シャーロット・リーガン監督、ローラ・キャンベル、ハリス・ディキンソン、アリン・ウズン(アリ)、アンブリーン・ラジア(自転車屋のゼフ)、アイリン・テツェル(アリの母・ニナ)、フレイア・ベル(レイラ)、ローラ・エイクマン(レイラの母・ケイ)、オリヴィア・ブレディ(ジョージーの母・ヴィッキー)ほか出演の『SCRAPPER/スクラッパー』。2023年作品。PG12。

 

母を亡くし、ロンドン郊外のアパートにひとりぼっちで暮らす12歳のジョージー(ローラ・キャンベル)。親友アリと自転車を盗んでは転売して日銭を稼ぎながら、母が遺したホームビデオを見て孤独と悲しみを耐え忍ぶ日々を送っていた。そんなジョージーのもとに、12年間ずっと行方がわからなかった父ジェイソン(ハリス・ディキンソン)が突然訪ねてくる。父に対して複雑な気持ちを抱くジョージーだったが、父娘は別々に過ごしてきた年月を埋めるかのように、ぎこちないながらもともに時間を紡いでいく。(映画.comより転載)

 

よく行くミニシアター系の映画館で予告篇を観て、興味を持ちました(あ、また女の子が主人公の映画だ)。

 

若い父親役のハリス・ディキンソンは『キングスマン:ファースト・エージェント』でレイフ・ファインズの息子を演じてました。

 

あいにく、その後彼が出演した『逆転のトライアングル』も『ザリガニの鳴くところ』も『アイアンクロー』も観てないんですが、売れっ子ですねぇ。

 

主人公のジョージーを演じるローラ・キャンベルはこれが映画初出演とは思えない芸達者ぶりで、こまっしゃくれた少女を好演。僕は予告を観た時にはなんとなく顔がリース・ウィザースプーンの若い頃に似てるなー、なんて思っていたんだけど、ローラ・キャンベルさんご本人の顔をよく見たらTVドラマの「アリー my Love」のキャリスタ・フロックハートに似ていた。

 

左はシャーロット・リーガン監督

 

 

 

 

…どーでもいいことをすみません。

 

なんかあちらでは「こまっしゃくれ系」の女の子が主人公の映画、結構多いですね。そんで、名作も少なくない。

 

映画のオーディションを受けた時はまだ10歳だったそうだけど、それからもう何年か経っているので、現在のローラ・キャンベルさんはこんな感じ。

 

親子じゃなくて見た目は完全に兄妹

 

成長が早いなぁ、しかし^_^;

 

若い父親と幼い娘の話、というと昨年観た『aftersun/アフターサン』を思い出しますが、あの映画に比べるともうちょっと明るいというか、基本、つらい展開はないので後味は悪くないです。

 

この作品はシャーロット・リーガン監督の長篇第1作目で、彼女がかつて生活していたのと近い環境を舞台にしているのだそうで。

 

ジョージーが住んでいるような住居は『キングスマン』の第1作目で主人公が住んでましたね。あの映画にはハリス・ディキンソンさんは出ていませんが。

 

あと、スコットランドのグラスゴーが舞台の『ワイルド・ローズ』でも主人公が似たような住居に住んでいた。

 

ジョージーは母を亡くしたばかりで、母とともに住んでいた住居でそのまま生活しているんだけれど、ソーシャルワーカーとの電話の会話では架空の「おじさん」が一緒に住んでることにしていて、知り合いの若者に声だけ吹き込んでもらって電話先で録音した声を再生して誤魔化したりしている。

 

そんなことが現実に可能かどうかわかんないけど、電話だけで実際に面会したりしないんだろうか。

 

近所の友だちのアリの母親がジョージーの保護者に会いたがってるんだけど、「仕事が忙しいから」とか嘘言って、それで通用している。

 

