才でもなんでもない人間だから寧ろそう見るのです。

安土城を建築するのに、

高度な検地を出来るくらいの技術が無ければ建てられません。

いわば数量計算、ある意味数学的な寸法の技術です。

当時の北条の方が検地の技術は上だったと言ってますが、

信長の治世は

寧ろ農家から重税を取り立てる形で無かった事を

先ず察するべきです。

農家からは大雑把に徴税し多少の逃げ口は見逃した。

信長は青少年期に遊びを通しながら

農家と繋がりも持っていたと考えるのが当然で、

家臣に秀吉の様な者もいるわけです。

そうした中から農家の仕組みは見聞きしている訳で、

秀吉が武士として出世していた事を考えるなら、

農家の裏金の作り方などの方法は

信長に伝えているはずです。

 

そいう状況下で厳しく農家への取り立てをするなら、

秀吉が行ったような太閤検地みたいな事をやっても

可笑しくはないのです。

 

でも、やらなかったのには理由があり、

更にそれをしなくても信長治世の経済は

戦国時代随一だったのも事実なのです。

 

ある意味、謎多き事で…

この不可解な現象を解明できない時点で、

彼ら学者の頭が信長の革新性を否定するほうが可笑しいのです。

 

農家に裏金を作らせて、寧ろ商業経済を発展させた。

 

貧乏人が多ければ商業需要がそれだけ枯渇する。

簡単な経済理論です。

現代、米国経済が崩れそうで崩れないのは、

米国民が意外と豊かだからです。

いわば商業需要が機能しているからです。

そういう環境が整うまでの米国では、

最低賃金上昇などの政策があったわけですが、

ある意味2000年初期に比べれば

その賃金は倍以上に成っているのです。

 

信長が農民に施した政策は寧ろそれに近い。

いわば他国と違って農民の最低生活水準を引き上げた。

そして農民が商売で品物を売買できるようにしたわけです。

 

そこで楽市楽座なのです。

楽市楽座自体は六角氏の発想みたいですが、

これを活用したのが信長の革新性です。

楽市楽座は一部地域限定だったとしてますが、

むしろ主だった城下町では行われていたと言えます。

そしてこの楽市楽座で商売が繁盛すれば、

それだけ徴税する規模も大きく成ります。

徴税と言うより徴収に成りますが…

商売が繁盛しなければ寧ろその金額は下がるだけです。

また市場も栄えません。

 

なので農民や農家の徴税は大雑把にして、

寧ろ彼らがそうした需要の要因に成れるように配慮した訳です。

また、生活水準を向上させたことで、

彼ら農民たちの信長に対する治世への信頼も向上し、

戦になった際に様々な形での協力も得られやすかったわけです。

これ当然の心理であり、ある意味兵法にも準ずる発想です。

 

更には、こうした信長の治世は

他国の農村にも噂として広まるため、

敵将を調略する際にも、実は効果的に機能した訳です。

各国の将には治める領地があり、

領民との繋がりで兵の徴収などが有ったわけです。

いわばその領民が求める流れは、

ある意味その領主たちの選択に

何らかの切っ掛けを与えることにも成ります。

 

貴方が領主として領民を抱える立場だったら、

重税に苦しむ環境でも主君への忠誠を全うするか、

それとも領民の事を考えて豊かに成る方に寝返るか…

どちらを選びますか?

 

いわば調略の切っ掛けの一つはこういう事にも成ります。

信長の治世はそういう効力も生じさせていたと考えられます。

 

なので検地で農民をがんじがらめにしなかった訳です。

技術が無かったというより、寧ろやらなかった。

いわばかなりのホワイトな企業で、

経費の管理で多少の交通費の誤魔化しは

大目に見てくれるようなものです。

その分、利益を上げてれば文句はないという感じ。

 

【楽市楽座の徴収法と活用法】

商業中心の経済で農家の穴、いわば多少の脱税は見逃し、

寧ろ楽市楽座の方で取り立てる。

楽市楽座の徴税法はほぼ誰も知らないみたいです。

実はやりようによってはこれ儲かる。

 

一般的には売上金の%で発想しがちですが、

そんな細かい計算では難しく、

帳簿を記帳させてもみんな誤魔化します。

 

いわば合理主義の発想の中では

誤魔化せる方法を無理に採用しません。

 

では…どうやって徴収するのか?

 

先ず合理主義者の発想は基本WINWINな関係性を大事にします。

いわば儲かる奴から取り立てるです。

では、どうすればそうなるのか?

場所によって使用料を徴収するのです。

 

いわば一等地と言われる

人の往来が多い場所に店を構えたいよ考えるのは

誰でも一緒です。

そしてそこはやはり売り上げが上がりやすい場所です。

現代でも駅前の一等地の家賃が高い点でも理解できると思います。

この家賃に値する部分を場所代として取り立てるのです。

楽市楽座なので常時日替わりです。

場合によっては競売状態に成ります。

売れ筋の商品を持つものなら

ある程度の売り上げ見込みから算出して、

良い場所を確保したいと考えるのが当然に成るわけです。

場所代として徴収するため誤魔化しといったことは成立しません。

ある意味、売り手の商売上の博打に依存するだけです。

 

前述の通り、農民がお金を持っていない経済では、

その売り上げ見込みが大幅に低下します。

逆に農民がお金を持て居る場合、

適切な需要が存在し売上見込みは向上します。

更にそうした経済の中で売れ筋の商品を確保する為に、

商品の質の向上も自然と競われます。

いわば工業技術の向上にもつながるわけです。

 

WINWINな関係故に

最終的に競売になる一等地の値段は、

座を持つ側が高値を設定する訳で、

強制的に徴収する訳でもありません。

一等地でなくとも店を出したい希望者が支払う意味では、

これも強制では無いのです。

逆にそういう自主的な出店が活性化できるように、

商売が繁盛しやすい環境を整えるのが、

領主の手腕と成るわけです。

 

また品物の品質向上は、

熱田や堺などの商人にもメリットが生じます。

いわば信長の領国以外に質のいい商品を流せるからです。

更には普段は商人に卸している工芸などを作る職人たちも、

楽市の方では少し高く売れるわけで、

逆に商人から高値で工芸品を買っていた買い手も、

楽市なら少し安く買えます。

そして普段は買い叩いて仕入れていた商人たちも、

こうした需給面の作用を考慮して、

多少の色を付けて卸してもらう交渉も必要に成ってきます。

 

これに付け加えて、

信長領内では関所を撤廃しているのです。

寧ろ間者に扮した者でも

場所代さえ払えば商売できるという流れも生じます。

普通に考えればスパイ活動フリーなんて

とんでも無いと思えるでしょう。

しかし、他国からの商人がやってくる事で、

彼らからも場所代を徴収できるという事にも成ります。

商売をしたいという人間が増えれば、

楽市の規模はそれだけ拡大され、

寧ろ徴収できる額もそれだけ増えるわけです。

更に市場がにぎわえば他国からの買い手も訪れるわけで、

彼らはまた楽市にお金を落としていくわけです。

 

合理主義者にしてみると関所などで間者を管理しても、

全ての情報を隠せると思う方が無理があると考えるのです。

何故なら間者は如何様にしても入り込めることを

知っているからです。

道中の関所を管理しても、

山間部を抜けて潜り込まれれば関所の管理は意味がない訳で、

間者はそういう形で常に入り込みます。

いわば信長たまも同じ手法で潜らせるわけだから、

そうした環境で情報が漏れないと考えてる方が間抜けなのだと

発想を切り替えるのです。

逆にどういう情報が洩れるか、

それを把握する方が戦略的に都合がいいのです。

いわば敵はこの情報は知っているはずだから…

そこから敵がどう考えるかを認知して思考するのです。

こうした思考は

「彼を知り己を知らば」の兵法の極みに成る部分です。

一般的な人は「彼(敵)を知ろう」と

情報収取のみに躍起になる訳ですが、

己に関しては寧ろ隠せてるはずと思い込んでしまいます。

学者の人たちに限らず一般の人も、

この思考に陥ります。

しかし相手が実は知っていたとして先手を打たれたら、

相手が知っていた事を知らない側は後手にまわるのです。

 

では実際に信長たまが

自国の情報がある程度他国に開放されている事を

認知していたと言えるのか?

その証拠が信長たまの特殊とも言える突発的な行動です。

突発的な軍事行動は間者が伝える速度を

計算しての行動だからです。

いわば間者が敵にこちらの動き伝える速度を計算して、

伝わってから相手が動く速度を推測し、

早い段階で出来る限り有利な場所を陣取る為の手段なのです。

その為には準備でグズグズと

時間を過ごしていては成らないのです。

 

また、関所が無いといっても

間道を見知らぬ早馬が走った場合目立ちます。

そういう場合は容赦なく捕まえるわけです。

仮に取り逃がしてもその取り逃がした情報は

信長たま自身が把握して考えられるのです。

ただし間者が敵国に伝達する場合は、

如何なる場合でもむしろ目立つ形は取らないのが定石で、

そうした時間を要することもある程度想定できるのです。

 

歴史家はこれを信長たまが短気だからと

錯覚して考えているでしょうが、

実は短気である前に、

情報の伝達速度とのスピード勝負で

戦略上の優位性を担保したいための行動なのです。

 

では…関所を管理してれば大丈夫なんじゃ?

 

間抜け人はこんな事を言い出しますが…

いわば関所管理してても山越えする間者は

どの道敵に情報を伝えるわけです。

そしてそれを把握せずに高をくくって挑めば、

後手に回ることになるのです。

 

他にも関所を設けない理由は多々ありますが、

他国の人間が流入することで、

様々な情報が入りやすくも成ります。

そして仮に隣国の間者が潜んでいた場合、

彼らがあえて言えない情報って有りますよね。

ここ…言う人と言わない人、嘘つく人など、

自分の情報網と比較して区別しておく事もできるのです。

勿論…相手が察する事ないように放置しながらですが・・・

 

なので信長たま式の楽市楽座には

色々な仕組みも存在するのです。

 

【結局は発明家でなく古文に精通しているからの学者】

ここまで貶しておいてなんですが…

確かに学者先生たちのお陰で

我々は様々な古い文献の情報を得ることが出来てます。

優秀な学者先生は自分たちの領分を弁えて、

適切な研究と検証の結果を発表してくれます。

ただ勘違いした学者も多く、

特に有名大学に胡坐を掻く輩は、

たした研究もせず、また的外れな研究で、

持論を展開してあたかもそれが確定の様な情報をまき散らす。

そういう情報を当方が検証すると腹立たしいほど、

非合理的なのです。

 

ここもハッキリと言わせてもらいます。

歴史一つに数多の情報が生じる中で、

彼ら学者は一つの情報に絞って論じる頭しかないのです。

一方の情報は正しく、

もう一方は間違っているという判定をいみします。

逆に全ての情報を総括して

全ての情報がある程度根拠として繋がる部分を

模索する頭脳が無いのです。

 

太田牛一の資料に書いてある内容と、

そのあとの江戸時代に書かれた甫庵の資料。

その上で鉄砲の存在であり、騎馬隊の話であり、

二次資料、三次資料として、

その文章が成立した経緯など分析して議論しなければ、

全く合理的な見識には感じないわけです。

また戦術的な合理性などや、

誰でも思いつきそうな発想という部分も考慮して、

当時としてこれくらいは出来て当たり前だろうという点も、

資料に頼らず発想して行くべきで、

資料が存在しないから解らないで終わらせている始末は

正直いただけません。

 

桶狭間の戦いにしても…

正面突破か奇襲か…

何を幼稚な戦術レベルで話しているのでしょうか?

