アズサ・リバイバルの実体… | 何とかなるさ...の世界!?

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いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

 

NAR(新使徒改革)の指導者達は、世界がキリストが再臨する直前に終りの時代のリバイバルを見るだろう事を信じています。

 

NARの使徒や預言者、伝道者や牧師、そして教師達は、来るべきリバイバルの期待を高め、この予言的出来事の緊急性を強調します。

 

説教や講演では、聖徒の集合や終りの時代の収穫など、聞き手の注意をこの予言に集中させるために、様々なキーワードが使われています。

 

集会はリバイバルをテーマに宣伝され、本や文献は小さなリバイバルの一つが、予言されている世界的なリバイバルをもたらすかもしれないという考えを進展させています。

 

NAR以外の多くのクリスチャンにとって、終末のリバイバルという概念は非常に懐疑的なものなのです。

 

殆どのキリスト教徒は、そのような出来事を見ることを喜ぶでしょうが、そのようなリバイバルの可能性が非常に低い事を示唆する聖書の重要な箇所(第二テサロニケ2章1~3節)を再認識しています。

 

彼等はまた、終末リバイバルの概念を支持するために使用された一部の聖句は見当違いであり、代わりに聖書の歴史の中で起こった出来事に言及していると指摘しています。

 

NARの指導者達が、終末のリバイバルを送って下さる事を忘れて祈る時、彼等はしばしば、NARの使徒と預言者に権力が移行するまでの歴史の中で、現代の初期の原型の一つであったアズサ・ストリート・リバイバルを神に思い起こさせます。

 

NAR版アズサ・ストリート・リバイバルによると、このリバイバリスト達は、聖なる神聖な超自然的な出来事を体験し、無数の人々がリバイバルに参加し、即座にペンテコステ派の信仰に改宗したと言っています。

 

興味深い事に、現代のペンテコステ派のグループの中には、アズサ・ストリートのNARの使徒達の議題や終末のリバイバルがどのようなものであるかという概念と関係があるかもしれないというNARの考えを否定するものもあります。

 

彼等はNARの神権主義と支配主義の観念形態に反対しているだけでなく、アズサ・ストリートで起こった事の歴史にも精通しています。

 

アズサ・ストリート・リバイバルに関連するNAR版の歴史は、まるでおとぎ話のようです。

 

もし時間を巻き戻して、1906年のリバイバルを訪れる機会があったとしたら、現在のNARの中で参加した人は殆どいないでしょう。

 

 

 

NARの指導者達は、しばしば自分達をアズサ・ストリート・リバイバルの歴史家だと考えています。

 

リバイバルはしばしば、聖霊の注ぎが数ヶ月に渡って起こる、神の霊感による聖なる出来事と表現されます。

 

これらの歴史家と呼ばれる人達は、リバイバルに参加したペンテコステ派か、参加した人と親しい間柄にあったペンテコステ派の人達から聞いた話しに基づいて、この出来事について殆ど一方的な見解を示しています。

 

NARに関する主な魅力は、ペンテコステ派がリバイバルの間に信者に譲渡されると信じていた異言を話す賜物でした。

 

しかしながら、その話題は部分的には真実であり、新聞が奇妙な舌の泡と呼んだものは、多くの観衆を魅了しました。

 

改宗者といわゆる未信者が混ざって、この騒ぎを興味津々に見ていました。

 

(このアズサリバイバルは)NARが描いたイメージとは異なり、ペンテコステ信仰への新たな改宗は目的ではありませんでした。

 

出席した好奇心旺盛な人々は未信者として非難され、ウィリアム・シーモアは、リバイバル開始から2週間も経たないうちに、彼等の魂に非難の言葉を浴びせかけました。

 

1906年4月18日付の日刊ロサンゼルスタイムズ紙に記事が掲載された事で、世間は突如としてこの異常な光景に気付いたのです。

 

緊張は劇的に高まりました。

 

チャールズ・フォックス・パーハムの神学をシーモアが解釈した事に共鳴する人達だけの小さなリバイバル集会として始まったものが、たちまち、潜在的なパーハムが主役の宗教サーカスとなり、緊張は劇的に高まって行きました。

 

リバイバルの参加者の内、この宗教に改宗したのは十人に一人だけであると推定されており、後の残りは入場無料のスリルを味わうだけの参加者でした。

 

 

NARが主張するように、異言を語ることがリバイバルの主な魅力でしたが、後世の記述にあるような理由ではありません。

 

聖書からの説教は、いくつかの理由からごく僅かなものでした。

 

大騒動になる前に、シーモアは舌の教義に関するパーハムの理論を教えに来ていました。

 

