
今、立ち住生している駅は、高架線にあるので、風の影響をもろにうけるらしく、今現在、はげしい風の攻撃にあっている。運転再開の目途はない、らしい。会社で台風をやりすごせばよかったかな一。
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5月20日(金) 晴れ
今月、山登りに使える休日が昨日だけであったので3月の雪辱を果たすべく日向へ登る事にした。あわよくば蕎麦粒山まで足を延ばし川乗りバス停から奥多摩経由で帰宅するコースを想定した。今回は棒ノ嶺を奥多摩側から登りマキノオ山、長尾の丸山、クロモヤマ、ヤマナシヤマ、50号鉄塔を越え日向沢ノ峰を目指すので早めに行動すべく青梅駅6時50分発奥多摩行きで川井駅で降り7時28分発のバスで清東橋まで向かい棒の入口には7時45分には入り、登山開始とする予定をたてた。
今回の山行は失敗が多く、我ながら恥ずかしい
まず一つ目にして最大の失敗、寝坊。
この為青梅発6時50分に間に合わず次発の7時28分にのるはめに、で、こうなると川井からでる都合のよいバスは無く、清東橋までは歩いて行く事にこれによって計画より約2時間の遅れが出てしまった。
二つ目の失敗は道を間違えた事。棒の入口を間違え大丹波川沿いに進んでしまい、引き返すはめに。ただでさえ時間をロスしているのに……
三つ目の失敗は昼飯用のインスタントうどん。油っこくて薄味だったので気持ち悪くなるだけだった。体が油ではなく塩分を欲しているらしく汁は飲めたが油揚げは苦労した。これにより、食事後しばらく、吐き気がつづきテンションを維持する事が大変だった。瀨
こんな感じの山行でしたが学びも多かった。 ということで、これから詳しく紹介します!
■川井駅バス停から棒ノ折登山道入り口
県道202号線を大丹波川沿いに北上する。
結構広い駐車場もあり時期がくると、にぎわう場所なのだろうな。
ついたのはいいがバスはどうせこないので先へ進むことにした。
歩行中、途中で腹痛となり。。。トレイを探すが、見つかるわけもなく、どーしようとおもっていたが、
地図によると清東橋の先にトレイがあるようであったので何とか、我慢しつつ歩いた。
実は、これより手前にバス停があり、立派なトイレがありました。無事用を足すことができ、
おなかの具合もすっかりよくなりました!!しかしトイレットペーパーがなかったので、持参した
鼻紙をたくさん使ってしまった。
途中でおなかが痛くなり用を足すケースは、今回が初めてであったが、こういうことって普通におきること
だと思うし、本来想定して備えをしておくべきであることを、今一度戒める事ができた。
トイレットペーパーを折りたたんで持参するか、鼻紙を大量に持ち歩くか、今後の検討事項だ。
清東橋を過ぎるとキャンプ場が見えてきた。キャンプ場は2つ。中茶屋キャンプ場、
百件茶屋キャンプ場だ。
大丹波川の清流にあるこのキャンプ場はトイレや調理場などもしっかりあるので、よい感じでした。
一度、キャンプしてみたいなぁ
この登山道を見逃してしまい、県道をそのまま北上してしまった。この地点から500mほど進んだ時点
で気がつき、引き返した。約1Kmのロス。ここまで歩いてくるだけでも、普段運動不足の体は、疲労して
いるので、ロスは時間・体力ともに消耗したなぁ。
ここは、地図上のトイレから100mほどのところ。もし、このルートを行かれる方がいるならご注意下さい!
■棒ノ折登山道入り口付近から頂上まで
9時15分 川を渡りきるといよいよ山へ。すぐに目に付くのが山葵田だ。伊豆天城付近の山葵田しか見た事が
なかったが、なかなかなものである。この辺は水がきれいなんでしょうね!
