小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」 -44ページ目

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

「ガード下学会」「横丁・小径学会」活動の報告および、予定などをお知らせします。

看板建築と耐火

看板建築とは関東大震災後に登場した耐火建築のうちの一形態です。それまでの板壁に換わって周囲に銅板を巻いたり、擬石を貼ったり、モルタル(色モルタルが多い)を吹き付けたり、というのが特徴ですが、全体的にノペッとしたものをいいます。

というのは、それまでの和建築というのは、出し桁で軒を大きくせり出したり(関西では軒先までその家と見なされたため道路側に大きくせり出すことはありませんが、江戸・東京の場合、軒が道路側に出ていてもその家の敷地とはされなかったため、財力のある家は大きくせり出させています。「大工と雀は軒で泣く」なんていうんですよ)、二階の窓に肘掛け縁を据えたり(わが家では、祖母から「イチロー、そこに乗るんじゃないよ!」とよく叱られましたが、一本刀土俵入りでは、二階の肘掛け縁に座った姉さんがふと下を歩く青年に声を掛けるところからはじまっていました。方杖でちょいと支えてるだけだから危ないよ、使っちゃ行けない、といいながらもみんな座っていました)ファサードに賑わいがありました。

昔の家並みを思い出していただくと分かるのですが、日本家屋は賑やかで絵になります。ところが、関東大震災後、こうした木造家が全壊しました。

このため、耐震・耐火策として政府や(東京市)は鉄筋コンクリート造りを推進したんですが、でも政府や市が金を出してくれるわけではありません。そこで、登場したのが、家を耐火性のあるもので覆う、とう発想。これが、ノペッとした看板建築と呼ばれる建築形態です。

いまでは、銅葺きの家など考えられませんが、大正末期から昭和初期には銅が安かったそうでうす。

この看板建築を見ると制作年代が判ります。と同時に震災では被害を蒙ったが、戦災は無事に過ごした、ということもいえるでしょう。

このノペッとした建築物も、今ではとっても味のある建築物になっています。

アーチ窓とタテ長の穴
上部が丸くなっているのがアーチ窓だ。
これは、方形上部のヨコの長さの中心にコンパスの針を差し、半円を描いたもの(紐でもOK)。
このアーチ窓が異国情緒を現す。
この窓は、基本的にタテ長でなければいけない。というのは、西洋の建物は、組積造といって、石や煉瓦を積み上げてつくっているからだ。この点、柱と梁で家をつくってきたわが国とまったくの別世界。
われわれが家をつくる場合、木の柱を四方に建て、その上に梁と桁を乗せて四角い骨組みをつくる。マッチ棒のマッチを使ってつくると分かりやすい。もう、これでできあがり。あとは周囲を板壁かなにかで覆えばいい。
ところが、木が少ない、あるいはあっても強度のある樹木が育たない国では、石を使ったり、イギリスのように石が不足したら煉瓦を使ったりして周囲を囲んで、上に蓋をしている。マッチ箱の中身を抜いて、空いた方を上にしてみれば分かる。上から手で押さえても、そのマッチ箱はへこまない。つまり、耐えるのだ。ということで、これは壁構造というのだが、周囲を壁で覆う、というのが西洋の考えから。だから、穴、つまり窓を大きく開けたくない。大きく開けたら、構造としてもたないからだ。ただし、健康上開口部はつくらなければならない。そのため、極力、最小限の窓ですまそうとする。それが、西洋建築である。
ということで、わが国では柱を軸として組んでしまうので、あとは、全部素通しでもOK。間戸ともいわれるように、全部あけられるため、間口の開口部(一間=180cm)と同様、横長の窓がつくれ、それを普段見慣れているのだが、西洋建築ではそれは不可能。縦長の窓となる。
で、アーチだが、これは、石や煉瓦を積んでいった際、両側から積んでいって、中心となる位置に最後の一つを入れると、ちょいと沈むものの、その最後の石、煉瓦に力が入り、さらに上部の力が分散し、円を描く形で留まる。これがアーチ窓である。わが国にはない発想で、デザイン性にも富み、憧れの対象にもなってきた。

未完の建築――アジテータになれなかったネオ・ルネサンス図書館
(国立国会図書館国際子ども図書館[旧国会図書館支部上野図書館・旧帝国図書館])

