何とかなるさ...の世界!? -13ページ目

何とかなるさ...の世界!?

いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

 

 

カレブ(Caleb)の名前の由来について、少し触れてみたいと思います。

 

カレブとはヘブライ語で、「忠実な」、「誠実な」、「大胆な」、「勇敢な」という意味があります。

 

また、「神への献身」を意味するのではないかと考える人もいるようです。

 

この名前は二つのヘブライ語、「kal」と「lev」に由来し、犬を意味するヘブライ語は「kalev」なので、カレブ(Caleb)もこの言葉と関係あるのかもしれません。

 

聖書では、カレブはヨシュアとモーセと行動を共にした仲間であり、モーセが約束の地カナンへ送った斥候の一人で、モーセと共にエジプトを出発したイスラエル人の中で、カナンに辿り着くまで生き残った二人の内の一人でもあります。

 

申命記1章

34)主は、あなたがたの不平を言う声を聞いて怒り、誓って言われた。

 

35)「この悪い世代のこれらの者のうちには、わたしが、あなたがたの先祖たちに与えると誓ったあの良い地を見る者は、ひとりもいない。

 

36)ただエフネ(ユダ族の家系)の子カレブだけがそれを見ることができる。彼が踏んだ地を、わたしは彼とその(ユダ族の)子孫に与えよう。彼は主に従い通したからだ。

 

37)主はあなたがたのために、この私に対しても怒って言われた。「あなたも、そこに、はいれない。

 

38)あなたに仕えているヌンの子(エフライム族)ヨシュアが、そこに、はいるのだ。彼を力づけよ。彼がそこをイスラエルに受け継がせるからだ。

 

39)あなたがたが、略奪されるだろうと言ったあなたがたの幼子たち、今はまだ善悪のわきまえのないあなたがたの子どもたちが、そこに、はいる。わたしは彼らにそこを与えよう。彼らはそれを所有するようになる。

 

40)あなたがたは向きを変え、葦の海への道を荒野に向かって旅立て。

 

カレブは、彼の名前が意味する通り、神とまた行動を共にする仲間であるモーセとヨシュアに対して、忠犬のように従順だったのです。

 

また、ここで改めて理解できたのですが、エフライム族のヨシュアは北イスラエル王国、ユダ族のカレブはユダ王国を象徴しており、終りの時代に、全世界に散らばっている失われたイスラエル民族の忠実な子孫達が、キリストによって、再び一つに集められるあろうことの雛形であるという事をです。

 

それから、黙示録19章13節の「神のことば」である血に染まった衣を着ている方のその血は、神の激しい怒りの酒ぶねで踏まれて溢れ出て来た血によるものであり、キリストの贖いの血ではないことが、はっきりと聖書には記されています。

 

 

 

 

第二ペテロ3章(8~12節必読)

13)しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と地を待ち望んでいます。

 

14)そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。

 

15)また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。

 

16)その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。

 

17)愛する人たち。そういうわけでけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。

 

18)私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。

 

 

 

 

マタイ7章

13)狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。

 

14)いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

 

ルカ13章

22)イエスは、町々村々を次々に教えながら通り、エルサレムへの旅を続けられた。

 

23)すると、「主よ。救われる者は少ないのですか。」と言う人があった。イエスは、人々に言われた。

 

24)「努力して狭い門からはいりなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。―――」

 

狭い門=イエス・キリストの門

 

ヨハネ10章

7)そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。

 

8)わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼らの言うことを聞かなかったのです。

 

9)わたしは(狭い)門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。

 

ヨハネ14章

6)イエスは彼(トマス)に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたし(御言葉の真理であるイエス・キリストという狭い門)を通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

 

7)あなたがたは、もしわたし(御言葉の真理)を知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに(御言葉の真理であるイエス・キリストの中に)父を見たのです。

 

広い門=ぶっちゃけ、万民救済、統一世界宗教右矢印全ての宗教が一つに統一され、最終的に全ての人が神の哀れみによって救われるという教理、信仰。

 

 

 

マタイ9章

35)それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。

 

36)また、群集を見て、羊飼い(牧者)のいない羊(信徒)のように弱り果てて(苦しめられて)倒れている彼らをかわいそうに思われた。

 

37)そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、(御言葉の真理を伝える)働き手が少ない。

 