9時18分 緑がとてもきれいである。いろいろな緑が重なりあいとてもきれい。気持ちが癒されていくのを
感じた。小さな水の音も、とても気持ちがよい。すこし、佇んで目を閉じてみた。
9時19分 沢づたいの道には、こういう感じの橋が幾重にもかけられており、山道あり橋ありで
楽しい。しかし、心地よい事だけでなく、この頃から虫が気になりだす。。
一面の山葵田である。こんな奥にまであるんですね。山葵を作っている方々がこの道を通るの
でしょうね。
山葵田沿いの細い道。しかし虫が多くうっとおしいです。なんで、目の前にわざわざ現れて
くるのでしょうね。
この小さな虫たちは、黒い丸いものをめがけて飛んでくるんでしょうか。目玉と耳の穴をめがけて
飛んでくる。
9時21分 急傾斜の山。ここを登っていく。この辺りで結構息が上がっている私。先が思いやられる。
9時36分 案内板と、お社。楽しい登山と、無事を祈願し先を急いだ。
ここからしばらく急なのぼり。荷物が重いせいか、なかなか先へ進めない。
VAAM 3本1.5L 水2L 計3.5Lは結構きつい。それに虫がかなりウザイです。
この時期一気に出てくるのでしょうね。。。。
また、以前川苔山登山のときに、雪の上にいる大量の黒い虫たちが、ここでもいました。
急坂にかかった鉄のはしごにびっちり。。かなりきしょくわりぃ。ハエなんかもぶんぶんと
大量に飛び回っている。五月蝿いやつらですね。。。
疲れるわ、五月蝿いわ、で写真を撮る余裕がなく、しばらくは、粛々と登り続けた。
10時00分 ようやく、肩というのでしょうかなだらかな場所にでた。ここで小休止。左足ふくらはぎが
つり動けない。。。なんとももろい我が体。。重量オーバーなんだろうな。
とここで、また変な木を発見。ヤマナシ山の付近でもよく見かけた、途中が切られている木
まったく意図がわかりません。。。なんで、こんなことをしたんだろうか・・・
登りから開放されて、すこし元気を取り戻すが、時間がない。先を急がねば!3月に達成できなかった
縦走路を、こんどこそ踏破しなくてはと思いつつも、棒から高水三山のほうへ抜けて帰る感じでもいいかなぁ
などとの逃げ道が頭をよぎる。。。。 イカンイカン。
10時9分 再び登りへ。いやぁーきつい。。。 まずは、あの岩まで行くぞ!
という感じで登りました。
10時18分 途中すがすがしい春の風が吹き込んできた。すごく気持ちがよい。風に
励まされているような気持ちになった。
棒までは、それほど距離がないから、とにかくさっさと登るべ!とテンションをあげて
先を急いだ
10時30分 棒まであと200m。もう少し!ラストスパートいくでぇ
10時38分 あの先に頂上があるに違いない。4度目の棒であるが今回は初めての
ルートであった。川井からバスにさえ乗れれば、頂上までの距離は、名栗から登るより
短いので時間節約ができるなぁと。
10時40分 棒ノ折山頂上。しかし、この山の呼び方っていろいろあるよね。紛らわしいです。
ここで、計画を再修正。遅刻分を反映することにした。
当初蕎麦粒まで行き、川乗バス停まで下りてきて帰宅するルートを想定していたが時間的に
厳しいので、日向沢ノ峰登頂後、踊平から獅子口小屋跡を経由し大丹波川沿いに下り、
来た道を戻るルートに変更した。これならリベンジにもなるから、問題ない。
そうと決めたら、先を急ぐぞ!
■棒ノ折山頂から日向沢ノ峰まで
11時08分 棒ノ折山を、いよいよ日向沢ノ峰へ向けて出発。3月にきたときは、このくだり斜面は
雪で覆われており、滑らないように、かなり気をつけながら歩いたものです。雪のない今、歩きやすい
下り坂ということでさくさくと進めた!
やっぱ、UP/DWONのすくない尾根道は気持ちがよいです!
11時20分 槙ノ尾山着。まだまだ先は長いので通過。長尾ノ丸山方面を目指す。
11時40分 長尾ノ丸の巻き道。前回着たときは、頂上へのルート案内の目印に
気がつかなかったが、ちゃんとあったんですね。
この巻き道は、道が細く左手側は急斜面となっている。あるきにくいが、頂上側へ登って
いたずらに体力を消耗する事は避けたいので、今回も巻き道で頂上は行かずに進むことにした。
11時47分 前回休憩した岩が見えてきた。今回も、あの岩でで一休みしよう。
この先を進むと尾根道に出る。その尾根を進むと。。。。。
11時51分 かなり傾斜の急なくだり坂。これはロープを使わないと滑り落ちてしまう。。
前回来た時はぬかっていて、確か転んだ記憶が。。。
12時03分 途中でY字路にぶつかった。写真右手側へも道がつながっているようであるが
今回は、木でとうせんぼうしてありました。左手側(直進方面)へ進めばok。
前回来た時は、すこし迷ったんだよな
この辺にくると細かいUP/DOWNで体力もだいぶ消耗してきており、つい下を向いていることが
多くなっていた。
ふと空を見上げると、お天道様がさんさんと輝いていた。ありがたいことです。
3月にきたときは日の入りも早いので、帰り時を誤らないように、今頃の時間だとどきどきしていた
気がします。
