何とかなるさ...の世界!?

何とかなるさ...の世界!?

いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

月曜日の朝(ユダヤ教の贖罪の日)、台所の床上に黒い羽が落ちていました。

 

家族の誰かの靴の下にでもくっついて来たのかと思ったのですが、濡れてべたべたした感じもなく渇いていたので、不思議に感じ、ふと「堕天使の羽?」と脳裏に浮かんで来たので、心の中で、「もしこれが私の思っている物であるならば、そうであるという何らかの証拠を示して下さい。」と神様に祈りました。

 

そしてその翌朝、その黒い羽を置いていた場所を見たら、その羽が無くなっていたのです。

 

家族に聞いてみたのですが、誰もあの羽を捨てていないという答えが返って来ました。

 

その後、私は台所のゴミ袋を外のヤードのゴミ箱に入れに出た時に、白い羽が落ちているのに気付き拾い上げました。

 

この時、私はこれが昨日の祈りの答えなのかも知れないと何となく思いました。

 

それから、その日の夕方、再び台所の床に消えたはずの黒い羽が落ちていたのです。

 

朝に何度も探したのに見つからなかった黒い羽。

 

そして、私は確信しました。

 

黒い羽と白い羽、今正に、天界では堕天使(悪魔)と天使の軍勢が戦いを繰り広げているという事を、神様は私に示して下さったのかもしれないと。

 

そう、霊的戦いが...。

 

 

 

 

詩篇31篇

5)私のたましいを御手にゆだねます。真実の神、主よ。あなたは私を贖い出してくださいました。

 

6)私は、むなしい偶像につく者を憎み、主に信頼しています。

 

7)あなたの恵みを私は楽しみ、喜びます。あなたは、私の悩みをご覧になり、私のたましいの苦しみを知っておられました。

 

8)あなたは私を敵の手に渡さず、私の足を広い所に立たせてくださいました。

 

ヨナ書2章

8)むなしい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨てます。

 

9)しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです(主から来ます)。

 

 

 

 

ただ、盲目に御言葉を説く牧師や教師だけに頼るのではなく、新しく生まれ変わった自分の中に住まわれている聖霊様に導かれながら、自分自身で聖書を読んで学び、神なる主イエス・キリストの御言葉の真実を見つけ出して下さい。

 

聖書をじっくり読むこともなく、ただ一定の御言葉の箇所を取り上げて、自分の都合の良いように解釈するような、怠惰な御言葉摘み取りクリスチャンにならないで下さい。

 

御言葉を聖霊様に導かれつつ自分自身でじっくり読んで学ぶ事で、何が真実であり、また偽りであるのかが見えてくるはずです。

 

マタイ24章4節

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。―」

 

 

 

 

 

 

「私に投票しなかったら地獄だ!」って、何様のつもり?

 

 

神様になったつもり...!?

 

 

キリスト教と銘打っていたとしても、結局、全然イエス・キリストの教えと行動に相反しているとしか言いようがありません。

 

 

正しく背教的カルトです。

 

 

このような人物を指導者として押し続けるマガ・キリスト教徒の人達の心境が理解しかねます。

 

 

脳が毒され過ぎです。

 

 

 

 

 

他国の内政問題に土足で干渉するのはもってのほかでしょう。

 

 

国民が怒りを露にするのも最もです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ボットの皆さん、こんにちは。

 

シャドーバンバンなこのブログ、ボットの訪問者さんが殆どみたいですが、ちゃんとした訪問者さんまでも消去されてる感じがするのは気のせいでしょうか。

 

それでも、少しでも読んで下さっている方がいてくれると思いつつ、めげずに神様に示された事を載せて行きたいと思います。

 

 

 

 

エゼキエル書3章27節

しかし、わたしは、あなたと語るときあなたの口を開く。あなたは彼らに、『神である主はこう仰せられる。』と言え。聞く者には聞かせ、聞かない者には聞かせるな。彼らが反逆の家だからだ。

