カリフォルニアの建築家日記 -102ページ目

発音の話 「続けて読む」

発音は音を発すること。
意味のわからない外国の歌をカラオケで歌う時発音が素晴らしく聞こえるのは耳を使って歌っているから。

「Come Here」を単語で考えて発音すればいつまでたっても「カム・ヒヤー」

英語の頭で相手をひきつけたい時に発する音は
「Comehere」と発音する。頭ではこのような音を発している。
「Comier」

[カォミーヤーR] みたいな感じ。

CoMehere


これを理解するといろいろ応用できる

How are you? は このように考える。

「HowaR U?」(HowaReyou)

ハウ・ワァR U?ってわけ。


This is a pen は「ThisisaPen」

ディシィザァ・ペン というわけ。


学校ではこんなこと教えてくれないよねぇ。

想像案

来年のゲームプランを本格的に考える。
2009年予算案、 プロジェクトスケジュール、Financial storm (不況の嵐)の対策案。

将来を想像することは明日からの行動をデザインするということ。

行動とは 行きながら動かすということ。

つまり方向を決めて進みながら決める。

全部決めなくてもいい。 

完璧でなくてもいい。 だって、明日何が起こるかわからないから。


でも地図がなくては進めない。

目標の方向がわからなければ 風に流されしまう。

紙にひとつひとつ書いてみよう。




大切な人への手紙 Mr.Tさん

関係記事を読む ←

ロスは雨がばらついてる。
今年はとても寒い。

Juanなんか大きなスキージャケットを着てきた。
今年の1月に正確には去年の今頃から一つの目標を立てた。
それはクリスマスの日に50件の家族にギフトを配ること。
1件にやく、5千円程度のギフトをあげるとやく2500ドルぐらいになる。4人でシェアーすれば600ドル。

スタッフにも声をかけた。

一人20ドルぐらいでパートナーを抜くと18人だから7世帯はカバーできる。

リストはナタリーがロングビーチの教会で発行されたもの。

大勢の家族は1-2週間前までホームレスだった。 離婚した家族がおおいい。

まだ1歳にもなってない赤ちゃんを育てる家族や、4人も子供がいる家族。

子供と経済力は別と良く聞かされるが やはり経済力がないと子育てって。 なんて考える。


今夜は一人20世帯(仕分け)担当。

みんなでサンタの帽子をかぶった。←はずかしいなんていってられないねぇ。


「Merry Merry Christmas! ho, ho, ho」

ドアを開けると小さな坊やと妹さんが立って、ジーっと見てる。

一瞬現実にもどるが。 「Merry Christmas for you :)」

小さな声で「thank you..」

お母さんが後ろから出てきた。

彼女の顔は忘れられない。 

「Thank you,Thank you, Thankyou..」


彼女、泣いてた。  自分もなんか照れくさくて。

ハグをする際、「みんなで応援してるよ」っていった。 

彼女が痛いぐらいにハグをしてくれた。

車にもどり次の家族。

赤信号で止まっているとき 言葉では表現できない感動があった。

自分も本当にうれしくなった。 

言葉には表現できない「達成感」 

照れくさかったけど、本当にうれしかった。



もっともっと頑張ろう。

そうしてみんなで配った。  自分でできる範囲でギフトをする。

お金の金額ではない。 ただ、家族にみんなが応援していることを伝えるだけでいいんだ。


今夜はたくさんの家族にあった。

正直自分も涙が出てきた。  もう立派な大人なのに。


たいしたギフトではないのに、お父さんもお母さんも泣いてた。


水がいつも戻ってくるから涙。  

涙って悲しい時よりうれしい時に出てくるんだなぁ。





D.

