小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」 -38ページ目

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

「ガード下学会」「横丁・小径学会」活動の報告および、予定などをお知らせします。

白井晟一を観てきました!

一昨日は、東京駅から日銀、日本橋、昨日は浅草橋から浅草川沿いに雷門まで街の取材をしました。
その際、ここまで来たんならと、白井晟一の「善照寺」を訪問。神谷町のノアビルも白井晟一ですが、こちらも白井晟一。う~ん、屋根、こんなにぶ厚くする必要あった? これは、日本の茅葺きからの発想?(朝鮮半島の茅葺きは穂先を下にします。このため、水はけは良好。ただし、見た目は穂先を切れないのでボサボサ頭の状態。わが国の場合、根元を下にしているため、先が綺麗に揃えられます。ただ、水はけは悪いので、勾配の角度をとらなければなりません)。それにしても、これが無垢のコンクリートだとすると、重い! この屋根を支えるためには基礎の土台から大工事にしないと上物を支えられない。
白井さんについては、なにかと周囲から聞き及んでいるため、う~ん、こんな家もヨーロッパにあったのかも。
丹下さんとの論争なんて高尚な話じゃなく、いろいろ蘇ってきました。

小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

歳をとったらどこにでも出て行こう! と思います。

ボクは、若い方のお話は、途中どんなに反論したくても話の腰を折らずに最後までお聞きし、「いかがでしょう、ご協力いただきたいんですが」という言葉に「そんなのダメだよ!」なんて思っても、決して言葉にはせず、「ご協力いたしますよ」と返します。ということで、そのあと、うちの事務所の者から、「そんな話を受けて!」なんてずっと非難囂々になったりしますが、若い方の夢に一緒に乗らせていただけるのなら、乗りたいというのがボクの本心なんでしょう。それが成功したからといって、当方にはほとんどメリットなどないんでしょうが……

とはいえ、この手の話は現実的に結構難しいもの。ボク自身は依頼された原稿等を作成しても、なかなか彼らの夢の実現は大変そうです。

そんななか、最近、ある仕事をお断りしてしまいました。怖がらず、腰を引かず、夢に向かってしっかりと突き進むその行動力が魅力だったんですが、周囲の意見を聞き入れられないほど舞い上がってしまっている、と判断し、ご協力から下ろさせていただくことにしました。

こんな話、というか、その仕事は誰に伝えていたわけでもないし、やめたといっても、誰にも分からない筈ですが、お断りすると、数日後に、今度は東急から講座依頼の電話。どこでどう調べたのか、いいずらそうに(見知らぬ人に電話するのはボクも気が引けます。たとえ、仕事の依頼でも)言い出すので、「日にちの都合さえつけば結構ですよ」といつも通りの軽い調子でこたえると、「いえ、単発ということではなく、定期の講座として……」。先方の都合ではなく、ボク自身の都合次第、なのかと合点。とりあえず、秋からお引き受けすることにしました。歳をとって老け込むのではなく、求められたら出て行かなきゃ、と元気を出そうとしています!

煉瓦造りのガード下の魅力は?
今日は、朝日カルチャーセンター新宿・千葉教室合同企画「ガード下を歩く――考現学の愉しみ  御雇い外国人・バルツァーが手がけた日本最古のガード下・有楽町を歩く」に行ってきます。
これは、ボクのファンになってくれている千葉教室の部長さんがボクの『「ガード下」の誕生』(祥伝社新書)の出版を記念して、通常の講座とは別に番外編の公開講座として企画してくれた講座です。なぜ、都心部には鉄道が敷設されなかったのかとともに、ドイツの香りがする、異国情緒たっぷりの新橋―有楽町間の高架橋の魅力をたっぷりお話ししてきたいと考えています。

人生、幸せの一日

御茶ノ水の駅を降りると、スーツ姿と袴姿の学生がいっぱい! それに寄り添うお父さんもお母さんもにこやか。今日は、卒表式だったみたい。うん? 卒業式なのに親が出てくる? いったい、どこで式をやったんだい? なんて思いながも、ボクも幸せに満ちた町を歩きながらにこやかになっているのに気づきました。

仲間どうしで金とるか
世の中、まち歩きブーム。都市を歩き、都市を見つめ直す、という視点から、70年代から始まった、とボクは理解していますが、それが今では発展して、各ディテールの探求へ。まち歩きそのものを楽しもう! というところへ。
まち歩き好きが集まって、ともに歩こう、という活動が広まり、頼もしい、と期待しているが、中には大学やカルチャー、それに準じた団体以外の私的な集まりでも料金を徴収するところがではじめていました。
仲間どうしの遊歩に金銭の遣り取りは馴染まない、と思うのだがいかがなものだろう。