 

黙示録22章

10)また、彼は私に言った。「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。

 

11)不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」

 

12)「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。

 

ローマ2章

6)神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。

 

7)忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、

 

8)党派心(主義主張の似た者同士だけに向いた心)を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。

 

9)艱難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、悪を行なうすべての者の上に下り、

 

10)栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、善を行なうすべての者の上にあります。

 

11)神にはえこひいきなどはないからです。

 

12)律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。

 

13)それは、律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行なう者が正しいと認められるからです。

 

14)― 律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行ないをするばあいは、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。

 

15)彼らはこのようにして、律法の命じる行ないが(聖霊によって)彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。

 

16)私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行なわれます。

 

第二コリント5章

9)そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、(人にではなく)主に喜ばれることです。

 

10)なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

 

 

 

 

 

 

今週に入ってこの言葉が頭を過ぎり続けています。

 

Get right with God! Time is short.

神の前に正しく向かい合いなさい!時は縮まっています。

 

 

 

神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。(第二コリント6章2節)

 

主は言われます。「これは憐れみの日であり、恵みの日です。」

 

今正に、あなたが神と正しく向き合う(右矢印神の目にかなう者)となる時なのです。

 

パウロは、「軽率に憐れみを受けてはいけません。主の御腕に戻るために、イエス様の優しい呼び声に背を向けてはいけません。」と言っています。

 

これは恵みのメッセージですが、同様に警告でもあります。

 

イエス様は終りの日には、多くの人々が冷たくなると警告しています。

 

御言葉は、「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」(マタイ24章12節)と言っています。

 

そして、これは彼が言うところの「産みの苦しみの始まりの時に起こる」(マルコ13章8節)と言っています。

 

そして皆さん、私達はイエス様が語られたその只中に生きています。

 

私は、私達が産みの苦しみの始まりの中に生きているのだと心で信じています。

 

そしてイエス様は、「それらの時代、産みの苦しみの初めに、多くの人々の心は冷たくなり、彼らは(神に)背を向けるだろう」と言っています。

 

これは、御言葉によると、キリストの愛する呼びかけを拒絶する時ではないという事です。

 

私は人々が、「私は自分の都合の良い時に、いつでも神様と正しく向き合う事が出来ます。私にはその時が分かるだろうし、その用意が出来た時、私は神様に近づきます。」と言うのを聞きます。

 

冷たさは、頑なさに繋がります。

 

主は、「大いなる背教が起こるだろう」と語られました。

 

また、滅びる人達に対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。(第二テサロニケ2章10節)

 

兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。「きょう。」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。(ヘブル3章12ー13節)

 

ですから、聖霊が言われるとおりです。「きょう、もし御声を聞くならば、荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。(ヘブル3章7ー8節)

 

試みの日に、イスラエルは、彼等の祈りに対する神からの答えとなる証拠を何も見ることが出来なかったので、彼等の心を頑なにしたと聖書にあります。

 

私は、かつてはキリストを知り密接に歩んだものの、心を頑なにしてしまった人々に会います。

 

きょう、もし御声を聞くならば、心をかたくなにしてはなりません。(ヘブル3章7-8節)

 

それは、神が変わったとか、ご自身の憐れみを引っ込められたという事でもありません。

 

そのような事は起こりません。

 

心の頑なさは、キリストの恵み深い嘆願の影響力を超えています。

 

彼等は、聖霊の嘆願よりも自らを置き、福音の召命に従うつもりは全くありませんでした。

 

全くそのつもりはないのです。

 

どんな説教者が説こうと、主ご自身が肉体で下りて来られようと、聖書は、彼等の多くの者がキリストの憐れみを信じず、受け入れず、神から距離を置き続け、自ら課した頑なさを持つ人間だと述べています。

 

今こそ、神と正しく向き会う時です。

 

この世代は、神への恐れを失ってしまったからです。

 