ジョージーが住んでいるのと同じような間取りの家がずらっと並ぶ界隈はあまり裕福ではない人々が住む地域、ということのようだけど、そして彼女はアリと自転車泥棒をしたりして小金を稼いでて、近所に住む女の子たちも中近東かインドかわかりませんが、肌の色の違う女の子たちが結構いる。

 

あの家は持ち家なんだろうか、賃貸なんだろうか、とか考えちゃったけど、見た目そんなに貧しそうに感じられないんですよね。

 

あくまでもジョージーの目線で見たところだけを映し出しているのかもしれないし、暗かったりヤバかったりする部分はあえて見せないでいるのかもしれませんが。

 

彼女の生活費はどこから出てるんだろう。盗んだ自転車を売った金だけでやっていけるのか?

 

 

 

そういう切羽詰まった感じはないんだよなぁ。

 

はっきり言えば、今の日本の方がよっぽど貧しいんじゃないだろうか。僕が住んでるアパートは彼女が住んでるところよりも全然狭いし。

 

だって、生活能力のない親と同居してる娘は、この国では『由宇子の天秤』や『あんのこと』みたいになってるわけで。

 

『SCRAPPER/スクラッパー』は、母親との別れのつらさの方に重点を置いていて、幼い娘の経済的な問題はそこまで大きく取り上げられていないんですよね。

 

なんとかなっちゃってる。

 

12年間音沙汰なしだった父親がいきなり現われて、一緒に暮らそう、なんて居座られたら、むしろいろんな問題が起こることを想像してしまうんだけど、この映画はその辺もなんとなくクリアして、生まれてからずっと縁のなかったはずの娘と父親はわりとあっちゃりうまくいってしまう。

 

ジョージーの父親のジェイソンは、彼女が生まれた時に若過ぎたこともあって妻と子どもを置いて行方をくらましてそれっきりだった。

 

イビサ島でチケット販売の仕事をしている、と言ってたけど、やがてそれが嘘だったことがわかる。彼はずっと近くにいたのだった。

 

彼は「必要とされていないような気がした」と言い訳するが、言い訳になっていない。ジョージーの母のヴィッキーは病気で亡くなる前にジェイソンに電話して、ジョージーの面倒を見てくれるよう伝言していた。

 

「必要とされていない」どころか、ヴィッキーはずっとジェイソンに父親や夫としての役目を果たすように言い続けていたんだろう。だから、「若過ぎたから」などというのはほんとに無責任な言いぐさで、ジェイソンはサイテー野郎だ。

 

そのあたりも、不快な要素を極力削ぎ落して父と娘の関係を綺麗に描こうとしているようで、腑に落ちなさが残る。ジェイソンがこれまでどうやって食ってきたのかもよくわからないし。

 

日本でも、父親や母親のパートナーの男性が子どもを虐待死させる事件もたびたび起こっているし、長年ほったらかしにされていた娘がこんな簡単に父親と良好な関係を築けるものだろうか、と。

 

だから、僕はこの物語自体にはそんなにリアリティを感じなかったんですが、そこは出演者たちの好演のおかげで楽しく見られちゃいました。楽しく見られちゃうことに問題も感じるんですが。

 

ジョージーは左耳に補聴器を付けてるんだけど、そのことに劇中では特になんの説明もない。

 

あの補聴器は演じているローラ・キャンベルさんが実際にしているものなのだそうで、そりゃ、補聴器してる人はどこにでもいるだろうし、たとえばアリと彼の母親は肌の色が違っているように見えたけど、それについていちいち説明がないのと同じで、「これがここでは普通だから」というような自然な描写でよかった。

 

もっとも、ある場面で一瞬だけジョージーの左耳の補聴器が消えて、またもとに戻っているところがあって、めっちゃ気になってしまった。補聴器付け忘れたのかな?(笑)

 

 

 

ローラ・キャンベルとハリス・ディキンソンの二人がしっかり血が繋がってるように見えるのが説得力があってよかったな。目つきが似ている。

 

