2190428Gミーヴで東京往復84_3-18伊勢湾岸自動車道を走行中4湾岸長島まで到達 | エコノミライ研究所のブログ

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2015年2月16日に設立した任意団体です。
ありとあらゆる「ミライ」について考える団体ですが、主に
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1、生活の未来
2、文化の未来
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を探求して行きます。

いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠にありがとうございます。

 

 

2019年、コロナ禍に巻き込まれる前の年の出来事のレポートですから、少々古いネタなのですけれども、

 

平成最後のゴールデンウィーク(楊田家の場合は10連休)でのディープな出来事を振り返りますと、

 

”嗚呼、良い時期だったな~”

 

と今でも感じています。

 

(E1A伊勢湾岸自動車道の名港西大橋(名古屋トリトンの一番西に位置する橋))

 

 

平成最後のGミーヴドライブも、目的地東京、横浜への到達を実現し、

 

家路へと戻るゾーンへと入ってきました。

 

初日は平成31年4月28日(日)のことでした。

 

午前5時に倉敷を出発し、同日午後8時過ぎに1泊目の宿泊地ルートイン御殿場に無事到着。

 

2日目の4月29日(月)は、

 

首都圏並びに東京都内ドライブシーンにシフトし、午前11時、東京スカイツリータウンに到着。

 

三菱EVユーザーの聖地、三菱自動車本社ショールーム前充電器にて通算14回目の充電を実施し

 

日産グループの総本山、横浜市西区にあるところの日産グローバル本社ギャラリーでも通算15回目の充電を実施

 

夕方4時前より首都高神奈川1号横浜線みなとみらい入り口から高速道路ドライブを再開し

 

E1東名高速道路を只管(ひたすら)西行

 

夜10時過ぎまで掛かりましたが、何とか無事、

 

2日目の宿泊地、くれたけイン浜松に到着することができました。

 

平成年間のうちに帰宅するまでの行程の最終日の紹介編へと入っています。

 

 

 

 

 

 

・・・・・以下、旅行記本文・・・・・

 

<三菱i-MiEV「Gミーヴ」号で東京往復_復路ドライブ編>

 

第3章 復路ドライブの様子

 

 第18節 豊田東ICからE1A伊勢湾岸自動車道に入り道なりに進む4湾岸長島PAに到達

 

 

(先回の終盤からおさらい)

 

三菱自動車が世界で初めて量産型EVとしてリリースした

 

i-MiEV(G)による倉敷東京往復の旅

 

平成最後の大型連休である

 

平成31(2019)年4月28日(日)午前5時から出発して、御殿場エリアで1泊目までの紹介まで進み

 

平成31(2019)年4月29日(月)午後4時12分頃、横浜町田ICを通過し、本格的な高速道路ドライブに突入。

 

夜10時30分過ぎ、漸く<16-2>浜松西IC下り出口を通過し

 

2日目の宿くれたけイン浜松に到着した次第です。

 

 

平成31(2019)年4月30日(火)、「平成」年間最後の日、ドライブ3日目にて倉敷本部を目指す往路編も佳境に入って行きます。

 

午後2時前

 

人口約42万人の大都市豊田市に入り

 

 

E1A伊勢湾岸自動車道の<2>豊田東ICにゲートイン!

約400kmのロングドライブが再開されたのです。

 

ここからは、E1A伊勢湾岸自動車道のドライブとなります。

 

伊勢湾岸自動車道は、以下のジャンクションやインターチェンジ、PASAを有する高速道路国道です。

 

(「<〇>」は施設番号、「0.0」は豊田東JCTからの距離(km)を表します。)

<1>豊田東JCT 0.0 
<2>豊田東IC    3.1
<19-2>豊田JCT 5.0
<3>豊田南IC  12.6  
<3-1>刈谷PA/SIC 15.9 ←3回前までの紹介
<4>豊明IC 20.2
<5>名古屋南IC 25.5
<6>大府IC 27.0
<7>東海IC 29.9
<7-1>東海JCT 29.9
<8>名港潮見IC 32.4 ←先々回までの紹介
<9>名港中央IC 34.8
<10>飛島IC 37.6 ←先回までの紹介
<10-1>飛島JCT 37.6
<10>飛島IC 37.6
<11>湾岸弥富IC 40.5
<12>弥富木曽岬IC 43.3
<13>湾岸長島IC/PA 45.9
<14>湾岸桑名IC 48.4
<15>みえ川越IC 50.2
<16>みえ朝日IC 54.2
<29-1>四日市JCT 56.4

