アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督、レオナルド・ディカプリオトム・ハーディドーナル・グリーソンウィル・ポールターフォレスト・グッドラックグレイス・ドーヴ出演の『レヴェナント:蘇えりし者』。R15+

原作は西部開拓史時代の実在の罠猟師ヒュー・グラスの半生を基にしたマイケル・パンクの小説「蘇った亡霊:ある復讐の物語」。

撮影は昨年の『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』に続いてエマニュエル・ルベツキ。音楽は坂本龍一



過酷な寒さの中で獣の毛皮を入手したヘンリー隊長(ドーナル・グリーソン)率いる罠猟師たちは、先住民たちに襲撃されわずかな人数で逃げ延びる。しかし彼らを道案内していたヒュー・グラスが子連れのグリズリーに襲われ重傷を負う。追っ手から逃れるためには彼を置いていかざるを得ず、グラスとポーニー族の女性との間の息子ホーク(フォレスト・グッドラック)と仲間のブリジャー(ウィル・ポールター)、そしてフィッツジェラルド(トム・ハーディ)たちがグラスの最期を看取り弔うことになる。


第88回アカデミー賞監督賞(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)、主演男優賞(レオナルド・ディカプリオ)、撮影賞(エマニュエル・ルベツキ)受賞。

ディカプリオがようやく念願のオスカーを手にした作品。

さすがの熱演でした。髭を生やしてもやっぱりあんなに大きな息子がいる父親には見えなかったけど。

予告篇の感じやすでに観た人たちの感想などから、なかなかしんどそうだなぁ、と思って先延ばしにしていたら一日の上映回数がどんどん減っていってこのままだと終わってしまう危険があるので、ようやく鑑賞。

…いやぁ、くたびれました^_^;

映像は見応えありましたけどね。神話的、叙事詩的、と評されるのはわかる気がした。

タランティーノの『ヘイトフル・エイト』の時には「これはフィルムで観なければ」みたいなこと言われても正直ちょっとピンとこなかったんだけど、この映画は確かに大きなスクリーンで観てこそだと思います。

内容は、瀕死の重傷を負った主人公が息子を殺され自分も生きたまま土に埋められるが、根性で生き延びて復讐のために極寒の地を300キロ旅してついに仇を討つ、という非常にシンプルな物語だけど、それを150分以上かけて描く。

もう、画面の手前でディカプリオが目を血走らせて涎垂らしたりして呻いてる映像が続くもんだから、ちょっと勘弁してくれよ、と^_^;

 
顔面祭り


特に前半はやたらとキャメラの前にディカプリオの顔があるので、せっかくの風景がよく見えなかったりする。やがて画面がひらけていくと壮大な雪景色や険しい崖、滝などが映し出されて、こんな景色だったんだとようやくわかるという塩梅。

撮影に9ヵ月を費やして雪を求めて北半球から南半球に移動したり、撮影隊自体がヒュー・グラスが経験したのと同じぐらい過酷な状況での強行軍だったようで、これでもしもアカデミー賞獲れなかったらディカプリオは発狂していたんじゃないか(;^_^A

そんなアメリカ版木村大作みたいなこだわりの映像をものしたエマニュエル・ルベツキは、史上初のアカデミー賞撮影賞3年連続受賞という快挙。

この人の撮った『ゼロ・グラビティ』以降は映画館で観ている(あと、2006年の『トゥモロー・ワールド』や08年の『バーン・アフター・リーディング』も)けど、それにしてもチャレンジングな撮影監督だなぁ。

ただ今回は息が詰まりそうな映像の連続に観終わったあとドッと疲れが出た。もう一回観る気力はないなぁ。

グリズリーにディカプリオが振り回されるシーンはリアルで迫力満点だったけど、先にアカデミー賞の授賞式でパロディ映像を観てたから本物を観たら笑いそうになっちゃった。






しかし、巨大な熊にはね飛ばされて噛まれたり爪で全身を切り刻まれておまけに体重かけてのしかかられて(頭踏まれてたし)歩くどころか立ち上がることさえ困難な重傷を負ったのに、川から上がった頃には歩けるようになってたり、どんだけ回復力早いんだ、ってゆーか身体頑丈すぎるだろ、ディカプリオ^_^;

そんな目に遭ってまだ生きてるだけでなく、そのあと元気な相手と対等に闘えちゃうんだもんな。

本当にあんな状態からこの映画で描かれたようなことが可能なのかどうか僕にはわかりませんが(当時でも信じられないことだからこそ「レヴェナント(亡霊)」というタイトルなんだろうけど)、もうディカプリオの顔面力とできるだけスタントも自分でこなした渾身の演技によって力技で説得力を持たせている。

