どうすれば人は救われる? ―How can one be saved?― | 何とかなるさ...の世界!?

何とかなるさ...の世界!?

いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

以下のポール・ウォッシャー牧師の説教を訳してみました。

 

 

 

私は、イエス様を貴方の人生の主人(以下にして下さいと言っているのではありません。

 

その理由を教えてあげましょう。

 

イエス様は、貴方の人生の主なのです。

 

イエス様は、貴方の人生における本当の主なのです。

 

神がイエス様を貴方の人生の主とされたのです。

 

神は、イエス様をその右の座に高く上げ、この時代だけでなく、来るべき時代においても、イエス様の御名において、名指しされる全ての名の上に置かれ、そして、全ての膝がひざまずき、全ての舌が、イエス様が主である事を告白するのです。

 

つまり、イエス様は貴方の全人生と、また、永遠における主なのです。

 

私は貴方にイエス様を主にするように求めているのではなく、イエス様に服従することを認めて欲しいのです。

 

愚かな事を止め、イエス・キリストの主権に服従する事を…。

 

では、どうすれば良いのでしょうか。

 

まず第一に、イエス様が言っている事は、全ての人は罪を犯しており、神の栄光に及ばないという事です。

 

そして、アダムの堕落以来、自分の行いや善行によって神の御前に受け入れられる者は、たとえ貴方の最善の行いであっても、汚いぼろきれのような物なのです。

 

まず初めにする事、それは自分が何者であるのか、イエス様が自分について何を言っているのかを(御言葉を通して)認識する事です。

 

貴方の実情は絶望的です。

 

貴方は道に迷い、罪の中にいます。

 

そして、もし貴方が今死んだとしたら、全ての被造物は立ち上がって、神が貴方に正しい裁きを下したと断言します。

 

それから、全ての希望を失った絶望のどん底で、自分に出来る事、或いは自分がして来た事の中に、何か輝かしいものを見る事です。

 

貴方は神がイエス・キリストにおいて、貴方のためにして下さった事に目を向けます。

 

あの十字架上で、神の御子はローマ人の手によって死んだのではなく、貴方の汚れ、貴方の罪を背負って死んだのです。

 

そして、貴方に注がれるべき神罰は、全てイエス様に注がれました。

 

イエス様は、神の怒りの杯を飲みました。

 

貴方が永遠に飲み続けるべき神の報いの杯を、イエス様は自分の命を諦め、死ぬ直前に飲んだのです。

 

イエス様は、「完了した。」と言って、全てを支払われました(ヨハネ19章30節)

 

神の報いは、貴方が神に対して犯した罪の一つ一つを償う事を求めました。

 

そしてその償いとは、地獄における永遠でした。

 

なぜでしょうか。

 

なぜなら、貴方は無限の善なる神に対して罪を犯しており、また、その神に対して無限の罪があるからです。

 

しかし、あの十字架の上でイエス・キリストは、貴方の代わりにその罪(の杯)を飲んで下さったのです。

 

救われるためには何をしなければなりませんか。

 

イエス・キリストを主として信じなさい。

 

そうすれば救われます。

 

貴方がした行いによるのではなく、恵みによるのです。

 

それは、信仰によるものであり、受け取るべき無償の賜物です。

 

貴方は、「私がそれを受け取った事をどうやって知るのか」と言うでしょう。

 

まあ、私や他の人が単に「貴方は正しい言葉で祈ったから救われたのです」と言ったから、そうなる訳ではありません。

 

神が貴方の心の中で何かをして下さった事によって知るのです。

 

神は、ご自分が何かした事をその霊で証し、そして、貴方の人生が変わり始めるので、貴方もそれを知るでしょう。

 

一晩で変わるとは限りませんが、変わる可能性もあります。

 

しかし、それは変わり始めます。

 

貴方は、主を知りたいという新たな欲求を持ち、その思いは成長するでしょう。

 

その思い(聖霊)は、貴方を追いかける誰かのようになります。

 

貴方に罪を告げ、貴方の歩むべき道と歩んではならない道を示します。

 

貴方は、残りの人生を通して続く変化を経験するでしょう。

 

主イエス・キリストを信じれば、救われます。

 

信じる事を拒む者は、既に罪に定められています。

 

 

 

 

私たちは救われた。過去

We have been saved. Past

 

エペソ2章/Ephesians 2 (ESV)

8)あなたがたは、恵みの故に、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

 

For by grace you been saved throgh faith, and this is not your own doing; it is the gift of God,

 

9)行ないによるのではありません。誰も誇ることのないためです。

 

Not a result of works, so that no one may boast.

 

私たちは救われている。現在

We are being saved. Present

 

第一コリント1章18節/1 Corinthians 1:18

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

 

For the word of cross is folly to those who are perishing, but to us who are being saved it is the power of God.

 

私たちは救われる。未来

We will be saved. Future

 

へブル1章14節/Hebrews 1:14

御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるために遣わされたのではありませんか。

 

Are they not all ministering spirits sent out to serve for the sake of those who are to inherit salvation?

 

下三角四角オレンジ四角グリーン丸レッド下三角四角オレンジ四角グリーン丸レッド下三角四角オレンジ四角グリーン丸レッド下三角四角オレンジ四角グリーン丸レッド下三角

 

申命記8章3節/Deu 8:3 (HNV)

それで主は、貴方を苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖も知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべてのもので生きる(マタイ4:4、ルカ4:4、アモス8:11)、ということを、あなたにわからせるためであった。

 

He humbled you, and allowed you to hunger, and fed you with manna, which you don't know, neither did your fathers know; that he might make you know that man does not live by bread only, but by everything that proseed out of the LORD does man live (Mat 4:4, Luke 4:4, Amos 8:11).

 

私達は、霊的食物のマナである神の御言葉と聖霊の導きによって、霊的に成長して行かなければ、救いの相続者になる事は出来ないのです。

 

We cannot become heirs of salvation unless we grow spiritually through the Word of God, which is the manna of spiritual food, and the guidance of the Holy Spirit.

 

神の御言葉の何たるかを知らずに救いを受け取った初期の段階のまま、何の変化もなく、霊的マナである御言葉を自分自身で読んで学ばず、聖霊によって導かれもしない、何の成長も見られないクリスチャンであってはいけないのです。

 

We must not remain in the initial stage of receiving salvation without knowing what the Word of God is, without any change, without reading and studying the Word, the spiritual manna, for ourselves, without being led by the Holy Spirit, and without seeing any growth as Christians.

 

私達は霊的戦いにおいて、主なる神キリストの御言葉によって、何が正しく、また正しくないのか、真実か偽りなのかを見分けていかなければならなりません。

 

We must discern what is right and what is wrong, true or false, by the Word of Christ the Lord God in spiritual warfare.

 

ですから、キリストに従う者は、悪に立ち向かう際に、御言葉に疎い者であってはいけないという事です。

 

Therefore, followers of Christ must not be ignorant of the Word when confronting evil.

 

第一ヨハネ1章9節/1 John 1:9 (ESV)

もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

 

If we confess our sins, he is faithful and just to forgive us our sins and to cleanse us from all unrighteousness.