東京国立博物館(通称・東博)西側と東京藝大の間の区道に入るとすぐ左手に現れるのがスクラッチタイルのこぢんまりとした黒田記念館。その先に巨大な洋建物が突如として現れる。パステルカラーに緑青(ろくしょう)の屋根がのる。異国情緒たっぷり。このエリアは別世界をかたちづくっている。
子ども図書館は、図書館という大きな枠組みを保ちながらも当初の帝国図書館→国会図書館支部上野図書館→国立国会図書館国際子ども図書館――とその用途を変えながら、100年以上生き続けている。まさに、じんわりとした生命力と根気強い忍耐強さが伝わる建築物だ。
 児童書に特化し、しかも国立とか国際とうネーミングから、ついつい蔵書数に期待感を膨らませてしまいがちだが、蔵書に埋まるというイメージからはほど遠い。とはいえ、部屋は豪華だ。
 旧貴賓室を改修した「子どものへや」、「おはなしのへや」、「世界を知るへや」等が圧巻!
室内撮影は禁止されているので、ぜひ足をお運びを。現在、年齢、子連れに関係なく、誰でも自由に入館できる。
 館内にはいると、新たに改修され差し替えられた部材と従来からの部材が肉眼で判る!


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-子ども図書館01

         来訪者に強烈な印象を与える巨大な三連アーチ窓。



小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-子ども図書館02



小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-子ども図書館03


        アーチ窓。建物の基本はルネサンスなのだが、

        この開口部はチューダーアーチになっている。


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」


         キーストーン(要石)。ただし、この子ども図書館の構造はRC。

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-子ども図書館05


         階段窓。近代建築を訪れた際、まず目にしたいのが階段まわりだ。

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-子ども図書館06



小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-子ども図書館07


        窓台。こんな立派な窓台がつくられていたんですね。ビックリ!

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-子ども図書館08



小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-子ども図書館09



         内部から見る情景(森の向こうにバロック建築の旧帝室博物館、

         表敬館が見える。 


人間の尺度を超えたアーバンスケールの建物は、視覚的にインパクトがある分、建築主の財力、権力、威厳――をこれでもか、というように見せつける。建築物は施主のアジテーション、プロバガンダとなる。
「小さく産んで大きく育てる」というのは、ゼネコン(general contractor)の専門用語で、計画当初は予算が通りやすいように小規模で進め、受注後は、現場は生きものだ、土は生きものだ、との論理から設計変更に次ぐ設計変更を繰り返し、目的の額にまで増やすというものだ。これが、業界でのある種常識ともいえるのだが、帝国図書館は、逆に予算が減額され(日露戦争による予算不足。ただし、中央停車場〔現・東京駅〕は戦勝記念を絡め、事業規模を膨らみに膨らませた)、当初計画でロの字型の広大な建造物になる筈であったものを表通り側のみで工事は終了させている。図書館という施設が国民に国力をアピールする強力な情宣活動となりえない、と判断されたわけだ。
 当初計画の1/4ほど、ということで、エントランス部がよく判らないのもこの理由から、ともいわれる。

[スペック]
第1期
竣工:1906(明治39)年
設計:久留正道、真水英夫、岡田時太郎
構造:鉄骨補強煉瓦造り

第2期
竣工:1929(昭和4)年
設計:久留正道、真水英夫、岡田時太郎
構造:RC(鉄筋コンクリート造り)、
   地下1階地上3階建て(一部7階建て)

住所:東京都台東区上野公園12―49

[東京都選定歴史的建造物]


第1期の構造物が単純な煉瓦造りではなく、耐震性のある鉄骨補強煉瓦造りとしたのは、当時日本最大の地震・濃尾地震(1891・明治24)を経験したあとに進められた建築物だからである。

12月8日(土)、第3回「横丁・小径学会」銀座遊歩が行われました。

ナビゲーターは寺本が担当。
京橋から東西に長辺をとった八重洲側の町割りと南北に長辺をとった銀座側の町割りを確認したのち、昭和初期に建てられた奥野ビルを探訪。ギャラリーも盛況で、まだまだ存続しそう、というのが参加者の感想。そののち、銀座ヨネイビルディングを鑑賞。三原の地下街(まだ健在)を訪問。三原小路、銀座コアの路地、GREENの路地、豊岩稲荷、金春湯、銀座8丁目・コリドー通りのクランク路地を探索。コリドー通り近くの路地は、江戸時代からの路地のよう。でも、クランクは不自然。近くに新橋の見番があるため、花街だった?
年明けの横丁・小径学会は23区内の商店街をすべて踏破した志歌寿ケイト氏のナビゲーターで三田を探訪。大正元年の地籍地図を見ながらの遊歩になるそうです。日にちは1月26日(土)が予定されています。
2月はまち歩きの内海氏が中野をナビゲート、3月は写真家の志子田氏のナビゲーターで曳舟が予定されています。ご期待ください!