 

(出典:ウィキペディア「伊勢湾岸自動車道」伊勢湾岸自動車道 - Wikipedia

 

 

先回紹介したゾーンは、いわゆる「名港トリトン」という名所でした。

 

 

我がGミーヴ号は、引き続き、

 

E1A伊勢湾岸自動車道を道なりに西方面へと進みますが、

 

ここからは、伊勢湾岸自動車道、距離的にも後半戦に入ります。

 

その前に、先回のダイジェスト、もう一度紹介させて下さい。

 

名港トリトンの雄姿、もう一度、この目で焼き付けておきたいのです。

名港東大橋(700m)・・・橋脚の色が青く、6車線分を1本の橋で繋げた若干短い斜張橋です。

 

 

「名港東大橋(めいこうひがしおおはし)は、伊勢湾岸自動車道伊勢湾岸道路の東海IC(愛知県東海市新宝町)から名港潮見IC(同県名古屋市港区潮見町)間にある橋梁。

名古屋港を横断する、名港トリトン(名港東大橋、名港中央大橋、名港西大橋)のひとつである。1998年3月30日に供用を開始した。

 

(中略)

 

本橋は3径間連続斜張橋であり、A形の2本の主塔とその両端の橋脚により構成される。
諸元
橋長 : 700 m
支間割 : 145 m+410 m+145 m
桁下空間 : T.P+40 m
基礎 : P-1、P-4 : 場所打鉄筋コンクリート杭 P-2、P-3 : ニューマチックケーソン
型式 : 3径間連続鋼斜張橋
主桁 : 変形六角形多室箱桁
ケーブル : セミパラレルワイヤー 直径7 mm」

(出典:ウィキペディア「名港東大橋」名港東大橋 - Wikipedia

「概要
名港トリトンの3橋は名古屋港(名港)の埋立地を東西に横断し、流通基地をはじめ工業地帯が点在する各ふ頭間を連絡する使命の他に、名古屋港と周辺工業地帯の有機的連携を目的として架橋された。

さらに、東名、新東名と東名阪、新名神の各高速道路の短絡ルートを構成することから、東西主要都市間の直結ルートとしての役割も担っている。

さらに、中央自動車道、名二環、東海環状自動車道、東海北陸自動車道とも間接的に連絡のうえ名古屋港と関西、北陸、信越地方が自動車専用道路で結ばれることで、海上輸送と陸上輸送が一体となって国際物流を形成し、国内産業を下支えしている。」

(出典:ウィキペディア「名港トリトン」名港トリトン - Wikipedia

「3橋は西側(飛島IC側)から、名港西大橋、名港中央大橋、名港東大橋の順に架橋されている。

架橋されているふ頭と自治体は、木場金岡ふ頭(海部郡飛島村)、金城ふ頭(名古屋市港区)、潮見ふ頭(名古屋市港区)、新宝ふ頭(東海市新宝町)である。

名港西大橋が木場金岡ふ頭 - 金城ふ頭間、名港中央大橋が金城ふ頭 - 潮見ふ頭間、名港東大橋が潮見ふ頭 - 新宝ふ頭間にそれぞれ架橋されている。

3橋は連続して架橋されていることから、名港トリトン進入の際に、A形の主塔が8つ居並ぶ光景を見ることが出来る。

3橋は貿易港たる名古屋港のゲートに位置し、フェリー、タンカー、貨物船など、

相当数の船が橋の下を通過する。

なお、名港トリトンは自動車専用道路に架かる橋梁であることから、徒歩で横断するための橋ではない。よって港を展望するための遊歩道のたぐいは一切設置されていない。」

(出典:ウィキペディア「名港トリトン」名港トリトン - Wikipedia

次に通過した橋は、名港トリトンの真ん中に位置する橋

 