12時11分 マヤノタルの看板着。前回きたとき無念の引き返しを行っている最中に、見つけた看板。
当時裏返しになっていたものを、もとにもどしたのだが、そのときから変わっていないようだ。
しかし、こういう名前はどこからみつけてくるのだろうか。地図にはその名前は出ていないし・・・・・・
12時31分 変な木の森。中途半端にきられていた木。いつ見ても、意図不明です。
何のためにきったのかなぁ。一本や二本ではないとこころに、何かの意図を感じます。
12時32分 とうとうでてきた。急なのぼり。この辺から、今後Up/Downが激しくなる。
ここを越えるとクロモ山の頂となる。
12時33分 クロモ山 赤テープが木に貼られていた。右隅に1087mとの記載あり。
長尾ノ丸から日向沢ノ峰まで、地図上では名前が書かれていないので、自分が
今どこにいるかを知るのが難しい。。送電線と尾根の交差する箇所が50号鉄塔として
およその距離を確認してみると、1/25000の地図的にはこのあと出てくるヤマナシ山
が1087m地点なのかなぁと、そしてクロモ山は927m地点では?とも思う。
しかしながら、そもそもクロモ山、ヤマナシ山が地図上でどの地点か正確にしる事が
できないので、考えてもしかたないなぁなどと、ぶつぶつと独り言を言いつつ、
意味のないことを考えるのをやめた。
はやく先を急がねば。。。
12時41分 また変な木発見。見るに耐えない残酷な姿です。かわいそうに。。。
なんでこんな状態で放置されているのか・・・
12時53分 ヤマナシ山着。結構ばててきた自分にムチうちつつ先を急ぐ。3月にきたときより
ペースが落ちているのは、写真を撮りながら歩いている為か、それとも暑さのためか、、、
12時54分 ヤマナシ山頂を過ぎるとこんな感じで下ります。右手側が埼玉側の雑木林
左手側は杉林。尾根道は細いので、迫力がありました。
12時57分 ここは、足を踏み外すと危険なところ。動物たちもここを通るのでしょう。岩の上には
鹿の糞がたくさんありました。
13時05分 ここも急なのぼり坂。この道中で遭遇する急坂のひとつです。ふらつくと
落ちそうなので木をつかみながら登ります。
13時17分 日向沢ノ峰の案内板がようやく出てきた。前回の撤退ポイントは近い。
13時21分着 - 57分発
前回の撤退ポイント。本当は、ここが今回のリベンジのSTART地点だ。
しかしながら、この時点で両足太ももの内側の‘つり‘がひどく、動けない状態に。。
ということで、ここで昼飯がてら休憩をとることにした。
今回もってきたインスタントのうどん、この状況では体に合わず失敗だった。あぶらっぽ
すぎて気持ちが悪くなってしまった。
おまけに、相変わらず虫が多く、うどんのなかに虫が入ってきたり、いろいろと面倒くさい
存在に・・・
しかし、空腹であるため、食べなければと、一気に食べつくした。救いは、意外と汁は
塩分が効いていてうまかった。
14時04分 50号鉄塔着。
撤退ポイントからの登りで、やはり両太もも内側のつりが激しく、動けない状態になってしまった。
やべ。。。 ほんとに動けなくなることってあるんだなぁと。鉄塔の足元の壁に背をもたれて、しばらく
休憩した。先ほどの休憩中に足をマッサージしたところ、鉄塔までの距離だけでも痛みが消えていた
ので、マッサージの有効性を思い起こし、つってしまった両足をひたすらマッサージをした。
鉄塔足下の壁にもたれながら対角側の壁を眺めたところ。
14時11分 日向沢ノ峰までの看板発見。結構看板を発見するとモチベーションがあがる
かんじです。
14時24分 途中ですれ違った方が日向沢ノ峰手前の登りは、壁のようで下るのも登るのも
きついといっていたが、きっとこれがそうであろう。
確かに、ここまでの道のりでもっとも急で、しかも長い登り。両太ももが持つように、手前の
岩に腰をおろし足を念入りにマッサージした。
登っている最中は、写真を撮る余裕もなく、ただひたすら登った。太ももが痛い。
体が重い。。。。
どれだけ急な坂かを写真におさめたかったのだが、逆行だったりぼやけてしまったりで
よくわからない画像になってしまいました。
14時49分 とうとう坂を上りきり広く開けた場所にでた。アブだろうか、ハエであろうか
たくさんの虫たちがたむろしており、私が歩を進めるたびに集まってくるくらいうるさくなりました。
かなり面倒くさいやつらですね。今度くるときは、虫取りスプレーを持ってきてやるか、などと思いながら
頂上を目指した。
14時52分 日向沢ノ峰1356m地点に到着。棒ノ折山山頂を出発してから、3時間44分の長い歩行となった。
UP/DWONの連続で、私の弱った足腰がダメージを受け、最後は両太ももの‘つり‘という形で、日ごろの
運動不足が表面化し、こんなにも時間がかかってしまったものと思われる。地図によると3時間の行程だ。
3月のチャレンジでは、雪と疲労と準備不足と時間の関係で撤退をせざるを得なかったが、約3ヵ月後に
リベンジに成功した。低い山ではあるが、80kgの太いからだに重い荷を背負って自分の体にムチをうちつつ
達成した今回の登頂は、とても感動できる登頂だった!!