さて、イニャリトゥ監督の『バードマン』が賛否両論だったように、この『レヴェナント』もやはり絶賛している人がいる一方で、「確かに映像はスゴいけど…」とイマイチだったという感想も散見する。

僕はイマイチだとは思わないけれど、最初に書いたようにかなり消耗したんで大絶賛、というわけではないです。

観終わったあとに後ろの席にいた年配夫婦のお父さんが「ディカプリオが出てるから我慢して観てたけど、そうじゃなかったら堪えられなかったな」と言ってて、奥さんも苦笑交じりに同意していた。

僕もそんな感じですね。これも酷評が少なくなかった『バードマン』はかなり好きだったんだけどな。

やっぱり映像のスゴさだけではもたないところはある。

息子を殺された男が執念でその相手を追いつめる、というだけの話に集中し続けるのはなかなか難しくて、途中で何度かウトウトしてしまった。

歩きだったフィッツジェラルドたちが馬をどうやって調達したのかわかんなかったんだけど、最初から自分たちの馬だったのか、それともどっかから奪ったものなのか、僕が観逃したのか描かれてなかったのかどちらなんだろう。

そんなわけで、「まったく長さを感じなかった」という感想を持つ人がいる一方で、僕は結構長さを感じてしまったのだった。

とはいえ、興味がそそられるところもあって、それはフィッツジェラルドが話す父親のエピソード。

息子と同じく罠猟師だった彼の父親は神を信じていなかったが、仕事中に極度の飢えで気が変になり、木の上に登って見つけたリスを「神を見つけた」と言って撃ち殺して食った。

親父にとって神はリスだった、と。

フィッツジェラルドは現実的な男で、だから報酬のことにこだわり、ネイティヴ・アメリカンの妻との間に息子をもうけたグラスを憎み、手負いの彼を見捨てていく。

彼は神の存在を信じない人間として描かれている。

一方で、グラスは神の存在を否定も肯定もしない。ただ、映画の後半で朽ち果てた教会で死んだ息子の幻と再会する場面がある。崩れかけた教会の鐘がかすかに揺れている。




この映画の中では先住民たちとの生きるか死ぬかの戦いの中で、彼らには神に祈る余裕すらない。

こういうタイプの映画にはだいたい「神」についての言及があるものだが、この映画では「神」の不在が強調されているようなところもある。同じアメリカ人の軍人に殺された妻の幻影が何度もグラスの前に姿を現わし、どこか異教的な雰囲気もする。




旅の途中で出会う一人のネイティヴ・アメリカンが同じ部族の仲間を大勢殺されたことについてグラスに語る「復讐は創造主の手に委ねる」という言葉は、むしろ聖書的でしたが。




『バードマン』にもあった空から地上に落下していく炎の帯がこの映画でも映し出されていて、『バードマン』ではてっきりあれは主人公の脳内のイメージ映像みたいなものだと思っていたんだけど、この『レヴェナント』では主人公が実際にそれを目撃するシーンがある。あれは隕石かなんかなんだろうか。

あの炎が何を意味しているのか、また山積みになった動物(アメリカバイソン?)の頭蓋骨のようなものを見つめるグラスの姿も、僕は映画評論家の町山智浩さんの有料解説も聴いてないしパンフレットも買ってないんで、あれらが何を意味するのかよくわからないままで、まだちょっとモヤモヤが残ってます。




僕は原作小説を読んでいないのでヒュー・グラスについてはWikipediaに書かれている解説でしか確認できませんが、それによるとどうやら映画では実際の彼の人生にかなり脚色がなされているようで、ポーニー族の女性と結婚していた、というのは事実っぽいんだけど、息子については一切書かれていない。もしかしたらそこは創作なのかもしれませんね。

仲間の手で息子が殺された、ということにして、彼の「復讐」をより劇的なものにしたということなのかも。

現実のヒュー・グラスは、フィッツジェラルドのモデルとなった“フィッツパトリック”が陸軍に入隊したために復讐を断念している。

でもそれでは映画として盛り上がらないから、映画の方ではグラスはしっかりと復讐を遂げ、とどめは先住民の一団にさせている。

だから史実がどうだったかはここでは問題ではなくて、神の存在を信じていなかったフィッツジェラルドがグラスと先住民の手によって殺される、というある意味わかりやすい結末になっている。