38)だから、収穫の主に、収穫のために(御言葉の真理を伝える)(御言葉の真理を伝える)働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

 

ルカ10章

1)その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。

 

2)そして、彼らに言われた。「実りは多いが、(真理を宣べ伝える)働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために(真理を宣べ伝える)働き手を送ってくださるように祈りなさい。

 

3)さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、(羊の皮をかぶった)狼の中に小羊を送り出すようなものです。

 

 

 

 

 

 

 

古い契約として扱われるモーセの十戒は、実は、新しい契約であるキリストの二つの戒めの中に統括されています。

 

前半の四項目は、キリストの第一の戒めである「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(マタイ22:37、申命記6:5)に、そして、後半の六項目は、第二の戒めである「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(マタイ22:39、レビ記19:18)にそれぞれ統括されています。

 

ですから、イエス様は続けて「律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(マタイ22:40)と言われたのです。

 

従って、キリストの二つの戒めは、決してモーセの戒めに取って代わった新しい戒めではなく、古い契約がキリストの血によって全人類のために更新された戒めである事に気付くべきなのです。

 

1.あなたは、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。(唯一の神)

 

2.あなは、自分のために、偶像を造ってはならない。(偶像崇拝の禁止)

 

3.あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

 

4.安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

 

5.(隣人である)あなたの父と母を敬え。

 

6.(隣人を)殺してはならない。

 

7.(隣人を)姦淫してはならない。

 

8.(隣人の物を)盗んではならない。

 

9.あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

 

10.あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。

 

しかしながら、私もこの記事を書くまで知りませんでしたが、実は、上に挙げたプロテスタントのモーセの十戒と、カトリックとルーテル教会のそれとでは項目内用が違っているのです。

 

カトリックとルーテル教会側の十戒には、偶像崇拝を禁止する項目が省かれていて、その代わりに、「隣人の家や財産を欲しがってはならない。」と同じ項目内容に属すべき「隣人の妻を欲してはならない。」が加えられています。

 

恐ろしい事に、神の御言葉の真理をみごとに揉み消して、自分達で偶像となる聖徒の彫像や絵画を創作し、それらに向かって礼拝するだけでなく、最終的なゴールとして、世界統一宗教を確立させようとしているのです。

 

全く持って、神様に対する冒涜としか言いようがないのではないでしょうか。

 

 

 

第一ペテロ4章

15)あなたがたのうちだれも、人殺し、盗人、悪を行なう者、みだりに他人に干渉する者として苦しみを受けるようなことがあってはなりません。

 

16)しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。

 

17)なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終りは、どうなることでしょう。

 

18)義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。

 

19)ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに合っている人々は、善を行なうにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。

 

 

 

 

 

この事について書くことを躊躇していたのですが、今朝見た夢の内容から書かなければならないのだと示されたので、ここに記す事にします。

 

実際のところ、悲しいことに、今日の多くのカルト的宗教、或いはキリスト教会の中には、この隠れナルシストと呼ばれる人達が潜んでいる事は否めない事実だと実感します。

 

以下に、隠れナルシストの特徴となる項目を挙げることにします。

 

 

 

1.過度な自己重要感-誇大性

誇大性とは、非現実的な優越感(他者よりも優れているという自分立場)を指し、ナルシストが軽蔑、劣等感、独自性を用いて他人を見る時に発生します。

 

●隠れナルシストと判断される。

 

●他者への影響について、その洞察力の欠如が観察される。

 

●公然とした自己増強によって自尊心を規制している傾向がある。

 

●弱点の否認

 

●肩書きへの要求膨張

 

●期待が満たされない事への首尾一貫した怒り

 

●自尊心を脅かす人々への切り下げ(脱価値化)

 

●期待と現実について、その差が引き起こす不協和音への意識軽減

 

●壮大なファンタジーのあからさまな披露

 

●環境における経験であって、自身が非現実的な期待であったとは解釈されない。

 

2.共感性の欠如

 

①他人を理解できない。

②感情のコントロールが難しい。

③過剰な批判

④焦燥感(いらいら)

⑤最小限の赦し(赦すことがなかなか出来ない。)

⑥聴く力が弱い。

⑦自己中心的

⑧被害者非難(実際は自分が加害者なのに被害者叩きをする。)

 

3.過剰な賞賛の必要性(人からの自分への注目と賞賛欲求)

