アレクサンダー・ペイン監督、ポール・ジアマッティ、ドミニク・セッサ、ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ、キャリー・プレストン(リディア・クレイン)、ブレイディ・ヘプナー(クンツ)、イアン・ドリー(オラーマン)、ジム・カプラン(パク)、マイケル・プロヴォスト(スミス)、ナヒーム・ガルシア(ダニー)、ジリアン・ヴィグマン(アンガスの母・ジュディ)、テイト・ドノヴァン(継父・スタンリー)、ビル・ムートス(校長)、スティーヴン・ソーンほか出演の『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』。2023年作品。PG12。

 

第96回アカデミー賞、助演女優賞(ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)受賞。

 

1970年。ニューイングランドにある全寮制のバートン校でクリスマス休暇に家庭の事情で学校に残ることになったアンガス・タリー(ドミニク・セッサ)。古典教師のポール・ハナム(ポール・ジアマッティ)は問題行動を起こしがちなアンガスを監督しながら、一人息子をヴェトナム戦争で亡くしたばかりの寄宿舎の食堂の料理長、メアリー・ラム(ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)も交えてともに年を越すことに。それぞれ家族との間に心に傷を負いながらいたわり合ったり反発し合ったりする中で、やがてポールはアンガスに「バートン男子」としての心意気を見せていく。

 

ダヴァイン・ジョイ・ランドルフが今年のオスカーの助演女優賞を獲った作品ということで、また「ハートウォーミングな人情コメディ」といった印象だった予告篇からも、これは観たいなーと思っていました。

 

 

ダヴァイン・ジョイ・ランドルフさんはサンドラ・ブロック主演の『ザ・ロストシティ』に出てましたね。

 

ちょっとここんとこツラめな内容の作品が続いたこともあって、観終わって笑顔になれる映画を求めていた、というのもある。

 

実は、監督がアレクサンダー・ペインさんだと気づかずに観にいきました。

 

アレクサンダー・ペイン監督の映画は、僕は日本では2012年に公開された『ファミリー・ツリー』と、2014年に公開された『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』を観ていますが、マット・デイモン主演の前作『ダウンサイズ』(2017年作品。日本公開2018年)は観ていないので、同監督の映画は10年ぶりの鑑賞。

 

恥ずかしながら、有名で世間での評価も高いポール・ジアマッティ主演の『サイドウェイ』(2004年作品。日本公開2005年)は、観ていないんですよね。日本版のリメイク映画もあるけど、そちらも未鑑賞。

 

ポール・ジアマッティさんの出演作は2022年に観た『ガンパウダー・ミルクシェイク』以来ですが。その前は『アメイジング・スパイダーマン2』か。とにかくたくさんの作品に出てる人だから、まだブログを始める前から彼のことは知っていたし出演作も観ていたけれど、主演映画は僕はこれが初めて。

 

思いっきりコミカルな役からホロリとさせるような人間の体温を感じさせる演技まで自由自在の、まさに名バイプレイヤー。そして時々主役も務める、と。

 

この映画では母校での教え子が校長になってるような年配の男性を演じているけれど、実はご本人はまだ50代だし、そこまでお年を召しているわけではないんですが。

 

でもこの映画の中でジアマッティさんが見せる初老の男性の姿は、まるで自分を見ているようでなかなか哀しいものがあった(;^_^A

 

 

 

病気で体臭がキツく、身体も固くなってて体型はユルみっぱなし(ベッドに寝っ転がって屁ェこいたり)、走っても全然スピードが出ないし、おまけに斜視を生徒たちにからかわれる始末。

 

ただ、主人公のポール・ハナムはけっして人前で自分を卑下してみせたり、イジケた態度はとらない。まるで自信満々のような笑みを浮かべて語る。生徒たちからすると、それが逆に鼻持ちならなくてイヤな奴に見えるんだろう。

 

こういう先生いたよなぁ、と思わせるんですよね。

 