ニュースが広まり、いわゆる未信者達がその過程を調べ始めた時、シーモアは宗教的熱狂のエピソードの合間に、僅か一語か二語の間隔で聖書を読んでいた事が分かりました。

 

また、読み書きの出来ない者達が、神から聖書を読む力を与えられたと主張したのですが、この新しい力を示す事は出来ませんでした。

 

大勢の観客を集めた珍しいアトラクションは、これだけではありませんでした。

 

NARの使徒達は用語上の別名、いわゆるホーリーキック(聖なる蹴り)について言及していません。

 

この省略は、ホーリーキッカーが危険な状態になった時、市職員が現場に呼び出されたという事実によるものと考えられます。

 

リバイバルが始まって僅か数週間で、リバイバリストたちは熱狂の渦に巻き込まれました。

 

何人かの参加者は犬のように吠え始め、他の参加者は床を踏み鳴らし、何人かの女性は床に横たわり、ヒールを空中に蹴り上げ(ホーリーキック?)、礼拝中に体の一部を露出させていました。左矢印制御不能の無法地帯状態?=無秩序

 

 

 

そのため、新聞はストリップクラブのような露出狂が許されている以上の露出をしていると指摘したほどでした。

 

何人かのキッカーは、外に飛び出し、男性の首に腕を回して男性同伴者を連れて戻って来ました。

 

目撃者の証言によれば、一人の男性が辛うじて狂気から逃れたと言います。

 

中には、より力を享受するために夫と子供を捨てたと公言する女性もいました。

 

男性も女性も、その時代のキリスト教徒らしからぬやり方で公然と抱擁を交わし、好奇心旺盛な数人の少女達がリバイバルに無防備に入り込む原因となったようです。

 

聖書から一つか二つの御言葉を読み上げ、蹴ったり踏みつけたり、意味不明な言葉を発したりする間に、預言者達は主からのものとされる言葉を預言として口にし始めました。

 

それら記録されている英語での外れた多くの予言は、一部の男性によって、その予言が既知のものでない言葉を発したため、グループにとって役に立たないと主張されました。

 

その他の予言には、鉄道は曲がって使えなくなるという予言や、鋼鉄製の桁が落下し、ロサンゼルスの大規模なビルが崩壊することも予言されていました。

 

ある予言では、自動車は動力がなくなると突然停止すると宣言したり、シカゴやロサンゼルス、そしてパサディナのような大都市の完全崩壊が予言されました。

 

警察がたびたびそのリバイバルに呼ばれましたが、それは単に、人々を妨害したためではありません。

 

新たに改宗した人の中には、心神喪失で逮捕される前に、猥褻な言葉を使った者もいました。

 

一人の男性がアズサ・ストリート・ミッションの外で所持していた宝石で刺されました。

 

その男性は、名誉の問題であり、教会の前で数人の男の内の一人に刺されたのだと言う事以外には、相手や宝石の入手理由についての詳細を語ろうとしませんでした。

 

ミッションに参加した女性達の何人かが、夫の下を去ったという事実を考慮すると、この宝石について重大な疑問が生じます。

 

警察の報告書から、キリストへの改宗は、アズサ・ストリート・リバイバルの議題に含まれていなかったことが明らかになっただけでなく、集会に参加していた未信者達は、リバイバルの指導者達から罵られていた事が判明しました。

 

しかし、62歳のE.P.ハレンのように、身体的暴行を受けた者もいました。

 

どうやら、リバイバルの終わり頃、アズサ・ストリート・リバイバルに参加していた牧師達は、罪人の参加は認めないと公言したようです。

 

ハレン・ローズが教えを請いながら罪を告白しようとすると、数人の信徒が彼を掴んで建物から追い出しました。

 

老人がひどい打撲を負い、病院に運ばれました。

 

アズサ・ストリート・リバイバルで行なわれた出来事のNAR版の多くは、終りの時代のリバイバルの議題を促進することだけを目的とした虚構です。

 

(アズサ)リバイバルの一面は、NARのリバイバルとよく似ています。

 

警察の報告書から、リバイバリスト達がチャネリング(媒介)した、いわゆる(明らかに聖霊でない)が、平和のためのものでない事は明らかでした。

 

四六時中騒ぐリバイバリストを制止するために警察が呼ばれても、彼等は殆ど応じず、平和を乱したとして逮捕されることもありました。

 

中には、刑務所で同じような騒ぎを起こしながら、永遠の炎が警察本部長を苦しめるよう神に祈る(呪う?)者さえありました。

 

警察の外科医が呼ばれ、逮捕された人々を診察したところ、少なくとも一人は感情的な精神異常を来しており、自分が罪を滅ぼしていると信じて、いつ暴力行為を犯してもおかしくないという恐怖にさいなまれている事が分かったのです。