 

4.権利意識

 

特別な扱いに値するような事を殆ど、或いは何もしていないのにも関わらず、自分は当然恩恵を受けているという感覚。

 

5.浅い人間関係(表面的な人間関係に囲まれる。)

 

クリスチャンの隠れナルシストは、とても気を使っているように見えますが、その実それは見せかけであり、誇張されたものでしかありません。

 

6.搾取者(私利私欲のために他人を利用する。)

 

7.変化に適応しようとしない。

 

8.誇大妄想を経験する人は、自分を偉大な存在、高度な達成者、他人より重要な存在、或いは魔法にかけられた存在と見なす。

 

 

このビデオに取り上げられているカリスマ派やペンテコステ派のリーダー達も又、ナルシストの類に数え上げられるのではないでしょうか。

 

第二テモテ3章

1)終りの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。

 

2)そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な(思い上がった態度を取る)者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、

 

3)情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、

 

4)裏切る者、向こう見ずな者、慢心する(おごり高ぶる)者、神よりも快楽を愛する者になり、

 

5)見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

 

 

 

 

 

出エジプト19章16節/Exodus 19:16 (HNV)

三日目の朝になると、山の上に雷といなずまと密雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民は震え上がった。

 

It happend on the third day, when it was morning, that there were thunders and lightnings, and a thick cloud on the mountain, and the sound of an exceedingly laud shofer, and all the people who were in camp trembled.

 

イザヤ書29章6節/Isaiah 29:6

万軍の主は、雷と地震(マタイ24:7、マルコ13:18、ルカ21:11、黙示11:13)と大きな音をもって、つむじ風と暴風と焼き尽くす火をもって、あなた(アリエル=エルサレム)を訪れる。

 

She (Ari'el=Jerusalem) shall be visited of the LORD of Hosts with thunder, and with earthquake (Mat 24:7, Mark 13:18, Luke 21:11, Rev 11:13), and great noise, with whirlwind and tempest, and the flame of a devouring fire.

 

黙示録4章5節/Rev 4:5

御座からいなずまと声と雷鳴が起こった。七つのともしびが御座の前で燃えていた。神の七つの御霊である。

 

Out of the throne proceed lightning, sounds, and thunders. There were seven lamps of fire burning before his throne, which are the seven Spirits of God.

 

第二ペテロ1章/2 Peter 1

16)(使徒)たちは、あなたがたに、(使徒)たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この(使徒)たちは、キリストの威光の目撃者なのです。

 

For we (apostles) did not follow cunningly devised fables, when we (apostles) made known to you the power and coming of our Lord Yeshua the Messiah, but we (apostles) were eyewitnesses of his majesty.

 

17)キリストが父なる神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」

 

For he received from God the Father honor and glory when the voice came to him from the Majestic Glory. "This is my beloved Son, in whom I am well please."

 

18)私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかった声を、自分自身で聞いたのです

 

This voice we heard come out of heaven when we were with him in the holy mountain.

 

19)また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けになって、明けの明星(黙示22:16)があなたがたの心の中に上るまで(第二コリント4:6、第一ヨハネ3:2~6)は、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めるとよいのです。

 

We have the more sure word of prophecy, where unto you do well that you take heed, as to a lamp shining in a dark place, until the day dawns, and the day star (Rev 22:16) arise in your hearts (1 John 3:2-6):

 

エペソ5章14節/Ephesians 5:14

明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われます。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。(イザヤ26:19、51:17、52:1、60:1)

 

Therefore he says, "Arise, you who sleep, and arise from the dead, and Messiah will shine on you. (Isaiah 26:19, 51:17, 52:1, 60:1)"

 

第二コリント4章/2 Corinthians 4

5)(使徒)たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。(使徒)たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。

 

For we (apostles) don't preach ourselves, but Messiah Yeshua as Lord, and ourselves as your servants for Yeshua's sake.

 

6)「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。

 

Seeing it is God who said, "Light will shine out of darkness," who has shone in our hearts, to give the light of the knowledge of the glory of God in the face of Yeshua the Messiah.

 

第二ペテロ1章/2 Peter 1

20)それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。

 

Knowing this first, that no prophecy of Scripture is of private interpretation.

 

21)なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。

 

For no prophecy ever come by the will of man: but holy men of God spoke, being moved by the Ruach Hakodesh.