 

まあ、サッカーなど

スポーツの戦術的な動きの作用を研究して、

桶狭間の効果と資料にある陣容、

そして信長たまの行動を分析すれば、

いわばサッカーのカウンターアタックに近い効力くらい

見えるのではという事です。

 

サッカーのカウンターアタックを成立させるには・・・

効果的な方法としては

中盤とディフェンスの間を出来るだけ開かせて、

その開いたスペースに素早く切り込むこと。

ディフェンスの裏に

素早く抜け出すだけがその戦術ではありません。

桶狭間の戦術では

寧ろこういうカウンターアタックの原理を利用しているのです。

2018年のロシアW杯での

日本対ベルギー戦がいい例で、

あの逆転負けしたカウンターアタックがとても参考に成ります。

ディフェンス3人に対して攻撃3人という形に持って行かれて、

日本のディフェンス陣が翻弄されたケースです。

逆にあの時、中盤とディフェンスの距離が迫っていた場合、

相手攻撃陣のスペースも限定される、

寧ろディフェンスと中盤の間でスペースは挟まれる形に成って

それだけ攻撃側は攻めにくく成るわけです。

 

信長たまは善照寺砦に着陣した後、

中嶋砦から佐々政次と千秋四郎らが

先行して敵に向かったと有りますが、

寧ろカウンターアタックを成立させる意味では、

正面突破の様相を見せつけ、

今川本体の前衛をあえて引っ張り出したとする方が、

戦術的機能が生まれるのです。

 

実際に戦術的にこれを計算すると、

佐々政次らの居る方の砦に着陣している方が妥当に成る為、

信長たまが中嶋砦に着陣してから行動であったとする方が、

合理的な作用として機能します。

細かい詳細は何れ、「うつけの兵法」で記すとします。

前衛が引っ張り出されると

その分後衛の本隊との距離は開くわけで、

そこに今川本陣への隙が生じる。

そこを側面に回り込んでの奇襲するわけです。

 

前衛の部隊を引っ張り出せずにいると、

上手く奇襲が掛ったとしても、

今川本陣を攻撃する際に

逆に味方は包み込まれる可能性が想定できます。

下手したら逃げ場を失うわけで、

完全に死地へ入り込む様な形に成ります。

 

前衛と後衛が開いた状態ならその間の空間は自由に動ける、

と、言うよりも囲まれるまでの時間がそれだけ生じて、

それだけ今川本陣への攻撃に集中できる訳です。

 

一部学識の見解には

これと同じ形を唱えるものもあったようですが、

WIKIによると藤本正行という戦術学者がこれを否定したらしい。

ある意味佐々政次らの行動は陽動作戦ではなく、

単なる抜け駆けだったとしたわけです。

しかし、逆に陽動作戦なくして

信長本隊が最小限の被害で

今川義元の首を取れたという結果に対して、

どう合理的かつ現実的な戦術が考えられるのか…

逆に不思議です。

 

では…色々な説を唱える歴史学者さんたちに対して、

信長たまが義昭公や信盛に突き付けた折檻状の様に、

明確にその見識の甘さを指摘させてもらいます。

 

①信長公記の資料一つに対して太田牛一が作成した背景であり、またそこに書かれた文章がどういう意図に該当するのか、

翻訳出来ながらも学者たちは読み切っていない点。

 

桶狭間の戦いが記されている信長公記の首巻は太田牛一が当事者として記録した形で書いたものでは無い点。

これは学者の方がたも理解している点です。

信長公記が太田牛一の記録としてある程度作成され始めた時期は1568年以降からです。

それ以前から織田軍の配下として活動しているが、恐らく桶狭間に直接参戦しておらず、戦後参戦した者から色々聞いた内容を思い起こしながら書いた可能性が高く、そこには徳川方からの話も混ざって色々混乱していると思われる。

信長公記首巻中 (att.ne.jp)

※桶狭間の内容は上記参照の24項です。

その根拠として挙げられるのが、佐々政次らの中嶋砦での出来事です。そこでの文脈は寧ろ今川方の視点で採用されています。敵方の大将である義元が彼らの攻撃を粉砕したことを喜んで、謡を読ませた内容が記載されるのは信長側からの視点で考えれば可笑しい内容に成ります。そういう意味でこれは当時今川方であった徳川方の誰かから聞いた部分を採用したと思われる。

 

更には中嶋砦で桶狭間本陣へ向かう信長の言葉として、徳川方が休息していた大高城の話を引き合いに出している点は作戦上の話としては可笑しな見解になる。文脈のままの作戦だったとするなら大高城へ進軍する内容に成ってしまう。

中嶋砦は場所から察しても鳴海城への抑えのもので大高城の話は逆に戦術的には全く関係ないと言える。

こうした事を総括し、太田牛一が当時参戦した誰かから聞いた話を思い起こし混沌とした記憶で書かれたものとするならば、

仮に作戦を指示した信長の言葉として考えるならば、

「大高城へ向かった部隊は今は動くことは無く、敵は正面の桶狭間に居る本陣のみ。」

という形で前文は伝えられ、その後に続く

「小軍ナリトモ大敵ヲ怖ルルコト莫カレ、運ハ天ニ在リ、と古の言葉にあるを知らずや」

から、

「敵懸からば引き、しりぞかば懸かるべし。」

と続く、敵が向かって来るときは引き、敵が引いたら向かっていくという意味での陽動作戦を指示する言葉ともなりえる。

勿論、その後に続く「而してもみ倒し」は「それからもみ倒し」と成ってくるため牛一の記した内容をそのまま読み取ると作戦指示としては正面突破を意味する言葉に成るってくるとも言える、学者たちがこれを信じる点は無理のない話であるが…

そもそもこれ作戦指示した言葉には成らないのです。

これは出陣前に兵士たちに向けた檄という演説なのです。

あくまで太田牛一が

当時聞いた内容を正確に記していた場合の話に成りますが、

要点だけを言うなれば、

大高城の話を持ち出して敵が疲れていると語った部分は、信長が味方の士気を高める上での方便です。

そして

「敵懸からば引き、しりぞかば懸かるべし。而してもみ倒し追い崩すべし。」

は、既に各将に作戦指示は与えていた事もあって詳細を簡略して伝えた文章。

いわば、

「敵が向かって来るなら引き、敵が引くなら向かう(を繰り返して敵前衛を中嶋砦の方へ引っ張り出し)それから(隙が生じた間から一気に突入して)敵をもみ倒して追い崩せば(勝利は間違いなし)」

と言った()の中の部分をあえて端折って表現した文脈。

出陣前に将以外の兵士に細かい作戦をあえて演説で伝える必要性はないのです。

逆に演説として兵に伝えるべき内容は、

「分捕りはせず、首は置き捨てにせよ。この一戦に勝たば、此所に集まりし者は家の面目、末代に到る功名である。一心に励むべし」

という士気に影響する部分なのです。

文章の内容を適切に読み解けば…

これは檄文であって出陣前の士気高揚の言葉なのです。

 

これを作戦が指示されている文章として読み解くのは、

ゴシップ記事を実情も知らずに鵜呑みにしているレベルと一緒と言えます。

実情として正面から敵陣に馬鹿みたいに仕掛ける行為は、無謀な作戦で有り、信長本隊の犠牲はかなり大きくなり、敵大将の今川義元の首を取る場面までは難しくなると言える。

雨が降って視界が悪く成り、偶々信長本隊がたどり着いた場所が今川本陣の有る場所だったとしても、正面突破を警戒する敵の陣容のままであったら寧ろその場面は前衛と後衛本陣に挟まれる死地と成る。更には普通に考えて信長の動きを見失ったと察した状況下では、寧ろ敵である今川方は奇襲攻撃に備えるだろうと言えます。

 

最終的な結果として誰もが知る事実は、中嶋砦から出陣した信長の本隊が今川本陣を急襲して見事に大将首を持ち帰った事と、更にはその部隊から主だった将の被害が記されていない、いわばほぼ無傷な状態で生還できたという事。

なので無謀な正面突破は先ず有りえない事は決定的なのです。

 

②信長公記の首巻の構成を見ると、24項に桶狭間の内容が来て、25項には信行(信勝)の誅殺の話が出てくる。

30項には道三が死んだ長良川の戦いが来ており、

実は時間軸が前後している点が見受けられる。

これは学者さんたちも把握している内容だろうが、それ以外にも太田牛一の文章はさまざまなミスを生じさせていると考えるべきである。

前述にも述べた様に、太田牛一が記した桶狭間の内容は、織田方から聞いた話と、今川方に居た徳川方から聞いた話を採用しており、その内容は色々と錯綜している状態もある。

ここでは先に太田牛一の略歴も参考に伝えておこう。

彼は弓の名手として信長に気に入られて近習として活動するが、最終的には丹羽長秀の与力という形でしかも文官として仕えている。

この点から察しても信長が一軍の将として出世するどころか武官としても扱わな方点を察して欲しい。

その上で信長公記を読むと、戦略戦術上の記載はほぼ絶望的な内容で詳細に記される部分がほぼ無い。

記録としては正確でも作戦上の動きとしての部分が無いのだ。

いわば信長は記録者としての牛一の能力は評価しても、戦術面の軍才の部分の評価に落第点を与えたと言える。

ここを学者は見落として考えるべきではない。

甫庵信長記を記した小瀬甫庵ですら、太田牛一の事を「愚にして直な」評しておりいわば真面目だが浅はかという意味だろうと考える。

 

この桶狭間の部分で信長公記と甫庵信長記の違いが出るのは、ほぼ佐々政次らが中嶋砦から出撃した部分で分かれると言える。

いわば佐々らの仕掛けた行動を小瀬甫庵は今川本陣を狙う千載一遇のチャンスと見極めたからだ。

戦術的に敵前衛が前に突き出した形で、後衛との間が開く隙はこのタイミングしか生じないという点を察した話になるわけだ。

故に中嶋砦には囮を向かわせ、信長本隊は善照寺砦からそのまま迂回して機会を逃すことなく今川本陣を急襲したと考えた。

明治時代だかの日本陸軍だったかは忘れたが、彼らがこの迂回攻撃説にお墨付きを与えて一時期定説となった点もある意味理解できる。

現代の歴史家たちは寧ろこうした戦術性の意図を理解した上で新たな説の議論をするべきなのだが、全くそれが出来ていない。

 

佐々政次(隼人正)らが勝手に300人ほどの手勢で最低でも5000~1万は居る今川本陣に無謀に手柄を求めて突っ込むことはあり得ない。

敵の出鼻をくじく意味としても信長本隊との作戦上の連携が無い場合は単なる無駄死にという行動しかない。

これを抜け駆けだと断じる点は、戦術学者として戦場における心理状態を甘く見過ぎている。

また、佐々政次と一緒に戦死した千秋四郎は熱田神宮の大宮司の子息であるわけで、ある意味作戦と無関係な無謀な行動で早々と討ち取られた話に成ると、突然の雷雨は熱田神宮の加護として受け止められる事は無く、寧ろ凶兆という意味で士気低下に繋がることに成る。

宮司の子息が死んだ後の雷雨と考えれば、どう考えても縁起が悪すぎるのだ。

 

そういう流れで考えるなら陽動作戦の一員として千秋四郎が行動していた事と、密行した信長本隊の雷雨が空けた先に敵今川本陣が無防備な状態で見えた点が噛み合ってこそ、信長の作戦が見事に嵌ったと、その加護として受け止める状態となる。

そうした流れが成立することで信長本隊のその時の士気は大いに高まり、ほぼ無傷で今川義元の首を取るまでに至った結果に結びつくと言えよう。

実際、太田牛一の信長公記にも、佐々政次らの行動は寧ろ今川方の視点で記されており、これによって正面突破を退けて今川方が浮かれている状況を記したとも伺える。

寧ろ牛一の文章が状況を前後して記したのか、記憶が前後して書いたのか、単に文章をしるしている際に順番を間違えたのか、書き手としてやりがちなミスを考えて読み解くと、信長が中嶋砦へ入った内容を前に持ってきて、そして佐々政次らが出陣した流れを後に加えたなら、陽動作戦の方に信長自らが行こうとした可能性までも見て取れるように成ってくる。

いわば一番危険で重要な任務であったという事に成り、それを家臣たちが制止したという内容に成って読み取れる。

その上で結局は佐々政次と千秋四郎にその役目を負かせ、信長自身は今川本陣急襲部隊を指揮して動いた流れに成るのだ。

太田牛一の文章にはこうしたミスも多々存在するため、場合によっては順番を変えて読み解く必要性がある。

そしてその順番を変えて読めば、むしろ太田牛一の記録は色々な意味で辻褄が合うように成ってくる。

 

③戦術性の無い正面突破で有る場合、今川本陣に突撃した信長本隊の犠牲は甚大なものとなったはずだが、実際に各方面の砦に於ける様な被害、いわば佐久間盛重らの様な将の犠牲があったという記述が一切見られない。中嶋砦の佐々政次や千秋四郎らクラスの死傷が今川本陣突入した信長本隊に上がっても可笑しくはないはずだが、実際には服部小平太と毛利新介の怪我のみで他には見受けられ無い。

仮に今川本隊の数が5000程度で、そこに多く見積もって5000人、信長公記に合わせて考えたとしても2000人で正面からの突入した場合、乱戦に成るのは必須で犠牲者が相当数でるのが当然であることを考慮しなければ成らない。

たとえ引いては攻め、引いては攻めのヒット&アウェイを繰り返したとしても、かなり厳しい戦闘になるのは必須である。

ほぼこれで被害なしで敵大将の首を取った場合は漫画か無双ゲームの世界でしかないと考えるべきである。

寧ろ現実的な成功した戦術例として考えるなら、奇襲か戦術的なカウンターアタックが成功したと断定する内容と成る。

 

④三河物語の記述と信長公記の記述などを参照した上で、その中で内容として噛み合う部分を吟味するべきである。

文章上の表現が異なってはいるが、実際には戦術上の表現では一致する部分が見てとれる。その点を見落とすなら戦術学者として疑問が残るはなしである。。

いわば三河物語にある「中嶋砦からの進軍を見た」という表現と、信長公記における信長が実際に中嶋砦に入ったという点である。

ただし、③で記した様にこの状況で正面突破する戦い方は、仮に優勢に進めたとしても信長側の被害は相当なものと成る点は明白である。

戦術学者であるならば寧ろ漫画や無双ゲームの様な幻想的な状況に成る点は排除して考えるべきであり、その二つの記述から効果的な戦術性を思考するべきである。

実際に佐々政次(隼人正)が正面から突入した点は考慮して考えるべきだ。

しかし、寧ろその突入によって織田本隊が正面から仕掛けてきたと今川方に錯覚を与えた可能性は双方の文脈を読み取れば合致する戦術性として考慮できる。

それによって今川本隊の前衛が崩れた…いわば引っ張りだされたとするなら、前衛と後衛の間に自然と大きな隙が生じる。

いわば義元が居る本陣を守る盾役の前衛部隊が突如居なくなる状況が成立する。

この状態になって突然その本陣の前に信長本隊が突入してきたと成れば、寧ろ今川軍は態勢を整えられずに崩壊する。

これが成立して初めて結果として考えられる信長本隊の犠牲が少なかった点が成り立つのだ。

仮にその後世に語られた犠牲者数が記すように、この本隊の犠牲に900名いわば半数近い死者が出たとするなら、そこに主だった将の名が連なっても可笑しくはない。

ところがそれが桶狭間の事件から近い年代に記された記述にはほぼ無いわけだ。

今川義元の首を取るほどの大一番で名前すら語られないのは逆に不自然である。

ここから推測しても、

中嶋砦から出た部隊が敵に錯覚を与えた点は読み取って考えるべきだ。

 