名港中央大橋(1170m)(橋脚の色が白く、6車線分を1本の橋で繋げた斜張橋)です。

 

名港トリトンの中では、高さ、長さ共に、一番大きな部類の斜張橋です。

 

「名港中央大橋(めいこうちゅうおうおおはし)は、伊勢湾岸自動車道伊勢湾岸道路の名港潮見IC(名古屋市港区潮見町)から名港中央IC(名古屋市港区金城ふ頭)の間にある橋梁。名古屋港を横断する名港トリトン(名港東大橋、名港中央大橋、名港西大橋)のひとつである。」

(出典:ウィキペディア「名港中央大橋」名港中央大橋 - Wikipedia

「名港中央大橋(以下、中央大橋と表記)は名古屋港の人工島である金城ふ頭と潮見ふ頭に跨る橋長1170 m、中央径間590 mの鋼斜張橋である。

また、名古屋港を航行する大型船の航行を考慮して海上面47mの空間を確保するなど、支間長、高さ共に名港トリトンでは最大規模である。1989年12月に基礎工の施工に着手してから主桁の併合までに約7年を要した。

中央大橋が架橋されている水域は中央部に北航路(水深12 m)が設定され、ここは潮見ふ頭や金城ふ頭に着離桟する大型船が相当数航行する。

北航路以外は小型船が航行し、1日あたり数百隻の船がここを通る。

名古屋港のメイン航路だけに大型船を通過させるだけの橋梁規模を有するのが中央大橋である。

それは高さに限らず、北航路以外も航路であることから橋脚と主塔の間隔が非常に長く、本橋を特徴づける一要因となっている。

だが近年の大型クルーズ船の航行には高さが不足し、名古屋への観光客誘致の障害の一つになっている。」

(出典:ウィキペディア「名港中央大橋」名港中央大橋 - Wikipedia

名古屋エリアのアメブロガー様のブログを拝見しておりますが、

 

いつも、素晴らしい「作品」を鑑賞させて戴いています。

 

四季折々の名港トリトンは圧巻です。

 

お金と時間が許せば、ナンボでもこの場所の撮影のため費やしたい、と思えます。

 

<ひと>の<力>とは、ここまで巨大な構造物をも<この世>に存在せしめるものなのか、

 

と半ば恐ろしさすら、感じてしまいます。

それでも、<ひと>の凄いところは、

 

このように巨大で、一見、得体の知れない構造物を

 

利用し始めてしまえば、即、大変、便利な存在であると認識する<力>を持ち合わせて居ることです。

 

E1A伊勢湾岸自動車道によって、名古屋港を東西に貫くため建設された

 

名港トリトン

 

という存在は、<ひと>や<もの>の移動を支える、重要なインフラストラクチャーとして定着しています。

 

名港中央大橋、名港中央ICを通過しますと、

 

このように、次の橋がもう、見えてきます。

見えてきた橋の色は赤色ですから、

 

名港西大橋(758m)(橋脚の色が赤く、上下線に1本ずつ競り立つ斜張橋)

 

が近づいていることと同時に

 

名古屋市区間の走行が終わることを意味します。

「主塔は東側の橋が青、中央が白、西側が赤のトリコロールカラーで塗装されている。

最初に建設された西大橋は誘目性、視認性、港のシンボルを考慮して赤とされた。

後年になって3橋がグランドオープンするに伴い、色彩に新たな検討を加えることになった。

 

結果、連続する3つの斜張橋は海外にも例がないことから、この景観資源を生かし、

港のゲート性を強く印象づけるためにも公団主催の検討委員会の提言によって3橋の色彩を別々にすることになった。

 

これによって、西大橋は親しみなれたイメージを壊さないために赤をそのまま生かし、

中央大橋は大白鳥が羽を広げたイメージを表現するために白、

東大橋はさわやかな空と海の青が採用された。

マンセル値では2.5R4/4(名港西大橋)、10PB9/2(名港中央大橋)、2.5PB4/8(名港東大橋)である。」

(出典:ウィキペディア「名港トリトン」名港トリトン - Wikipedia

名古屋市区間を過ぎ、

 