BREAKTHROUGH #3 カミーヤ [後編]

BREAKTHROUGH #3 カミーヤ「前編」  を読む

何度練習してもメチャクチャ
日本語なまり

どうしてだろう。 そんなことを考えながら毎日が過ぎた。

当時アメリカの田舎に留学していた自分はお金にも底が尽きており
教会へいってアメリカ人のホストファミリーに知り合い、お世話になっていた。

ホストファミリーのママ・マセーラさんはいつもそんな自分を励ましてくれていた。

物理的にできない自分にとても
frustration(いらだち)を感じていた姿をみて、DayCareのアルバイトをしてみないか?と誘ってくれた。  

Day Careとは3歳までの子供をあずかる保育所みたいなもので、彼女の家には日常いつも0歳から3-4歳までの子供達でにぎあっていた。 また、彼女の次男ブライアンは当時2歳でヤンチャ坊主の世話をするにももってこいだた。

自分も子供が好きだからすぐに
「Of course」といって引き受けた。

子供って素直だ。  自分がどこから来たのか? どんな肌の色をしているのか?なんて本当に関係ない。 ましては発音が良い、悪いなどはまったく気にもしないようだ。

そんな場所で芝生で遊んだり、当時武道をやっていたので「バクテン」したりして人気を集めていた  ← 子供にうけてどうするの笑

ある日みんなでHide&Seekをしていた。  HIde&Seek = 隠れん坊

メリッサは3歳の女の子で自分の後ばっかり着いてくる。 大柄な自分が隠れるところは非常に少なくハンディーがあるのに彼女が後ろでは確実に見つかる。  

それでもいろいろな方法で隠れては見つかっていた。  

隠れ場にあまりチョイスがなくなっている自分にブライアンが耳元にきて声をかける。

ブライアン
「I know the great place to hide, Dice.. follow me..」
  (いい場所があるからついて来て!ダイス!)

当時、捕まえる立場のトニーは3、4、5、、、 と数えている。

10になるまであと数秒しかない。。 ブライアンはあっという間にどこかへ隠れてしまった。 自分とメリッサは静かに家の裏側へ歩き始めるが隠れる場所がない。

トニーが10を数え終えた。 今までうるさいぐらいの子供の声が小鳥の鳴き声が聞こえるぐらいの静かな庭に変わった。

バックヤードの奥には物置があるがほとんどの子供達はそこへ隠れているのでトニーが見つけるには時間の問題だ。

そんな時 小さな声が聞こえる

「カミーヤ ダイス」

声が小さくて聞こえにくいが確かにブライアンの声。

「カミーヤ。 ルック!アイム ヒーヤ」

なんとブライアンは家の床下にもぐりこんでいるではないか。  通常の家は床下を利用して空気の流れを良くし、湿気等をコントロールするために空間がある。その空間への出入り口を見つけていたブライアン。大人でも入っていける場所だった。

「カミーヤ」。  自分とメリッサは即座にその床下へ非難。

こうしてブライアン、メリッサ、そして自分はぜったいに見つからない場所を確保したのである。  

得意そうなブライアンの横顔を見ていた自分は重大なことに気づいた

今さっき、ブライアンはなんていった?なんて自分にいった?
「カミーヤ」。 そうだ!そうだったのか!

ダイス
「Brain, Can you repeat what you just said?」 
ブライアン、今いったこと、もう一度言ってみて?

ブライアン
「ワー?」
なに?

ダイス
「you just called me.. what did you just say?」
今自分を呼んだでしょう? なんて言った?

ブライアン
「オー ウェル、  カミーヤ」
Oh, well, Comere..

ダイス
「Once more please」
もう一度。お願い。

ブライアン(笑いながらゆっくりという)
「カームゥ・ミーヤァ    カミーヤ!」

ブライアンにスペルを聞いてみる。 当然彼にABCなんてかけるわけない。
でも。。そうです。 彼の発音はパーフェクトな発音だった。

自分がなぜ日本語ナマリから脱出できないかがわかった瞬間だった。

自分の頭ではいつも「Come Here」

この発音はどう練習しても「カム・ヒヤー」というわけ。

でも本当の発音は「カミーヤ」みたいに聞こえるわけ。

言葉は音だった。 音を発っして表情をつけることで会話ができるわけだ。


この瞬間から自分の発音に関する考え方がまったく変わった。


発音のBREAKTHROUGH #3 

言葉はスペルからではない。

言葉は音から入る。

音を覚えてから、スペルを覚えるのだ。



世界中の子供がそうしているように。

みんなもこうしたように。

自分に感動している姿をブライアンは何がおきたかわからないように見つめていた。
メリッサは相変わらず自分の後ろで隠れていた。


D.