フランス人たちとの闘いも、小説にあるのかどうかも僕は知らない。


フィッツジェラルドはホークを殺してグラスを見捨てたということではヒドいことをしているのだからグラスに復讐されるのも無理はないが、それでもそんな彼よりもフランス人たちの方がよっぽどクズとして描かれているのが不可思議ではある。

これも史実だったのかも原作小説にあるのかどうかも知りませんが、フランス人たち一行は馬を要求する先住民の一部族との取り引きを渋り、あろうことかそこの族長の娘を捕らえてなぶりものにしていた。

結局、彼らは偶然通りかかったグラスによって襲撃され、族長の娘を救ったことでグラスは最後に復讐を貫徹することになる。

だから史実に忠実かどうかということよりも、ここでは一人の男の「復讐」にまつわるオデッセイ(遍歴)が描かれている。

 


旅の途上でアメリカバイソンたちの群れが映し出されるけど、狼たちも含めてあれはおそらくVFXによるものでしょうね(違ってたらゴメンナサイ)。

当時の白人たちの乱獲によってバイソンは激減した。だからあのバイソンたちの姿は白人たちが先住民たちを虐殺し彼らから多くを奪ったことを象徴しているのだと思う。

そしてグラスが見たバイソンの頭蓋骨の山は、殺された無数の人々を表わしているのかもしれない。

一度土に埋もれて象徴的な「死」を経験し、やがて蘇ったグラスはアメリカの山地を旅しながら同じく今は亡き幻たちと出会うのだ。

そして彼を導くのは亡き妻である。

グラスは先住民たちに対してあくまでも謙虚だ。彼らに敬意を払っている。

フィッツジェラルドが先住民を猿呼ばわりするのと対照的だが、彼ら二人はアメリカ人の表と裏なのだ。

おそらく彼らはこれまでよく似た環境で生きてきたのだろう。

フィッツジェラルドが、やがて彼に息子の命を奪われることになるグラスに自分の父親の話をするのは偶然ではない。

フィッツジェラルドは先住民を軽蔑し人間以下の存在とみなすが、それは無知からくるものではなく、グラスのようにその賢さや恐ろしさをよく知っているからこそ一層強く彼らを憎む。

駐屯地でのフィッツジェラルドは他の仲間たちのように女を抱くことも酔って大騒ぎもせずに、ただ無言で飲んでいる。

悪人というよりも、真面目で計算高い男に見える。グラスとよく似ているのだ。

口では見下しながらも、彼が先住民に必要以上に酷い仕打ちをする場面もない。先ほども述べたように、フランス人たちの方がよっぽど先住民に対して暴虐の限りを尽くしている。

フランス人を悪者に仕立て上げることで自分たちの罪を少しでも軽減しようとする、これもまたアメリカ人の姑息でずる賢いやり口なのかもしれないが。

もっとも、監督のイニャリトゥはメキシコ人ですけども。

西洋人と先住民との間に生まれた人々の末裔であるイニャリトゥは、この映画の中でいえばフィッツジェラルドに殺されてしまうグラスの息子ホークに近い。

そう考えると、さりげなく、しかししっかりと西洋人の卑劣さが描かれるこの映画に真に込められたものがあれこれ想像できて面白い。

フィッツジェラルドとの闘いのあとの、グラスの「復讐は神の手に」という言葉が意味するものを想像すると、なかなか味わい深い。

敵を許すわけではないが、本当に必要な復讐は神がしてくださる。だからそれを待つ、ということ。


冒頭で描かれる先住民たちとの戦いは、さながら西部劇版『プライベート・ライアン』だ。




あるいはそれはヴェトナム戦争を連想させもする。

グラスの復讐譚は、いつしかアメリカという国が行なってきた殺戮と略奪の歴史を見つめる旅になる。

それはどこかイーストウッドの西部劇を思わせる。

白人の主人公が異民族の女性を助ける、というアメリカ映画のヒーローのお約束もしっかりと取り入れている。

イーストウッドが映画の中で異民族、異文化を介した「アメリカ」を見つめるように、この映画でディカプリオが演じるグラスはアメリカ先住民たちにたびたび助けられ、彼らの目を通して今一度アメリカを顧みる。

多分、これはそういう映画なんだろう。

ドナルド・トランプがメキシコ人に対して人種差別的な発言を繰り返して、そんな彼が多くの国民に支持されるアメリカで、イニャリトゥが先住民に近いグラスの目を通して描くこの物語は今日的な大きな意味を持っている。