■日向沢ノ峰から川井駅まで
15時22分 踊平へ下る途中の岩壁を下から眺めた写真。
15時に頂上を出発したが、今度は急なくだりが長く続き、再び両足太ももの内側がつってしまう。
きつかったっす。
15時25分 分岐の看板。蕎麦粒山の巻き道が崩落しており危険と書かれているが、いつの話なのだろうか。
まったく関係ないが、ここでも虫たちのうっとうしさにうんざりしてきていた私は、ひとつひらめいた。
なんで、俺はこの考えにいたらなかったんだろうと。。なんて大ばか者なんだ俺は、と。
Ipodを持ってきており、しかもヘッドフォンもあるから音楽を聴きながら歩けば虫も気にならないし耳に虫が
入ってくることもないではないか!!!と。
なんで、もっと早くきがつかなかったんだろうかと。
すぐにへっとフォンを装着し音楽を再生。ん~快適。はじめからこうしておけばよかった!
15時34分 踊平到着。ここで携帯電話の電波が入ったらしくメールが一気に受信された。
16時07分 獅子口小屋跡地。踊り平からは一気に細い道を下る。やはり両足太ももがつってしまう。
たびたび休憩しマッサージをしながらあるくので時間がかかってしまった。
父が昔登ったときには小屋があり、山葵の葉っぱが入った赤味噌の味噌汁を
飲めたそうです。とてもおいしそうですよね。そういう味噌汁があったら。
今度試してみようかなぁ。
そうそう、地図ではこの近辺に水場のしるしが表示されているが、いったいどこなのだろうか。
それらしいところは一切ない。すでにかれてしまったのでしょうか。
この付近にも山葵田がありきれいな沢があるので、ここの水を利用するという
意味なのだろうか。
16時44分 ひたすらくだり急ぎ、大丹波川に沿って下ると、面白い木を見つけた。
上下さかさまにひっくりかえしたような木だ。きっと幾百年と、ここに佇み登山者を
見守ってくれているのであろう、そう思い込み合掌した。
16時49分 しばらく沢沿いの道を行くとこの看板にであう。増水時は沢沿いは危険らしい。
一応山側の道を行ったが、かなり急なのぼりが続くようでしたので、途中で引き返し沢沿いの
道へ修正した。
沢沿いの道では、ところどころ橋ががかけられてはいたが、ちょっと怖い丸太橋がいくつもあった。
腐食しているものや付け根が外れているものなどである。川海苔山に行く途中のものは鉄筋製で
あったが、こちらのは丸太なので、ちょっと不安。早々にわたりきるのがよいと思われる。
16時55分 おそらくここが曲ヶ谷沢方面との分岐箇所なのかなぁと。だんだん暗くなってきたので
一応ヘッドライトを出し、先を急いだ。
やっぱり沢沿いルートでよかった。up/downがそれほどなく歩きあやすかった。
17時14分 ようやく登山道を抜け大丹波線へ。しかし、このときには足がボロボロです。
砂利道のうちは多少よかったが、アスファルトの道は、足に答えました。フラフラでした。
途中、がさがさと音がし、熊でもいるのかなぁと思ったが、音のするほうをずっとみていたら
逃げてゆく鹿の後姿を見ることができた。たくさん、糞はみていたが姿をみたのは、
この長い道中でこれがはじめててあった。
17時24分 大丹波ヘリポート。こんなところにあったんですね~。
ちなみに、この道って一般車も通ってこれるのかなぁ
17時56分 棒ノ折山登山道入り口手前のトレイへ到着。さすが地図に載るだけの
立派なトレイです。
3.5L持ってきた水分も、この時点ではすべて飲み干しており、のどもからから。
百軒茶屋キャンプ場の自販機で300mlのコーラを購入し一気飲み。
カーッ うめー
コーラをこんなにうまいと思ったのは、高校の頃部活でしごかれ、死ぬほど
のどが渇いたあとに飲んだ、あのコーラ以来だ。
最高でした。
帰りは絶対バスでかえるぞっ!と思い時刻表をみると、あと1時間ほどあった。
ということで、下れるだけ下ろうと考え結局、歩いて大丹波川国際ます釣り場まで
頑張った。ちょうどその頃、清東橋ゆきのバスとすれ違った事や、休憩できそうな
バス停だったためだ。
こんどは、カロリーオフのメッツを飲んで、日も暮れたバス停でげっぷをしながら
バスを待った。
19時04分 バスが到着し、川井駅まで向かう。
19時13分に川井駅のバス停着。丁度、青梅行きの電車が来たため、もうダッシュ。
改札に入って電車に飛び乗ろうとしたとき、無常にも扉をしめ、出発してしまった。