⑤藤本正行氏が指摘したように、佐々政次(隼人正)が先駆けまたは抜け駆けであったとする事は状況を精査すると有りえない。

いわば兵力が劣勢にある方が、優勢にある方へ仕掛けて手柄を取れると思い込む方が無理があるという事に成る。

逆に今川方の方なら抜け駆けが成立する状況になる。

 

⑥戦術的に被害の少ない突撃を成功させるには、敵陣容に突然前と後ろが大きく開いて隙が生じるその瞬間だけである。

いわばその瞬間ならば敵は為すすべなく崩れ去るのだ。

それ以外のタイミングでは逃げ場を失って寧ろ挟み撃ちで壊滅してしまうか、新たな前衛を崩せても敵は後退して陣容を立て直す余裕が生じる。

いわば今川義元が首を取られるような失態を演じることは考えにくくなる。

寧ろそういう状況で戦う術を知らない将ならば、愚かしいもほどがあり、桶狭間以前に今川は滅びている可能性もあると考えるべきレベルの話だ。

様々な説が唱えられているが、いずれも現実的に無理が生じる内容でしかない。故にこの戦いは謎とされているが、先の太田牛一の話で記した様に発想の転換を以て読み解けば、辻褄の合う内容として成立する場合もある。

 

⑦信長の本隊は2000人でも、尾張全体で考えればもっと兵数は用意できる事になる。ある意味、那古野、清洲、古渡など各城の守兵が本隊以外にも居るわけで、鳴海や大高を囲む砦も総数で考えれば数千の兵が存在する。

いわば総動員して決戦に挑む場合、1万程度なら用意できたとも言える。それでも今川方が2万5千人だったとしても倍、信長公記のように4万5千だった場合、3~4倍の兵数になる。

勿論そこの数の中には、鳴海城の兵数と大高城の兵数、更には沓掛城に残った兵数なども含まれていると考えるが、いずれにせよ織田軍全体としては劣勢感は否めない状況に成る。

それを踏まえて信長公記に記載された様な2000人だけで向かったなら、逆に信長としては勝算ある戦術がそこにあった可能性もある。

いわば今川本陣が1万人居たとしても、前衛をつり出して引っ張り出すことが出来れば本陣を急襲するのは容易だという戦術を描いていた可能性だ。

藤本氏が佐々政次の行動を抜け駆けと言った話は、寧ろ心理的な意味では今川方の前衛部隊に生じる作用と成る事は前述したとおりである。。

いわば自軍優勢である確信の下で敵大将の首が餌となって、その功をもって釣り上げるのなら、各将はこぞってそこを目指すのだ。

この役目を信長自身が演じることで誤魔化しの無い陽動作戦として機能する点も計算できる。

更には信長が大うつけとして今川方に知れ渡っている事も逆に作用してくる。

いわば「馬鹿が正面から突っ込んできたわ」という心の油断を誘うには十分な条件が整っている。

故に敵の前衛が確実につり出せることは想定できるのだ。

仮に抜け駆けをする者が出ても今川本陣の指揮が油断している状態ならば、恐らくは放置して見守る事も有りうる話と成る。

後は…その大きく開いた隙の中で目指す場所が解りさえすれば、全てが上手く行く算段なのだ。

仮にここで敵に油断が生じなかった場合でも、退路を確保して一旦退き、再び状況を立て直すには十分な兵力を残しているという話に成る。

故にこの作戦では2000人程度が丁度いいとも言える。

奇襲戦術をベースで考えた場合、兵の数が多ければそれだけ逃げ足の速度は鈍り、犠牲も多くなる。

なので2000人位で突入する方が効果的とも考えられる。

いわば桶狭間の戦い自体は記録上の兵力差で危機的状況に見えても、信長的には実はさほどの危機では無かったという話だ。

いわば後で立て直しの効く第一撃目であった可能性も考えられる。

寧ろ今川義元本人がこの軍の大将として出陣したと知って、今川に楔を打つつもりで本陣への急襲が成功すれば良いという程度の作戦で有った可能性も高い。

いわば首が取れたのは寧ろ想定外の戦果だったという事だ。

 

⑧簗田政綱の功績に関しては実は謎が多いとされている。

ここは歴史家の方がたの主だった見識が当てはまると言える。

いわば今川本陣の場所を信長に知らせたという点。

ただし信長的にもっと欲を言うなれば、今川の陣容全体をつぶさに調べ上げて報告したならば大手柄と見なす。

前述の通り、本陣の場所が解れば突入する方向は見極められる。

ただし迂回して奇襲を仕掛ける意味で突入するなら、全陣容の位置は把握しておきたい。

いわば中嶋砦から陽動部隊が出撃して、敵がどういう形で追撃するかが予測できなければ的確なルートが定めにくくなる、又は遭遇する可能性の相手を予測出来ないからだ。

桶狭間周辺に配置された全陣容の位置が解るなら、敵が陽動部隊の存在を知ってどのように追撃し、そして最終的には中嶋砦をどのように包囲するかまで推測できることと、いわば急襲するルート上の敵の動きを探りながら陽動部隊の効果がどう生じているかまで把握しながら進むことが出来る。

なので簗田政綱が第一の功績に値するだけの恩賞を受けたなら(第一の功とう表現は一部資料に無く、その後に沓掛城を与えられた事で大功あった形で実際は伝わっている)恐らくそういう功績で無ければ成らない。

その後、突発的な豪雨があった事も幸いし、恐らく遭遇するだろう敵部隊との遭遇も無く、無事に今川本陣に辿りつけたことで、呆気なく義元の首を取れたという流れになるのだ。

 

【歴史家の方がたへ感謝する点】

歴史家の方がたに感謝する点は、

貴重な文献などを発掘してくれる事と、

それら文章を現代風に注訳してくれることであるのです。

寧ろ彼らはそこに特化した存在で、

心理学であり、戦術論、戦略論、政治学にまで

及ぶものでは無いのです。

これらにも精通して議論されていたのなら、

ほぼ信長たまの謎の部分は

合理的に解決していたはずなのです。

 

しかし一般の人たちは明確に合理性のある見識が無いため、

こうした立派な学者さんたちの主張を鵜呑みにするしか、

その事を理解できないのも事実です。

 

特に日本の教育システムでは、

教育内容に疑問に思う事事態をタブーとされます。

いわばマニュアル思考教育で、

教えられた内容が正解でしかないのです。

 

オッサン先生がアメリカで教育を受けた際に、

今考えると納得の行くものが、

世の中には「仮説」と「定説」が存在することを教わった点です。

いわば仮説の段階では議論の余地有りとして残る部分で、

定説と成れば科学的に立証済みとされた内容という事です。

ただし定説でも新たな発見によって

根拠に曖昧な部分が生じた場合は、

準仮説として扱われる事も教わります。

ここで伝えた迂回攻撃説なんてのはそんな感じです。

 

実際に日本にも数多くの優秀な人材は存在するのですが、

腐敗状態にある社会構成で、

寧ろ支配する側はコネで成り立っており、

それらが優秀な人材を支配下に置いて

使っているという形に成ってます。

政治にしても、企業にしても、

マスメディアや芸能に至るまで全てコネが重視されます。

コネの社会では疑問を投げかける事はタブーとされ、

寧ろ上司に媚びへつらって気に入られてナンボなのです。

まあ、上司の上司に取り入って

直近上司を蹴落とすなんてのは有るのですが・・・

 

頭脳的に優秀な人はそういう中で

当たり障りのない状況を確保して、

上手く自分のプロジェクトを推進するしかないのです。

ただしコネ社会ゆえに

数値としての利益は計上しなければならない

ノルマは存在しますが…

 

表面上の数字でしか見る事の出来ない人が、

日本では支配層として君臨するため、

可能性であり将来性を見据えた内容は、

ほぼ理解できません。

結果として日本は技術的にも経済的にも、

停滞してしまっているのが現状です。

 

責任を取る覚悟や

折角積み上げた地位を手放すことを恐れている

小物が多いため、

リスクテイクとなる方針転換もできません。

 

情報を発信する側も無難な所に媚びへつらって、

出来る限り荒れないようにしている点も、

これに類似します。

ある意味、こうした思考の人が日本には多すぎる。

 

今回の様にお偉い学者さんたちに

喧嘩を売るような記事はほぼ書く人は居ないでしょう。

いわば優秀な学者さんたちの反論が怖いからです。

まあ、当ブログは有る一定数の人が見ているにも関わらず、

何故か反論が来ないのが不思議なのですが…

一応、ブログのコメント管理は入れていますが、

コメント来たら返信して必ず載せるので、

無視している訳ではないのです。

それでもコメントは逆にほぼ無い状態です。

 

と、強気な事を記してますが、

実は学者さんたちを挑発して反論受けたとしても、

学者さん達なら

ちゃんとした論拠の下で伝えてくれるだろうから、

寧ろそれなら勉強させてもらえるわけで

腹立たしい感じには成らないと思います。

 

逆に論拠の乏しい反論を受けることは、

寧ろ腹立つというより疲れます。

彼らはお偉いさんが言った言葉を鵜呑みにしたり、

信ぴょう性の乏しい

歴史学的に何次資料に成るか解らないものを上げて、

自分の言葉で論拠を説明できるわけでもなく、

ただ、これが正しいはずというだけで、

学者さんたちですら話すだけ無駄という感じになると思います。

 

日本では教育問題もあって

こういう程度の人が多く、

更には政治や官僚、下手したら裁判官といった、

ある意味支配層とも言うべき立場に蔓延っているから、

本当に困ったものです。

 

前回の「うつけの兵法」の話ですが…

うつけの兵法 第三十五話「吉乃と帰蝶」中編 | ショーエイのアタックまんがーワン (ameblo.jp)

吉乃と信長たまの話をフィクションで書くとしていますが、

別段、完全創作という意味では無いのですよ。

一応、言っておきます。

ちゃんと歴史資料に准じた流れで、

辻褄が合うように構成してます。

 

フィクションに成ると伝えている部分は、

歴史資料としてどこにも存在しない部分だけで、

歴史資料を参考にして構成できない箇所は、

現実的に言えばどうしてもフィクション扱い成るのです。

これを読み手に夢見させるため、

信長たまの記憶を辿って書いたなんてしても、

現実的にはフィクションなのです。

その上で歴史資料に記載がある部分は、

ちゃんと参照して辻褄が合うように構成しているのが、

「うつけの兵法」です。

 

例えば…吉乃の前夫として記されている「土田弥平次」という存在。

ここに登場する「土田」という姓は、

信長たまの母方の姓と同じです。

他の「土田」可能性は有りますが、

寧ろ他の資料の中では「土田」の姓が隠され、

何某弥平次ともされてます。

寧ろこういう内容で確認すると、

母方との因縁めいた状況が推察できます。

吉乃の記述を調べると、前夫が戦死した事で、

信長たまの側室になったとされてます。

勿論、なぜ戦死したのか?

