「横丁・小径学会」本郷菊坂遊歩(4) | 小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

「ガード下学会」「横丁・小径学会」活動の報告および、予定などをお知らせします。

ちん入者が消えた!

ちん入者はガイドブック持参で歩きまわっているようで、口に手やハンカチを当て、酒のニオイを消しながら「一葉が住んでいた長屋はどこですか」など、われわれに問い掛けてきたので「最初はこちらの家の入って、その後、目の前の家に移ったそうで……」などと見てきたような観光案内を紹介、その後、路地から見ての表通り(下道)に出て、固定式のゴミ箱や大谷石の養壁などを観察。「へ~ぇ、こんなものも残ってるんですね」と「横丁・小径学会」に融け込んだ後、自然にいなくなってしまいました。

唐破風・御殿造りの銭湯を覗いた後(湯舟や更衣室を覗いたわけではありません)、菊坂に出て、一葉が通っていたといわれる質屋さんを鑑賞。東京では珍しく矢来のある日本家屋です。

一葉が住んでいた崖の下は江戸時代、荒れ地と記されたエリアでしたが、こちらの質屋側(上道側)は江戸時代からの町屋。通りに面して表店があり、その横の細い路地を伝っていくと両側に長屋、その先に共同井戸、さらにその先にはアイ・ストップとなるイチョウの高木が立つ、という典型的な町屋敷です。

このイチョウが巨大。重機は入らないだろうし、第一、剪定はどうしてるんだろう、(静かに)疑問を投げかけ合っていると、ガラッと玄関が開く音。「ウルサイ! ここをどこだと思ってるんだ!」と叱られると思い、条件反射でみな萎縮。そっと顔を音の方向に向けると、「そのイチョウね、ほんと、ハッパがいっぱい落ちてくるんですよ。でね、役所が補助金だしてくれてね」と懇切丁寧に袋小路のイチョウの樹について教えてくれました。いや~、感激。一葉の側は「一葉旧宅」等の表示は一切なし。そりゃ、現在住んでいるので、観光客に来られて、勝手なことしゃべられて、一日中ワイワイガヤガヤなんてまっぴら、というのもわかります。とうことで、結構一葉の路地は見つからなくなって消え、ある評論家も「一葉の旧居宅をツブされた!」と雑誌に書き、その後、競争相手の出版社から、ありもしない話をでっち上げした、と批判されたこともあります。これは、地元でも(小石川周辺をスーパーの袋をぶら下げて、サンダル履きで昼間からフラフラ歩いているオジサンというと、その著名な評論家と小生ぐらい、とも言われています)判りづらいエリアでひっそりと暮らしていますが、質屋横の町屋敷は大らか!

そこで、[路地と住民意識の開放度]について一言。

古くから住んでいる人たちがいる地域、したがって住民の年齢も高くなるのですが、そうしたエリアでは、他人が路地中に入ってくることにほとんど抵抗感を示しません(小生自身、朝、谷中を自転車で通っていると見知らぬステテコ姿のオジサンや出会い頭のおばさんにオハヨー!といかにも知り合いのように挨拶されます)。ところが、新しく移転してきた方々、および若い方々は自分たちの路地の中に入られることに違和感、不快感を示す、という統計数字があります。この若い方たちは隣人の生活音も“騒音”と捉える傾向があります。「横丁と路地」も奥深い?