川井駅でしかも、直前にだ。最低だ。あと3秒ほど待ってくれればいいじゃねーかと、猛烈に
いかりがこみ上げた。
ということで、30分も電車を待つはめに。
今回は、もとはといえば自身の寝坊がまずかったのだから、これ以上なにもいうまいと決め
おとなしく30分間、待合室で一日を振り返った。
<気づき>
・虫対策には、虫除けスプレーに加えヘッドフォンあるいは耳栓が有効
・気温が高い日は、やはり冷たい飲み物がほしくなるので、水筒は持ってくるべき。
・地図はいつでも参照できるようにクリアケースなどに入れて携帯するべし。
・夏場は、油っぽい食事はさけたほうがよい。おにぎりがよいと思われる。
・カップラーメンはokと思われる
・足の疲労を和らげるサロンパスなどは持ってきたほうがよいかも
・偏頭痛もちは頭痛薬は必ず持参するべし
・トイレットペーパーを小さくたたんで持参するべし
・ティシュペーパーも
<地図>
今回のコースを青線で記しました!
次は、蕎麦粒山へいってみよう!
以上、おしまい!
日本人初の登頂をはたした植村直己氏の著書であるが、達成までの過程が詳しく著されていた。どんなことを思い、何を目指し、そのために何をしたか、だれと親しく、また協調したか。
高地での日常を伺いしることができ、私はますます氏に親近感を覚えた。
命をかけて、最高峰に登る人々の気概をなにとなく伺いしる事ができる本でした。
先日、登山用品店にいったところホテルエベレストのパンフレットがおいてありました。頂きに登る事は出来ないが、いつのひか、行ってみたいなぁ
新田氏の著書を古本屋で見つけたもので、購入してみました。今回は、純粋な山岳美談に、少々人間社会の
愛だ、恋だ的な要素をを混ぜ込んだ小説なのだという。主人公が心惹かれる女性とは、相思相愛でありながら
真実をしろう、語ろうとしないために、心がすれ違ってゆく心象風景が、印象に残った。恋に破れた、あるいは翻弄
された人間が富士山という絶対なものへすがりつくかのように、命をささげてしまう(偶然にも)様は、私としてはなんとも無意味な死であろうか、と嘆かわしく思った。
しかし、富士山山頂の気象台での台風直撃の描写は、とてもリアルで迫力があり、文章における表現の可能性
を感じるものであった。映像や画像抜きで、読者の頭の中にリアルなイメージを構築し得る文章構成力は、さすが
新田氏だ、と感動を覚えた。
神々の岩壁も、初登攀にかけるクライマーの思いを、リアルに描いており、とても面白かった。こんな風な競争意識があり、難所はこんな思いでクリアされてきたのだなぁ、と想像しながら読み進めるのであった。
しかも、この主人南さんは未だ健在ということで、驚いた。渋谷でスポーツ用品店を営まれ、その後拡大して名前も
改めてあるそうな。
すごいなぁー。ほんと。
すごい人はたくさんいるものですね
植村直己氏の名前は幼い頃によく聞いていた。小学生の頃、映画をみたような気がする。
しかし、記憶はうすれ正直いうと呼び起こすことない記憶の一つになっていた。
山に登るようになり、関連雑誌を購読し始めると冒険や旅という言葉に触れる事が多くなった。そうすると氏の名前は必ず出会うわけです。多くの人が支持する著書を私も読んで見ようと思い購入した。
山岳部の本気度は、部外者の私にはさっぱり分かりませんでしたが、氏の所属した当時の明大山岳部のような、本気な山岳部は今も存在するのだろうか。
この人もこうときめたらまっしぐらな人だったようです。
卒業後、単身渡米したエピソードは、まさに氏の気質を表すもののようにおもう。
その他、とても人間味あり氏の人柄が表れているエピソードをみると、つまるところ人間社会では一生懸命でがむしゃらで純粋な者に自ずと力は宿るように思われてならない。
若いときは、やはりこれが大事な事なんだろうなと思えた。
純粋に、何を追い求めるか。追い求めるものの大小や深さがその人を歴史に残す一つの指標に成るのだろうとおもう。
ちなみに、自分の学生時代を振り返ると、自分で気に入った場所にバイクで走りに行くことと彼女と仲良くすることだけだったな
これに夢中だったが、それ以上にはなにもなく時間を消費してたな……
自分の好きな事を生産的なものに変えるために邁進するべきだったと反省してます。