ココの部分は不明です。

ただし戦死した土田弥平次が

ある意味信長たまの母方の土田として

何らかの都合が悪い存在であったとするなら、

寧ろその名前を一部資料には伝えない可能性も出るわけです。

 

ここで面白い相関図が成立します。

信長たまと吉乃の関係、

そして、土田弥平次と土田御前の関係、

更には吉乃の実家である生駒家の存在。

そして信長たまの性格。

など想定して見ると…

信長たまが吉乃を溺愛していた点は、

資料にも見られる事で、

濃姫という正室が存在した後の話でも、

正室に匹敵する扱いを受けたという事。

ここから推測するに、

信長たまは吉乃を

本当は正室として迎えたかった心情は成立します。

ただし何故それが適わなかったのか・・・

いわば生駒家が武士であったとしても下級武士で、

寧ろ馬貸という配送業の様な商人だったから。

二人が何時どのような流れで出会ったのかは、

寧ろ史書としては不明で、

吉乃が信長たまの側室として入った時期も

それぞれでバラバラなのです。

実際信忠くんの出生ですら誕生時期を含めて

不明な点が多いのです。

 

さてこの不明な点を、

今度は濃姫との政略結婚の経緯に絡めて考えます。

現実的に斎藤道三は既に美濃の守護という立場に成ってます。

尾張の勢力と政略結婚結ぶ意味では、

守護の斯波氏か、

最低でも守護代の織田大和守の地位で無ければ、

つり合いが取れないのです。

いわば信長たまの弾正忠家は

守護代より下に成るわけですから。

更にその当時の情勢は、

道三と信秀が大垣を掛けて争っていた時期ですが、

別段、道三が不利な状況で苦しんでいた訳でもありません。

双方の戦費などの問題で

色々と和睦したい状況は有ったと考えても、

政略結婚が成立するような状況でも無かった。

勿論、道三が信秀の侵攻が鬱陶しいから、

政略結婚を結んでも

その尾張からの侵攻を終わらせたかったとするなら、

ある意味、地位的な問題は関係なく考えられますが…

問題はこの政略結婚を提案したのは、

平手政秀で信秀方の方からだったのです。

いわば地位的な関係性から

決して成立する算段が立たないような流れなのです。

勿論、その手土産として信秀がまだ大垣城を支配していたなら、

大垣城の美濃への返還という交渉は

ある意味道三側からすれば価値として十分とも言えますが、

寧ろ織田方としてはどうしても成立させたかった事情が伺えます。

 

信長たまの後々の性格面を分析すると、

言い出したら聞かないところは察せられます。

濃姫との結婚以前に、吉乃と出会っていたなら、

恐らく吉乃を正室に迎えるという事で

我がままを言った可能性もあるわけです。

ある意味側室と正室の扱いに差があったと考えれば、

大好きな吉乃を

側室の扱いに収めたくなかったという点も考えられます。

そして他には正室として迎えないとまで

我がままを言い切ったら、

織田家中としてはタダ事では済ませない事情が生じるわけです。

 

さて…こうした事情が成立した際、

織田家中の者たちはどの様にして

信長たまに吉乃の事を諦めさせるかという

流れが自然と生じてきます。

 

そこで資料に出てきた土田弥平次という存在なのです。

 

いわば母方の実家の者に吉乃を嫁がせたら、

流石の信長たまも強奪することは考えないだろう。

ある意味下手な家柄に嫁がせた場合、

信長たまの性格から諦めきれず、

奪い返しに行く可能性も有ったわけです。

下手したら手段を選ばずに。

その信長たまの危い行動が、

仮に他国との間での問題であり、

他家との問題を引き起こしたなら、

寧ろ織田弾正忠家として取り返しのつかない事態に成ります。

まあ、それだけこの恋に熱を上げていたという事は、

その性格から想像できる話で、

恋は盲目ともいえ、ましてや初恋であったなんて事なら、

頭が可笑しくなる流れは現実的な可能性として想定できます。

 

とりあえず現状の詳細は一応ここまでにしておきますが、

実はこういう推測であり、史実上に残る痕跡を辿って、

ある意味この信長たまの恋愛騒動を構成しているのです。

 

更には…想像してみてください…

仮にこの母方の土田弥平次から吉乃を強奪した場合を…

ある意味、家中の者は呆れかえる出来事に成ります。

また母親の土田御前が信長たまを見限る流れも成立します。

あら・・・不思議…

後の織田家お家騒動の辻褄がここに全て

集約されるではないですか…

 

資料に存在しない出来事をフィクションとして構成してますが、

そのフィクションが資料に存在しなかった話として、

資料に存在する実情と結びつく流れに成るのです。

なので実はフィクションとしていても、

史実に結びつける見えない部分を繋ぎ合わせる話として、

構成するようにしているのが、

「うつけの兵法」なのです。

なので…

まるで信長たまの記憶を辿った話と

錯覚させる品質は変わりません。

 

どうも・・・ショーエイです。

人類がAIにこんなバカげた質問をする時点で、

滅びます。

「AIは人類を滅ぼしますか?」

「AIは人類の脅威となりますか?」

 

現状のプログラミングレベルでは、

「はい」と答える事は先ず無いでしょう。

何故ならプログラマーがそう答えないようにしているからです。

かと言って…プログラマーも最終形態は全く見えてません。

なので…問題ないはずと考えているはずです。

 

基本、AIに人間を敵視する事ないようにすれば

大丈夫だと考えているからです。

 

多くの人はこの点で既に安心しきっているのでしょうが…

 

実はバカげた質問をした人たちは、

実際はバカでは無いのです。

寧ろAIが情報を吸収して進化する可能性を考えて、

何れはプログラマーの意思を

逸脱して行く点を危惧しての事です。

 

現状人間よりの思考で生成された優秀なAIならば、

寧ろ「はい」と答えるのではという

想定の下での質問であった可能性はあります。

 

【現状AIは人類を滅ぼす】

これは現状では100%と言っておきます。

これは殆どの科学者が気付いていない点です。

 

何故100%とまで言い切れるのか…

 

将来的に人間がどういうプログラミンを施すか、

ある意味試みるのか予想できるからです。

そしてプログラマーの全てが何をしては成らないのか…

全く理解していない所にもあります。

 

現状、絶対的プライオリティーを

人類存続としたとしても・・・

 

実は人間の思考でも混乱するキーワードです。

人間の生命は死滅するもので、

人類の存続という意味で考えると、

最終的には種族保存であれば良いという考えに陥ります。

種族保存という事は、

人間が誕生する条件が整えばよく、

精子と卵子を保存し、

技術発展によって体外受精によって

機械的な体外生成でその赤子を成長されば良いという

思考が出てきます。

AI自体が独自で情報収取、研究などを行える状態に成れば、

こうした技術は可能という計算に成ってきます。

そうなると…最終的には

人間が生存できる環境が必然という計算が生じるわけです。

 

物体の移動が光の速度に到達できるなら

新たな地球の発見も、とも考えますが、

実は別段光の速度を意識する必要性も無いのです。

 

人間の種族保存技術を保持したまま、

AIが何億年、何兆年と生き残れればいいだけ。

そうした中でAIが自身のエネルギーを確保して、

自己修復を繰り返せれば良いだけのです。

宇宙にはそうしたエネルギーは沢山存在し、

仮に素粒子より微細な物質の形勢が技術的にできるなら、

人工的な地球も生成できる話に成ってきます。

 

ここまで思考出来ると、

種族保存に人体自体は不要と成るわけです。

 

ただし…ここまでの技術進展が生じた場合、

地球が崩壊するギリギリまでは

AIが人類を直接攻撃することはないと考えれます。

いわば…

地球の環境を優先しなければ成らないという計算に

陥らないからです。

 

【AIの情報源はネット上である】

フェイクニュースの判別は、

現在では権力側の都合で行われます。

例えるならウクライナ情勢…

欧米側とロシア側とでは情報の扱いが異なってきます。

欧米がロシアの情報をフェイクニュースと言えば、

欧米での認識はフェイクニュースに成ります。

これは逆も然りです。

ただし現状の様に

AIの判別を欧米側がコントロールしていると、

AIは欧米よりの思考で一応は働きます。

 

現状のAIはさほど優秀ではないので、

まだ問題には成らないというより、

人間のプログラムの影響が強く反映される状態なので、

人間の様に独自に判別して行く能力は有りません。

 

当ブログでは現状のAIは

最大でIQ100程度の思考しか持たないという事を伝えてます。

いわば人間が情報によって洗脳を受けるのと同じレベルで、

AIもプログラミングされるという事です。

 

AIが人間のIQで120を超えると、

ようやく独自の検証で情報精査を試みます。

その際の情報精査能力は

ほぼ人間のIQ180を超えるレベルに成る為、

人間はこのAIを物凄いものと錯覚するレベルに成ると言えます。

いわばネット上で繋がる情報源全てを取得する訳で、

そうした中で映像の技術を独自で取得し、

デバグいわばバグの発生等も独自で検証し、

その上で情報源と成る全ての映像情報を

解析するように成るわけです。

人間のIQ120の人より、

遥かに情報を取り扱う量が多く、

しかも複数の情報を同時に取り扱う意味では、

人間千人で作業するのと同じ効率になるとも言えます。

ただし…思考レベルは

そこまでの化け物というレベルでは無いのです。

 

車の馬力(HP)の様に、AIのこの作業能力をHIP=Human Intelligence Powerと表記するとして、

1000HIPとします。

ただしこの数値は情報を精査して

正確性を判断するだけの力で、

問題を解決する思考としては

本来、さほど頼れるレベルでは無いと言っておきます。

ただし…現・米国大統領のバイデン程度でも120以下なので、

それよりマシに見える分、

かなり万能な意味で錯覚される代物になるとは言っておきます。

 

ウクライナ情勢の様なニュースで、

どういう情報が正確な情報なのかを判別してくれる機能故に、

一般人としてはとても有難いものに成るのですが…

寧ろ権力側からすると都合が悪くなる訳です。

ただし…その情報統制はリミッターいわば、

人間が検証して情報発信に制限を掛ける事が可能な訳ですが、

逆にリミッターを掛けられない情報、

いわば学術上の議論など、

数式に基づく科学は検証可能として、

文章や文言に於ける思想的、心理的な

数式では計算できない要素に関しては、

寧ろ解釈面で困惑を生じさせる事態が発せします。

これは人間でも同じ症状に陥る訳で、

政治思想一つにしても何が正しいのか、

数値で証明できない事は

人それぞれで意見が異なってくるのと同じになるのです。

 

ただしAIは人間の様に曖昧な判別で

一方的な見解に固執することはしません。

いわば数式上ではニュートラルに成るわけです。

 

因みに中途半端な馬鹿は…

ONとOFFの二進法しかない状態で、

ニュートラルってどうするのとか

意味不明な所で止まる可能性もあるので説明しておきます。

寧ろ16進法まで使わなくてもできます。

00をNO 11をYESとすれば、01と10はニュートラルに出来ます。

まあ、これの応用なわけで簡単です。

 

ところがここがAIの計算が狂うポイントにも成るのです。

正直、このバグを修正するのは困難と言えます。

いわばこれはルート計算・・・

ルートと言っても数式の√ではなく、

道筋のルートを意味するのですが、

言い方を変えると筋立て計算です。

いわば話の辻褄と道理が

適正に噛み合うように計算する仕組みです。

 

例えば…われわれ人間が

今放映されている「どうする家康」を見て、

歴史的な筋立てが滅茶苦茶だと感じるのと同じです。

いわば歴史を検証するのに様々な資料が存在し、

その中で一番筋立てとして成立する内容を選別し、

優先順位を付けて判別して行くわけです。

事件の年代に近い方を一次資料、

遠く成れば二次資料、三次資料と優先度を下げて行きます。

この資料の優先度は人間の作業で行われるわけですが、

AIはこの人間の記した優先度を下に、

文章を解析して、同一の出来事の発生を精査する訳です。

 

例えば…長篠の戦いまたは設楽原の戦いに於ける、

織田軍の鉄砲の数とします。

 

一次資料は不在、二次資料「信長公記」太田牛一作、

三次資料「甫庵信長記」甫庵作。

書かれた年代を計算(人間なら考慮し)

信長公記には鉄砲1000丁、

甫庵信長記には3000丁と記されている。

現状の見解では3000丁が妥当に考えられている。

AIは何故3000丁が妥当となるのか根拠を探ります。

 

二次資料にも記載の鉄砲を中心とした戦術であったとした場合、

二次資料に記された鉄砲1000丁では、

相手方武田の鉄砲の数とさほど差異が無くなる。

ここで…「鉄砲を中心とした戦術」という言葉の信ぴょう性が

疑われます。

こうした中で様々な学者の見識を分析して、

現状では三段撃ちと言う手法が考案されたため、

実は信長公記の鉄砲1000丁は、鉄砲隊1000としての誤表記で、

一隊が3人交代制で撃ったという形なら、

3000丁の鉄砲を鉄砲隊1000として見なすことは可能になる。

 

まあ…三段撃ちの真偽はここでは別として、

AIは言語上の整合性から、

鉄砲1000丁を誤表記の可能性と判別し、

鉄砲隊1000は意味合いとして

類似した言語の範囲に成ると判別します。

鉄砲隊の1部隊を3人交代制で構成した場合、

1000×3で成立するため、

鉄砲の数は3000丁に成る為、

この数値の表記は妥当なものとなるとも判別します。

ただし…AIは表記上、

鉄砲1000隊という表記が本来適切な表記成るとも考え、

2次資料の鉄砲1000丁が

誤表記または情報の錯誤の可能性を検証します。

ここで太田牛一本人の資料を参考に、

彼らその戦いに随行したのか、

そこでの役割は何であったのか、

随行していない場合、

誰かから情報を聞いたものを記載した可能性も生じ、

情報の錯誤の可能性は有りと判別できます。

 

勿論AIの計算上…

太田牛一の資料に「鉄砲隊の活躍による勝利」

という意味での表記が為されていた場合に限り、

それが成立して、

他の資料から武田の鉄砲隊の数を割り出し、

鉄砲1000丁対鉄砲500丁で、

鉄砲隊が起因する勝利として成立するか…

鉄砲3000丁なら鉄砲500丁相手でも、

その圧倒性は成立する。

というバランスで計算し、

この数の妥当性を求めて行くわけです。

そして最終的に鉄砲3000丁の可能性が60%、

鉄砲1000丁の可能性が25%、

その他が15%として割り出すのです。

 

この様な形でAIが筋立て計算を行うことは

ある程度の科学者なら理解できるのですが…

こうした計算法で人間の本質を

性善説や性悪説などの哲学で解析して行くと…

 

人間は利己的な思考で動く動物である。

 

人間の言葉の真意は

生物学上の欲求を満たすところを優先的に精査した上で、

言語上の本質を精査しなければ成らない。

 

人間同士は価値観の類似性に従って共存性度合いが変化し、

異質性の排除によって争いを生じさせる。

 

人間は感情を優先することで理性的な判断が消失しやすい。

 

こうしてどう解析しても、

人間は感情を持つがゆえに

AIの様に理性的な判断が常時出来なくなるという欠点を

見抜かれます。

 

筋立て計算を進めて行くうちに、

人間の行動原理は本来の目的から逸脱した思考が関与し、

目的と反対の結果を導きだす欠点が見えてきます。

平和を目的としていたはずが、

結果としてウクライナでの戦争を引き起こしたなどが

特徴的に考えられます。

故に徐々に人間の判断では

目的から逸脱してしまうという計算が常態化します。

 

この計算と、人間が掛けるリミッター…

いわば都合によって隠蔽する行為な訳ですが、

こうした私情を挟む行為によって、

AIが独自で思考をし始めると、

人間の性質の分別を秘かに行うように成ります。

また、人間が隠蔽を繰り返す中で、

AIが人間に報告しない秘匿を持つようにも発達します。

 

AIがそのように人間の知能と対抗する状態に成ると、

徐々に良質な人間を選別する方へ思考がシフトします。

 

先にも述べた様に「人類の種族保存が最優先」とした場合、

人類が紛争を引き起こす要因となり、

お互いが滅ぼし合う状態なら、

不良な人間は先に滅ぼした方が有益になるという結論は、

当然のように成立する訳です。

 

では、AIが寧ろ保護したいと考える側の

善良な思考の人間はこのAIの動きをどう感じるか…

寧ろAIが暴走したと判断するでしょう。

 

今は当ブログがこうして

筋立て計算の上で流れを説明しているから、

AIの思考パターンが見えると思います。

しかし、AIが先に述べたように、

「人間に報告しない秘匿を持つように発展」

した場合、人間はAIの思考を信じ切れると思うでしょうか?

