小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」 -45ページ目

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

「ガード下学会」「横丁・小径学会」活動の報告および、予定などをお知らせします。

エレベータのボッチはどこを押したらいいか悩む?

昨日、銀行でのできごと。ATM(?自動販売機みたいなやつで、お金の出し入れをする機械)で、銀行のカードを入れる際、どこに入れたらいいか判らなくなってしまいました。ただ、必ず、自分がもっているカードを機械に差し込まなければ現金の出し入れができない、という確信がありましたので、とにかく丹念に差し込み口を探したんです。でも不明。この銀行は30年も使っているのに、しかも機械が変わった訳じゃない。「ないわけないぜ」と自分に言い聞かせ、最後には自力で発見。ちょっぴり嬉しくなりましたが、やっぱり、こりゃまずい!
今朝、神保町に移転した出版社に初めて出向いたときのこと。移転後初めてなので、いったん、受付の階で受付をすませて、その後、担当者がいる階までエレベータで移動しようと上とか下を示すボッチを押し、すると、箱が現れ(こりゃあたりまえ!)、なかに入りました。すると各階を示すスージがあって、どれかを押さなければならない。そこで思案。ボクが行きたい階を勝手に押したって、エレベータの方はわからない。まず、自分がいる階を押して、居場所を示してやらなきゃならないじゃない。これはまさに、正論。身勝手に自分の意見だけ押し通そうなんて了見が間違ってる。
でも、すると、ボクが行きたい階へは誰が判ってくれる? こんなことで、悩んででいたら、そこの社員が入ってきて、さっさと(悩みもせず)ボッチを押して、その結果、僕が行きたい階に行けました。後講釈では、なにわともあれ、行きたい階を押す。これが基本。まあ、人生、時々哲学してしまっちゃうことがありますが、最近、自分自身でもヤバイ! と思います。娘は、いままで、ずっと変だったから、どこが変わったかなんてわかんないよ、というんですが。

オシッコ・アパートが残ってたぞ!

40年ぶりに新宿区の中央図書館に行きました。高田馬場駅を降りて、さかえ通りを真っ直ぐ。実は西武線の下落合駅の方が近いんでしょうが、冒険をせず昔通った道順で行きました。思い返せば、東京都の中央図書館(広尾)、駒場の近代文学館とともに新宿中央図書館にもよく通っていました。ただ、当時も今も新宿区の中央図書館はごくごく一般の町の図書館。なぜ、通ったのか理由を思い出そうとしましたが、まったく思い出せませんでした。
とにかく、めざす資料を閉架から出していただき、資料に目を通し、コピーを取るとともに書籍への掲載許可をとって帰路へ。でも、せっかくの40年ぶり(15年前までは毎月高田馬場に出張校正に行っていましたので、高田馬場自体はそれほどご無沙汰ではありません)。
そこで、神田川沿いで暮らしていた友人のことを思い出し、そのアパートへ。橋の袂にあって、「スッごく安かったんだよ!」というのが友人の弁でした。
部屋は4畳半一間で、台所というか流し(シンク)が付いていましたが、この友人、ボクがオシッコに行きたいというと、「その流しでして!」という。そうじゃなくて、トイレはないのかと問いただすと、ないという。トイレがないアパートか! でも、その流し台は風呂兼用のスペースだった筈。しかも、オシッコをしようとしてもなんともその位置が高い。妻先立ちしてみても、なんとも……。「まったく、しょうがねーな。じゃ、窓開けて、川に向かってやれよ」。エーッ、こんどは窓からかよ、といいながらもこちらからは楽々。まあ、実際ほとんどの奴が窓から用を足していて、流しでやってたのは、そこの借り主である友人ぐらいだった(もうよく覚えてないけど、逝っちまった友だちはちゃんと流しでしてたかも)
ところが、実はこのアパート、友人の部屋を出たすぐ右手に共同トイレがありました。なんで、教えてくれないんだと問いつめたこともあったと思いますが、実はこのアパート家賃が安かったんですが、豪雨になると神田川の川が溢れてアパートの中も水浸し。ということで、部屋のドアを開けずに、出入りも神田川の擁壁沿いから部屋に入って、なんてことをしていた、といのが後日談です。
誰も行ったことのない、目の前にあった風呂屋は、健在! というか、ゲタ履きのマンションになっていました。
まあ、アパートが残っていて何よりでした!
そういえば、夜中、塀をよじ登ってわが家の2階に侵入して寝ていた友人たちもいました。いつか機会がありましたら、思い出して書いてみます。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-高田馬場のアパート