ハリス・ディキンソンさんって、ちょっと目つきとか口をすぼめておちょぼ口みたいにする表情なんかが『プライベート・ライアン』のスナイパー役だったバリー・ペッパーっぽいなぁ、なんて思うんですが、普段は別にやんちゃそうな顔じゃないのに、この映画での彼の顔はちゃんとワルそうに見えるんですよね。

 

 

 

 

もっとも、この映画の中でジェイソンが暴力を振るったりジョージーの自転車泥棒に付き合う以外に悪さをするような場面はない。ジョージーを残していなくなったと思ったら、呑気に子どもたちとサッカーやってたりするし。

 

ジョージーは年が少し離れてるっぽいアリとも性別を越えて仲が良くて、彼は平気でジョージーの家に泊まっていくし、一緒のベッドで寝たりもする。ケンカしても、すぐにまた彼女の家にやってきたり。

 

互いに異性であることを全然意識していないようだし、なんかすごくイイ関係だな、って思った。

 

 

 

“スクラッパー”というのは廃品回収業者のことで、ジョージーは自転車を盗んでその部品を売ってるからそのことを言っているわけだけど(そういえば、以前「スクラッパーズ」という海外のリアリティ番組があったっけ。観てないけど)、それ以外で、彼女は家の中の一室に鍵をかけてそこに廃品を積み上げてオブジェのようなものを作っている。

 

それは天井を目指していて、天井には「↑突き抜ける」と書かれている。

 

そのオブジェについても説明がされないので、あれはジョージーの中にある何かモノを創りたい、という欲求の現われなんだろうか、などと思った。

 

ジョージーの想像の中でオブジェは天にそびえる塔のようで、彼女はそこをまるでボルダリングのように登っていく。

 

ジョージーがシャーロット・リーガン監督自身をモデルにしているのなら、クリエイターとしての意識の芽生えを描いていたのかな。

 

母・ヴィッキーと一緒にジョージーが部屋の壁に色を塗る回想シーンがあるから、ジョージーの創作の才能は母親から受け継いだのかもしれない。

 

あの天井を突き抜けるような廃品のオブジェは、母を失ったジョージーが喪失感を突き抜けてその先へ行くことを望んでいる、ということだろうか。

 

ママの代わりはいらないけれど、一緒にいてほしい、とジェイソンに言うジョージー。

 

ジョージーは自転車泥棒が警官にバレてジェイソンと逃げる途中でスマホを落としてしまい、必死に探すがみつからない。

 

あのスマホには大切な母の映像が入っていた。そのスマホは最後まで戻ってこない。

 

失くしたなら新しいのを買ってもらえばいいのに、バカみたい、と笑う近所の女の子をぶん殴って彼女の目のまわりに赤い痣まで作らせてしまったジョージー。

 

母は、ジェイソンのスマホに残されたヴォイスメールの中で、ジョージーはあなた(ジェイソン)によく似ている、と言っていた。

 

だから、彼女がカッとなって振るってしまった暴力も父親譲りなのかもしれない。

 

事実、ラストで一緒に暮らすことになったこの父娘のことをソーシャルワーカーも近所の人たちも悪しざまに言う。二人がくっついたら最悪だった、と。

 

このあたりもなかなか可笑しいんですが^_^; この父にしてこの娘。

 

 

 

自転車泥棒も女の子の顔を殴るのもダメに決まっている。

 

この映画を他の登場人物たちの視点で描いたら、ジョージーもジェイソンも全然別の凶悪な顔を見せるかもしれない。

 

それでも、悲しみを越えていこうとする一人の少女の姿に、やっぱりどこか胸を打たれるんですよね。

 

ジェイソンがジョージーにプレゼントした彼女の名前入りのブレスレット。それは彼が今までやってこなかったことへの埋め合わせとしてはあまりにささやかなものだが、それでもこれを明日への「希望」なのだと思いたい。

 

 

 

ローラ・キャンベルさんの演技はほんとに素晴らしかった。彼女が見せるちょっとした表情がとてもキュートで。

 

彼女が出演する映画をこれからも観たいです。

 

 

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