$ドイツで自然療法士目指す! Heilpraktiker in Deutschland-10.7.27.

明日、授業に出れば9月11日まで学校はおやすみ。
本当に1年間よく頑張ったな~と自分をほめたい!
1年前では考えられないほど、授業についていくのがラクになった。
しかも、間違ってもいいから発言することもいとわなくなった。

しかし、今日、意見が言えない自分がいました。
なぜなら「妊娠中絶」の話題になったからです。
日本の事情をよく知らないので、彼らの熱い議論を傾聴するのみ。
なかなかおもしろかったけど、意見が言えないのもつらいものです。
というか、意見が無いんだな、それについて考えた事が少ないから。

現在「呼吸器系」を勉強しています。
胎児が嚢胞性線維症 Mukoviszidoseに罹っていると、
妊娠中絶のindication(要件)となるという話が出たのです。


嚢胞性線維症はwikiによると

遺伝性疾患の一種で、常染色体劣性遺伝を示す。白人に高頻度で見られ、最も頻度の高いユダヤ人のアシュケナジーでは25人に1人は保因者である。原因は塩素イオンチャネル(CFTR)の遺伝子異常で、水分の流れに異常をきたし粘液の粘度が高くなる。鼻汁の粘性が強くなると副鼻腔に痛みを感じ、痰の粘性が強くなると、気道を閉塞し肺炎を繰り返すようになり、ついには気管支拡張症をきたす。アレルギー性気管支肺アスペルギルス症も併発しやすい。胆汁の粘性が強くなると、胆石をおこしたり、膵炎をおこしたり、肝機能障害からついには肝硬変をきたす。医療の発達により寿命はのびてきたとはいっても30代である。

ようするに、呼吸困難を伴って消化器官がやられているという遺伝性の病気な訳です。
胎児が遺伝していると分かった時点で中絶をする要件となる、
つまり、胎児が障害児なので中絶します、という決断が社会的に許されるということ。
妊娠中絶にはもちろん倫理的要件もあって「暴行などによって妊娠させられたばあい」
医学的要件「母体保護を必要とする場合」
社会的要件「経済的理由」
が妊娠中絶を行う際の条件となっているそうです。
これらはすべて母親に決定権があり、父親は決定権を持たないという事もドイツでは問題になってると言っていました。
夫の知らない間に、奥さんだけが、中絶する決断ができる訳ですからね。

ドイツでは以上のような要件をクリアしていれば中絶する事が可能だそうです。
(もしかしたら州によって違うかも、よく調べてないので分かりませんが)
もちろんこれは建前で
「働きたいから子供はいらない」
「ダウン症の子だから」「重度障害児を産む気はない」といった理由も
社会的要件などに含まれるそうです。

障害児だと分かったら?という議論が始まりました。
「自分に障害児は育てられないから中絶する、またはしてもらう(男性意見)」
というものから、
「どんな子供であろうと、命を絶ってしまう事は許されない」という熱い意見も。
「障害児が欲しくないから羊水検査をして、健康な胎児まで危険にさらすというのは本末転倒」
とかね。

私はどう考える?

とっても無責任な考えだけど、
やはり、その親に見合った子供が授けられるのでは、と思う。
この親には無理ってところには、赤ちゃんも選んでやって来ないという話、ドイツ人には一笑に付されそうだけど、その通りだな、と思うから。
授かった時点でその運命を受け入れる、という考えが一番ぴったりきます。
障害児だから中絶した、なんていうのは私は耐えられない。
一生十字架を背負って生きていくことになると思う。
もちろん、障害児の世話をしている人から見たら
「実際どんなに大変か分からないから、そんな事言ってるんだ」と言われて当然です。
本当に、その苦労を知りませんから。

その議論中のフォイヒテ先生の言葉が印象に残りました。
「もし嚢胞性線維症を患った自分の子供に『こんなに苦しい思いをするなら産んでほしくなかった』と言われたら、私はなんと答えたらいいか分からない・・・。自分の子供が呼吸するたびに苦しむ姿を私は見るに耐えれないと思う、自分の子供の苦しむ姿に耐えられる親なんてわずかだと思うわ」

ごもっともです。
私も、息子を授かってからは、子供が病気のドキュメンタリーなんて見れません。
自分と息子を重ねて見てしまうからね、そんなつらいことはできませんよ。

黙ってる私を見てフォイヒテ先生
「日本の事情はどうなの?indicationはあるの?」と振ってきた。

私、「indicationなんてとんでもない!日本は中絶天国ですよ。親が知らない間にティーンエイジャーが中絶する事だって可能です、indicationというより、母体の安全を考えて何週までに中絶が可能かというレベルですから」

これぐらいしか言えない自分が、そして日本人として、恥を感じました。

もう少し日本でも中絶について議論がなされてもいいのでは、と思った一日でした。