笑うとカラダが楽!
先週、NHKラジオの番組の冒頭で香山リカさんが「心理学のほうでは、悲しいから泣くんじゃない、泣くから悲しいんだというのがあります」と話だし、私は「楽しいから笑うんじゃない、笑うから楽しいんだ」といっています、と話していました。ちょうど、そのころ、小生の体調はストレスで、ボロボロ。ついつい無言になってうつむいていました。そんな時のラジオ。それほど期待したわけではないのに、ニッコッと笑ってみると、けっこう、気分がスッキリ。これ本当です。以来、一週間、落ち込んでいる自分に気付くと二コッと笑うようにしています。

この情報、数年前、NHKラジオ(その日は世界禁煙デー)でロッカー(歌の世界は不調法なので名前は判りません)の「オレ、たばこ止めたんだ」という放送を聞いて、たばこを止めたこと以来の最高のネタになりました。
たばこは明日から止めようとか頑張って数十分止めたりとかしていたんですが、ロッカーがオレは一日三箱吸っていた。一日10本や15本吸っている人はたばこを味わってしまっているから止められないだろうけど、一日三箱吸ってる奴はただ習慣で吸ってるだけ、たばこの味なんか味わっちゃいねーだろ、というのが小生に対する最大の説得になりました。たしかに、味わっちゃいなかった

古いポチ袋

くも膜下出血で母親が倒れたとき、保険証が見つからず、とりあえず、普段使っているトートバックに下着等を入れて、救急車に乗せてもらいました。
着いた病院からさらに次の病院への転院ということもありましが、さらにさまざまな検査をしてもらっている最中、もしやこのバッグの中に保険証が入っているかも、と探していると、布製のバッグの内側にチャックのついたポケットがあり、その中をさらにあさると、古~いポチ袋。気になって開けてみると5000円札が一枚キチンと折りたたんで入っていました。こりゃ相当古い。孫は一人だけ。金額からいって、わが子が小学生の頃。きっと、ボクが娘を連れて柴又に帰るよ、なんて軽い気持ちで言って、それを母親は信じ、小遣い銭をポチ袋に入れて待っていた。ところが、仕事が詰まり、「行けなくなったー」――、というパターンのような気がします。もう、20年も前になるかも知れません。当の母親も忘れてしまっているでしょう。お婆ちゃんから孫へ、直接渡せる日がやってくることを待ってます。
孫は「おばーちゃん!、彩乃が来たよ~ッ!」って毎日声かけしています。


87歳になる母親がくも膜下出血で倒れ、ほとんど病院に詰めているため、ブログを開くことができない状態が続いています。

蔵造りを隠すライオン看板?!

茨城県の勝田を訪ねると、そこは蔵屋敷の世界。メインの道路沿いに平入りの蔵があり、その脇に半間ないし一間の門(冠木門の家もありました)が備わり、奥の自宅へ。奥行きは25m以上(米屋さんに尋ねたところそのお宅は14間半あるといっていました)。
このエリアはクジラの背といって20m以上あると思われる丘が細長く続いている地域で、その先に中世には大田城があったそうです。ということで、この地は、城下町。きちんと町割りされた地域のようです。
そこで、なんと「ライオン看板」を発見!


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」


ライオン看板とは、戦後、貧弱な家屋を隠す意味も含めて、大仰な看板を掲げた、という側面もあります。ところが、ここは立派な蔵造り。なにも、トタンの看板で隠すよりも白壁の蔵を見せた方がいいと思うんですが、その立派な蔵も古くなり、化粧直しにも金がかかる。トタンの看板と費用を天秤に掛けたら、費用対効果でライオン看板の方がお得、と判断したのでしょう。
とにかく、蔵造りを隠してしまうのはもったいないですが、近年見ることのない新しい立派なライオン看板でした。


こんなとこに電柱!

常陸太田まで佐竹氏の城跡(中世の頃には秋田じゃなくて常陸にいたそうです)を巡った後、蔵造りの街並みを探訪。その後、帰路につこうと勝田駅のホームで電車を待っていると

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-勝田電柱

ホームの中、天井を突き抜けて電柱が突っ立っていました!
曰く因縁は判りませんが、まずは携帯でパチリ!

そうそう、京都でこんな施設に出会いました!


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」-女難


女難除け? ボクにはまったく無縁ですが……、なんとも。

写真を撮っていたら、中からオバチャンが出てきて(巫女さん?)、京都でオバチャンのこと、なんて言うのか判りませんが、普通のオバチャンで、自転車に乗って買い物に行く風でした。

まあ、いいものを見せていただいた?