主を恐れるとは、悪を憎む事です。

 

恵みとまことによって、咎は贖われる。主を恐れることによって、人は悪を離れる。(箴言16章6節)

 

数年前、私はイエール大学の集まりで講演するよう招かれました。

 

私は、講演前に標識を持ったデモ参加者のグループが来て、私がローマ人への手紙から同性愛者について説く事を読んだと知らされました。

 

私は、「主よ、私が説教するのは何ですか?」と言いました。

 

「地獄について説教しなさい。」

 

「地獄、どんな感じで、誰がそこに行くかをですか?」

 

私は、全国でそれを説教してきました。

 

その家に神への恐れが襲いかかり、キャンパスに襲いかかり、少なくとも集まってくる人達に襲いかかりました。

 

私は呆然としました。

 

私は聖霊の力を見たのです。

 

(デモの)標識は一切持ち上げられませんでした。

 

彼等は説明できなかったのです。

 

それは、神に対する恐れでした。

 

そして、聖霊が死と裁きがあると言っているのです。

 

神の御前に立ち、弁明する日があるのです。

 

聖書は非常に明確に、天国と地獄があることを明示しています。

 

イエス様は、地獄の火と嘆きと歯ぎしり、感じる事のできる暗闇があると言っています。

 

これが、聖霊の呼びかけを拒否する時の危険です。

 

神様と正しく向き合う時です。

 

なぜなら、イエス様がもうすぐ来られるからです。

 

そしてそれが、キリストの前で傷ついた心を謙虚に保つ大きな動機になっていると感じています。

 

帰ってきた主人に、目を覚ましているところを見られるしもべたちは幸いです。(ルカ12章37節)

 

あなたがたも用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのですから。(ルカ12章40節)

 

謙虚に神の御前に来る時です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神が命ずる手助けするべきでない五つのタイプの人達

(誰もこれに関して説教しない)

 

タイプ1:他人を騙して支配したがる人右矢印助けを求めないで他人を操る者

 

箴言12章22節

偽りのくちびるは主に忌みきらわれる。真実を行なう者は主に喜ばれる。

 

タイプ2:怠惰な人右矢印変わりたくなく、お気楽なだけの怠け者

 

第二テサロニケ3章

10)私たちは、あなたがたのところにいたときにも、働きたくない者は食べるなと命じました。

 

11)ところが、あなたがたの中には、何も仕事もせず、おせっかいばかりして、締りのない歩み方をしている人たちがいると聞いています。

 

12)こういう人たちは、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。

 

タイプ3:愚かな事を繰り返し続ける人右矢印同じ間違いをくり返しては一時しのぎをする愚か者

 

箴言26章11節

犬が自分の吐いた物に帰って来るように、愚かな者は自分の愚かさをくり返す。

 

箴言23章9節

愚かな者に話しかけるな。彼はあなたの思慮深いことばをさげすむからだ。

 

タイプ4:高慢な人右矢印自分の間違いを認める事無く解決を求める、誇り高ぶる者

 

ヤコブ4章6節

しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は高ぶる者を退け、へりくだる者たちに恵みをお授けになる。」

 

箴言26章12節

自分を知恵のある者と思っている人を見ただろう。彼よりも、愚かな者のほうが、まだ望みがある。

 

タイプ5:けんか(議論)好きな人右矢印いつも誰かと争いを引き起こす喧嘩好きな者

 

箴言19章19節

激しく憤る者は罰を受ける。たとい彼を救い出しても、ただ、これをくり返さなければならない。

 

もし、あなたが本当に変わりたいという人を助けるのであれば、そのまま助け続けて下さい。

 

聖書は、私達にお互いの重荷を負うように命じています。

 

しかし、あなたがその人の罪を支持し、無責任に養い続け、或いはその人を守り続けるなら、神が立ちはだかるでしょう。

 

それは愛ではありません。

 

それは、不従順です。