西隣の海部(あま)郡 飛島村(とびしまむら) に入ってきました。

このキャプチャ写真でお分かりのとおり

 

今、通行している下り用の橋の方が、

 

右側に見える上り用の橋よりも広いです。

 

このことには、ワケがありまして、

 

伊勢湾岸自動車道が計画される以前、

 

ここは、一般有料道路である「伊勢湾岸道」の名目で整備されていた、という歴史があるからだそうです。

 

(参考:ウィキペディア「有料道路」有料道路 - Wikipedia

名港西大橋の建設前後を巡る状況に関する説明も、ウィキ記事にありました。

 

「名港西大橋開通から海上区間事業化まで
名港西大橋は伊勢湾岸道路として最初の開通区間であるが、地元の強い要請で先行開通したとはいえ、西2区と金城ふ頭をつなぐだけの道路であることから、広域移動できる利便性はなかった。

 

この利便性の無さに加えて、高額な通行料金(特定大型車1,400円)を徴収したことから、

当てにしたトラックは西大橋を避けて今まで通り名四国道と国道1号を利用した。

 

このことから利用台数は、当初計画の日8,900台を大幅に下回る1,700台と低迷し、

その後年々1割程度の増加を見せたとはいえ、公団の有料道路事業としては最悪の成績であった。

 

そして国道23号(名四国道)の道路混雑(当時の1日交通量約9万台)は相変わらずで、

渋滞による経済損失と併せて大型車両の混入率が高いことから道路施設の老朽化を促進させることになった。

 

常時混雑するために補修による通行止めも叶わず、抜本的対策はバイパスルートの伊勢湾岸道路全線開通を待つ以外に打つ手がない状況であった。

さらに、港と配送先を結ぶ道路が名四国道であることから、混雑によって物流が滞るという問題があった。

こうした事情から伊勢湾岸道路の豊田 - 四日市間の全線開通が待たれることとなった。」

(出典:ウィキペディア「伊勢湾岸自動車道」伊勢湾岸自動車道 - Wikipedia

地元の期待を一身に背負ってデビューしたものの、

 

期待外れにより利用が低迷した典型的な橋の一つであったことが、よくわかります。

 

それでも、高速道ネットワークウ再編成の一環で、伊勢湾岸自動車道が整備されたことで

 

利便性が飛躍的に向上、優良な利用率を誇る路線の一つとなっているのですから、

 

環境の把握と緻密な計画に基づく予算策定・実行の重要性についても痛感する次第です。

人口4千人あまり、「日本一の金持ち村」として有名な

 

飛島村にあるところの

 

<10>飛島IC (豊田東JCTより37.6km)

 

を通過します。

 

(参考「飛島インターチェンジ」飛島インターチェンジ - Wikipedia

飛島ICの通過前後で認識できる高架道路の存在の意味も、漸く、分かりました。

 

国道302号線(名古屋環状2号線)とも接続しているICのようでして、

 

このインターチェンジの利便性の良さを象徴する一コマをキャプチャー撮影していたようです。

この後も

 

<11>湾岸弥富IC

<12>弥富木曽岬IC

木曽川橋(1145m)

<13>湾岸長島IC/PA・・・充電器1基あり

揖斐川橋(1397m)

<14>湾岸桑名IC

<15>みえ川越IC

<16>みえ朝日IC

ここまでがE1A伊勢湾岸自動車道
これよりE1新名神高速道路

<29-1>四日市JCT・・・E23東名阪自動車道へ

<1>新四日市JCT・・・C3東海環状自動車道へ

<2>菰野(こもの)IC上り

四日市トンネル上り(1350m)
 

というように、様々な橋、インターチェンジなどが続きます。

 

国道302号線(名古屋環状2号線)から合流してくる車両に、ご注意下さい。

場所は、飛島村を過ぎまして

 

E2A伊勢湾岸自動車道の愛知県区間で一番西に位置する

 