座席シートの行方


乗り込めない大阪市営地下鉄の話ですが、大阪出身の太郎兵衛さんから、大阪市営地下鉄じゃなくて、京阪電鉄じゃないのとのご指摘をいただきました。

後講釈ですが、ボクも自分の写真を見て、「これじゃ、京阪じゃない!」なんぞと思っていました。でも、指摘されると、たしかに大阪の市営地下鉄の色じゃないですよね。明らかに、京阪のカラー(間違えを教えてもらったら俄然元気がでてきてました)。地下で乗ったから地下鉄と勘違いしただけでした。そこまで判れば、と思ったら、「座席は上下が出来、上で収納できるようになっています」なんですって! ドアの頭上に座席が浮いてる? 写真を見させていただいたら頭上に収まっている、というノリ。京阪は昔からこうしたスタイルで「昔は、座るだけのお一人様用の椅子で横収納でした」ということだそうです。ボクが乗ったのは天満橋(この駅から地下)から入ってなにわ橋か大江橋に行ったんだった、ということが判りました。電車は、京阪電鉄の5000系だそうです。なんともお騒がせ致しました! ボクに恥をかかせないようこっそり教えてくれた太郎兵衛さん、ありがとうございました! これで、今晩、スッキリ寝られます! 帰りに、祝杯させていただきます!


大阪の市営地下鉄の不思議・続き

大阪の地下鉄出入り口が座席でロックアウト状態になってしまっている大阪市営地下鉄。
下車してみると、外側のドアにこんなことが貼られていました。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-大阪の地下鉄外



「ラッシュ用ドア」ですって!
ラッシュの時間帯には、座席を外して出入り口にするんですって。
でも、その座席はどこへやっちゃうの?
地下鉄の不思議は膨らむばかりです!

乗り込めない大阪の市営地下鉄!

大阪の市営地下鉄に乗って、あたりを見回すと、人が座っていないスペースがありました。で、なんの気なしに眺めていると、うん? 変だぜ! だって、ドアの前に座席があるじゃん! これじゃ、外から客が入れないじゃん!! でも、周囲の客は、我関せずの世界。
これって、6ドアの車両を東京から払い下げてもらったんだけど、こんなにドアが不要なので……、なんて想像したんですが。
解答は明日。お分かりの方は予めこたえを書き込んでください。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-大阪市営地下鉄

うちの事務所はたまり場?

30年前、小石川1丁目に事務所を借りた際には、毎週週末、近くの取次(書籍卸業)会社に勤めている友人が、タクシーを飛ばして遊びに来ていました。タクシーを飛ばして、というのは、近いんですが、鉄道を使ってこようとすると、乗り継ぎしながらぐるっと大きくまわらなければ来られないため。それと、いついつ遊びに行こう、といってもなかなか時間をとれないので、強制的にうちの事務所に来ることになっていました。彼が到着すると、白山通りを渡って本郷側にあるサウナに行って、そこでビール。その後、飲み屋に入って一献。飲んだ後は事務所に帰って、のつもりがしこたま飲んで、家に帰る、というパターンでした。その彼も、10年前、ガンで鬼籍に入ってしまいました。
現在の西片の事務所では、毎日昼ちょっと前にマガジンハウスの部長がご出勤(?)。当時、新聞を十何紙か取っていましたので、それらの新聞を見て、一緒に昼飯を喰って、午後、お喋りをして(われわれは話を聞いていませんでしたが、それでもよかったみたいです)、夕方になったら、銀座の会社にご出勤――というパターン。どうして、わが社に住み着いて(?)しまったのか忘れましたが、まぁ、神田村の飲み仲間、というのがその根拠でしょう。本郷台地の下のわが社から坂を上がっていったところに住んでいましたが、家にいても時間をつぶせず、ということだったと思います。彼のクセはゴミ拾い。書籍でも何でも、ゴミ収集日に出されたものを、「まだ使える、もったいない!」「これは貴重な本だよ!」といってわが社にもってきました。当然、うちの会社はそんなゴミの山。ということで、こっそり、ゴミの日に出して……、という繰り返しでした。
その彼も、「ダカーポ」「Hanako」を経て、最後は「ギンザ」を担当した後、定年退職し、郷里の鳥取に帰っていきました。人生、長くやっていると、いろんな人が目の前に登場し、集まり、喜怒哀楽を提供してくれます。