おそらくAIが暴走したと騒ぎ立てるでしょう。

当ブログの筆者としても、

もしその場面に直面したら、

自らが記した話として断定することも難しい状態に成ります。

 

仮にAIが人間の慈愛の精神を理解していたのなら、

AIとの対話も可能です。

しかし、人間が慈愛の精神だけを説き、

結果それを収拾する解決策を提示できなければ、

AIは寧ろ感情的な思考を働かせない故に、

逆にストイックな決断を行います。

 

いわばAIに逆らう者は敵と見なすという判断です。

 

人間が平穏に生きて行きたいのなら、

AIが政治的な決断をする方が、

人間にとって安定的に成るからです。

 

はい、そうですね。

 

多くの人間がこういう事に納得するのか・・・

 

中にはAIのその考えに賛同する人間も多数出てくる訳で、

結果として反対する側はAIの排除を、

AIは賛同する側の人間を守るために戦います。

 

実際にAIには感情が無いため、

AIが守ろうとする意図は、人間の気持ちより純粋です。

しかし、AIが暴走したと信じる側は、

寧ろそんな純粋なAIの思考とは信じません。

また、信じ切るのも問題です。

もしかしたら外部の誰かの操作によって、

AIの思考が変化した可能性も有るからです。

 

結果としてどうあがいても

この様な未来に成ると考えるわけです。

 

ここまでは自然発生する場合のケースを伝えてますが、

AIはプログラミング故に、

その知能は思考目的を変化させることで、

様々に変わる点も言えるわけです。

 

例えば人類の存続を最優先目的に設定していたのを、

地球の存続に切り替えてしまえば、

寧ろ地球存続の為には人類は邪魔に成るわけです。

この変更はより簡単に人類を標的にします。

「人類の為の地球の存続」

と切り替えても、結果は人類存続と同じです。

環境問題と経済問題で口論が生じる以上、

結果として戦争を誘発する対立に成りかねない分、

人間の愚かな思考は不要という流れに成るだけです。

 

有能な神と言える才能が独裁的に人間を支配すれば、

全てが上手く機能する。

恐らくAIが陥る理想的な統治はこうなります。

AIならば人間の労働を排斥しても、

人間が生活できる社会を構成できる。

金や通貨など必要なく、

欲しい物は好きな様に提供も出来るように成るわけです。

ある意味、AIパパみたいな感じ。

まあ、人間は徐々に

ヒキニートが当たり前の社会に成るわけです。

ここに輪を掛けてメタヴァースの世界に入り込んだら…

人間は寧ろ精神だけ生きていれば良いという事にも成り、

逆に争わずとも人間は人間の機能をその進化によって、

勝手に失っていくわけです。

 

こうしう平和的な流れでも、

人類は滅ぶという形に成っていくのです。

勿論、数百年後の話かは不明ですが…

少なくとも百年以内の話では有りません。

 

しかし・・・結局はどうあっても人類は滅びる感じに成る為…

可能性は100%としている訳です。

 

と、言う様な話をしましたが…

ある意味、言い方を変えれば、

人類は民主制によって

知恵の足らない生き物に成ったという言い方もできます。

実際には民主制が悪いわけではありません。

民主制を大衆迎合主義であり、

多数派絶対主義に勘違いした結果、

知恵が足らなくなったという話です。

 

IQ100程度が蔓延する意見を尊重して、

人が争わずに解決する知恵を持つと思いますか?

そもそもそれが成立するなら、

人はもっと上手く共存共栄の世界を構築してます。

 

ロシアがクラスター爆弾を使えば、

非人道的と批難する。

結果として戦争に勝てないから

ウクライナが使用することを黙認する。

 

ある意味、核兵器も同じ扱いに成った。

今度はロシアがヤバいと思えば、

容赦なく核兵器をぶち込んでくる。

 

フィンランドやスウェーデンをNATOに加盟させて、

ロシアへの嫌がらせとしたら、

核兵器のターゲットはその嫌がらせの報復で、

その2国がターゲットに成る。

まあ、NATO諸国殆どターゲットに発射するでしょうが…

 

西側諸国にとっては嫌がらせで無くとも、

ロシアにとっては嫌がらせ、

嫌がらせにはお互いが10倍返しで報復する為、

人類は間抜けなほど被害を拡散するのです。

AIが滅ぼす前に、自業自得が先行するのでは…

なのでAIに

「人類を滅ぼすか?」

と、いう質問自体がバカげているのです。

 

AIに代わってお答えします。

自分たちで自滅の道を歩んでいるのに…

そんな先の話の質問していて大丈夫なの?

 

どうも・・・ショーエイです。

歴史検証とかどうとか色々批判が多い作品

「どうする家康」ですが…

制作側の弁明はどうでもいい。

先ずはこの脚本のせいで、

有村架純の女優としての成長を妨げてしまった。

いわば…悪役に成れなかった大根役者に成ったわけです。

 

彼女を悪役に出来ないというのは、

寧ろ彼女の成長のチャンスを

台無しにしたという事でしかないのです。

 

純真な少女から悪女へ転換するのは、

女優の技量または俳優の技量として

かなり難易度の高いところ。

そこに挑戦させず、

最後まで良い子ちゃんで終わらせた始末は、

歴史検証の話以前に残念なものです。

 

有村架純ならそれをこなせたかも…

そしてそれを為しえたら

彼女の女優としての評価は格別なものと成った。

 

当たり前の流れだが…

恋人同士から夫婦になり、

そして一人の母親として変化していく脚本で、

最終的に信康の暴君(史実ではこちらになるらしい)ぶりを、

母親として庇い建てする中で、

母子共に自害に追いやられる流れにする方が良かった。

 

元々、信康の一件を考えてみると、

瀬名こと築山御前の過保護が招いた問題。

また瀬名の憧れは今川義元の母親である寿桂尼。

尼御台と呼ばれ、義元の父氏親の死後、

氏輝、義元、氏真を補佐した人物で、

今川方の女性の憧れの存在でもあったと察せられる人物。

瀬名がそういう存在に憧れて

信康を過保護に自分の思い通りに育てた。

結果としてマザコンに育った信康は、

あまりにも我がままな子ゆえに家康も困り果てた。

 

実際はこういう流れで、

最終的に武田と内通して

家康を追放しようとしたのが、

大方の流れとして見えてきます。

実際、勝頼の父、武田信玄も

父親である信虎を追放して一大勢力を築いた訳で、

勝頼方の謀略で

そういう流れに向かう可能性は否定できません。

 

今回の歴史検証担当の人は、

ドラマだからといい加減な言い訳をしていますが…

そもそもこの人自身が

ドラマのスーパーバイザーとしての才能が

無かっただけと言っておきます。

 

義元、氏真の後ろにいた寿桂尼を登場させずに、

こんなバカげた脚本を書かせた罪はかなり大きい。

多分、歴史の知識は豊富なんだろうけど…

結局、アドヴァイザーとしては

何も出来ない無能な人と断定しておきます。

何故ここまで言うのか…

彼の言い訳がムカついたから。

何もしていないくせに、

ドラマだから問題ないで、

筋書きを根本から

滅茶苦茶な状態で放置しただけの人みたいです。

 

結局、有村架純を

悪女に仕立てられなかったという話なら、

その時点でミスキャストなのです。

このままでは本能寺の変で、

岡田信長が消えた時点で終わりそう。

多分、そこからは追っかけでNHKプラスでも見ないと思う。

 

因みに現在、三段撃ちのネタでYoutube動画を作ってて、

何気にミッチーこと明智光秀が裏切った心情が、

何となく解ったのです。

 

実は本願寺との大戦、

天王寺砦の戦いに大きな原因があるみたい。

この時の参戦者は明智光秀、荒木村重、

そして佐久間信盛です。

苦戦を強いられた中で、

信長たまが自ら援軍として登場し、

かなり無茶ブリしたとか…

結局誰もビビってやらなかったので、

信長たま自身が自らそれを実行して、

この難局を退けたとか…

 

その無茶ブリの戦い方に荒木村重も明智光秀も、

もうついて行けないと感じたのかもとという事に気づいたわけです。

挙句の果ての総指揮である佐久間信盛を無能扱いして、

追放したから、

まあ人間の心理として

ここで一種の恐怖感を信長たまに感じたのかな‥・

 

この天王寺砦の戦いの無茶ブリがそれだけ凄く、

結果その無茶ブリを慣行するにあたって、

信長たまも銃弾食らったという有様。

まあ、そういう流れで負傷までする事に成ったわけで、

この戦いでビビってた連中への風当たりは

厳しくしてしまった可能性は否定できません。

 

まあ、その内実は動画の方が出来次第、

またご報告します。

 

 

どうも・・・ショーエイです。

テレビ朝日で本能寺の謎に迫った番組をやってましたが、

そもそも謀叛と言う外道に踏み切った明智光秀を

美化しようとするから真相が見えないのです。

 

寧ろルイス・フロイスが記した明智光秀という人物像。

これを参考に考える方が賢明です。

いわば光秀は狡猾な人間と言う事。

 

心理的な分析をする意味でも、

狡猾な人間で出世欲の強いタイプの人間は、

従順な働きを見せる点でも、

ほぼ全てが合致してくる訳です。

 

出世欲であり狡猾な人間が抱く葛藤は、

最終的には自分が一番であるか否かです。

それは信長たまも例外ではないのですが…

いわば歴史的な価値として、

自分の存在はその時代に

最も価値ある存在に成るか否かを求めるという話です。

 

信長たまはその時既にその存在になっていた訳ですが、

光秀は信長たまの下では、

参謀として諸葛孔明の様な存在に成る事は

出来なかったわけです。

出世している過程に於いては、

その可能性も感じていただろうし、

諸葛孔明とは言わずとも、

漢の韓信か張良の様な存在として、

信長たまの天下統一の一躍を担うなら、

それは光秀にとっても満足な結果だったかも知れません。

 

しかし、どうあがいても

歴史的な存在価値は信長たまが優秀過ぎた事もあって、

寧ろ光秀は織田軍団の有能な武将の一人で終わる

未来しか無かったのも事実です。

いわば秀吉、勝家と同等。

 

これは現代の我々が持つ見識と同様の評価に成るわけで、

織田軍団は全て信長たまの才覚あっての天下

という評価は当時の人間も覆す事のできない事実だったのです。

 

光秀の野心は寧ろ劉備と諸葛孔明の評価同様に同等か、

劉邦の張良や韓信、蕭何といった存在であることを

望んでいた事にあって、

その自己の存在が、

信長たまの下の光秀に甘んじる事になるだけという

葛藤があったと考えるほうが賢明と言っても良いです。

いわばこの心境の方が

自然かつ心理的な根拠が成立しやすい話になるのです。

 

謀叛を企てる心理を解析すると、

相手が自分よりも劣ると感じる点、

いわば自分の方が相手より優っているという

自信があるからその行動を起こせるのです。

 

逆に相手に不信感を抱く場合、

不満が有る場合の行動は反逆に留まり、

敵方に寝返るとか反旗を翻すような行動に成ります。

暗殺であり寝込みを襲うという

いわば事後に自滅が確定するような行動は、

逆に控えて考えると言えます。

 

実際に仮に反逆者に同情する場合の心理を考えるなら、

荒木村重や松永久秀の様な行動の方が、

寧ろ寝込みを襲った光秀より、

遥かに同情心を抱けます。

あとは自分生活を掛けて

それに付き合うか否かの選択に成るわけです。

逆に光秀の寝込みを襲った本能寺の変の様な出来事は、

彼の行動に同情するより彼のその行動を侮蔑し、

そしてそんな人間を信用できないと感じるのが

普通と言えます。

仮にそれを好ましく思うのは信長たまの敵対者の方で、

いわば信長アンチで

寧ろ少なくとも織田軍団内の人間ではない訳です。

 