なりたい自分があるならば、全力を挙げてそれに成ればよい。限られた時間を全力で生きればそれに見合う大きなものが得られる、いつかこの本の話しを息子や娘にしながら、そん教訓を語ってみたいな
新田次郎氏の、この小説で雪山の壮絶さを思い知った気がする。
ここでも、組織人としての人間模様や、競争心、虚栄心が描かれていた。
厳冬期の八甲田山越えを、来るべき戦争に備え実施する目的であったが、そういう雪山においても、生き残ることができるか、といったような、いわば人体実験に等しいことが実際に行われた事について、現代に生きる私を、なんとも恐ろしいことだと思わしめる。
集団は、声の大きい人の意見で流されていく傾向があることは、私も時折感じることがある。
たとえば、それだけのそういう人が、運よく権力を得、実際に生死を分ける判断を下さなければ
成らないとき、きっとこういう悲惨なことがおきるのだろうと思う。
神田大尉、徳島大尉の組織における境遇や、その地位にいたるまでの過程、人間性が対象的で
その差が、結果の違いを生んだように思えた。そのようにストーリーを組んでいるのだろうと思う。
孤高の人もそうだが、雪山での死は不適切な判断に甘んじた結果生じるものであるように言っている。
極限状態において、他人、たとえば上司や友人などの判断が正しいと判断できるか、自らの能力が
それについて高い場合、自分の判断を適切と考えることができるか、プライドや組織内での上限関係、
性格、そういう余計なものを排除し、だれであれ信頼できるか、という点を客観的に冷静に判断できなければ
生きることができないのが、雪山なのだろうと思った。
たぶん、私は、人を見抜いて信頼を寄せることができない人なので、本能的にパーティーを組んだ登山が
嫌いで、単独行が好きなんだろうなぁ
山登りを始めてから、山関連の雑誌を購入することが多くなった。その中で山岳小説特集みたいなものがあった。
これは、山関連の業界の中で著名な方々が、自分のお勧めを紹介しているものだ。それぞれの紹介文を見て、機会があれば読んでみよう、位に思い、すぐに購入してまで読もうという気持ちもなかった。
昼休み中に近くのbookoffに入り、JAVAの本を探していたときに、ふと思い出したもので、小説コーナーへ足を運んだ。新田次郎さんは、同僚に顔が似ている人がいるので覚えており、なんとなく手にとった小説が、それでした。でもってなんとなしに上下巻を購入し、通勤中に読んでみた。
私は、加藤文太郎という一人の不世出の登山家の人生の虜になったようだ。。社会人としても、登山家としても成功を納めた希有の人であった、その人を、私はうらやましいと思ってしまう。もっとも、そうなるために頑固一徹、自分の意思を曲げずに全うする精神力を持つ人であったのだが。
ヒマラヤ登頂を夢にコツコツと貯金をし、雪山でも耐えられるようアパートの庭で日々野宿をする徹底振りは、並じゃない。どんな誘惑にも惑わず一心に目的を達するタフなところ、私などは見習いたいところである。
それに、なによりもこの人の幸運は外山さんという理解者がいたことだろう。会社の上司によき理解者がいることで社会的に安定した地位を得、志を成し遂げる為に邁進出来たんだろうとおもう。一方で外山さんを通し知り合った女性に関連し、命をおとしてしまうのは、なんともせつない。何故、負い目を感じ振り回されたのか、この人となりの美学が原因だと思った。そして自宅に戻ったという幻覚のなかいきたえた最期は、良かったのか、それとも悪かったのか。私は、文さんにもっと生きて欲しかったなぁ。
そして人生の単独行を卒業し親になって行く文さんをみたかったなぁ
2011年3月29日(火) 晴れ
棒ノ嶺から日向沢ノ峰 往復縦走
長期休暇も終わりに近づきつつあるなか、天候や体調の影響で、あまり登れずにいる状況でした。
翌日早朝からの予定があったが、この日を逃すと、しばらく山行に出ることができなくなるため、なんとしても行こうと決めていた。まだ行ったことがなく、5月に予定している山行につなげることができる距離が経験でき、自分の体力を確認できる場所ということで、このコースを選んだ。
しかしながら、往復約18KM、少々雪がある道を暗くなる前に歩き終える事ができるか、未知なところであったため、13時を撤収ポイントとし、いけるところまで行き戻る決心でトライすることとした。