人口約4万3千人の弥富市に入ってきました。

「2006年(平成18年)4月1日、海部郡弥富町が十四山村を編入合併して市制施行し、愛知県35番目の市として弥富市が誕生した。

北部は鉄道・幹線道路が充実しており、名古屋市や三重県四日市市へのアクセスも良い。 昭和40年代には、名古屋市との行き来に便利な地域として、鉄道駅周辺を中心としてベッドタウンとして住宅開発が進み、人口が大きく伸びた。

今日でもマンション開発などが見られ、人口が穏やかに伸びているが、市の北部、南東部の区域には水田地帯が豊かに広がっており、都市部から農村部、海岸部までを持つ豊かな地域を形成している。

キンギョ(弥富金魚)、ブンチョウ(ハクブンチョウ)の産地である。

また、生産地としてだけではなく、流通拠点としても我が国有数の市場となっており、日本にいる金魚の全品種である約26種類がすべて弥富でそろう一大産地である。

約100ヘクタールの養殖池があり、約5,000万匹を生産している。金魚の尾数では奈良県大和郡山市を下回るが、品種数、養殖池面積、売上高では弥富が日本一の金魚産地である。弥富市歴史民俗資料館には約20種類の金魚が水槽で展示されている。

彌(弥)富は「いよいよ富む、いやがおうにも富む」 事を願って命名された瑞祥地名である。」

(出典:ウィキペディア「弥富市」弥富市 - Wikipedia

金魚のまち、弥富市の玄関口である

 

<11>湾岸弥富IC (豊田JCTより40.5km)

 

を通過します。

名港トリトンを過ぎましても、E1A伊勢湾岸自動車道は、ほぼ一貫して高架道路ですので、

 

アップダウンが殆ど存在せず、カーブの半径も大きなことから、速度低下が生じません。

できるのならば、法定速度を守り、安全運転でドライブを楽しんでいただきたいものです。

そうこう(走行1)云うておりますうち、愛知県区間のドライブが終了し

 

人口約175万人の三重県まで戻ってきました。

 

西方面へ向かう際の三重県最初に通過する町は

 

人口約6千人の桑名郡木曽岬町(きそさきちょう)です。

愛知県弥富市と三重県桑名郡の木曽岬町の境に位置する

 

<12>弥富木曽岬IC 43.3

 

からの合流車両に、ご注意下さい。

 

弥富木曽岬ICは「ハーフインターチェンジ」です。

 

つまり、四日市方面への入り口と同方面からの出口のみという構成で、

 

言い換えますと

 

上り線は出口のみ

 

下り線は入口のみ

 

のインターチェンジです。

桑名郡木曽岬町を過ぎますと、

 

桑名藩11万石千羽鶴で有名な

 

人口約14万人の桑名市に入ってきました。

 

「伊勢湾の堆積平野の伊勢平野と木曽三川による沖積平野の濃尾平野の境にある都市。愛知県と岐阜県に接しており、名古屋市から25km圏に位置する。名古屋市のベッドタウンとして宅地開発が進んでいる。無形文化財に石取祭や連鶴の折り方の「桑名の千羽鶴」などがある。

2004年(平成16年)12月6日に桑名市、桑名郡長島町、多度町の3市町村が合併(対等合併)して誕生した市である。

蛤(はまぐり)料理に代表される食文化を有し、ナガシマスパーランド、多度大社、六華苑、東海道の七里の渡しなど豊富な観光資源に恵まれた三重県下屈指の観光都市であり[1]、機械・金属系を中心とする工業都市でもある。

三重県の北部に位置する。木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の河口にあり、北西部に養老山地、南東部に伊勢湾がある。伊勢神宮の「一の鳥居」が設置されるなど、伊勢国の東の玄関口として位置付けられる。その地理的条件により、江戸時代には東海道でも指折りの宿場町、城下町、港町として栄えた。」

(出典:ウィキペディア「桑名市」桑名市 - Wikipedia

そうこう(走行2)いうておりますうち

 

木曽三川の最も東に位置する木曽川を渡ります。

 

木曽川河口エリアは

 

桑名郡木曽岬町と桑名市の長島との間を抜けて川の水が海に出ます。

 

「長野県木曽郡木祖村の鉢盛山(2,446メートル)南方を水源とし、南西に流れている。鳥居峠西側を南に向かって流れ御嶽山から流れ来る王滝川を合わせた後、木曽の桟や寝覚の床などの渓谷を形成しながら岐阜県中津川市に入り流れを西に変える。