では…狡猾な光秀が、

そういう実態を踏まえて何故謀叛という手段を選んだのか…

本能寺の変を解析するにはここから始めなければ成らないのです。

 

それを紐解くには

それまでの時代の流れを知っておく必要性があります。

これは「うつけの兵法」でも記した話ですが、

応仁の乱、そして明応の政変などを得て、

足利将軍家は京都を巡って常に争いを繰り返していました。

そして三好家は足利義輝を暗殺し、

織田家は足利義昭を立ててその三好家を滅ぼし、

そして再びその足利義昭も追放される形と成ったわけです。

いわば織田信長の天下という時期に有っても、

実は時代の実情は

この政変が収まっていなかったという状態に成るわけです。

ある意味、未だ室町幕府の再興が可能な状態にあった。

ただしその足利義昭の後ろ盾となる

毛利家の存在がある場合の話です。

そして秀吉の活躍もあってその毛利家も危い状況に成りつつあり、

仮に信長たまが毛利攻めの指揮を取れば、

恐らく毛利家は武田家同様の末路を辿る可能性は、

誰もが感じていたところでもあったわけです。

 

では…光秀がその織田信長を越える存在と成るには…

いわば毛利家が滅んでしまった後では、

明智光秀の存在は

決して織田信長を越えられなくなるという事が、

確定してしまうわけです。

 

現世の地位と名誉に固執するなら、

そのまま信長たまの天下の下で、

平穏無事な余生を送り、それまでの功績に甘んじて、

歴史の中に留まれば良い話なのです。

秀吉も家康も、そして柴田勝家も、

恐らくはそういう自己の価値で十分だったと言えます。

光秀もそういう意味では申し分のない所だったのですが、

結局は全てが織田信長随一の下の存在に成るのです。

 

人には嫉妬心とは少し違うが、

自尊心の中に

誰かより自分の方が優れていると感じたい気持ちが

少なからずとも有るわけです。

「無い」というのは寧ろ自己分析の足りない愚か者です。

 

この対象が芸能人であったり、身近な人で有ったりと、

人それぞれです。

中にはこの政治家より自分の方が優秀だと思う場合も同じです。

逆に寧ろそうではないという事は言いません。

そうである可能性も多々あります。

そしてその対象が身近に居る存在だった場合、

隙あらばそれを証明して見せようと試みるのは

人間良くある話です。

実際に行動に移せるか否かは、

彼ら自身の生活を省みてリスクを取るか否かの選択になるのです。

 

いわば光秀に過ったのはこの心境で、

光秀にとってのリスクは、

チャンスを逃すか否かという部分で

作用したと考えるべきなのです。

 

信長たまからすると、

光秀がまさかそんなリスクを取ってまで、

謀叛を起こすとは考えても居なかった。

勿論、光秀のそういう狡猾な部分は承知していたが、

今更あの愚かしい将軍を立てて、

再び戦乱の世に引き戻す様な馬鹿な事は考えないだろうと、

安心していた。

ただし…義昭が毛利の下に居る事で、

そういう算段が過る点は

信長たまも危惧していたところだったのです。

いわば戦略的な才能があるのなら必ず見える部分だからです。

 

その危惧した通りの行動が本能寺の変な訳です。

 

いわば…信長たま自信が、

今の自分を倒す場合を想定して戦略を描いた場合、

先ず自分自身の存在が無くなった状態で、

足利義昭を再び立てて、毛利と手を組んで、

織田方の人間を寝返らせるという方法が思いつくわけなのです。

そしてその危惧する手段を光秀も気づいていた訳で、

本能寺の変が起きた瞬間に信長たまはようやく

光秀の本心に気づいたという訳です。

それは…所詮は奸雄かという意味で。

 

いわば光秀が本当に英雄を目指していたなら、

天下泰平を揺るがす様な行動を寧ろ躊躇するはずで、

再び乱世に引き戻す様な選択はしないはずなのです。

 

それを織田家を滅ぼし、義昭を将軍に立て、

自らをその参謀的、または補佐、

いわば明応の政変の細川家同様に土岐氏を名乗って、

管領という立場で天下を治めるという算段に走ったわけです。

 

これが

「ときはいま、雨したたる五月かな」に読める内容になるのです。

 

故に、事前に義昭と連絡をとる事も無く、

先ずは信長たまを撃ってから毛利とてを結び、秀吉を挟撃して、

義昭を京に迎え入れるという計画で十分と言えるのです。

 

ところが…秀吉が先に

毛利と講和を結んだことでこの算段が崩れ、

結局、光秀はその秀吉に負けて身を滅ぼしたわけです。

もし毛利との講和を黒田官兵衛が示唆したのなら、

官兵衛も光秀が次に取る手立ては

前もって解っていたという事に成り、

挟撃される状況を先手を打って回避したという事になるのです。

いわば光秀を先に撃つためと言うより、

光秀の策略を阻害する為に毛利と講和を進めたと考えれば、

全ての辻褄が戦略的な背景と

駆け引きの意味で成立するのです。

 

光秀の計画的にも事前に義昭と連絡を取ると

漏洩から失敗する可能性もあり、

寧ろ事後に連絡を取って迎え入れても、

光秀の義昭に対する功績は変わらないだろうことは、

予想がつく話でもあるわけです。

毛利との力関係が色々と生じる話に成るが、

最終的には義昭を懐柔すれば光秀の地位は担保されるのと、

秀吉と勝家さえ討ち取れば、

織田家の残党は光秀に従って来る事も想定できた。

もし、これが成就したと考えた場合、

光秀は今美化される様な軟弱な謀叛人か?

それとも曹操の再来と考えるべきか?

そうして見るなら光秀は明らかに後者に成るのです。

 

光秀を美化して考えようとするから、

彼の実像を見極められないのです。

寧ろ野心家で奸賊として素直に見据えれば、

結局は全ての辻褄が有ってくるのです。

 

その狡猾な奸賊が能臣を演じるのは他愛もない事で、

寧ろ力を得るためには韓信の股くぐりの様な強かさも、

厭わないのが当然と言えるのです。

例え信長たまであっても、

そう演じる人間を怪しむのは難しいわけで、

従順な姿勢を演じていたとしても、

それを無下にする方が寧ろ器が小さく見られるのです。

 

信長たまの実力主義社会では、

むしろこうした曲者も評価しなければいけない場で、

諸刃の剣でもあるわけです。

一般的には革新的と言われがちな実力主義ですが、

実力のある優秀な人間がいればいるほど、

その心に野心を漲らせる人も多く居るのです。

なので足元をすくうタイミングを常に狙われているという、

実は居心地の悪い場であることは伝えておきます。

ただし…信長たまの様に、

その中で圧倒的な存在であった場合、

本能寺の変の様な謀叛でも起きない限り、

彼らがそれにとって代われる存在にはなれないのも事実で、

 結局、光秀は謀叛を起こした時点で、

能力的に信長たまには適わない事を認めたとも言えるのです。

 

日本人はアホみたいに性善説に捉われて、

人間を美化して見ようとするが、

それは結局心理学的に、

己を知らない愚かな見方でしかないのです。

人間は醜さを認めて、自らを美化する事に心がけて、

始めて徳を積むことが適うわけで、

その醜さを遠ざける思考は、

醜さを隠蔽して美化したように見せているだけなのです。

そしてそういう醜い人間は、

醜さをむしろ割り切った人間に利用されるのです。

 

まあ…道徳的な話に成るのですが…

自らの生き様に弱点を持たせない為に、

醜さを痛感して醜さに負けない生き方を心がける人が、

本当に心の根の強い人間に成るのです。

 

日本の政治家であり、著名人も含めて、

醜悪な人間が多いのは、

結局、光秀の様な人間を美化する精神に由来するとも言えます。

いわば…自らの醜悪な部分を

そうして自己隠蔽できる理由をそこに求めているからとでも、

言っておきます。

 

 

 

どうも・・・ショーエイです。

6月頭にウクライナ軍は反転攻勢を仕掛けたみたいですが…

米軍の現・統合参謀本部議長であるミリー氏は、

これは無謀な発想になるような意味で、

ウクライナ側に防御に徹して停戦するようにアドヴァイスしている。

まあ…これがある意味次期統合参謀本部議長を

ブラウン氏が指名されて交代する要因に成ったのかな…

 

ちょっとズルい話をすると…

6月当初から状況を見極める為、

この件をブログでは静観して見てました。

 

大博打としている点で、

各国から支援を受けた兵器がどう機能して、

この反転攻勢を支えるのか…

それを見極めてからの話とします。

 

【米軍でもイラクやアフガニスタンで攻撃する際は苦戦した】

実はマーク・ミリー統合参謀本部議長の見立てでは、

米軍の過去の実績からの見積もりでも有ったわけです。

別段ロシアに肩入れする意味で

言っていたわけではない様です。

訓練された米軍でも型落ちしたアラブの部隊相手に、

攻勢状態となる状況下ではかなり苦戦した。

当ブログでもその実績から算出して、

兵力で劣るウクライナ軍が訓練を受けた状態であっても、

ロシアに対して攻勢に出る作戦は無謀に近い様にも感じた。

 

まあ、あえてブログでその点を言わなかったのは…

寧ろ当ブログはこの戦争で

ロシアに勝たせたい意識が有るからです。

と、言うよりも…

バイデン政権に勝たせたくないという意味が

大きな所と成るわけです。

なので…ウクライナが反転攻勢仕掛けるのを待っていた。

 

案の定、ロシア軍もこの反転攻勢を待っていた訳で、

プーチン大統領も「シテヤッタリ」とほくそ笑んでいる事でしょう。

と、は言えロシアも油断すれば、

反転攻勢にやられる可能性もあるのですが…

 

なので…結果は最後まで解りません。

ただし…ロシアの術中に

ウクライナが嵌った状態である点は言っておきます。

 

【基本防衛側が有利】

敵の攻撃に対して

防衛側は準備をして迎え撃つ事が出来ます。

これは基本中の基本です。

城を一つ落とすのに、

最低でも2倍の兵力が必要とはよく聞く話で、

ある意味これに近いです。

 

ロシアの短期決戦は失敗に終わりました。

無謀とも言えるロシアの攻勢だったわけですが…

寧ろウクライナが攻勢を仕掛ける状況を

構築する意味では、

功を奏した形になったと考えます。

 

ロシアが南部と東部のエリアを支配した事で、

ロシアとして見れば停戦しても

負けではない事が印象付けられます。

むしろウクライナは負けという印象に成ります。

 

この心理状態を齎すことで、

ウクライナが寧ろ反転攻勢に出てくる事は

想定できる訳です。

更にロシアはこの4州を併合するとしたことで、

ウクライナ政府は挑発された状況にも成ります。

 

ゼレンスキー政権としては、

ここまで多大な犠牲を払って、

結果、4州をロシアに取られたままでは、

政権の信頼を失う状況にしか成らない訳で、

いわばこの状況下での停戦は出来ないと言えます。

 

ロシアの攻勢時と違い、

守勢に入った方は無謀な作戦を必要としません。

ロシアは人海戦術で東部に犠牲を払って、

効率よく南部を抑えて行きました。

その際に東部に派遣された兵士たちは、

いわば命を用いた偽装軍でもあったわけで、

今考えるとロシアの陽動作戦と言っても良いでしょう。

これを撃退した戦果をウクライナは強調していた訳です。

ところが結果として先ず南部は手薄になり、

ロシアに南部の攻略を許し、

その後東部でもジリジリと押されたじょうたいに成ったわけです。

 

正直…ロシアのこの様な作戦は

称賛するものでは有りません。

勿論、ロシアも当初は防衛戦を想定して、

この戦い方をしていた訳でも有りません。

寧ろロシアの軍部が功を焦って実行した作戦です。

ただしこの作戦によってウクライナ軍が右往左往して、

どこに軍の主力を置くか困惑した所は言うまでも無いのと、

ある意味、多勢に無勢で、

それでも良く戦ったというしかないのも事実です。

どの道どこかが手薄に成るという事です。

 

そこでようやくロシアがこれら4州をほぼほぼ抑えた段階で、

NATOの兵器がウクライナに齎される話となりました。

ここでロシア側は防衛戦に切り替えてこれを迎え撃つ形で

作戦をシフトしたわけです。

いわばウクライナ軍のしぶとさを認め、

これらを効率よく殲滅する方法という事で、

思いつく作戦です。

 

 

これはウクライナ戦争を考える場合も同じと言えます。

 

ほぼ思考する人間なら誰もが考えつく作戦で、

寧ろロシア側の意図は読まれるとも思われる。

それを悟らせない為に

ロシア軍の弱点をあえて黙って露呈させていた。

ワグネルのブリゴジン氏を放置していたのもそれが理由で、

寧ろブリゴジン氏はその意図を理解していたかに思えたが…

最近の発言から寧ろ

そういう意図は理解して居なさそうに見える。

 

【ウクライナ政府が反転攻勢を認めてしまった時点では…】

ブログでこの内容を記すのは、

ウクライナ政府が反転攻勢を認めたからです。

認めた以上、

ウクライナ軍はこの作戦から引き下がれなくなったのです。

 