山行を繰り返すが、実施期間があくため、相変わらず体重は減らない。いまだ82Kgです。今回の山行では5月の1泊登山行を想定し、水、VAAM、食料、テントを背負うことにし、自分を鼓舞した。寝袋は外したが。で、14kg。やばい重さでした。思いからだを悪路の上で移動させることの困難さを身をもって体験する結果となるやまぎょうになった。
また、今回は、ドジなことをしました。デジカメを忘れてしまい、携帯での撮影のみになってしまいました。
バッテリー残量と格闘しながらの撮影だったので、あまり写真を取れなかった。残念
という事で、これから山行を振り返りたいと思います。
8時05分 登山道入り口
8時53分 あずまや
9時30分 ごんじり峠
9時45分 頂上着
登山道入り口からの最初の登りで、結構体がきついなぁと反応。先が思いやられると思いつつ下をみながら、先へ進みました。いつもの大杉の裏にあるお社に向かって、登山の無事と楽しい登山を祈願し、気合を入れ直した。
沢にでるまでは、そこそこ急な傾斜を細い道沿いにすすんでいくが、そう長くは続かない。
10分もあるけば、沢沿いの岩場に出る。1月にきたときは、凍っている箇所も多かったが、3月にもなると、やはり暖かくなっているんですね、氷はほぼありませんでした。
沢をわたりつつ、ゴルジュへ。いつ見ても壮観です。平日の朝っぱらですから、私以外に誰もいるわけもなく、ただ水の音と風になびく葉の音が静かに聞こえるだけの世界で、少しばかり上を向き深呼吸していると、最初に感じた"しんど~"という気持ちが、呼気とともに抜けていく感じがして、とても気持ちがよかった。
20分もあるくと、だいぶ体が温まってくるので、インナーとして着込んできたフリースを脱ぎ、ザックへ押し込み、少々軽くなった気持ちと体を、ゴルジュの景観の中に運んでいきました。
鎖のある岩場を越えると、徐々に岩場ではない沢沿いの山道に変わり、8時53分に、無事、あずま屋へ到着。約50分程度であったが、ここまでで500mlのVAAM一本飲み干した。私の体脂肪君たちよ、どんどん燃えてくれ!
あずま屋からすぐ、奥に行ったところの登りは、頂上までの道の中では、おそらくもっとも急で長い登りではないだろうか、ここも重い体をえっちらおっちら移動させる。岩茸石を越えて、9時30分にごんじり峠へ到着。ごんじり峠から棒の嶺頂上までの道は、霜に押し上げられた土が、日当たりの状況に応じて陥没しており、でこぼこの道になっていた。これは、全部、霜がとけると、かなりぬかるみになりそうな、そんな状態でした。
そして、9時45分に頂上へ到着。
棒ノ嶺頂上で撮影。とても天気がよく、辺りを見渡すことができました。
頂上は広く、そして開けているのでかなり気持ちがよいです。私は、棒の嶺の頂上がとても気に入ってます。
こんな感じです。近隣の山々は、よく見えました。
10時08分 棒ノ嶺頂上出発
10時23分 槙ノ尾山着
棒ノ嶺頂上から下ると、北斜面ということもあるのだろうか、雪が結構あり油断すると転んでしまいそう。棒のみねの登り側とはまったく雰囲気が異なる。初めてのエリアに足を踏みいれた感動を実感。地図だと約20分で槙ノ尾山に到着できる予定。
ほぼ予定通り槙ノ尾山へ到着。ここまでの道は、急なUP/DOWNもなく順調にクリア。
自分一人で、しかも携帯での撮影なので、ちょっと一苦労です。13時に日向沢ノ峰に行くためにも、先を急ぐことにした。次の長尾ノ丸山までは約40分の道のりのようだ。
11時には到着する予定。
長尾の丸山の頂上の巻き道が登山道になっているようでした。この道は、本当に細く、倒木が道をふさいでいる場所もあり、本当にこの道でよいかどうか迷いながら、進みました。
途中、文字がほぼ消えているが一応、山側に道標があります。本当に注意してみていないと気がつけないでしょう。それを見て、正しいことを確信しました。
11時06分 長尾ノ丸山
巻き道を11時頃抜け、尾根道に入ったところで疑問が、、長尾ノ丸の頂上は一体どこだったんだろうと。
私の場合、この時点でようやく、自分が通ってきた道が巻き道であったことに気がつきました。
地図をよくみると確かに登山道は、頂上とはずれている事がわかります。標識で長尾ノ丸山頂上などの
案内もないので、気がつけませんでした。
先を急ぐ必要があったが、やはり頂上はクリアしたいし三角点は踏みしめたいので、尾根道を引き返す
形で、頂上を目指した。
長尾ノ丸山の三角点です!