さて、『置いてけぼりのホリディ』というユーモラスな日本での副題からも「ハートウォーミングな人情コメディ」を期待したところ、概ねそういう作品ではあったんですが、コメディ色はそこまで強くないし、それよりも冒頭の昔のユニヴァーサルのロゴやフィルムっぽい映像とノイズなど、70年代ぐらいの映画を模したような作りで、映画の内容や途中で歌が流れて登場人物たちの声は聞こえない演出とか、実際に70年代に作られた映画だと言われても信じられそうな、懐かしい雰囲気さえ漂わせた作品でした。

 

舞台は1970年から71年にかけてで、バックに映っている通行人の恰好や車もあの当時のものに見えるし(一ヵ所、遠くに映る道路を走っている車の形が現在のものに見えたのだが)、建物もあれはVFXで現在のものを消しているのか、それともそのままで70年代に見える風景を探したのか知りませんが、若者たちの服装や髪形なんかもそれっぽくて、なぜあえて70~71年を映画の舞台にしたのか考えながら観ていました。

 

映画で描かれているエピソードのいくつかは、脚本を書いたデヴィッド・ヘミングソンさんの体験にもとづいているそうですが(主人公の人物像には、演じるポール・ジアマッティが出会った教師をモデルにしている部分もあるのだとか)。

 

この映画の背景にあるのはヴェトナム戦争で、ここでは貧富の差によって戦争に駆り出される者と、それを免れる者とがはっきりと分け隔てられている(このあたり、東大で行なわれている授業料引き上げへの抗議を思い浮かべるんですが。日本でも格差がどんどん酷くなってきていますね)。

 

ボストン近郊にあるバートン校(映画のための架空の学校で、いくつもの学校でロケしている)は金持ちの子息が通っていて、この映画で登場する生徒たちはその中でもあまり“出来が良くない”ために落第しそうになっている。彼らは兵役に就くことはない(だから、アンガスは自分が退学になって陸軍学校に通うことになるのを恐れている)。

 

一方で、料理長のメアリーの息子・カーティスは同校で学業が優秀だったが、経済的な理由から大学の学費を免除してもらう代わりにヴェトナムに兵士として向かった。そしてかの地で戦死する。

 

劇中で、韓国系の生徒のパク(ジム・カプラン)に向かって、白人のクンツ(ブレイディ・ヘプナー)は「ミスター・モト」と呼びかけ、「人力車が壊れたのか?」とからかう。

 

パクは親兄弟からのプレッシャーに圧し潰されそうになっていて、学校では友人もいないために就寝中に悪夢を見ておねしょまでしてしまう。

 

メアリーを「使用人」呼ばわりして彼女から軽蔑されるクンツにしろ、それから同じく白人で父親がヘリで迎えにくるようなボンボンのスミス(マイケル・プロヴォスト)にしても、親のコネでなんでも自由になる、しかしそれゆえに常に父親の顔色をうかがいながら生きている。父への反抗だと髪を切ることを拒否していたスミスは、映画の最後ではあっさり短髪になっている。アジア系のパクにしても、それから明らかに他のみんなとは年齢が違っていて、まだ声変わりすらしていないモルモン教徒の家のオラーマン(イアン・ドリー)も、彼らには彼らの物語があるんだろう。

 

僕は、そういうそれぞれ家庭や家族間でなにがしかの問題を抱えた落ちこぼれの少年たちが互いの境遇を越えてわかり合っていく物語を想像していたんですが、ほとんどの生徒たちは予想以上に早く退場してしまって(クリスマス休暇が終わったラストでまた出てくる)、結局学校に残るのはアンガスだけになる。

 

アンガスは、父親は亡くなったようなことを言っていたが、終盤になって本当は彼の父は精神病院に入院していたことがわかる。

 

『ネブラスカ』で父親と息子の物語を描いたアレクサンダー・ペイン監督が、ここでも父と息子、それから父親的な存在としての教師と生徒を描いているんですね。『ネブラスカ』はロードムーヴィーでもあったけど、この『ホールドオーバーズ』もまた、途中からロードムーヴィーになる。