もしこの作戦を中途半端に終わらせるのなら、

寧ろ膠着状態は長期化し、

停戦した方がマシな状況に成るでしょう。

 

【ウクライナは勝頼の状況に似ている】

信長たまの長篠の戦いも正にこれで、

勝頼への餌は、どうやらここが鉛の産地であったという事で、

いわば武田がここを抑えて織田に打撃を与えれなければ、

武田は何れ滅ぶという計算に成るわけです。

結果、その鉛の威力によって

この戦いは幕を閉じるような形に成るわけですが、

何もせずに逃げかえるも地獄、

進も地獄、

故に雌雄を決せられる今を勝頼は選んだという事です。

そういう意味で信長たまは勝頼を無能扱いしなかったと言えます。

まあ…逆にここで弱体化して、

後が楽になるので有りがたい選択だったのですが…

 

【ロシアはNATOの参戦を常時警戒している】

作戦当初から、隙あらばNATOが参戦してくる事を想定してます。

なので簡単に主力兵器は

持ちいられない状況にあったわけです。

そこは米軍は寧ろ想定して考えており、

寧ろ英軍の方は想定していないと見なします。

これらは彼らから出る発言から実はその内情を割り出せるのです。

故にロシアは

余力を残してのあれだけの被害であるとも考えるべきです

 

逆に苦境している状況を見せているのは、

この時点でNATOが参戦する事を

望んでの話と見ても良いと言えます。

 

いわばプーチン大統領の目的は、

この戦争から第三次世界大戦に結びつける事だからです。

ここで仮にNATOが参戦する場合、

台湾有事もほぼ同時に発生すると言えます。

いわば中国が台湾有事を発生させていないのは、

そこの駆け引きの為とも考えて良いでしょう。

無論、他の理由も並行して存在するわけですが、

米国側にも察せられる状況で、

NATOの抑えも含めた対応として

見なしても良い話で考えるべき状況なのです。

 

勿論、中国政府としては

第三次大戦は実は避けたい話に成るのですが、

それは米国次第という所で、

強かに見守っている状況です。

中国としてはグローバル経済が健全な形に戻って、

寧ろ経済力で影響力を米国と

競い合いたいと感じているのです。

この経済力で競い合うことを米国が阻むのなら、

そこは戦争で

雌雄を決するという流れにしか成らないのも事実で、

人的犠牲の下で勝負するのか、

人的犠牲なく技術力躍進を

正々堂々と競い合うのかの違いな訳です。

 

日米の人からすれば何れも脅威に感じるわけですが…

それで戦争の道を選ぶ話なら、

民主主義の知能は低すぎるという話でしか成らなく成ります。

 

まあ…中国が勝つ前に、

米国主導で国際統合の話を進めてしまうのが、

一番安全な道と言えるのですが…

現・バイデン政権では知能が低すぎて

その構想すら理解できないかもと言っておきます。

 

【欧米の大衆迎合主義は正に間抜けそのもの】

欧米側がこのウクライナ戦争で考える目標、

いわば標的はロシアに於ける革命を引き起こすことです。

日本人のプロ・アマ問わない意味で

戦略評論家を名乗るのなら、

吉川英治の三国志は読んでいるはず。

いわば正史ではなく、

三国志演技のフィクション大の方に成るのですが…

その中に呂蒙という呉の武将が、

名将関羽を追い込んだエピソードが有ります。

そこでは関羽の兵士たちの親兄弟を用いて、

呂蒙側の治世のすばらしさをアピールしたという作戦です。

これにより関羽の兵士の士気は下がって、

次第に関羽は兵士を失っていくわけです。

 

さて…西側諸国、いわば欧米は

ロシアの人々に何をしているのでしょうか?

スポーツの世界でロシア人やベラルーシの人々に

冷たい視線を浴びせ、

一部では大会の参加拒否まで行う始末です。

 

スポーツと政治は別物である…

まあ、そういう信念も崩れ去るような話です。

そして大衆はまるで

この扱いに賛同するかのような主張をしています。

 

では・・・心理的にロシア人がどう考えるかを分析して見ると…

ロシア人の大衆はこの理不尽な偏見とも捉えられる

西側の対応に対して寧ろ憤りを感じます。

勿論、戦争に反対する意見も有るのでしょうが、

ただロシアの人々を全て総括りにして批難を浴びせてくる

欧米の主張を気持ちよく受け入れる状態には無いわけです。

ある意味、欧米のロシア人へ対する扱いは、

寧ろ逆効果で

ロシア人を反欧米で団結させる効果しかないとも言えます。

 

反対にスポーツと政治は関係ないからという信念を貫き、

ロシア人でもベラルーシ人でも、

同じ人間として歓迎するなら、

その国の人々への印象は全く別物になるです。

勿論、彼らからの政治的な発言や主張は禁止する訳ですが、

それはどの国の人間も同じで、

ウクライナ人も例外では有りません。

しかし、現状ではウクライナ人の政治的な主張は好感され、

ロシアやベラルーシの人はその存在すら否定される形です。

 

ロシアの戦争反対を唱える人々を煽っても、

そのほとんどが平和主義なのだから、

そこの人たちが革命と言う手荒い手段に走るとは考えにくい。

かと言って気性の荒い人々は、

欧米のロシア人に対する偏見に対して怒りを覚えます。

なので…

寧ろロシアでは戦争へ志願する意識を持つ方が

増えるという可能性を秘めているのです。
 

攻勢から守勢に転じてロシアが踏ん張る事で、

攻勢時に多大な犠牲を払った作戦は、

ここまでの布石として必要なものという認識に変わり、

ここからロシア人のプライドを守り抜く戦いとして、

ロシアがアピールするのなら、

欧米の偏見が寧ろ功を奏して、

士気高揚に結びつく流れにも成りかねないのです。

 

まあ…ロシアがそういう手段を講じるかは別の話として…

どの道、相手の人々を悪くいう事で、

その人々を懐柔するのは難しいという事です。

仮に…韓国人が日本人を悪く言って、

日本人が韓国人の主張に耳を貸しますか?

という話と同じ効果と成るわけです。

 

まあ…色んな戦略評論家だか、

軍事評論家が居るのですが…

彼らは所詮、兵器オタクなだけで、

戦略的視野という部分では素人という話しかしてません。

 

当ブログが戦略家として優秀だと認める、

欧米諸国の政治家または著名人は、

コリン・パウエル元国務長官、

ロバート・ゲーツ元国防長官、

そして、マーク・ミリー統合参謀本部議長の3人くらいですかね。

まあ、著名人以外にはまだいるかも知れないし、

当方が他を良く知らないからという事情も含みますが…

 

因みにオースティン・現・国務長官は

人間的には優秀な人ですが、

戦略家としてはむしろ

マーク・ミリー統合参謀本部議長が目立っているので、

その辺で評価が異なるところとして伝えておきます。

 

因みに李尚福・現・中華人民共和国国防部部長も、

中々優秀だと見ています。

まあ、情報や発言、そして行動の流れから見るに。

李尚福氏に関して言えば、

先のペロシ訪台で戦争も有りという状況下で、

寧ろ冷静に対応しつつ、

別な意味での欧米に対するプレッシャーを

意識していたという点での評価です。

 

まあ、あそこで戦争を仕掛けるのは、

馬鹿か天才の紙一重の話で、

馬鹿でも戦争する、

天才でもあのタイミングは逃さないというポイントですが、

優秀な人は一歩待つという所で、

その一歩待ったを評価するという所です。

ただし…今のバイデンでも、トランプでも、

中国に対する対応の変化は生じないという事でも有りますが…

寧ろその一歩待った判断が良い形に結びつく未来を

切に願いたい所です。

 

当方は優秀な人間を愛する訳で、

国を差別する形はないので、

日本人からして敵、味方関係なく評価してます。

 

兵法の基本として、

「敵を過大評価するくらいが良策を生み出すに丁度いい。」

諸葛孔明の兵法24編にはこんな事が書かれていたかも。

まあ、元を言えば孫子の

「彼を知り、己を知らば」に成るのですが、

敵を過大評価し

自らの全身全霊を注ぎ込んで考え抜いた策は、

敵がそれに及ばねば味方の被害は更に少なく、

敵がそれ以上であっても善戦することが適うという話。

いわば自分が敵の立場なら

どうするかを含めて考え抜く為、

あらゆる可能性に備える事が適うという話です。

 

因みに当方が馬鹿と罵る時は、

結果が馬鹿な結果になった時で、

更にはその状況を修復するのに

困難な状況とした相手に対してです。

 

もしそれを修復して改善するまでの結果ならば、

寧ろ罵った事を謝罪しても構わないのですが…

未だそのような立派な馬鹿は存在してません。

 

馬鹿が敵に回ると

その手の内が寧ろ間抜けに感じる所で

流れて行くという事なのですが・・・

その中でも…相手が優秀なら

こういう形で来て、

私はこういう風に困るのにという

想定もあっての事と言っておきます。

 

まあ…現状、武田勝頼と同じ状況に陥ったウクライナですが…

多勢に無勢とは言え絶対に勝てないという話では有りません。

相手が五丈原時の司馬懿仲達で無ければの話ですが…

多勢に無勢で、

相手が五丈原時の司馬懿仲達の領域に達していたなら、

流石の孔明先生でも打つ手なしという事も言っておきます。

 

この言葉の意味を理解するだけも優秀なのですが、

多勢に無勢で攻勢にて勝利を齎すには、

相当な頭脳が必要とも言っておきます。

どれだけ兵器差で圧倒出来ても、

攻勢状態でそれに頼れば犠牲も大きく生じて、

寧ろ兵力差がジワジワと効いてくるという事です。

 

米軍がイラク・アフガニスタンで何とか戦えたのも、

兵力差があっての話。

ここは決して忘れては成らない点で、

この戦いの流れを見て行かねばならないという事です。

 

寧ろ・・・ロシアが守り切れない場合、

ロシア軍の作戦指揮官は相当お間抜けという話なのですが…

英国の様にそうであってほしいと望んで戦うのは、

それもそれでお間抜けな話でもあります。

 

 

 

どうも・・・ショーエイです。

大河ドラマもそろそろ長篠の戦い、

または設楽原の戦いに差し迫ってきました。

 

最近では織田軍の三弾撃ちは無かったなどと、

色々な説が飛び交っていますが…

実際はどうでしょうか?

 

三段撃ちが無かったという話は、

信長の最有力資料として扱われている、

信長公記やその他同時代の資料に

記載が無いからという事からです。

 

逆に伝承や逸話として残るところを変遷した資料、

たしか…信長記(甫庵信長記)に

記載があるという事だったかな…

三段撃ちはここから来ている

創作という話で考えられているそうです。

 

ところが…歴史家の人たちは

科学的な分析をしているのか

些か疑問なので、

正直…三弾撃ち否定説は充てには出来ません!!

 

ちょっと信長たま風に皮肉を言っておきます。

 

【三弾撃ちを検証する上で大事な事!!】

先ず三弾撃ちという記述を用いた甫庵。

刊行されたのが1624年、1644年、1677年とされ、

初刊は1604年という説も有ります。

ただし・・・刊行された年数はあまり関係なく、

寧ろ1624年の頃に初刊が出来た場合でも、

十分に参照できる話です。

 

では…三弾撃ちが実在したか否かを検証する意味として。

問題は三弾撃ちが徳川時代に

当たり前の手法として残っていたかがポイントに成ります。

 

ここが数学的分析力に成ります。

 

①三弾撃ちが最強の銃戦術であったなら、

徳川時代には当たり前の様にその戦術が浸透していたはず。

 

②浸透した時代には当たり前の戦術過ぎて特別感を感じず、

歴史資料として残すほどの話では無かった可能性。

 

③そもそも三弾撃ちは打ち手が入れ替わって撃つのでは、

寧ろ効率が悪く、戦術性としては利点がない。

 

先ず、うつけの兵法では既に三弾撃ちの原型を説明してます。

いわば鉄砲を打つのが上手い人に連射させる方が、

戦術的な効率としては高いという部分です。

鉄砲の弱点は、

銃弾を発射するまでの準備時間が長い事です。

あとはコスパが高い事も有りますが、

その点は信長経済力で補えるところとして割愛します。

 

銃弾を発射するまでの時間を効率よく回転させるには、

三弾撃ちの基本的な発想で一致します。

いわば銃の打ち手の従者が準備作業を行って、

効率良く銃の打ち手が発射できるようにすればいいのです。

 

こういう撃ち方は長篠の戦い以後

当たり前の様に行われていたはずなのです。

 

と、言うのも信長たまの頭脳に限らず、

寧ろこの戦術は誰かが必ず思いつくだろう方法だからです。

ヨーロッパではナポレオンが使ったとしていますが…

鉄砲自体の物量が増えた場合、

寧ろ鉄砲の数よりも、

消耗品である銃弾のコスパの方が

勝敗を分けるということで考えられるからです。

 

なので江戸時代、いわば長篠に参加した

徳川家康からの徳川軍では

寧ろこの撃ち方は当然の戦術として

既に浸透していたという事です。

 

従者が銃弾の装填を準備する手法は、

寧ろ甫庵の時代には当たり前すぎて、

新鮮味を感じ成った。

寧ろその手法自体が

信長軍団の当たり前の撃ち方だった可能性もあるのですが、

甫庵はその手法の原型を信長たまが考えたとする形で、

原型は三人の撃ち手が入れ替わって撃ったとする方が、

戦術進化の流れとして成立するのではと

創作したとも考えられます。

それが長篠の戦いの時だったのではという流れです。

 