お金の賢い使い方

お金の賢い運用、考えたことある? ブログネタ:お金の賢い運用、考えたことある? 参加中
本文はここから

上部のトピックをダイスの立場からどう考えるか?という質問をいただきました。 

お金の話しは一般に「タブー」とされているようであまり個人的な話しをする人は少ないようです。

私がこのブログを始めた理由はこれから世界へ羽ばたく日本人のみなさまに何かヒントや情熱を与えたいことが目的ですので「お金のため方やお金の運営(マネージメント)」に関するトピックは話すべきなのか疑問に思いますが 自分に書く「ブログ」として又「世界で戦う事業者」として書き留めたいと思います。  ←ちょっとまじめくさい文章になってしまったねぇ。

私は「お金」は一つのパワーだと思っています。建築家を職とするものからするとなかなか考えにくいものですが、職を追求しながら「パワー」を図るようにしています。

「お金は要らない」とか「お金は必要ない」と言うコメントを耳にしますが、自分ではナンセンスだと思っています。
「お金」はあるだけあれば良いと思うし、もっとお金を創るように頑張ろうというのが本心です。

「お金持ち」は現在では、なにか「欲張り」で「自分勝手」というイメージも理解できますが、「社会貢献」や「家族・友人への愛」を自由気ままにできることができるパワーが「お金持ち」であると言う考え方もあります。

問題はお金の使い方ではないでしょうか。

お金の作り方、またお金の使い方は自分でも長い時間をかけて考え、多くの先輩・クライアントから学んでいます。

現在ではお金というものは実は「幻」に過ぎず、本当は「自分の心・考え」がお金(パワー)だと考えるようになりました。。 考え方、心の持ち方でお金がついてくるようになってきています。 結果、心の使い方の良悪でお金の使い方が左右してくる現実を経験しています。 

お金とは「計り」であり、お金をためることが目的ではないと思っています

自分も当時そうでしたが、お金のために働いていた時期もあります。 当然生活費もあるし、将来のために貯金をしなければ生きてはいけない現実があります。 

建築が大好きで自分が納得できる建築を目指し、理解できない人は相手側に問題があるなどと考えていた時期がありました。この時期はお金のために建築をしているわけではないと外ではいっていましたが、結果、生活をしなくてはいけないのでお金を稼ぐ手段として建築をしなければいけない自分がありました。

このことは建築だけではなく、どの職にも当てはまると思います。

この考え方が支配する限り、 いくらお金をためてもお金が足りない現実がありました。

「お金のために働く」現実があったのです。


お金がある程度自由に使えるようになったのは「お金の考え方」を変え、実際に行動してみた結果でした。
自分が頭が良かったわけではなく、ただ貴重な情報をよき友達から聞いたり、たくさんの本、レクチャーに出席した結果だったのではないかと思います。

世界約1%の人々はこのように考えています。

「お金が自分のために働く。」


これがお金の賢い使い方につながると思います。 

皆さんはこの考え方を想像したことがありますか?

皆さんはこの考え方どう感じますか?


次回から少しづつこの「考え方」について話してみたいと思います。




D. 


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パートナーのすばらしさ

ロスは快晴→ときどき雨
カリフォルニアの建築家日記



今日はベストフレンドでもありビジネスではパートナーとして頑張っているシッド、ファン、そしてハービーとランチをすた。 

ラスベガスでいただいたお金でランチ。 

ロスの繁華街でいま穴場一番ホットなレストラン [PROVECHO]

ラテン系のモダン料理。 

食事中今年達成したことや、来年に向けてのチャレンジなどを話す。

マルガリータをのみながら会話が進んだ。← ちょっとのみすぎ?