 

 

 

アンガスの父(スティーヴン・ソーン)は病いでかつての父とは変わってしまい、母は再婚してクリスマスに再婚相手と過ごすために一人息子との休暇を直前で取りやめる。母には母の、一人の人間としての事情があるが、雪の中の何もない学校に取り残された息子にしてみれば、唯一の家族である母親に見捨てられたような気持ちになったんだろう。

 

 

 

それは、外国に送られて戦場で殺される若者に比べればあまりに恵まれた環境かもしれない。それでも、彼には彼のツラさがあるのだ、ということをこの映画では描いている。

 

そして、ジアマッティ演じるポールに、歴史の中に学ぶべきことがあるのだ、と言わせると同時に、ともに過ごした何週間かの間に、歴史の中の格言をそのポール自身に否定させもする。

 

君は父親とは違う。一人の独立した人間なんだ、と。

 

病院に入院している父に会うため、という理由を隠してアンガスはポールに「ボストンに行きたい」と願い、精神の病いを患う彼の父と面会したことが問題となるが、ポールは教え子をかばってすべてを自分の判断でしたと主張する。

 

その結果、アンガスは退学にならずに済んで、一方、ポールは教師をクビになる。

 

あんまりな結末にも思えるけれど、本当は大学を卒業しておらず(学友に卒業論文を盗まれて、逆に泥棒呼ばわりされて退学となった)、今はなき前校長のおかげで母校の教員となれて以来、ほとんど学校から出ない生活をしてきたポールを、アンガスが外に旅立たせる役割を果たしたのだ、とも言える。

 

教師が生徒に教え、また生徒が教師にその若さゆえの無謀さも含めて、“何か”をプレゼントする。

 

学校を舞台にしたほっこりする物語を想像していたら、思ってたよりもほろ苦い後味の残る映画でしたが、ジアマッティさんが演じた教師に、彼がいろいろと抱えている世の中への絶望に、それをあのちょっと意地悪っぽい言葉遣いの中に隠しながら、本当は生徒たちに大切なことを伝えようとしている姿に、心の中で泣けたんですよね。

 

わかりやすい劇的な場面とか高らかに鳴り響く音楽で盛り上げるのではなくて(でも、“音楽”はとても効果的に使われていた)、ポール・ジアマッティのあの表情、ユーモラスな身体の動きも含めた“たたずまい”にすべてを語らせる演出が素晴らしい。

 

号泣するとかではない、あとからじわじわくるような作劇。

 

ポール・ジアマッティさんは今年のオスカーの主演男優賞にノミネートされたけど、それも当然だと思いました。

 

これが映画初出演というアンガス役のドミニク・セッサさんは、生意気で未熟ながらも素直な若者像をリアルに演じてました。今後のさらなる活躍が楽しみな若手俳優ですね。

 

劇中、何度か映し出される握手や手の上に手を添えるしぐさ。それこそが相手への思いやり

 

ダヴァイン・ジョイ・ランドルフさんのドォ~ンとした存在感と、でも息子を亡くしてその悲しみに囚われているところ、やがては妹の生まれてくる子どものために学費を貯める、という目標を立てて前を向いて生きていこうとする姿勢──彼女が主人公だったらまた違うドラマになったでしょうが、ポールとアンガス、そしてメアリーの三者がその出会いから得たものは間違いなくあるわけで──大きな苦しみを味わいながらも「気の毒な立場の人」というところに収まらない、この世界を生きていくことへの旺盛な意欲、そういうものを感じさせてくれる演技でした。アカデミー賞助演女優賞受賞、おめでとうございます。

 

 

関連記事

『ロック・オブ・エイジズ』

『それでも夜は明ける』

『ウォルト・ディズニーの約束』

 

 

↑もう一つのブログでも映画の感想等を書いています♪

 

にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