看板建築と耐火
看板建築とは関東大震災後に登場した耐火建築のうちの一形態です。それまでの板壁に換わって周囲に銅板を巻いたり、擬石を貼ったり、モルタル(色モルタルが多い)を吹き付けたり、というのが特徴ですが、全体的にノペッとしたものをいいます。
というのは、それまでの和建築というのは、出し桁で軒を大きくせり出したり(関西では軒先までその家と見なされたため道路側に大きくせり出すことはありませんが、江戸・東京の場合、軒が道路側に出ていてもその家の敷地とはされなかったため、財力のある家は大きくせり出させています。「大工と雀は軒で泣く」なんていうんですよ)、二階の窓に肘掛け縁を据えたり(わが家では、祖母から「イチロー、そこに乗るんじゃないよ!」とよく叱られましたが、一本刀土俵入りでは、二階の肘掛け縁に座った姉さんがふと下を歩く青年に声を掛けるところからはじまっていました。方杖でちょいと支えてるだけだから危ないよ、使っちゃ行けない、といいながらもみんな座っていました)ファサードに賑わいがありました。
昔の家並みを思い出していただくと分かるのですが、日本家屋は賑やかで絵になります。ところが、関東大震災後、こうした木造家が全壊しました。
このため、耐震・耐火策として政府や(東京市)は鉄筋コンクリート造りを推進したんですが、でも政府や市が金を出してくれるわけではありません。そこで、登場したのが、家を耐火性のあるもので覆う、とう発想。これが、ノペッとした看板建築と呼ばれる建築形態です。
いまでは、銅葺きの家など考えられませんが、大正末期から昭和初期には銅が安かったそうでうす。
この看板建築を見ると制作年代が判ります。と同時に震災では被害を蒙ったが、戦災は無事に過ごした、ということもいえるでしょう。
このノペッとした建築物も、今ではとっても味のある建築物になっています。











