モーセの十戒とキリストの二つの戒め:同じ戒め | 何とかなるさ...の世界!?

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いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

 

 

古い契約として扱われるモーセの十戒は、実は、新しい契約であるキリストの二つの戒めの中に統括されています。

 

前半の四項目は、キリストの第一の戒めである「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(マタイ22:37、申命記6:5)に、そして、後半の六項目は、第二の戒めである「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(マタイ22:39、レビ記19:18)にそれぞれ統括されています。

 

ですから、イエス様は続けて「律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(マタイ22:40)と言われたのです。

 

従って、キリストの二つの戒めは、決してモーセの戒めに取って代わった新しい戒めではなく、古い契約がキリストの血によって全人類のために更新された戒めである事に気付くべきなのです。

 

1.あなたは、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。(唯一の神)

 

2.あなは、自分のために、偶像を造ってはならない。(偶像崇拝の禁止)

 

3.あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

 

4.安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

 

5.(隣人である)あなたの父と母を敬え。

 

6.(隣人を)殺してはならない。

 

7.(隣人を)姦淫してはならない。

 

8.(隣人の物を)盗んではならない。

 

9.あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

 

10.あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。

 

しかしながら、私もこの記事を書くまで知りませんでしたが、実は、上に挙げたプロテスタントのモーセの十戒と、カトリックとルーテル教会のそれとでは項目内用が違っているのです。

 

カトリックとルーテル教会側の十戒には、偶像崇拝を禁止する項目が省かれていて、その代わりに、「隣人の家や財産を欲しがってはならない。」と同じ項目内容に属すべき「隣人の妻を欲してはならない。」が加えられています。

 

恐ろしい事に、神の御言葉の真理をみごとに揉み消して、自分達で偶像となる聖徒の彫像や絵画を創作し、それらに向かって礼拝するだけでなく、最終的なゴールとして、世界統一宗教を確立させようとしているのです。

 

全く持って、神様に対する冒涜としか言いようがないのではないでしょうか。

 

 

 

第一ペテロ4章

15)あなたがたのうちだれも、人殺し、盗人、悪を行なう者、みだりに他人に干渉する者として苦しみを受けるようなことがあってはなりません。

 

16)しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。

 

17)なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終りは、どうなることでしょう。

 

18)義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。

 

19)ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに合っている人々は、善を行なうにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。