わかりやすい言葉にはなっていないが、明らかにここには監督からのメッセージが込められている。

それは今年のアカデミー賞授賞式での監督のスピーチからもうかがえる。


…ちょっと難しいこと考えすぎて頭がショートしそうなんですが(;^_^A

念願かなってアカデミー賞主演男優賞を獲得したディカプリオはもちろんだけど、敵役フィッツジェラルドを演じるトム・ハーディは『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のマックス役や『ダークナイト ライジング』でのベイン役など、ヒーローから悪役までこなすフットワークの軽さと演技の幅の広さが魅力(ディカプリオもタラちゃんの『ジャンゴ』で憎まれ役を演じてましたが)。

 


ブロンソン』ではチ○コぶらつかせながら暴れてたっけ。

今回の彼の起用はディカプリオの希望だったんだそうだけど、見事なコラボだったと思います。

いつの間にかマッチョな荒くれ男役が板についてきたけど、僕が初めて彼を知った、この前にディカプリオと共演した『インセプション』のさらに前の『レイヤー・ケーキ』では、まだ顔もほっそりとした美青年だった。

どうでもいいけど、トム・ハーディってガニ股だよねw 西洋人でガニ股の俳優ってあまり見ないんでいつも気になる。

太ももの筋肉が発達してるから強制的にガニ股になっちゃうのか、それとも僕たちアジア系に股関節の作りが似てるのかわからないけど、なんか親近感が湧いてきます。背もそんなに高くないし。ディカプリオの方がデカいよね(ダジャレではない)。

ブリジャー役のウィル・ポールターは『リトル・ランボーズ』や『ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島』でヤンチャそうな男の子役だったけど、あの子がもうこんな青年に成長したんだなぁ。月日の流れの早さにおののき震えてますが。




そして、ヘンリー隊長役のドーナル・グリーソンは『アンブロークン』に続いて大変な思いをしてますな^_^; 疲れた軍人役がこれほど似合う若手俳優は他にいないかも。『スター・ウォーズ』の悪役もそうだけど、ほんと売れっ子ですね。




ちょっとデヴィッド・シューリスを思わせる、ひ弱系イギリス人俳優。

けっして美形とはいえないし日本人ウケもしない顔だけど、これだけ続けて出演作を観ると愛着が湧いてきます。

グリーソンが演じるヘンリー隊長はグラスに恩義を感じていて、だから重傷の彼を殺すことができず、ホークとさらに2人の計3名で彼の最期を看取り丁重に埋葬するよう命じる。

正直、あそこで彼がグラスにとどめを刺していればホークも殺されず、最終的に彼自身も死なずに済んだのに、と少々マヌケな感じがしなくもない。

まぁグラスが生き延びたのは結果論だけど、逆に復讐心があったからこそ彼は重い傷を負ったまま長い道のりを生きて帰れたのかもしれないと思うとなんとも皮肉だ。

ヘンリー隊長は最後にフィッツジェラルドに撃たれるが、そこにグラスがたどり着くと、隊長は頭の皮を剥がれていた。

これの意味がよくわからなかったんだけど、フィッツジェラルドが隊長の頭の皮を剥いだのか、それとも銃で撃たれて頭皮ごと持ってかれたのか、どういうことだろう。

フィッツジェラルドはかつて先住民に頭の皮の一部を剥がれて、今でもそこだけ毛がない。

そういう前振りがあったからきっと彼が隊長の頭の皮を剥いだんだろうけど、そこにどんな意味が込められているのか、それにグラスが追いつくあのわずかな時間でそんな芸当が可能だったのか?という疑問が。

どなたか説明していただけると大変ありがたいのですが。

ちなみにフィッツジェラルドが隊長を撃ち殺した件もやはりフィクションみたいです。だから名前を変えてあるのかな。

エンドクレジットの出演者の中にルーカス・ハースの名前があったけど、映画観てる間は気づかなかった。どこにいたんだっけ。


さて、これで今年のアカデミー賞関連作品は最後かな、と思っていたら、『リリーのすべて』のアリシア・ヴィキャンデルがアンドロイドを演じた『エクス・マキナ』(視覚効果賞)がこれから公開されるんですよね。

これも観たいんだけど、上映館が少ないようで僕の住んでるところではやらないかも。

映画観てかなり体力も消耗したしあれこれ考えてたら疲れたので、次はゾンビ映画の感想を書きますよ(^o^)



※坂本龍一さんのご冥福をお祈りいたします。23.3.28


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