頂上を出発し再び尾根道に戻り、先を進むと雪もないなだらかな道となるが、その先
上の写真の先が、かなり急なくだりとなります。ロープがあるおかげでかなり助かりました!
といっても、実は転びましたが・・・
地図には名前がでていなかったのですが、ひたすら尾根道を進むと、ものすごい急なのぼりに
出会いました。こんな急なのぼりを私は、進むことができるだろうかと、少々躊躇するくらい急でした。
登り終えると、木に赤いテープがはってあり、クロモ山と書いてありました。標高1087mのようです。
これもテープに書いてありました。11時49分 クロモ山登頂です。
地図にのっていないので、この辺がどの辺りかわからなかったですが、25000分の1のちずだと標高
だけ書かれているみたいですね。
しかし、山の名前はどこに書かれているのか、いまだに探せてません。
そして、ひたすら尾根道を進むと、またまた急なのぼりが。。。こんどこそ登れるか
なんぞ、思いながらゆっくり歩みをすすめ、上りきる。すると、先ほど同様、赤いテープに
ヤマナシ山と書かれたしるしがあった。ここも地図に載っていない。。
12時05分 ヤマナシ山登頂です。
いま、自分がどこのあたりにいるかわからないのは不安ですね。ちゃんと同定できるように
練習する必要を感じたしだいです。
判断ポイントの13時が近づきあせり。そしてさっきまで晴れていた空が、急に暗くなってきた。
霧も結構出てきたことにきがつく。とにかく13時まで歩予定。
ヤマナシ山をでてからだったか、どこか忘れましたが、どなたかが落とした車の鍵が石の
上においてありました。ホンダのマークがありました。以前持っていた鍵にとても似ていたので
たぶんステップワゴンの車の鍵と思われます。結構時間がたっている様子。ここで、
一応自分も、車の鍵を落としていない?事を確認。こんなところで落としたら、なかなかとりに
これないですからね・・・ 気をつけねば。
それに、どこであったか変な木々があった。途中にまで切込みが入れられた木々だ。なんだこれは??
という感じ。意図が不明である。なんか不気味な感じがした。痛ましい木々の姿を見ると、胸が
痛む。
残雪も多く、かつ急な坂も増えてきたころ、時計は13時に近づいていた。いま私はどこをあるいているのだろうか。
道標もないので、ただただ尾根をあるくだけである。時間的には、もう近くにはいるはずだと想定。
地図に書かれた参考時間をよりも短い時間で歩けてはいないことを考慮し、大体どのへんかを割り出してあるいて
いると、以下の看板に行き当たった。
この看板を見つけたとき12時45分頃であった。おそらくあと、1時間もあるけば日向沢ノ裏のはず。
いくべきか、いかざるべきか迷う。
戻ってくるまで帰らねばならないので、やはり当初決めたとおり13時には引き返すことに決断した。
悔しいが、無理は禁物である。雪があり細い尾根もあり、さらに天気も崩れてきているし
霧もでてきている、体力もかなりつらくなっている。引き返す体力や暗くなるまでの時間を考えると
悔しいが、ここで昼食をして撤収するべきと判断した。
そして、鉄塔の見える手前の丘で昼食のラーメンを作ることにした。
無念だ。往復ではなくこのまま進んで日原もしくは、川乗りバス停に抜けてかえるルートであれば
初志貫徹できたのでは、、と悔いながら食事をした。
残念であるが、ここで撤収。そしてきた道をかえる。
くるときは、気がつかなかったが途中、木につけられたプレートが裏返しにかかっている
ことに気がつき、表に返してみた。すると、マヤノタルと書かれていた。これが地図上
どのあたりなのかは、わからない。位置がわかるとたのしいだろうな。
そして、15時40分 棒ノ嶺の頂上に到着。
かなりしんどかった。。。。
最後のくだりをする前に、一杯コーヒーをつくり飲む。生き返った気分。
山で自分で作るコーヒーって、なんてうまいんだといつも思います。。。
課題が多くのこった、登山でした。
このルートは、早々にリベンジしたいと思います!
こんどは カメラを忘れないようにして・・・