中津川市より可児市までの間は恵那峡、深沢峡、蘇水峡といった峡谷を形成し、濃尾平野東部に出て美濃加茂市と可児市の境界で飛騨川と合流する。飛騨川合流後の可児市から愛知県犬山市の犬山城付近まで再度渓谷を形成し、これらを総称して「日本ライン」と呼び中流域が1985年(昭和60年)に環境庁(現・環境省)の「名水百選」に選定された。

各務原市と愛知県犬山市の境界付近から再度濃尾平野に出て、各務原市川島地区で一旦3つの流れに分流し(三派川地区)、国道22号新木曽川橋付近で再度合流する。下流域ではかつて揖斐川、長良川と合流・分流を繰り返し輪中が発達していたが、江戸時代以降何度となく改修工事が繰り返され、現在では分離されている。三重県桑名市長島町と木曽岬町との境で伊勢湾に注ぐ。延長229キロメートルは、最上川と並び全国7位の長さ。揖斐川、長良川流域を除く流域面積は5,275平方キロメートル。」

(出典:ウィキペディア「木曽川」木曽川 - Wikipedia

また、

 

このキャプチャー写真にあるとおり

 

「トゥインクル」

 

と名付けられた橋でありまして、

 

湾岸木曽川橋と

 

長良川とその西隣の揖斐川とが合流した揖斐川を渡す

 

湾岸揖斐川橋との総称のことを謂います。

「トゥインクルは伊勢湾岸自動車道(近畿自動車道名古屋神戸線)が三重県桑名市内の木曽三川を渡る双子の橋、

湾岸木曽川橋(わんがんきそがわばし)および

湾岸揖斐川橋(わんがんいびがわばし)に付けられた愛称である。

 

ともに世界初のPC・鋼複合エクストラドーズド橋であり、

前者は弥富木曽岬IC - 湾岸長島ICに、

後者は湾岸長島IC - 湾岸桑名ICに位置する。

 

2001年度土木学会田中賞作品部門を受賞している。

 

名港トリトン・豊田アローズブリッジ(斜張橋)とともに伊勢湾岸自動車道を代表する長大橋であり、

愛知県・三重県の県境付近を流れる木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)を渡る橋である。

木曽三川のほぼ河口に位置しており、長良川はこの橋の上流で揖斐川に合流しているため、

湾岸木曽川橋と湾岸揖斐川橋の2橋で構成される。」(出典:ウィキペディア「トゥインクル(橋)」トゥインクル (橋) - Wikipedia

「この橋の特徴として、以下が挙げられる。

・プレストレストコンクリート(PC)と鋼による複合橋であること。
・エクストラドーズド橋であること。
・大規模プレキャストセグメントによる施工を行ったこと。

世界初のPC・鋼複合エクストラドーズド橋
270 mを越す最大支間を経済的に実現するため、

橋脚付近は剛性の高いコンクリート桁を採用し、

支間中央部には軽量な鋼箱桁を採用している。

 

このような鋼とコンクリートの特性を活かし、1つの橋梁の中で適材適所に用いるものを複合橋と呼び、その優れた経済性・構造特性から1990年代以降架橋例が増えている形式である。」

(出典:ウィキペディア「トゥインクル(橋)」トゥインクル (橋) - Wikipedia

「また、構造形式にはエクストラドーズド橋が採用されている。

中間橋脚に主塔を設置し、斜めに張ったケーブル(斜材)により主桁を支える構造である。

外見は吊り構造である斜張橋に類似しているが、斜張橋に比べ主桁の剛性が高く、橋の挙動としては桁橋に近い。

 

また、主塔の高さが低く、斜材ケーブルの角度が小さく水平に近いのが特徴である。

斜材ケーブルの角度が小さいことは、

車両などの重量(活荷重)による斜材ケーブルの張力変動が小さくなることを意味し、

疲労に対して有利である。

 