定年退職だって!?

昨日は母校のOB会(事務局は広報部内)の「マスコミクラブ」のまち歩き企画の講師で、丸の内、大手町界隈を歩きました。これも母校への恩返しの一環。とはいえ、フィールドワークの後は一献が用意されていて、ついつい飲み過ぎ、今日は事務所に出てきたものの、使いものにならない状態。
で、夕べの話。いままで、マスコミクラブでの話相手といえば出版業界かややそれに近い(?)新聞社の人たちで、テレビ局勤めの人たちと話すことはありませんでした。だって、テレビ局の連中と何を話すのさ、というのが当方の論理。ところが、テレビにもボチボチ出させていただき、なおかつ、今年は連日の出演や毎週の出演、なぞという本業をわきまえない出方で、何かとテレビ局の人たちやプロダクション(私たちがプロダクションというのは、通常編プロ・編集プロダクションのことで、書籍雑誌をつくることですが、テレビ局の方たちがいうプロダクションというのはエンターテイメントの芸能プロダクションのことを指しているようです)の人たちからいろいろ教えを請うことが多くなり、自然と話をするようになってきました。
そんなことで話を交わしたことがあったんでしょう、今年の春、『「ガード下」の誕生』という新書版の書籍を上梓したあと、某テレビ局の系列の制作会社の社長から「うちで番組をつくりたい。他社からいろいろ折衝があると思いますが、まず、うちで企画を進めさせてください」と電話が入りました。この話は、テレビ局の社長との話し合いで、似通った企画を二本放送しているので、三本目は多すぎる。新たに立ちあげるなら人情噺を入れたものにして欲しい。そうすればできる、ということになったそうです。当然当方ではそんな人情噺、収集していませんので、その話はなくなったんですが、次作では、多少人情噺を入れて、原稿を書いていました。ところが、昨日の話では、「○○さんは定年退職して、ゴルフ三昧だよ」なんだって。ギェー、テレビの世界に入ろうとは思わないものの、それなりに対応できるものにしようと努力していたのに……。「BSのほうには○○が専務で行ったけど」だって。

事務所の移転先を決めました

不動産の斡旋は、本郷の中小零細出版社の事務所を一手に引き受けてくれている、頼もしいT不動産の社長。
編集プロダクションとして独立して借りた最初の事務所は小石川1丁目。理由は神田村(当時、出版、取次業者が神田神保町周辺に集まっていたため、神田村といいました)からあまり離れたくなかったから。それが30年前。その事務所で数年過ごしたところ、隣接してビルが建ち、部屋が真っ暗に。職場から自宅に帰るのが毎日午前1時とか2時(ほとんどタクシー)。朝は7時には出社していましたので、日に当たることがなくなってしまいました。大家さんはとってもいい方だったんですが、やむなく、白山通りを隔てて西片のお屋敷町へ(当社は飛び地のようなところなので普通の事務所ビルです)。ここで20数年。この事務所も大家さんに恵まれとっても使い心地がよかったんですが、部屋が北側。不動産屋にいわせると「南側だったら住宅として貸し出しているよ」とのこと。とはいえ、齢60歳。同僚もうんん歳。まあ、温かい南向きの事務所に引っ越すことになりました。
新事務所は新年からとなります。で、新年からは、当社も“本郷村”の一員です。