小林一郎の来年度上期・公開講座スケジュール、掲載しました

小林一郎の来年度上期の大学とカルチャーセンターでの公開講座の日程と内容を「http://s-machiaruki.jimdo.com/大学-カルチャー/ 」に掲載いたしました。いずれも有料講座ですが、ご興味のある方、覗いてみてください。公開講座ですので、単独で申し込めます。申し込みはいずれも、主催者まで。建築探訪と、江戸散歩です。

同時に、寺本の「花と緑を訪ねる」「花と城址」の公開講座スケジュールも掲載しています。

読んでみてください!

「橫丁・小径学会」(http://yokochogakkai2012.jimdo.com/ )のホームページ「寄稿・報文」に望月(街歩きライター)さんからご寄稿いただきました。
みなさん、読んでみてください。
現在、旧町名(バス停)・チンチン電車、暗渠、坂道、アオサギ(自然と街との共生)の方々に出稿依頼。それから
、ボクのマンホールの師匠、それに商店街踏破のしかすけさん……。乞うご期待。

著書もある方々で熱狂的なファンがいらっしゃる方たちです。

テラスハウスは西洋長屋!
先日、twitterで「ついに、阿佐ヶ谷住宅が取り壊される! 一帯に、ロープが張り巡らされた!」という話を、友人がリツイート。その日は、もともと同僚が探訪に行く予定でしたが、急遽ボクも参加しました。
都内の団地というと赤羽の団地。この赤羽台団地が最古の団地、とよくいわれますが、実は「23区内初の大規模団地」という括弧付きの話で、赤羽台団地が誕生する4年前、1958(昭和33)年には阿佐ヶ谷で大規模な団地が誕生しています。公団阿佐ヶ谷団地です。
こちらは、3階ないし4建てのRC(鉄筋コンクリート)造りのほか、陸屋根(平らな屋根)と片側に大きく流れる傾斜屋根の2タイプのテラスハウスが建てられていました。大きな傾斜屋根が前川國男の設計です。
テラスハウスというと、イギリスのテラスハウスを思い起こさせます。ポアロのようなイギリス映画なんかで(ポアロを見ていないんですが……)出てくる集合住宅で、車道からちょっとあがった段差歩道から建物の間に若干開けられた隙間(ドライエリア・空堀)上を数段上り、人一人か二人がやっと立てるだろうかというテラスからドアを開けて家の中に入る。各家は縦に割ったメゾネット方式です。テラスが階段の踊り場? なんて思ってしまいますが、住居の裏には居住者だけが使える庭が用意されています。
前川が設計したわが国のテラスハウスは……。平屋建て、基本的に4軒長屋で、両端に一軒ずつの出入り口、それに中央に2軒並んだ入り口。各戸の入り口にはテラスがあって、そこから家の中に入ります。
家の裏手には、テラス? このスペースは個人所有のものではなく、誰のものでもない、“コモン”として設けました。
このコモン、50年後の現在では、住居裏を取り囲むように編みフェンスで覆われていました。コモンは結局私有物へ――。まあ、アパートの裏庭は1階の部屋の住人のもの、という流れと同じですね。現在では、1階居住者に使用権が認められているマンションもありますが、その実験というか、設計者の大きな試みといってもよかったでしょ。残念な結果ではありますが。
このテラスハウス、住宅の分け方としては、長屋に属します。前川さんが設計したので、おしゃれな、伝説的な建物として伝えられていますが、このテラスハウス以前に立てられていた都営住宅は2軒長屋で前庭付き。これは、江戸、明治から続く長屋を踏襲したものなんでしょうが、なんとも似通って見えてなりませんでした。不思議と! 


小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」



小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」



小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」



小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」



横丁と路地
「横丁・小径学会」のホームページ(
yokochogakkai2012@jimdo.com )の「投稿・報文」のページを充実させました。ご興味のある方、ぜひご覧になってください。
これで、「横丁」と「路地」が判ります。
『「ガード下」の誕生』の書評が海外に向かって発信
『「ガード下」の誕生』が「Japanese Book News」(発行:国際交流基金)で紹介されました。季刊ということからなのか、時季を考慮したのか、なんと、発売以来、一年経った書籍の書評になりました!
Japanese Book Newsは、日本の出版物に関する情報を海外の出版社、編集者、翻訳者に向けて発信する雑誌。
すべて、英文ですが、ご興味ある方、ご一読ください!
This book, based on a thorough study of the exiting literature and extensive fieldwork,
なんですって。