このことから、本形式での斜材ケーブルの張力制限値は斜張橋に比べ緩和されており、

少ないケーブルで経済的に構造を成立させることができる。


鋼・PC複合橋でのエクストラドーズド橋は、本橋が世界初である。」
(出典:ウィキペディア「トゥインクル(橋)」)

「施工
幅員33 m、全長2,500 mに及ぶ本橋を、早期にかつ経済的に完成させるため、

コンクリート桁部には大規模プレキャストセグメント工法が採用された。

架橋地点以外の場所に製作ヤードを設け、

コンクリート桁を長さ5mで輪切りにしたもの(プレキャストセグメント)をあらかじめ製作し、

架橋地点に輸送し架設する工法である。

 

製作ヤードを別に設けることで、

架橋地点の作業状況や天候に左右されずに製作を進めることができることから、

工期の短縮が図れる。」

(出典:ウィキペディア「トゥインクル(橋)」)

「本橋の製作ヤードは四日市市の霞ヶ浦埠頭に設けられ、

製作したプレキャストセグメントは台船にて架橋地点に海上輸送された。

 

公道の走行によらず海上輸送としたことから、

プレキャストセグメントは公道の重量制限を考慮しなくてもよいため、

最大重量440 tの大型部材が用いられた。

 

1つの部材を大きくすることでセグメント総数が減少し、工程を短縮するとともに経済性が図られている。

また、鋼桁部は鋼桁製作メーカーの工場から海上輸送され、

架設済みのコンクリート桁部から吊り上げる一括架設工法が採用された。架設された鋼桁は1箇所あたり100 mに及ぶ。」
(出典:ウィキペディア「トゥインクル(橋)」)

「諸元
種別 - PC・鋼複合道路橋
形式 - 5径間(6径間)*連続エスクトラドーズド橋
完成年度 - 2001年(平成13年)
供用開始 - 2002年(平成14年)3月24日
橋長 - 1,145 m(木曽川橋) 1,397 m(揖斐川橋)
最大支間 - 275 m(木曽川橋) 271.5 m(揖斐川橋)
架設工法
コンクリート桁 - プレキャストセグメントによる片持ち架設工法
鋼桁部 - 一括吊り上げ架設工法」

(出典:ウィキペディア「トゥインクル(橋)」)

「エクストラドーズド」という言葉を初めて知ったのが、

 

このGミーヴドライブ紹介往路編のことでありましたから、

 

身に付けた知識は、まだまだ、浅うございます。

 

それでも、

 

E1A伊勢湾岸自動車道が、ニッポン人の得た土木建築技術の集大成の一つであったことを

 

容易に理解することができます。

橋の紹介ばかりで、旅の案内が殆どできておらず、面目有りません。

 

今回も、橋の紹介で、キリがよさそうです。

 

今回紹介距離も、10km程度だけとなりそうです。

時刻は14時20分頃

 

豊田東ICに入ってから、まだ、30分程度しか、刻(とき)は経過していませんけれども、

 

三河日産岡崎大樹寺店からは、既に50km程度走行していますので、

 

此処より1km先の

 

<13>湾岸長島PA/SIC

 

にて、通算24回目の充電を試みます。

湾岸木曽川橋の長さは1145mなので、

 

この辺りが橋の真ん中、500m強、進んだ位置となるでしょう。

H型やA型の斜張橋とは異なり、ワイヤーに挟まれている感覚がない分、

 

圧迫感を感じず、むしろ、安心感を覚える橋です。

 

海面からの高さも、余り、無さそうですので、高所恐怖症の身には助かります。

そうそう、夏シーズンの夕方・夜の時分にこの場所を通過したことがありますが、

 

この付近で花火が打ち上げられていた関係で、

 

この第一車線が酷い渋滞状況だったことを思い出しました。

 

この風景で、此処が何処なのか、分かる<ひと>には、もう、お判りですよね。

<13>湾岸長島IC/PA (豊田東JCTより45.9km)

 

まで、遣ってきました。

そうです。ナガシマスパーランドが、直ぐ隣にあるパーキングエリア

 

<13>湾岸長島IC/PA (豊田東JCTより45.9km)

 

です。

 

 

この辺りでキリがよいので、続きは次回に廻します。
 

 

楊田家Gミーヴ倉敷東京往復ドライブの旅、後半戦最終3日目の紹介をしています。

 

 

次回も引き続き、三菱i-MiEV「Gミーヴ」号での(高速)道路EVドライブ(等)の模様をお届けします。

 

 

お楽しみに!!