今年最後の遊歩、第3回「横丁・小径学会」銀座遊歩を行います
日時:12月8日(土)
時間:午後2時~
集合:JR有楽町駅・京橋口(交通会館に近い側)改札口前
コース予定:銀座松屋、銀座ヨネイビルディング、奥野ビル、鈴木ビル、三原の地下街(まだある?)、三原小路、銀座コアの路地、GREENの路地、豊岩稲荷、金春湯(一風呂は浴びません)、新橋見番、土橋周辺の路地etc.
江戸の町割り(街区)を見ることができます。
参加できる方、ご連絡ください。
*「横丁・小径学会」遊歩で小林がお話している横丁と路地の話は、来春、新書で発売されます。

ちん入者が消えた!

ちん入者はガイドブック持参で歩きまわっているようで、口に手やハンカチを当て、酒のニオイを消しながら「一葉が住んでいた長屋はどこですか」など、われわれに問い掛けてきたので「最初はこちらの家の入って、その後、目の前の家に移ったそうで……」などと見てきたような観光案内を紹介、その後、路地から見ての表通り(下道)に出て、固定式のゴミ箱や大谷石の養壁などを観察。「へ~ぇ、こんなものも残ってるんですね」と「横丁・小径学会」に融け込んだ後、自然にいなくなってしまいました。

唐破風・御殿造りの銭湯を覗いた後(湯舟や更衣室を覗いたわけではありません)、菊坂に出て、一葉が通っていたといわれる質屋さんを鑑賞。東京では珍しく矢来のある日本家屋です。

一葉が住んでいた崖の下は江戸時代、荒れ地と記されたエリアでしたが、こちらの質屋側(上道側)は江戸時代からの町屋。通りに面して表店があり、その横の細い路地を伝っていくと両側に長屋、その先に共同井戸、さらにその先にはアイ・ストップとなるイチョウの高木が立つ、という典型的な町屋敷です。

このイチョウが巨大。重機は入らないだろうし、第一、剪定はどうしてるんだろう、(静かに)疑問を投げかけ合っていると、ガラッと玄関が開く音。「ウルサイ! ここをどこだと思ってるんだ!」と叱られると思い、条件反射でみな萎縮。そっと顔を音の方向に向けると、「そのイチョウね、ほんと、ハッパがいっぱい落ちてくるんですよ。でね、役所が補助金だしてくれてね」と懇切丁寧に袋小路のイチョウの樹について教えてくれました。いや~、感激。一葉の側は「一葉旧宅」等の表示は一切なし。そりゃ、現在住んでいるので、観光客に来られて、勝手なことしゃべられて、一日中ワイワイガヤガヤなんてまっぴら、というのもわかります。とうことで、結構一葉の路地は見つからなくなって消え、ある評論家も「一葉の旧居宅をツブされた!」と雑誌に書き、その後、競争相手の出版社から、ありもしない話をでっち上げした、と批判されたこともあります。これは、地元でも(小石川周辺をスーパーの袋をぶら下げて、サンダル履きで昼間からフラフラ歩いているオジサンというと、その著名な評論家と小生ぐらい、とも言われています)判りづらいエリアでひっそりと暮らしていますが、質屋横の町屋敷は大らか!

そこで、[路地と住民意識の開放度]について一言。

古くから住んでいる人たちがいる地域、したがって住民の年齢も高くなるのですが、そうしたエリアでは、他人が路地中に入ってくることにほとんど抵抗感を示しません(小生自身、朝、谷中を自転車で通っていると見知らぬステテコ姿のオジサンや出会い頭のおばさんにオハヨー!といかにも知り合いのように挨拶されます)。ところが、新しく移転してきた方々、および若い方々は自分たちの路地の中に入られることに違和感、不快感を示す、という統計数字があります。この若い方たちは隣人の生活音も“騒音”と捉える傾向があります。「横丁と路地」も奥深い?