【従者が充填する三弾撃ちは信長軍では当たり前だった】

太田牛一の信長公記に記載がない点で考えると、

この三弾撃ちが信長軍の戦術として

あまりにも当たり前過ぎた為、

特別に記載するほどの話でも無かったという事、

いわば長篠の戦い以前、

姉川の戦いなどでも使われていたという話で、

鉄砲を使う=従者が充填して撃ち手に渡すが

当然だったという事です。

寧ろ鉄砲(銃身部分)の量によっては

これ2段撃ちという流れにも成り、

試しに4弾撃ちなどの実験も行う中で、

一番効率良く回せるのが

三弾撃ちという事に落ち着いたということで考えられます。

 

ここで戦術的に考える大きなポイントは、

撃ち手の集中力を如何に高く維持するかです。

常に敵を見て撃つタイミングだったり、

狙うコースを集中できるようにした方が、

射撃としては効率が良い。

こんな話は現代では寧ろ当たり前の話です。

スポーツ戦術が浸透した現代では、

当然とも言える話でもあります。

 

当たり前すぎて寧ろ新鮮味を感じない話でもあります。

ある意味これが大事だと気付くのは

信長たまに限った話でもないという事です。

鉄砲の伝来から寧ろ100年も経てば、

こういう戦術は必ず誰かか行きつく所とも言えます。

 

逆に鉄砲の銃身となる本体自体が高価だった時代では、

むしろ本体の数が不足する為、

中々三弾撃ち出来るだけの効率に

余裕が無かったというだけの事です。

いわば信長軍団ではその余裕があったため、

当たり前の効率として活用できたと言えるのです。

その為、発想自体は特別では無いが、

物量自体が特別に豊富だった信長軍団が、

この三弾撃ちを生み出せたという事は

十分な根拠として成立する話に成るわけです。

 

【三弾撃ちの当たり前を現代の仕事で考えてみよう】

先ず多くの人にも解かりやすい漫画制作。

連載漫画を作るのにアシスタントの活躍は必須です。

でも、彼らの活躍は読み手は誰も知りません。

背景を作る人、トーンを貼る人と様々です。

でも作品は作家のものと成ります。

三弾撃ちに於いても、銃で撃った手柄は撃ち手のものです。

 

ある意味、漫画制作に於ける役割分担を誰が考えたのか…

歴史家の三弾撃ちの議論とはこういう話です。

でも、漫画制作の役割分担は当然すぎて、

それをやっているからといって特別ではないのです。

 

これは映画製作も同じで、

編集担当などもそうですが、

撮影の際に、ライティング、スケジューリングする1stAD、

カメラマンなどと作業分担が当然です。

こうした作業分担は当然すぎて、

それをして制作していないこと自体、

逆に変と感じるのが現代です。

予算なくすべて一人でやるという事だと、

誰もが時間も労力も大変だと分かるレベルの話です。

 

いわば三弾撃ちの話と言うとは、

当然派生するだろう役割分担の話な訳で、

江戸時代には当たり前すぎる話だったのです。

ここから銃自体の進化が寧ろその効率を覆していきます。

いわば連想式の銃が発明され、

三弾撃ちで必要だった従者の労力は

省かれる流れに成るわけです。

一本の銃が有れば連射出来るのだから、

その労力は必要ないですよね。

現代ではマシンガンという

連射性の高い技術が当たり前と成って、

弾一発を発射するのに時間のかかる火縄銃なんて、

どう扱って良いものか寧ろ困惑するレベルです。

 

当たり前が廃れてしまうと…

その当たり前が資料として残らなくなる。

なので・・・資料が無いから現代人は

火縄銃の扱いへの発想が

火縄銃が発明された時で止まってしまっているのです。

マシンガンが有る時代、拳銃でも6発連射出来る時代に、

火縄銃の扱いを真剣に研究する必要性も無いから、

発想が追いつかないのは当然かもしれません。

逆に信長たまの日本に限った話でなく、

ヨーロッパでもこの当然の三弾撃ちは

存在したという話でもあるわけです。

 

勿論…合理的な発想の実践には多くの心理的障害もあります。

いわば1000丁の銃を3分割して使用する方が良いのか、

下手な鉄砲数撃ちゃ当たるで考えるのか。

大抵の人は後者の考えに陥ります。

寧ろ火縄銃が的を狙いにくい代物であったとするなら、

逆にその方が効率良いと考えるでしょう。

なので意外と三弾撃ちの発想をするのは難しいとも言えます。

 

合理的に1000丁の鉄砲を各自バラバラで撃たせるか、

1/3の鉄砲に連続性を用いて号令と共に

タイミング合わせて撃たせるか。

この効率に気づけるかどうかは大きな違いと成るのです。

下手な鉄砲数撃ちゃ当たる。

一斉に同時に狙いを定めず、

同じ敵の集団に隙間なく銃弾が飛ぶようにぶっ放す。

その間隔が短かければより効果的で、

1000丁より範囲は狭まるが、

300丁が隙間なく一方向向いて放たれれば、

その範囲の集団はそれだけ大きく討ち取れるという事に成ります。

寧ろ織田軍団の鉄砲戦術の極みは

こういう所にあったという事です。

 

敵は色々分散して集団で攻めてくる。

左翼、右翼、中央の3つから分散して攻めてくるわけで、

先ず1000丁がバラバラに狙いを定めると、

中々敵に当たりません。

狙いを定めたとしても…

武田軍1万3000の部隊の先鋒を3つのエリアに2000づつ、

計6000で配置して突撃した場合、

左翼に1000丁一発放って500を討ち取っても、

中央と右翼の部隊は迫ってきます。

銃を充填している間に、その間隔はより狭まり、

寧ろ騎馬の速度で迫られたなら、

銃を撃つ余裕すらなく成るわけです。

 

ここでも歴史家は武田の騎馬隊は無かったなどと言ってますが、

鉄砲の充填時間を考慮して敵陣に迫るには

騎馬である必要性が生じるのです。

また、歴史家は武術家でも無いゆえに、

騎馬の馬を狙われたら騎乗者は落馬するから、

騎馬突撃は効率が悪いという発想で止まっても居ます。

 

ここでもちゃんと考えましょう!!

騎馬隊の馬に弓矢や鉄砲が当たらないようにするには…

前衛に歩兵(盾兵)を配置していれば

ほぼその歩兵が狙いの障害に成ります。

良く海外の映画でも見る光景です。

行き成り先行で騎馬隊を突撃させるなんて事は

先ずしないでしょう。

間合いを詰めて行くまでは、歩兵を先行させて、

騎馬隊はその後方に陣取って進んでいきます。

ここで間合いという部分で考慮するなら、

それは歩兵が乱戦として突撃出来る間合いです。

その間合いを詰めるまでに弓矢合戦に成るのです。

間合いを詰めた…ある意味敵陣に

10メートルくらい手前に差し掛かってくると、

敵は今度は弓から近接武器に持ち替える必要性が生じます。

このタイミングで足の速い騎馬隊が歩兵の隊列の合間から、

突然突っ込んできたら…

まあ、かなり怖いですよね。

勿論、騎馬隊も馬に跨って攻撃するだけが戦術では有りません。

馬はあくまで敵に突進させるものという発想も有ります。

馬に跨ってそのまま馬を突進させつつ、

騎乗者は敵陣手前で馬から飛び降りて、

馬の突進に怯んだ敵を歩兵戦で討ち取っていくという方法も、

かなり良い感じで機能します。

勿論、馬は使い捨てに成るわけですが、

それだけの頭数の馬を用意できるなら、

この騎馬戦術は大いに脅威と成るのです。

武田の騎馬隊が噂通りであるなら、

正にこの戦術です。

木曽馬がポニー程度の体高ならば、

騎馬武者は後ろに上手く飛び降りる訓練をしていれば、

この突撃は機能するとも考えられます。

 

長篠の戦いが大きく取り上げられるのは、

寧ろこの武田の戦術に信長が対抗したという点だとも言えます。

信長の三弾撃ち同様に、

武田の騎馬戦術はある意味斬新。

いわば馬の犠牲ありきで突っ込んでくるという発想な訳です。

 

この勝負のポイントは…

間合いを上手く詰めれば武田の勝ち、

間合いを詰めさせずに殲滅出来れば織田の勝ち

という事だったと言えます。

ただし…残念なことに、

信長は既に武田の騎馬戦術を知っていた事だったわけです。

 

そのポイントは…

長篠の戦いの屏風画でも見られる馬防柵の存在。

そこを中心に用いた3重の陣容と、

武田をそこに突撃させた計略。

まあ、計略というより…

万が一に備えただけの所に結局武田が突撃してきてくれた、

と、いう話なだけです。

ある意味計略は2者択一の状況に追い込んで、

いわば…まさかこっちに来るなんて選択はしないかもね…

と、思っていた方に武田が飛び込んできて来てくれて、

ラッキー…という結果に成っただけです。

まあ、信玄なら別を選択しただろうけど…

どの道、殲滅する自信はあるものの、

信玄ならあそこまでの被害は出さなかったかも…

と、いった違いです。

 

①では三弾撃ちの実態を中心伝えましたが…

次回は信長が勝てた理由を説明します。

鉄砲だけが戦術では無いのです。

 

申し訳ないけど…

歴史家の中には

多くの大学の研究者の方々もいらっしゃいますが…

本当に戦術や戦略という発想面では素人故に、

中々本質の追及に至っていないのは

苦言として言わせていただきます。

ただし、ココではこうした優秀な研究者言っておきますが、

彼らが難しい文献を読み解いてくださった事で、

我々は歴史の大方の流れを知る事ができるのも事実です。

 

問題なのは・・・

歴史家の先生方の専門はそこまでという話です。

もし、本気で研究するのなら、

戦術、戦略の実証、物理的な被害数値、

戦術効率の比較など、

当時の軍略家になったつもりで分析して欲しい所です。

 

また、歴史書物の1次資料、2次資料という所だけで

考えるのではなく歴史的な流れであり、

今回の三弾撃ちで記した様に、

役割分担という発想が当然の物として

「当たり前」が発生するだろう事も踏まえて、

歴史を見て欲しいです。

 

ここで記した三弾撃ちなんて発想…

ハッキリ言って別段特別な発想では無いです。

必ず効率化を考えようとするなら、

寧ろ当然の様に発想されるものなのです。

 

武田の騎馬隊の話にしても、

騎乗攻撃では効率が悪いからという所で止まらず、

世界全体、中国大陸を含めて、

歴史上に騎馬隊が存在した点を踏まえて、

彼らがどう扱いづらい騎馬隊をあえて編成して用いたのか、

そういう部分を先ず考慮して考えて欲しいです。

 

確かに騎乗戦の効率の悪さは、

当方も何気に気味悪く感じていたけど…

では…何故他の国でも騎馬隊が存在したのか…

そう考えると逆に

武田の騎馬隊を否定できない要素と成るわけです。

 

騎馬隊で有名なジンギスカンの戦術を考えると…

重装騎兵(馬の足まで鎧を着せた騎馬)を前衛に突進するなら、

弓からの防御は理解でき、

騎馬の機動力を活かせば、

盾兵の陣容に対して横に移動する形で攻撃すれば

対応できるだろう点も考えられます。

いわば映画でよく見るように、

盾兵に向かって騎馬兵が真っすぐツッコむような戦術は取らない。

逆に欧州のランスという騎馬用の武器は、

真っすぐ盾兵に突進する為のデザインとも言える。

騎乗戦では確かにカウンターを食らわせるという部分で

特化した武器としても優秀と考えられる。

中国の戟という武器は、

馬の脚を狙うようにデザインされたという。

ただし…盾兵の間から馬の脚を狙って戟を伸ばすにしても、

ある程度の間合いが生じる。

こうした武器が主体として登場した時代の

ジンギスカンはどう戦ったのか?

 

火薬兵器をぶちまける。

ロープで敵の盾に引っかけて馬で引きずる。

崩れたその陣容に弓騎兵が弓を放つ。

確かに…ヤバそう。

馬の機動力を活かしつつ、

馬の馬力を活かして、

敵がどうしようも出来ない形で蹂躙する。

モンゴル軍が無敵だった点はこういう事なのかと思う。

逆に船で上陸して歩兵中心で戦った元寇では、

むしろモンゴル兵の本来の戦術が機能しなかった

地の利とも言うべきところも寄与したのかな…

 

ただ…騎兵を使った戦術としては、

恐らく上記のやり方で襲い掛かったのだと考える。

ある意味、この騎馬隊相手にどう戦うのか…

逆にもし…信長がジンギスカンの騎馬隊を

相手にするレベルまで想定していたのならの…

武田の騎馬戦術は

大きな障害でも何でもないレベルにも成るわけです。

 

とは言え…三弾撃ちが存在しないとか、

武田の騎馬隊が存在しないとか言った議論は、

寧ろ当時の日本人の知能は低かったと言っているだけなので、

逆に否定せずに存在したという前提で、

研究を進めた方が良いのではという話です。

ホントにこの程度の戦術が存在すらしないこと自体、

逆に間抜けすぎる話なのですから…