 

 

☆10:34東京スカイツリータウン駐車場31.9(722.0)km、66.5%、電費11.39km(!)

<14>12:16三菱自動車㈱本社ショールーム12.6(734.6)km、56.5%、1.3kWh消費、0h30分走行、電費9.7km/kWh、11分2.9kWh充電で83%まで回復

<15>15:26日産自動車グローバル本社ギャラリー34.2(768.8)km、48.5%、3.9kWh消費、1h10分走行、電費8.77km/kWh、16分4.3kWh充電で82%まで回復

☆15:42日産自動車グローバル本社ギャラリーを電池残量82%、累積距離768.8kmの状態で出発

<16>16:17東名高速海老名SA下り33.9(802.7)km、52%、3.8kWh消費、0h35分走行、電費8.92km/kWh、24分5.1kWh充電で91%まで回復

<17>17:30東名高速中井PA下り22.3(825)km、73%、2.3kWh消費、1h5分走行(渋滞の影響)、電費9.7km/kWh、7分1.07kWh充電で85.5%まで回復

<18>18:08東名高速足柄SA下り27.3(852.3)km、58.5%、3.5kWh消費、0h21分走行、電費7.8km/kWh、17分4.1kWh充電で88.5%まで回復

<19>19:40東名高速富士川SA下り46.7(899.0)km、65%、3.1kWh消費、1h13分走行(渋滞の影響)、電費15.06km/kWh、19分3.4kWh充電で91%まで回復

<20>21:29東名高速牧之原SA下り66.8(965.8)km、26%、8.3kWh消費、1h5分走行、電費8.05km/kWh、24分8.1kWh充電で88%まで回復

☆22:53くれたけイン浜松49.3(1015.1)km、45%、5.5kWh消費、電費8.96km/kWh

<21>9:41静岡三菱自動車販売浜松葵店東10.4(1025.5)km、26.5%1.8kWh消費、1h04分走行、電費5.78km/kWh、30分6.6kWh充電で77.5%まで回復

<22>10:34東名高速浜名湖SA下り13(1038.5)km、67%1.3kWh消費、32分走行、電費10km/kWh、21分2.7kWh充電で88%まで回復

☆12:28三菱オートギャラリー ×休み55.5(1094)km、36.5%6.5kWh消費、1h54分走行、電費8.54km/kWh

<23>12:45三河日産日産ギャラリー岡崎大樹寺3.3(1.97.3)km、34%0.4kWh消費、17分走行、電費8.25km/kWh、20分充電で90%まで回復

 

エコノミライ研究所

所長 楊田芳樹

 

このシリーズ

【新シリーズ】20190428Gミーヴで東京往復_01平成最後のEVロングドライブへ 2020-10-24 07:00:00

 

前のシリーズ

【新シリーズ】e-NV200「えこの弐」号で関東出張_00移動をした前提(2020.5.16)

 

 

<関連シリーズ>

ジャパンEVラリー白馬2018の思い出1(2018.9.22)

 

ジャパンEVラリー白馬2019の思い出2_エコノミライ研究所メンバーそれぞれの旅立ち(2019.9.14)

 

 

<蛇足「えこの弐」とは>

エコノミライ研究所のブログを最初からお読み下さっている方々には、説明不要かもしれませんけれども

過去記事がありますので、リンクを貼っておきます。

 

ご参考になれば幸いです。

HハンドルNネーム、e-NV200について(2017-09-09)

 

<蛇足「Gミーヴ」とは>

エコノミライ研究所所長楊田が所有する2011年11月マイナーモデルチェンジタイプの三菱i-MiEVのGグレードのことを言います。楊田はこのクルマを2012年11月に購入選択権付きリースにて導入し、5年後の2017年10月末に残価を支払い、完全所有の形で2020年10月現在も所有し続けています。

我がGミーヴについて(2017.7.10)