やはり来年はかなりきつくなりそう。  「不安」だよねぇ。

みんな下を向き始めた。 

「不安」は自分の心が予測できないから不安なだけ。

来るものがわかっていて、作戦があれば「不安」から「挑戦」に変えることができる。

「俺達は過去、もっと大変な時期があったじゃないか。 こうしてここまでできたのも不安と前向きにファイトしてきたからある。 確かにいつも問題は大きくなっていくけど、成功すればするほど問題は大きくなるもの。」

「自分たちに降りかかる出来事はコントロールできないけど、その出来事が自分にどのような意味があるのかはコントロールできる」

「自分はこの問題をこれから強くなるための修行だと考えてる。」

「強いものはもっと強くなり、弱いものはもっと弱くなる現実。 自然の原理だと思う。 周りの花だって木だってこうして生長してきてるからねぇ。」 ← 哲学をかたってどうする。。笑

Sid、Juan,Harveyの表情になにか勇気がわいてきた。

「Yeah! Let's Do it, man!!」

「来年のことは来年のこと。 今日は俺達が目標にしてきた日。」

「It's gonna be pretty tough tonight, but let's do what we have planned to do!」
今夜はけっこう大変だけど、頑張ろうぜいっ!

今夜はアメリカではクリスマスの夜。 実は今年の最初に決めた目標があるのです。 それを実行するのが今夜。 

R204では毎年少しずつであるけれど、恵まれない家族に寄付をしている。 初年は1つの家族から始まった。

今年は合計4000ドルを寄付金を集めた(その中で1000ドルはラスベガスからのギフト! ラッキー!!!)。 

計算してみると、80世帯の家族にギフトを送ることになる。 多くの家族は1-2週間前までホームレスだった家族。 靴下とか、パジャマとか、帽子とか。 人家族50ドルの予算でプランをたててきた。

今夜、1家族づつ配る。  でもね、配る時相手の表情を思い浮かべてみて。 

すごーく、気持ちがいいよ。 何か自分でもできることがあるって 本当に気分がいいことだよ。


世界からすると砂一粒のようなものだが、自分たちではこれが精一杯だ。 世界でプロジェクトに携わる中、文明が進むにしたがって良い場面も経験しているが、その影になっている場面もたくさん見ている。 

億万長者ではないからお金を配ることができない。 またお金をあげても何も解決しない。

問題は自分達の才能を生かすことや、自分でできる範囲はでやるってこと。 あとは実行するのみ。

そんなアイデアをいつもサポートしてくれるパートナー、 
僕は彼ら、スタッフを誇りに思う。

カリフォルニアの建築家日記
Juan, Sid, Harvey


来年はもっと頑張ってより多くの家族にメリークリスマスのメッセージを送ろう。

興味のあるかたみんなもジョイントしない?


D。


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歳はとってもこうなりたくない


読者の皆さんから「歳はとってもこうなりたくない」考え方の質問をいただきました。

年はとってもこうはなりたくない ブログネタ:年はとってもこうはなりたくない 参加中
本文はここから

歳と大人度は同じではない。 時間が過ぎるだけで歳を重ねている人はいつになっても大人になれない。

自分は「いい歳をかさねる大人は自由に近づく」ということだと思っている。
よって歳をとるにつれて独立してゆく。

大人になるにつれ物理的成長し、ある年代から心理的成長へとシフトする。 
そして心理的に成長し続けるのは「良い歳をかさねる大人」だと思っている。

歳をとるにつれてマナーが悪く、見かけも気にせず、不健康で、心理的にネガティブな大人をよく目にする。 大人になればなるほど夢から離れていく人々。
大人になればなるほど、考えるのが面倒くさいという人々。
自分はぜったいにこのような大人になりたくない。 というより「ならない」

歳をとるにつれて「かっこいい大人」になりたい。

物理的にも健康体で、背筋を伸ばし、おしゃれも最高にして、良い食べ物を常時食べ、多くの人々に常時貢献する大人。

内面的には、子供のような想像力でありながら、自分におごらず、いつも自分の行動に誇りをもてる大人。

そんな大人になる。 
 


追伸; そうそう「息がくさい大人」もぜったいにいやですねぇ。


D.

カリフォルニアのクリスマス


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そして昼
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